第7話 悪童ディッキーと初めての戦闘

 自分たちの戦車を持って数日、ジョンたちはデレクの計画通りに富裕層から水をだまし取ることに成功していた。

 しかし、すぐに思いもよらなかった問題に直面した。ランディの軍は想像以上に困窮していたらしく、戦うに十分な物資の備蓄はなかったのだ。今は戦闘を仕掛けられる状態ではない。仕方なく、彼らは他の戦車から武器や弾薬を奪うことから始めていた。

 その中で分かったことが一つある。ディッキーは相当に使えるということだ。無類のいたずら好きらしい彼は大人が困るだろうことを考えるのが大得意だった。

 彼は様々な方法で大人の戦車を出し抜いたが、一番役に立ったのはピアノ線を使った罠だ。ジョンたちが売られた時のように、掃除兵や武具の売り場には、棒ざおに縄や鉄線を渡して作った簡単な仕切りがある。そのほとんどが一度使われるとそのままの状態で放置されていた。ディッキーはそれを利用した。棒ざおをちょうどいい位置にずらし、その間にピアノ線を時計のぜんまいのように複雑に張り巡らしておく。そうすると通りかかった戦車はキャタピラにこのピアノ線が巻き付いてしまい、前にも後ろにも動けなくなるのだ。どうにかしようと彼らが四苦八苦しているうちに、ジョンとデレクの二人が忍び込んで鉄器や弾薬を奪っていく。ハッチから入り込むと戦車内の一般民に見つかる可能性が高いので、何とか外壁をのぼって砲塔の視察口からまだ体の小さいジョンが侵入する。デレクは見張りも兼ねて外で待ち、ジョンから強奪品をどんどん受け取って最後には彼を引っ張り上げる。たまに見つかって危うく逃れてくることもあったが、成果は十分だった。


「こんなにうまくいくとは思わなかったよ。ディッキーのおかげだな」

 厨房で昼食を摂りながらジョンが言った。階下にも食事できるスペースは当然あったが、三人しかいないのでは広すぎるし、後片付けをするトミーのことを考えるとこちらの方が都合が良いように思えた。

 ディッキーは目の前の皿に盛られたトマトスープの具材を口に放り込んで、にっこりと笑う。

「まあ、トミーの料理に比べたらオレの罠の方が――」

 言いかけたところで厨房の奥からじゃがいもがすっ飛んできてディッキーの側頭部を直撃した。かなりのコントロールだ。ディッキーは打たれたところを片手で押さえて立ち上がり、厨房の奥へ向かって叫んだ。

「いってぇな! なにすんだよ!」

「うるさい! まずかったら食うな、クソガキ!」

 トミーの声でディッキーは唇をぎゅっと噛んで椅子に座り、不満げに「あのブツブツ野郎」などと悪態をついていた。ディッキーは自身の容姿が良いからか、他人の外見についてからかうことが多い。殊にトミーは、小さな目にそばかすだらけの顔を、しょっちゅうディッキーに冷やかされていた。

「誰がどう見てもお前が悪いだろ」

 すぐ隣に座っていたデレクがスープを口へ運ぶ手を一瞬だけ止めて、興味なさそうな声で言った。ディッキーは端正な顔を歪めて、何も言わずに、またトマトスープを食べ始めた。


 ディッキーの軽口は時にうっとうしく、本人に自覚があるかは分からないが他人を傷つける類のものであることが多い。しかし、ジョンはそれが彼には必要不可欠な盾であることに気がついていた。

 

 少し前、デレクがディッキーに戦車砲の掃除を指示した時のことだ。

「えー、なんでオレなの? 自分でやればいいじゃん」

 ディッキーはすぐに不服そうな声を上げた。

「オレはもう戦車砲に入るにはでかすぎる。お前はまだちっこいだろ」

「じゃあ、ジョンは?」

「あのなあ……」

 デレクはやや声を凄めてディッキーの方を向く。

「ここではお前が一番下っ端なんだよ。やれって言われたらやれ」

「ああ、ひっでえなあ。オレは今までかわいそうな掃除兵としてずっと働いてきたのに、まだやらせんだ」

「お前はたかだか二か月だろ。オレとジョンは一年やってんだよ。いいからさっさと入れ」

 ジョンは二人のやり取りを黙って見ていたが、言い返せなくなったディッキーの様子に引っ掛かりを覚えた。どこか途方に暮れたような、困惑した表情に見えたのだ。ディッキーは仕方なさそうに戦車砲の入口へ体を向ける。でも、それ以上は動かなかった。どこか痛むかのように眉を寄せ、じっと戦車砲の入口へ視線を向けている。その目には初めて会った夜の、あの怯えた光が蘇ってきていた。ジョンは、はたと思い当たった。

