第8話 黄泉比良坂

「出発してから気づいたことなんだが」

 居住区の飲食店で霧巴ひ引きずられて一緒に食べていた狼が、ふと口にした。

「空路を進んでいるわけだが、領空侵犯だとかの問題はどうなるんだ」

「今更すぎね、中国に関しては軍部の暴走のお詫びってことでディーバの航行は認めるとしてる。アジア各国は難色を示したけど顧客も多かったからなんとかなったというところ。ヨーロッパ圏は言わなくても分かりそうだけど?」

「テロリスト退治に来たとのたまう連中を受け入れるほどに困窮してるのか」

「そうね、まぁうちが月詠ラボって旗を掲げているからハードルが下がったのもあるでしょうけど」

 精霊機運用の最大手であり、最先方。

 そこが航空母艦まで持ち出して出撃しているという事実自体が、精霊機を用いて暴れている存在へのアンチテーゼになることに期待するだけの材料は確かにある。

「とは言えすんなり通れるもんなんだなぁ……」

「それだけアースガルズって連中を驚異と見ている証拠とも言えるけどね、うちはそういう連中をイラク戦争辺りからずっと面倒見続けてきた実績があるからこその信頼で通れてるだけだし……本当味変わらないわねぇこのラーメン」

 愛知県に本社があるラーメンチェーン店のラーメンを啜り霧巴が語尾に感想を入れる。

「製麺工場とかも居住区にあるんだろうか……」

「居住区じゃなく、上。倉庫の辺りに協賛企業の工場区があるわよ」

 霧巴のその説明にふと、狼は疑問を抱いた。

「あれ、でも日光入ってくるよな」

「そうね、光が取り込めるようにかなり設計時苦労したから……その苦労は神様パワーで無意味にもされたけど」

 遠い目になっている霧巴に狼はこの話しをやめる。

「しかし最近の人間は、食べ物ひとつとっても大量生産しておるんじゃなぁ」

 狼の隣でソフトクリームを食べていたクトゥルフが感慨深そうに話す。

「昔でも何かと頑張っておったが、この味に至るまでどれだけの研鑽を積んだのかが目に浮かぶようじゃ……」

「既に人じゃなくて機械で作っているけどね」

「なんと!世はすでにえすえふの世界であったか!」

 クトゥルフの言葉に霧巴が呟く形で答えると、クトゥルフは素直に驚いた。

「ところで、現人神のほうはどうなってるんだ」

 狼が気になっていたことを霧巴の目を見て聞く。

 第四世代の起動試験自体は想定以上の結果を得られたため、直ぐに骨格フレームや装甲の建造にかかったと聞いてはいたが、資材や加工の設備が全て艦内にあるとは言えまだ試験が終わってから三日しか経っておらず完成しているとは思えなかったのだ。

「あぁ、量産型は積んでるし大丈夫」

「いや、そっちじゃなくてオリジナルのほう」

「え、そっち?そっちはもう現人神名義から変える。だって精霊機関もフレームも完全に違うのだから、いつまでも現人神じゃおかしいでしょう」

「もしかして、完全一からの設計にしてるのか」

「そうよ、設計図なら起動試験の最中に書き終わってたからね、フレーム自体は同時進行にしてたし、後は装甲を貼るだけなんだけど……」

 霧巴の言葉がそこまで出たところで、警報が鳴り響く。

「敵襲!?」

「まだヨーロッパに入っていないのに、まったくせっかちなのかしら……。新機体は出られない状況なのは少し厳しいわね」

 霧巴の中ではヨーロッパの、更にドイツに近づいた辺りで来ることを想定していたのだろう。だからこそ機体の仕上げはまだ大丈夫だという考えだったことがわかるほど表情に焦りが見える。

