第13話 ジョンの思い出

 デレク、ジョン、サミーの三人が大広間を出ると、幾人かのはしゃぐ声が聞こえてきた。吹き抜けになった広い空間いっぱいに楽し気にこだましている。ジョンが反射的に通路の先へと目を向けると、ビリーをはじめ年少の少年たちが何やら床に視線を貼り付けながら声を上げていた。「あっ、くそ!」とか「やった、すげえ!」とか。何をしているのだろう、と目を凝らしてみると、床の上では幾本かの独楽がクルクルクルクル回りながら、時折ぶつかって相手をはじき出したり、逆にわらわらと回転が歪になって転げてしまったりしている。その光景を認めた途端に、ジョンの心にぐっと郷愁がこみ上げた。


    *****


 二年前のクリスマス。ジョンの家族はささやかなお祝いをした。いつもよりちょっと多めのうさぎの肉と、豆だけでなくじゃがいもや卵も入ったスープを食べて小さな家は幸せの気配でいっぱいだった。それだけでジョンは満足だった。けれど、その先に、期待するはずもなかった言葉が待っていた。

「お前、サンタクロースって聞いたことあるか?」

 食事の温かさが残るテーブルの席で、父はこう切り出した。ジョンはきょとんとして父を見つめるしかなかった。一体何の話をし始めたのか、見当がつかなかったのだ。父が顔をほころばせる。

「知らないよな。あのな、サンタクロースっていうのは赤い外套を着た白髭のおじいさんなんだ。空飛ぶトナカイが引くそりに乗っていてね。そうしてクリスマスの夜に良い子にしていた子どもたちにプレゼントを持ってやって来るって言われているんだよ」

「本当に?」

 素敵な話に心にぱっと陽が差したようになった。けれど、すぐにそこは悲しさで陰る。

「ぼくのところには一度も来てくれたことないね」

 父は目尻にたくさん皺を作って笑った。

「そうなんだよ。それでなんでかなと思ってサンタクロースにきいてみたんだ。そしたらな、彼はお前が聞きわけが良すぎて何が欲しいか分からなかったって言ったんだよ。だから、ちゃんと伝えておいた。お前が普通の子どもと同じように甘いお菓子や玩具が好きだってことをな。それで――」

 父は言いながら、いつの間に隠していたのか、テーブルの下から紐で結った小さな箱を取り出した。

「さっきこれを置いていったんだ。きっとお前へのプレゼントだぞ」

 暗い気持ちが一気に弾けた。とくんとくんと胸が躍動する。ジョンはすぐさま箱を手に取った。開けてもいいのだろうか? ちらりと視線を上げて父の表情を確かめる。父はにっこりと笑って頷いてくれた。途端に自分の顔が笑みでくしゃくしゃになったのが分かった。急いで紐を解いて箱を開けると――ナツメヤシの実を砂糖漬けにしたお菓子と四本の独楽が礼儀正しく並んでいた。嬉しさがこみ上げて、鼻の奥がつんとする。サンタクロースというのは魔法使いみたいな人だ。そうして、すぐに彼のことが頭に浮かんだ。

「デレクのところにもサンタクロースは行ったかな?」

 すると、先ほどまで溶けそうなほど穏やかだった父の表情が、急に硬くなった。

「どうかな……」

 その瞬間、ジョンの胸にひどく後ろめたい気持ちがせり上がってきた。デレクはすごく優しい良い子なのに、サンタクロースは行ってあげないのだろうか?

「デレクの欲しいものも分からないのかな?」

「そうかもな」

 応えた父の目は、ジョンの視線から逃げるように宙へ泳いでいく。二人のやり取りを眺めていた母も気まずそうにうつむいた。

 そんなのダメだ――。

「ぼく、デレクのところに行ってくる」

 ジョンはそう言うや、プレゼントの包みを抱えて走りだした。


 その日も大きな空に星が瞬いていた。たくさんの星座が輝く中を、ジョンはデレクの家へ急いだ。冷たい空気が当たって、頬がピリピリする。足を踏み出す度に巻き上がる砂が星明りを反射してきらきらと散る。しばらくすると全体を椰子で葺いた粗末な家が見えてきた。デレクの家だ。ジョンはぽっかり空いた穴のような入口の前まで行くと、中を覗いて呼びかけた。

「デレク」

 すぐに、背を向けて地べたに座り込んでいたデレクが振り返る。

「どうしたんだよ?」

 彼の顔を見ると、ジョンの冷えた頬はほっと緩んだ。

「あのね、ぼくプレゼント貰ったんだ。クリスマスだからサンタクロースっていう人に。だから、デレクとラリーにも分けようと思って」

 デレクは不思議そうに眉をひそめた。

「サンタクロースって誰だよ?」

 ジョンはどう説明しようかと迷った。父の話を頭の中でなぞって逡巡すると、

「とりあえず出てきてよ。後で話すから」

 デレクは弟のラリーを連れて出てきた。彼らの父親は何も告げない二人にろれつの回らない怒鳴り声を上げたが、デレクは無視してただラリーの手を強く引いた。

 

 三人はジョンの家のらくだ小屋へ行き、紐を巻き付けた独楽を投げて遊んだ。デレクはなかなか上手くいかずにぐずってしまったラリーに、巻き方から投げ方まで丁寧に教えてやり、その合間に自分の独楽を投げてジョンのものにぶつけてはじき出していた。せっかくうまく回ってたのに、とジョンが眉間を寄せて言うと、デレクは顔をくしゃりとさせて屈託なく笑った。今ではほとんど見せなくなってしまった少年らしい表情だ。そのうちに上手く回せるようになったラリーにも、ジョンの独楽にぶつけさせた。ジョンの独楽の回転が歪になり、あっという間に転げてしまったのを見て、三人は声を上げて笑った。


 ひと通り遊び終えると、みんなでナツメヤシの実を食べながら、ジョンはサンタクロースの話を切り出していた。

「――それって、おとぎ話みたいなもんなんじゃないか?」

 ジョンの話を聞くと、デレクはすかさず否定しにかかった。ジョンも間髪入れずに反論する。

「でもね、この独楽も砂糖漬けのお菓子もサンタクロースがくれたんだよ」

 デレクはナツメヤシの実をつまみ上げた手を止め、じっとその実を見つめる。そして、唐突にこんなことを口にした。

「そういや、らくだの数、減ってないか?」

 思いがけない話題に、ジョンはぽかんとしてしまった。

「そうだね。この間、一匹売るって言ってたから、それでじゃないかな」

 それを聞くと、デレクはため息を一つ落として、ナツメヤシを戻した。

「良かったな」

 なぜかそう言ったデレクは少し悲しそうに見えた。


    *****


 あの頃、デレクとジョンは十三歳だった。二年経った今、デレクはすっかり大人になった。たった二年でだ。それを思うと、ジョンの胸にやり切れない思いがつき上げてきた。


「ダンが作ってあげたみたいだよ。今日の朝。器用だよね」

 サミーの声で、過去と今の間をふわふわと漂っていたジョンの心はこの場に引き戻された。サミーに続けて、デレクが言う。

「あいつは何かあるって気づいてんだよ。頭の良い奴だからな」

 それを聞くとジョンの頭をふと過ぎる。やっぱりデレクとダンは少し似ている。

「好きなだけ遊ばせてやろう。これからしばらくは、できないだろうから」

 デレクの声は静かだったけれど、ジョンの心に深く深く響いてきた。

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