第23話 ディッキーを連れ戻しに
ジョンとビリーはディッキーの走っていった方角を目指した。ジョンの方は肩にあの少年の遺体を担いでいる。一歩、二歩と踏み出すうちにも辺りは暗くなっていく。気持ちは焦っていたが、ジョンは肩にかかる重さで上手く歩けなかった。背はじっとりと汗ばんでいて、けれど夜気は肌寒い。冷たい水に濡れたようで、体はぞくぞくとした。
しばらく進むと、
「ジョン!」
ビリーの声が開けた空に響き渡った。ジョンはびっくりして振り返る。
「声が大きいよ! 夜は危険なんだから」
ビリーは小さく、ごめん、と言ってから「でも、あれ見てよ」
ビリーが指し示した方へ目を向けると、ジョンも思わずあっと声を上げてしまった。
ディッキーだった。暗いため顔ははっきり見えなかったが、それでも彼の銀髪は闇の中に浮き出すように目立つ。砂の上に座り込んでいるらしかった。ジョンとビリーは顔を見交わし頷き合うと、彼の元へ走った。
「ディッキー」
二人で呼びかけると、ディッキーはちらりと彼らの方へ視線を上げてから、再び俯いた。
「何やってんだよ。オレたち、すごくすごく心配したんだからな」
言いながら、ビリーはしゃがんでディッキーの顔を覗き込んだ。
ごめん……。
思いがけないか細い声に、ジョンの胸はつんと痛んだ。ビリーを見ると、彼もまた、眉を下げた痛まし気な表情を浮かべている。ジョンはディッキーを励まそうと、声に力を入れた。
「大丈夫だよ。無事だって分かればみんな安心する」
彼に倣ってか、ビリーも明朗な口調で話した。
「そうだよ。特にダンがね。あいつ、大怪我してんのにお前を探しに行くって、ずっと言ってたんだぞ」
ビリーがダンの怪我のことを口にしたので、ジョンは彼の袖を引っ張って止めようとした。が、遅かった。ディッキーは目を大きく見開いて顔を上げた。緑色の瞳がてらてらする。
「あいつ、怪我したのか……?」
「大丈夫だよ! トミーが戻ってきてバード戦車長のところに連れてってくれたから。あそこのドクターはすっごく腕がいいんだよ」
慌てたせいで、妙に声が上ずってしまった。しかし、顔を上げたディッキーの目には、さらに辛い現実が映っていた。
「そいつ……誰?」
ジョンは自分の背後へ向けられた視線に気づき、はっとなった。
「この子は……あの戦車の掃除兵だった子だよ。人質にされてた子」
ディッキーはしばらく少年を見つめて黙っていたけれど、そのうちに小さな声で、
「死んでるのか?」
その掠れた声と言葉に、ジョンの心がきりきりとなる。
「うん……」
その後、何かを、ディッキーを励ますような何かを、言わなければと思ったのだけど、言葉は見つからなかった。ディッキーはまた下を向く。しん、と大きな夜闇を満たすような深い深い沈黙が落ちてきた。
「ディッキー」
どれだけ経った頃か、ビリーが再び口火を切った。
「とにかく一緒に帰ろう。きっとみんな待ってるし、オレだってみんなのとこに帰りたい」
ディッキーは急にどこかが痛んだかのように顔をしかめた。
「帰らない」
ディッキー! とジョンが叫んだのに、ビリーの荒げた声が重なった。
「何言ってんだよ! みんな心配して待ってんだぞ!」
ディッキーがぱっと顔を上げた。
「帰れるわけないだろ! ダンのこと置いて逃げたのに」
彼は視線を落とすと、ひどく力ない声で続けた。
「ダンはきっとオレのことなんか嫌いになってる。今までだって、オレ、ずっとあいつにひどい態度だった。それでも、あいつはオレのこと守ろうとしてくれたのに、オレは何にもしないで逃げたんだ」
「しかたないよ。相手がランディたちだったんだから」
ジョンがそっとディッキーの背に手を当てて言うと、ディッキーは地面を見つめたまま静かに返して来た。
「ジョンはデレクもそう思うって、思ってんのか?」
不意を突かれた。ジョンは口ごもってしまう。
デレクは自身にもそうだが、他人に対してもとても厳しい人間だった。それに誠実さを欠いた行いをひどく嫌う。そういう彼の信条に、今回の件ももちろんだが、軽口ばかり叩いて回るディッキーの性格は合わないのだ。それで、これまでもデレクはディッキーに対してどうしてもきつく当たってしまっていたのだと、ジョンにはなんとなく分かっていた。けれど、自分と同じことにディッキー自身も気がついているとは思いもよらなかった。
「デレクはオレのこと嫌ってる。絶対許してくれない」
「嫌ってるわけじゃないよ!」
ジョンは声を上げたが、ディッキーは首を振る。
「嫌ってるよ。そのくらい分かる。オレはバカだけど、そこまでバカじゃない」
「じゃあさ」
二人の会話をぶった切るように、いきなりビリーが話しだした。
「お前、なんでこんなとこにいたんだよ? 戻る気がないなら、もっと遠くまで逃げれば良かったじゃん。そのくらいできただろ? でも、お前はそうしないでずっとここに座ってた。迎えに来てほしかったからじゃないのか? 本当は帰りたいんじゃないのか?」
言葉を切り、ビリーはディッキーをじっと見つめた。彼はディッキーが目を背けると、大きく息を吐き出してから、また話し始める。
「デレクに嫌われたって、別にいいじゃん。戦車にいんのはデレクだけじゃないんだから。オレはお前のこと好きだよ。面白いもん。それに――お前が戻らなかったら、ダンがかわいそうだよ」
ディッキーが目を丸くして顔を上げた。
「だって、そうだろ。あんなに頑張ったのに、人質だった奴は死んでお前までいなくなったら、ダンは何のために頑張ったんだよ? あいつはお前に無事に帰ってきて欲しがってんだよ」
ディッキーの瞼がゆっくりと瞳の輪郭を隠していく。それにしたがい、目の中に溜まった涙が星明りを吸い込んでどんどん輝きを増していった。ビリーはディッキーを見つめ返して表情をほどく。
「だから帰ろうよ。ジョンとオレがついてるから大丈夫だよ」
彼は、な? と言うようにジョンへ視線を投げた。ジョンもこくんと頷いて返す。
「うん、大丈夫。だから安心して帰っておいでよ」
ディッキーは黙って下を向いた。彼が、しばらくそうしてじっとしていたので、ジョンとビリーはどうしたものかと目配せし合った。しかし、そのうち、
「帰る」
とディッキーの微かな声が聞こえた。ジョンとビリーは、今度は笑顔を交わし合った。
「うん」
二人で力強くそう言うと、ディッキーに手を差し出して、立ち上がるのを助けた。
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