「どうするのじゃ、我が直接出てもよいが……精霊機関を通してもらったほうが弱点に対しての防護があるから嬉しいんじゃが」

 クトゥルフが提案するが、霧巴が首を横に振る。

「クトゥルフのバックファイアを軽減できる量産機は……あるにはあるけどひもろぎシステムによるバリエーションは減らさないといけない。流石に第四世代を複数用意する余裕まではなかったから」

「ではどうするのじゃ、出られる機体は巫女舞と量産機のみなのじゃろうに」

「そうね、とりあえず艦橋に上がって敵戦力を確認しないと判断できないわ、いきましょう」

 そう言ってまだ食べかけではあったものの、ラーメンを食器返却口に置いて店を後にして、店の駐車場に停めておいた電気自動車に乗り込みエレベーターへと向かった。

「で、我を出すのか出さんのか!」

「だからまだ判断できないっての!」

 そんな二人のやりとりを運転しながら聞いていた狼は、最悪のパターンを覚悟しておくことにした。


「状況報告」

「今はディーバの航行速度を下げてそろそろ停止。距離を保つために後方に移動できるように機関自体は暖機を保つようにしてるけど……相手は十二機なんだよね」

 海原の言葉を聞いてモニタを見ると、確かに十二機の同型機だろう精霊機が円の形に陣形を組んで待機している映像が映っている。

「北欧で同型が十二機、ねぇ……アースガルズって名前の時点で察してはいたけど、北欧神話か」

 霧巴のつぶやきを聞いて狼も思い出す。

 北欧神話で十二という数字で思い浮かべるのはワルキューレ辺りだろうか、しかし十二機が相手となると今の量産型現人神と支援機の巫女舞しか動かせないディーバの戦力では厳しい。

「今のところ相手も距離を保って膠着状態になってるけど、いつまで待ってくれると思うかな、女史」

「そうね、わざわざ出てきた以上何かしら用事があるというのは確かだと思う。ただ表明もないから予想できるだけの情報が無いわね」

「レーダーに感!下方……いえ地面に友軍反応、パターンはジークフリートとファフニールです!」

 三上が報告と同時にモニタの一部にレーダーで二機を確認した地点の映像をワイプの形で表示させる。

 一同がその映像を見ると、各所破損してはいるものの確かにジークフリートとファフニールであることが確認できる。

「なるほど、あの十二機は追撃部隊か……もしくは私たちと交戦する名目を作るために二人を泳がせたのか。どちらにしろ私たちが取る選択肢は少ないか」

 霧巴は『選択肢は少ない』と口にした。

 場合によっては二人を見捨てて空域から一時撤退も考えているのだろうか、狼は霧巴の次の言葉を冷や汗をかきながら待つ。

「さてと、どう助けるか……正面からぶつかる。用意した量産型現人神は六機、論外。パイロットでまともに戦えるのは狼くらいでしょうからここでの消耗は控えたい。戦わず猿田彦を起動した量産型で二機を拾う……収納するところを狙われてジリ貧確定、却下。ディーバの最高速で下降、二機を拾って全速前進で撤退……島津式撤退術は通じるかどうか、戦力評価が難しいからこれは第二案に下げるべきか」

