Bの玉座

TAITAN

プロローグ α「残ったもの」 & ω「残されたもの」

プロローグα「残ったもの」


 宇宙には知的生命が一個体の寿命で観測するには不可能な数の星が存在していると言われている。


 星系、星団、銀河、銀河団。

 宇宙の始まりから終わりまでにその全てを見る事は誰にも出来ない。

 それは今、空の星々を見上げているどんな生き物にも言える。

 そも大抵の知的生命にとって、空に星を見るという行為は然して重要なものではない。

 それらを気にしているのは真空の海にまで飛び出す輩。

 森羅万象の理に近付き、その頭脳に蓄える叡智で無限の海に繰り出す種のみ。

 だが、その空を見上げる四足の動物達は遥か遠方。


 陽光にも似た明るさで通り過ぎていく彗星にしては大き過ぎるソレを見上げずにはいられなかった。


 二つの輝き。

 蒼と紅。


 それらがフラフラとして宙を巡り、片方からは時折、同じような光が幾度と無く分離して、虚空に巨大な光芒。


 大輪の赤い花を咲かせている。

 やがて、全ての光が消え失せ。

 静かになった空を見上げる者が無くなった頃。


 とある星に暮していた高度な知性に遠い生物の大半は自分達が何によって滅ぼされたのかも知らず。


 突如として発生した空間の圧縮現象に巻き込まれ。

 その十億年程の生命の系譜を突如として途絶えさせた。

 超重力崩壊。

 星の終りを強制的に引起して。

 数億km程の距離を減速に利用し、再びその宙域に戻って来た紅の光。


 それが己の引起した重力異常を観測しつつ、その付近にいた蒼い光の周囲へ向けて再び輝きを放つ。


 現在宙域の星系を構成する惑星は12。


 その内の四つに放たれた光が着弾し、生物達がいた世界を一瞬にして崩壊させたのと同じ、空間の圧縮によって、膨大な質量をブラックホール化させた。


 質量が足らなったが二つ爆裂するものの、残りの二つは重力崩壊と共に蒼い光の退路となるべき宙域を完全に巨大な重力の井戸によって封鎖し、周囲は何もかもが底に引きずり込まれていく。