「デレク、ぼくがやるよ」

「は? ディッキーにやらせろ。そいつは調子に乗りすぎだ」

「デレク」

 ジョンは声を深めてデレクとしっかり視線を合わせた。デレクは一度きょとんとしたけれど、ジョンの態度にある含みに気づいたらしく、すぐにディッキーを部屋へ戻した。

「なんだよ。どうかしたのか?」

 ディッキーが出て行ってすぐに、デレクが尋ねてきた。ジョンは息をつく。

「君は間近で見てないから気づいてないだろうけど、ディッキーは体中に火傷の跡があるんだよ。なんでできたのかは分からないけど、さっきすごく怯えた様子だったから……もしかしたら戦車砲がまだ熱いうちに中に入れられたり、そういうことがあったんじゃないかって思ったんだ」

 ジョンは言葉を切ってうつむいた。二か月しか働いていなくても、きっとその間は地獄のような日々だったのだ。彼の心に深い傷を残しているに違いない。その証拠に、彼は火傷を隠すためなのだろう、どんなに暑くても長袖長ズボンの服を着ていた。軽口ばかり叩いて痛ましい素振りを見せないのは、心に負った傷を見せるのが怖いのか、それとも彼のプライドが許さないのか。どちらにしても、ジョークを盾にして心の痛みを隠しておくしかないのだ。それなら、自分たちは気づかないふりをしながら、彼を恐ろしいものから遠ざけてやる他ない。

「ディッキーはディッキーですごく辛いんだよ。分かってやらなきゃ」


 そういうことがあったために、デレクとジョンはディッキーの生意気な言動にも多少は目をつむっていた。もともと穏やかな性格のジョンにはさほど難しくはなかったが、デレクは相当に我慢しているらしい。彼が、顔では平静を保ちながら、実は隠した拳をぎゅっと握りしめていることがあると、ジョンには分かっていた。


 とにかく、ディッキーのおかげもあり軍事物資は着実に蓄えられていった。幾日か過ぎた頃には、一、二度の戦いならば持ちこたえられるほどにはなっていたのだ。仲間を増やす段階だ。デレクがそう判断した時、戦車内に冷たい緊張が走った。

「狙うのは小さな戦車だ。まだまだ、でかいのと張り合えるわけないからな。交渉後に襲ったって百パーセント返り討ちだ。最初のハードルは低くして、ちょっとずつ戦いに慣らしていくんだ」

「じゃあ、青い戦車を探してよ」

 ディッキーが声を上げた。

「オレの友だちは小さくて青い戦車に乗ってるはずなんだ」

 小さくて青い戦車――。ジョンの脳裏を一年前の売り場の光景がかすめ通っていく。あの時、最後に残っていたのは確かに小ぶりで青い戦車だった。もしディッキーの言っている戦車とジョンの見た戦車が同じものだったとしたら……あのもやしのような少年は、もうこの世にはいないのかもしれない。ディッキーの友人があの少年と入れ替わりで青い戦車に買われたのだとしたら、そういうことだろう。内臓がえぐられるように痛んで、ジョンは目を伏せた。明かりを反射して鈍く光る鉛色の床と目が合ったような気がした。


 標的を決めたのは夜中だった。ディッキーの言っていた通り、青い戦車を見つけ出したのだ。デレクはディッキーの友人を探してやるのにはあまり気が進まないようだったけれど(ディッキーのような少年がもう一人増えるのが嫌だったのだろう)、ジョンが彼を説得した。少し前の自分たちと同じ境遇なのだから、力になってやろうと。でも本心を言えば、半分はジョンがあのもやしのような少年の安否を確かめたいからでもあった。もし青い戦車に乗っている掃除兵があの少年だったら、ジョンとディッキーの見た戦車は別物で、ディッキーの友人ももやし少年も、二人とも無事でいる可能性が出てくるのだ。そんな希望を持つのは、友人に会いたがっているディッキーを心の中で裏切っていることに他ならない。そう考えると、背筋を罪悪感が這い登っていった。