 逃げる。という選択肢はあったものの見捨てるという選択肢がなくて狼は一旦胸をなでおろす。

「やはり、我が出たほうが良いのではないか。アレなら我、クトゥルフの戦うにふさわしい相手だと思うがな」

 クトゥルフの言葉に、今度は霧巴も直ぐには首を横に振らずに考える。

「……そうね、現時点で一番取れる手段としては広範囲に対応できてるの方法は量産型の一機をクトゥルフ専用にして特化させるのが簡単な手段ね」

「では準備を……」

「でもダメ。いくらクトゥルフが強いとは言え性能が未知の相手十二機の相手は下の二機と同じ道をたどる可能性が高い」

 霧巴の却下の言葉にクトゥルフはコントのように躓くと。

「じゃあどうするんじゃ、あれもダメこれもダメでは何もできやせんぞ」

「だから考えてるの、想定から外れた現状を打破する方法……」

 霧巴が親指の爪を噛むように考えこんでしまったところで、三上が気がついたように呟く。

「あれ、でもなんでジークフリートとファフニールからの通信が来ないんでしょう……」

 その呟いた内容に、霧巴がハッとする。

「二機のどっちでも……いや両方同時に通信を送って!」

 早口で行われた霧巴の指示に、驚いた感じに「りょ、了解」と返して通信機を操作する。

「ジークフリート、ファフニール、応答してください」

 短いが、確実に意図が伝わる言葉で三上が呼びかけるが、ノイズだけが返ってきてうまくつながらない。

「そうか、あの陣形には意味があったのか……」

 霧巴がそう言うと次の瞬間、叫ぶ。

「確実にあの十二機から距離をとって!あの陣形の名前は不明だけど、十二機であの陣形を行うことで精霊機の能力をジャミングしているものと判断する。無論通常機器にもその影響が及んでいると予想します」

「び、微速後退。今こちらに影響はないけど相手の効果範囲がわからないからこれ以上近寄らないように距離を維持して」

 霧巴の言葉に海原がすぐさま指示を飛ばす。

「さて、二機が餌なのは確かなのだけど……」

「ところでの、あの二機は本当にあの二人なのかえ」

 霧巴が再び考えようとしたところでクトゥルフが聞く。

「そうね、その可能性は通常兵器や量産型現人神なら真っ先に考えてたと思う。でもあれは完全にワンオフなの、パイロットもそれに最適な人選がされる」

「つまり動いている以上は確定で二人が乗っているということかぇ」

「その上で生きて、操縦桿を握っているってこと」

 そして霧巴は再び考え始めた。

「これでさっき上げた三つの案は全部使えなくなった。それどころか却下した案が一番ベターに……」

 呟いて今手に入れた情報と先ほどの案を照らし合わせ、クトゥルフのほうに視線を移す。

「貴女が分霊できれば、もうちょっと状況は楽だったんだけどね」

「やはり我が必要ではないか。……いや、さっきのお主の案でも必要ではあったか。して、主殿と我はどうすればよい」

 霧巴の案は、全員が驚くものではあったが対案も妥協案も他に思い浮かばなかったため、実行することとなった。


「日向狼、その機体は量産型の上にクトゥルフを最適化させる付け焼刃仕様の急場しのぎもいい状態。だから出来うる限りディーバから離れないことを常に頭に入れておきなさい」