 複数発生した放射線バーストは蒼い光をほぼ直撃。

 絶大な重力波による被害もあり、それは退路を探すのも儘為らず。

 そのまま中央の奈落へと飲み込まれた。

 真空を進む光速以上の速度で機動出来たとて。

 方向を見失った者に待つ末路は一つ。

 内部でエネルギーと化して四散するか。

 引き伸ばされながら、砕けていくか。

 何をしようと全てがもう遅いのは確かだろう。

 蒼い光が消えた事を観測して、紅の光はそのまま危険な宙域から退避していった。


 そうして、井戸の中心へと向って流されるまま、引き込まれるまま、輝きは何処までも墜ちていく。


「………」


 今にも潰れてしまいそうな音を立てている光無き空間。

 空気だけは満たされたその中心部でポツリと声が響いた。


「残ってるユニットは?」

「………」


 応答は無い。

 しかし、それでも諦め切れずに声は続ける。


「Aくらいは残ってるな?」

「重力崩壊時点で圧壊」


 何処か無感情な女の声が答える。


「……G、R、H、Uは?」

「直撃弾時にパージ」

「L、K、O、M、E、Sは?」


「戦闘時“C”からの攻撃で中破。稼働率20%を切った時点でセントラルコア保全の為に逐次停止。外部装甲と共に圧壊中」


「Σ、Γ、Θは?」

「全損。武装数0」

「じゃあ、一体何が残ってる?」

「D、F、I、J、L、P、Q、T、V、W、X、Z、全て消失。稼働可能ユニットはBのみです」

「B……冗談か?」

「ノン。そのような古代式諧謔は身に付けておりません」

「長い付き合いだったな。最後にBで心中……か」


「ノン。そのような表現は不適切です。また、搭乗者の所属連隊に現在そのようなコミュニケーション上の古代様式を知る方はおりません」


「……本当にBだけか?」

「Bだけです」

「本当にBしかないんだな?」


「搭乗者の神経系に数値の乱れを感知。前頭葉の機能を低下させ、管理者権限を此方側に移譲しますか?」


「オレは正常だ」


「搭乗者の脳内物質に大幅な変化を感知。前頭葉の機能を低下させ、管理者権限を此方側に移譲しますか?」


「ノン。オレは正常だ」

「搭乗者の―――」

「黙れ」

「………」


 再びの沈黙。

 重苦しく。

 しかし、その沈黙もまた再び破られる。


「Bしかないんだな?」


「搭乗者の記憶の時系列に深刻な障害を確認。これより安楽死又は精神安定化オプションを実行しますか?」


「オレは正常だ。クソ」

「搭乗者の人格に深刻な障害を確認。人格矯正プログラムを実行しますか?」

「はぁ……好きにしろ。問題が解決したら熾せ」

「了解しました。脳機能のメンテナンスを実施。搭乗者の主観時間を凍結。完了は―――」

「知らせなくていい。命令だ」

「……4632627284652451345143839時間のご利用ありがとうございました」

「お前も、もう休め……クェーサー……………………」

「了解――――――」


 それからしばらくして。

 訊ねていた声の主が完全に沈黙する。

 それを見計らったかのように再び声が響いた。


「装甲の完全圧壊まで残り130秒。搭乗者の権限放棄を確認。管理者権限移譲。当機はこれより最後の任務を遂行します。指定条件トリガーオープン。コード開放【高元素生成炉ハイ・クインテセンス・ジェネレータ】出力上昇開始。3400%オーバー……縮退まで残り22秒。原子核魔法数制限コード解析……突破……総合ストレージより検索……【999《スリーナイン・オーバーロード》】……生成かAIsぃ」


 女の声が歪み。

 初めて、空気の満たされた其処に光が生まれる。

 それは小さな小さな輝き。

 ほんの針の先程しかない漆黒の閃光。

 たった三度の発信。

 だが、それで全てが罅割れ、内部から弾け跳んだ。

 空気も暗闇も何もかもが超重力崩壊の最中、引き伸ばされる空間の奥へと消え去り。

 残るは二つのみとなる。

 白亜の椅子と座る人影。

 だが、それもまた深遠へと飲み込まれていく。

 やがて、全てが重力の井戸に沈んだ後。

 その坩堝は不意に消失し、歪んでいた空間も光も静かに元の状態へと復帰する。

 そこには先程まで空を見上げていた四足動物達が住まう惑星すらも存在していた。

 蒼い光と声の主達だけが消えた宙に残るのは静謐と静寂。

 そうして、何事も無かったかのように世界には再び平穏が訪れた。



プロローグω「残されたもの」


 私は実際のところを言うと死にたくない。

 だが、それを求められているというのなら、仕方ないとは思っている。

 命の使い道。

 それが決められるだけ恵まれている方だとの自覚くらいはある。

 世の中には食べられない人。

 住む場所が無い人。

 服も満足に纏えない人。

 そういう人で一杯なのだと小さな頃から家付きの魔術師に教えられてきた。

 その老爺ろうや曰く。

 選択肢を得た者は義務と権利を持って、自らの在り方を定められる稀有な人。

 だから、おひい様はそのようになられるべきだ、との事。

 侍女達に言わせれば、羨ましいですよ。

 庭師の老人に言わせれば、大変ですな。

 厨房の主に言わせれば、お気になさらず。


「………此処が死に場所なのか」


 私は実際のところ、そのような言葉では納得出来ていない。


 自分の家が小さな邦の領主という地位に在り、他の地域からの略奪者から民を守るという至極まともで素晴らしい家である事は誇りに思う。


 だが、事は命。


 心配させてしまうに違いない母上の事をそのままにはしておけないし、家の者達から嫌われている野良犬には餌をやらなければならないし、まだ書き掛けの自分の紋章の事も気に掛かる。