 青い戦車は幸運にも交戦中だった。ピカリ、ピカリと閃光が放たれ、その度に暗闇にぼんやりと二つの戦車の姿が浮き上がる。しばらくすると光も音も止み、両戦車からそれぞれ人が降りてきた。交渉に入るのだ。ジョンは拳をぎゅっと握る。手が汗ばんでいるのが分かった。あと少しだ。

 それから小一時間ほどで交渉から金品の運び込みまでが終わった。青い戦車は敗北したようだ。ダメージは相当なものだし、油断もしている。またとない好機だった。砲塔に集まっていた四人は視線を交わして頷き合う。そして、すぐに持ち場についた。デレクが戦車長席、ディッキーが砲手席、ジョンは砲塔の前方にある変速機トランスミッション部の操縦席、トミーはジョンの席のすぐ横の通信席(自分はただのコックなのに、という不満はあったのだろうが、ディッキーと違って空気の読める彼は、それを口に出すことはしなかった)。ジョンはごくりと生唾を飲み込む。戦車の操縦はバード戦車長に習ってきたが、実際にやるのは初めてだ。普段はデレクがやってくれていた。震える手をハンドレバーに添え、足元のクラッチを踏み込む。ブゥンという音をさせてエンジンが始動する。チェンジレバーを動かしてからアクセルを踏む。じん、と体に小さな振動があり、戦車はゆっくりと前進した。よし、ここまでは大丈夫だ。戦車での戦いは後ろを取れば勝ったも同然と言える。基本的にどの戦車もエンジンは後方にあり、そこは最大の弱点なのだ。砲弾を一発でも入れられれば、爆発は免れない。昔にあった小さな戦車では、爆発に巻き込まれて乗員はみんな命を落としただろうが、現在の巨大戦車ならば前方まで被害は届かないはずだ。砲塔にいるだろう掃除兵が巻き添えを食うことはないはずだ。デレクの指示通りに、青い戦車の後方へ向かわなくては。ジョンは手元のレバーで右のキャタピラを固定し、左だけ動かして車体を回転させる。ゆっくり右へ旋回していく戦車をちょうどいいところで止めて再び前進。まだ青い戦車は気づいていない。ゆっくりゆっくり進めると、トミーの無線機に通信が入る。

「おい、掃除兵。ここで止まれってよ」

 ジョンは指示通りブレーキを踏み、ぴたりと車体が止まる。それから、


 バーン!


 大きな衝撃で車体が少し後退した。放たれた砲弾は弧を描き、数秒後に見事青い戦車に命中した。ぼわっと炎が上がり、戦車のいかつい後方部が暗闇の中でオレンジ色に照らし出される。青い戦車からサイレン音が響き、左右に揺れ始める。しかしエンジンが燃えているのでは、慌てたところでどうにもならない。しばらくすると、白旗が掲げられた。


 ぴんと張った糸のような緊張が弾け、喜びが戦車中に広がった。

「よし!」

 ジョンはほとんど飛び上がるようにして立ち上がり、トミーを見る。

「やったよ! 勝ったんだ、大人の戦車に!」

「後ろからの不意打ちだ。勝って当然だろ」

 トミーは言葉こそ冷たいが、口元の緩みは抑えきれないらしい。そう、当たり前なのかもしれないけれど、やっぱり嬉しいものは嬉しいのだ。

 ジョンとトミーは砲塔へ向かった。ドアを開けた瞬間に、飛び出して来たディッキーがジョンに抱きついてきた。

「やった! やった! オレたちすげえよ! 勝った!」

 ディッキーの口からは止めどなく言葉が溢れてくる。ジョンは彼の頭をポンポンと軽く叩いてやった。後ろのデレクはディッキーほど興奮してはいないものの、普段の張り詰めた顔つきからは考えられないくらい穏やかな笑みを湛えていた。

「交渉してくるよ。それで、水と掃除兵を交換するように言う」

 デレクの言葉に、みんなが視線を合わせて頷いた。

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