6-B
もう数え切れないほどの採血を終え、僕は見飽きた白い部屋に倒れ込んだ。
あれから何年が経ったのだろう、未だに僕は
――こんな苦しみが続くなら、いっそ……。
そう思い始めてきた事に、僕自身が一番驚いていた。
死人である吸血鬼は変われない。だがそれは、根本の部分が変わらなくなっただけで、感情の波まで失った訳ではなかったのだ。
元気な人もたまには疲れる、優しい人だって怒る時がある。
だから僕だって、苦しみ疲れて死にたくなる時があるのだ。
――でも死ねない、僕が居なくなったら彼女が辛い思いをする事になる。
僕はガラスの壁に張り付き、やつれた彼女の顔を見つめる。
どんなに疲れ果てようと、僕の愛は変わらない、魂まで根付いた熱は失われない。
だが、それは彼女も同じ。
どんなに絶望の底に追い込まれようと、あの男への愛という希望が有る限り、決して僕を振り向きなどしない。
それが彼女の自殺を防ぐ錨となっている事が分かっても、僕は渦巻く憎悪を抑える事が出来なかった。
僕は暗い気持ちのまま倒れて天井を見上げ、首に填められた金属製の輪を撫でる。
それは脱走防止用に付けられた、爆弾入りの犬の首輪。
これが有る限り、僕達は逃げる事さえ出来ずに飼い殺されていく。
冷たい輪の感触に、僕の自殺衝動が限界を超えようとしたその時、天井から聞き慣れない音が聞こえてきた。
普通の人間なら聞き取れないほど微細な、だが明らかに人が立てる物音。
何事かと僕が見上げると、換気扇を通って小さな何かが落ちてきた。
それは鍵、白衣達が稀に見せびらかす、僕を縛る首輪を解く唯一の電子キー。
厳重に管理されている筈のそれが、何故こんな所に落ちてくるのかと混乱する僕に、換気扇越しに高い声がかけられる。
「首輪を外して逃げなさい。監視カメラにはダミーの映像を流してあるし、扉の鍵も解除してあるわ」
女の声だと思われるそれに、僕は疑いながらも鍵を取り、最早体の一部になりつつあった首輪に差し込んだ。
ピッと軽い音が鳴り、それだけで呆気なく、爆弾付きの縛めは僕の首から外れた。
床に落ちて乾いた金属音を立てるそれを、僕は思い切り蹴りつけると、女の言葉を思い出して白い牢屋の扉に駆け寄った。
普段は忌々しい実験の時しか開かない金属の扉は、やはり呆気なく横にスライドして開く。
僕は呆然としつつ廊下を窺うが、慌てて駆け寄ってくる白衣の姿は見えない。
未だ信じられぬ思いで立ち竦んでいると、背後から重い音が響いてきた。
驚いて振り返った僕の目に映ったのは、換気扇が外された天井と、そこから落とされたらしい大きな黒いバッグ。
フラフラとそれに近づいた僕に、また天井から女の声がかけられる。
「武器よ、使い方は説明しなくても分かるわね?」
その言葉通り、バッグから出てきたのは見た事のある凶器だった。
ご丁寧にも、銃の整備道具や輸血パックまで詰められたバッグに、僕は脱走出来る喜びよりも不安が膨れ上がり、天井の女を問い詰める。
――どうして僕達を助ける!?
思わず裏返った声に返ってきたのは、薄ら寒いほくそ笑み。
「ふふふっ、それは君達が知る事ではないわ。ただ、君達がこの研究所を壊滅させて脱走すると、とても助かる人がいるの」
言外に所員を皆殺しにしろという声音に、僕は自分が化け物である事も忘れて背を震わせてしまう。
そんな怖気に固まる僕に、女は最後の通告をする。
「ここを出たら北に逃げなさい。五十㎞ほど進めば、隠れるのに最適な寒村が有るわ。吸血鬼の君達なら一時間も掛からず辿り着けるでしょう?」
そう告げると、女は換気扇を填め直し、僅かに覗かせた金髪をたなびかせ、彼女の檻の方に向かった。
ガラス越しの僕には、彼女と女が何を話したのかは分からない。
ただ、今まで怯えて縮こまっていただけの彼女は、突然力強く立ち上がって首輪を外し、女が渡した大型のナイフを手に取り、そして自らの足で牢屋から抜け出した。
慌てて後を追った僕の目に映ったのは、今まで一度も見た事のない、恋した彼女とは思えない、苛烈な女吸血鬼の面。
瞳に固く静かな決意を宿らせ、彼女は遙か遠くを見つめる。
「――今、行くから」
それだけを呟き、僕の方など振り返る事も無く、彼女は駆けつけてきた所員達に襲いかかった。
女の子を殺した時の弱さなど微塵も感じさせず、一刀の元に人を切り伏せる彼女は、血の色に染まる
僕も慌ててそれに続き、今までに味わった屈辱と憎悪を爆発させた。
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