 だから、ハッキリ言えば、死にたくない。

 死ねない。

 死ねるわけがない。


「ぅ……」


 黒く煙る小さな城砦は既に落ちたが、まだ深手ではなかった。

 掌から零れる血もそろそろ止まる。

 肩の傷にしても、魔術師に見せれば治るだろう。

 宵闇に沈む森の最中。

 蟲の声すら止まった夜が忍び寄ってくる。

 一帯を守護する砦は落ちたが、此処は前線であって、戦力の全てがあるわけではない。

 後方からの予備兵力の投入でまだ持ち直せる。

 また、森林地帯はそもそもがこちら側の領分。

 荒野の方から攻めてきた蛮族などに遅れは取らない。

 こんな場所に騎馬で攻めてくるのだから、矢の良い的だ。

 でも、それならばどうして負けたのか。


 一つ確かなのは城砦の扉のかんぬきがすぐに敵の攻城、丸太の一撃に折れた事だ。


 ついでに内部へ賊が押し入ってすぐ火が付けられた。

 小さな場所だ。

 炎の回りは早く。

 後退を余儀無くされた。

 だが、そこからが不味かった。

 相手は城砦の裏手にも予め部隊を用意していたのだ。

 これではどうしようもない。

 次々に茂みの中から突き出される槍衾。

 お付きの者は全員倒れた。

 それでも何とか軽症で逃げ延びられたのは魔術師の老爺が与えてくれた護符のおかげ。

 城砦が落ちたと知れば、後方から援軍がやってくる。


 そう確信していたからこそ、そちらへ逃げ延びたが、どうやら相手は異様に用心深かったらしく。


 家の者しか知らない獣道には虎挟みが仕掛けられていた。

 また護符のおかげで足が千切れるのは避けられたが、足を噛む鋼の先には鉄鎖に鉄球。

 下手に何かへ括り付けていないところが嫌らしい。

 逃げる為に傷を深くしろという罠だった。

 それでも何とか鉄球を引き摺りながら逃げ延びたものの。

 精根尽き果てたのは城砦の水源たる泉。

 遠方からは近頃雨が降っていなかった事を利用して森に火を付けたのか。

 燃え盛る赤い光が見えていた。

 風向きは最悪。

 泉も僅かな水しか吐き出していない。

 周囲の森林が燃え上がれば、中に身を沈めていても茹で蛙は確実だろう。


「……ふふ、これが童話ならば、泉の精が私に力を貸してくれるだろうに」


 生憎と現実はそう甘くない。

 魔術師も少ない地方。

 獣人や異種、亜人すらもいない。

 人が人殺す貧しい邦にも満たない猫の額程の領地。

 精霊だって住み着かないし、妖精だっていやしない。


「そんな事は分かっていた。分かっていたでしょう。私は……」


 闇が落ちる。

 曇る空は煙に満ち、燃え上がる大地を映して明るい。

 迫ってくるものはいつも暖炉を暖めていたもの。

 怖いものか。

 怖いものか。

 怖いものか。

 でも、やはり怖いものは怖い。

 押し寄せてくる弱気。

 震え始める唇。

 自分でも思うようにならない瞳。

 滲んでいく景色。

 砕け散りそうなちっぽけな誇り。

 父上は大丈夫。

 母上は大丈夫か分からない。

 優しい人だから。

 温かい人だから。

 零れそうになるものを認めたくなくて。

 土に塗れた袖で目元を拭った。


「オヤオヤ~~? こんなところにご婦人が……お嬢様ですね?」

「!?」


 後ろを振り返ると。

 男がいた。

 それも自分の家の紋章を付けた胸当てをしている。

 僅かに肩へ甲冑は付けていた。

 それで相手が部隊長の一人だと分かる。


「お前!! 大丈夫か!? 此処はもうしばらくしたら火に飲まれる!! そちらに道があるなら案内して欲しい!!」


「―――く、ぷはははははッッ!!!?」

「な、何がおかしい!? 一体、どうしたと言うんだ!?」


 髭面で頭を丸めた少し背の低い三十代の男。

 その瞳にある色に気付いて、私は何となく悟ってしまう。

 そうなのかと。


「お嬢様。あんた根っからの善人だね? だけどさ。そういうんじゃ、この先生きていけないぜ? いや、此処で死んでもらうけどよ」


「……我々を裏切ったのか?!」

「ああ、裏切ったよ~」


 ニヤニヤとして、男が瞳と唇を歪めた。

 まるで道化師のように高らかに声を上げ始める。


「だってよぉ~給金足りねぇんだよぉ~~!! そしたら、あっちの方からお誘いが掛かってな? 何と!! 銀貨三十枚!! 三十枚だぜ? 一日銅貨一枚でどうやって借金返せばいいんだよ~? それに相手さんも条件良くしてくれてなぁ!! ほらよ!! ご対面だ!!」


 ゴチャリと男が後ろ手で腰に下げていたものを木の幹叩き付けるようにして―――。


「……ち、父上……?」


 舌が、垂れていた。

 目は剥かれていた。

 いつも整えられていた髪は無残に解けていて。


「これで金貨五枚かっくてーい!! ひゃはははははははははっ!!!? ついでにさぁ~あんたの家の方も今、別働隊が襲撃中だったりするんだな。これが~~ぉお~~~これで金貨にじゅうぅうううまぁああい!!?」


「き、貴様ぁああああああああああ!!!?」


 剣を引き抜いて振り抜く。


「ッと!? このアマ!!? オレに逆らおうってのか!!? ぁああ!!? テメェの家も家族も使用人も皆今頃全部灰だよ!! ハァアイイ!!! 分かるか!? テメェはもう単なる小奇麗なお嬢ちゃんなんだよ!? このクソ高く売れる首の娘ってだけさ!!」


 届かない。

 虎挟みを引き摺っても引き摺っても、届かない。


「可哀想でちゅね~~こんなところで死ぬなんて~~あ、良い事考えたぜ? お前、オレのもんになれよ!! そしたら、毎日毎日その小奇麗な顔にチッスしてやるからよぉ~~ついでにあっちの方も可愛がってやるぜ~~?」


「~~~ッッッ!!!?」


 滲むものを振り払う。

 護符が懐で砕け散りそうになっている。

 そうなれば、虎挟みに足は砕かれるだろう。

 だが、構いはしなかった。

 命の使い方を選べるのだから。

 目の前の裏切り者を八つ裂きに出来たならば、死んだって構いはしないのだから。


「動けッ!!」


 思い切り足を引き摺った瞬間、護符が砕け散った。


「!?」


 今まで嗤っていた顔に剣が届き―――。

 男の前にバツンと光の円環が発生し、切っ先が弾かれる。


「ッッ!?! ざ、残念だったなぁあああ!!?」

「あぐぅううううううう!!?」


 激痛。

 肉に食い込む鋼の歯が骨まで砕いた事を私は足が軽くなったと同時に知る。

 倒れ込んだ際に地面へ剣が転がってしまう。

 それでも、そうだとしても、手を伸ばした。

 せめて、一撃。

 例え、傷付かなくとも、もう一撃。

 そう思った途端。

 グチャリと何かが手を上から潰した。


「ぁああああぁあああぁあああ!!?」


「は、はははッ!! オレ様に逆らうからこうなるんだ!! オラッ!! オラッ!! 小奇麗な手しやがって!! 山間部用のスパイク付きの靴は堪えるよなぁ?! ははははッ!!」


「っ、ぅぐうううううううううううううううううううう!!!?」


 唇を噛み締める。

 強く強く。

 ズタズタになった手はもう痛くない。

 熱いだけだ。

 熱くて、熱くて、その怒りに焦がされているだけだ。

 片足はもう足首から先も無い。

 片手はもう使い物にならない。

 だが、それでもいい。

 選べるのだから。

 まだ、選択肢があるのだから。


「チッ、もう近付いてきてやがる。オレはこの辺で失礼するよ。馬鹿な小娘ちゃん。さっさとこの首を換金しに行かなきゃならねぇんでな。あばよ。精々、苦しんで丸焼きになれやッッッ!!!」


 吐き捨てて逃げていく背中。

 止めなければ。

 そう思っているのにもう身体が言う事を聞かなかった。

 起き上がろうとして、フラリと倒れる。

 見れば、何時の間にか泉は赤く赤く染まっていた。


「………ぅ、クソぉ……クソぉ……ッ、私はあんな卑劣漢にすら、劣るのかッ!? 父上の仇すら取れないのかッ!!? 母上の安否すら確認出来ないのかッ!? 動け……動いて、お願いだから、動けぇッ!!」


 足が言う事を聞かない。

 見上げれば、もう炎の壁がすぐ傍まで迫っていた。

 吹き上げてくる熱風が、まるで教会の言う地獄のように迫ってくる。

 それが死ならば、怖くなんてなかった。

 もう、怖いはずもなかった。

 一番怖いものを知った、見た、聞いた。

 それ以上のものなんて在るはずが無かった。


(弱い……私は一体、何の為に今まで……選択肢はもう無いのか? 本当にこれで終わりなのか? こんな場所で私はただ何も出来ずに……終るのか!?)


 焼かれていく。

 その瞳が乾き、焦げていく視界の最中に舞う火の粉の空に、私は祈る。

 一度とて教会の神に捧げて来なかった。

 一度とて誰にも思わなかった。

 それは何もかもが尽きた誰かが、ただ誰かに叫ぶ声。


「神よッッ!! 私を憐れだと思うならッ!! 私を不憫だと思うならッ!! 一度でいいッ!! 一度でいいからッッ!! 私に奇蹟をッッ!! 私に選択肢をッッ!!」


 星に願いを。

 天に祈りを。

 誰かが言っていた。


「―――与えろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」


 その気持ち。

 全てが黒く沈んでいく空。

 天に掛かる小さな星を見た気がした。

 其処から降る蒼い流星が舞い落ち。

 そうして、私を炎が包む。

 なのに、私の瞳に映るものは―――明星の如く輝く玉座とそれに座る蒼き荘厳なる甲冑。

 大いなる父。

 それが神ならば、私は全てを捧げてもいいと思う。


 それが例え違うものだとしても、願いを叶えてくれるならば、相手が悪魔だろうと構いはしなかった。

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