 エレベーターを降りて格納庫についたところで、霧巴が狼に釘を刺す。

「ふん、先ほどの案ならば我も主殿を前に出しつつ、確実にすぐさま補助動力で帰還可能な距離は保ってみせるわ」

「主要な操縦系は全部そいつなんだから、クトゥルフの言葉は換算しない。だけど防御力に関しては、貴女が乗ったアレよりも低下していることは念頭に入れておいて」

「わかっておる、少し見るだけでも劣化しているのは感じるわ」

 まるで悪友とも言える軽口の叩き合いをしてお互い笑い、それぞれの行くべきところに移動を始める。

「おやっさん、こいつでいいんだよな」

 狼は量産型現人神の傍に居た橋本に声を掛ける。

「あぁ、お嬢ちゃんの言うとおりにひもろぎシステム内の神様を神社の神主さんに頼んで神社にある祠に移ってもらったけどよ、これじゃあまともに動かねぇぞ」

「案ずるな、我がおる」

 クトゥルフの姿を見て、橋本は納得した表情を浮かべて笑う。

「なんだ、強い神様に頼るからってことだったのか。お嬢ちゃんからはただ御霊抜きしとけとしか言われなかったからな。あぁ納得した」

「最も、我としても何かを守りながらアレ全部を相手取るのは骨が折れる。流石に覚悟はしとけ」

 安堵と言う感じの橋本にクトゥルフは珍しい真顔で釘を刺す。

 橋本のほうもその辺は理解していたようで。

「若い連中のほうが心配だな、俺はもう老い先短いから別にいいんだが、あいつらは不安で作業速度が落ちてやがる」

「そこまでは面倒見切れん。長であるお主の仕事であろうに」

「ちげぇねぇ、じゃあ頼んだぜ」

「あぁ、俺はもういつでも出られる状態だったけどな」

 既にコックピットに座っている狼がそう言うと、橋本とクトゥルフが笑い、クトゥルフが乗り込むのを確認して橋本が離れる。

「俺たちがやるべきなのは下の二機があれの影響範囲外に出るのを援護する。ただそれだけだ」

「わかっておる、むしろ主殿こそ先走るでないぞ」

「当然、じゃあ行くぞ!」

 狼とクトゥルフがお互い確認すると、機体を歩かせる……が。

「うわ、バランスが……」

 狼が呟くほどに量産型は性能リミッターがかけられており、狼が進もうと思った距離を歩こうとしたところで少しバランスを崩した。

 ひもろぎシステムでクトゥルフを起動しておけば楽になるのだろうが、同時にクトゥルフの加護によって多少なりに機体形状が変化するため、艦内で行うのは避けたいところではある。

「ふむ、基本である天狗もおらぬからな。システムで我を起動せよ主殿。造形に関してはなるべく変化せぬようにする」

 それを察したのかクトゥルフはそのように言う。

「本当にできるのか」

「我は元は不定形であるぞ、最も主殿となら骨があるのも悪くないとは思うが」

 顔を赤らめモジモジしながらそんなことを言っているクトゥルフは置いておいて、その言葉を信用してひもろぎシステムを起動する。

 ――ひもろぎシステム起動

 神様の読み上げはなかったものの、霧巴の録音で起動通知した直後、機体のバランスなどが改善していく。

「むぅぅぅぅぅ、はぁぁぁぁぁ」

 クトゥルフが何やら唸っていることには気になるものの、恐らくは機体の形状変化を避けるためだろうと察して出撃地点まで移動する。

 狼の乗る量産型現人神の上部に当たる場所が開き、青空が見える。

「日向狼、現人神出るぞ!」

 狼が通信機に叫ぶ。

「現人神、どうぞ」

 三上の返答を聞いて狼はディーバから出撃した。

「もうよいな!」

 クトゥルフが現人神が外に出たことを確認してから、現人神の造形が代わり黒いオーラによる触手が慎ましやかに垂れ下がる人型と、最初にシステムで作動した時よりも圧倒的に大人しいものになった。

「これがりみったぁというものか、なるほど不便じゃ……だが意図的に解除もできるようにしておるな」

「役割を考えたら使わなくてもいいけどな」

 二人がそう言うと、通信機から聞こえてくる。

「月詠霧巴、巫女舞出るわよ」

「巫女舞、どうぞ」

 その通信の直後、格納庫からのハッチから女性に模した上半身白、下半身赤に塗装された機体が出てきて上部甲板におぼつかない感じに降りた。

「いきなり風の強い場所での飛行は流石にきついわね。烏天狗の風の防護がなかったらちょっときつかった」

 苦笑しながら霧巴が通信機ごしに弱音を吐く。

「牽制射撃なら量産型のほかの連中に任せてもいいんだぞ、固定砲台ならあいつらでもできるからな」

「自分で言い出したことだもの、やるわよ。それに広範囲射撃なら巫女舞が一番適役で、一番親和性の高い私が乗るのが最効率なんだから。他に任せるより確実。後開発者を舐めないこと」

 そう言った霧巴はひもろぎシステムを起動させたのだろう、巫女舞の外見造形が変化し、月を思わせる後光のようなバックパックに左腕部が弓のようになった。

 そして上部ハッチが閉じ、今度は側面が開くと、ほかの量産型現人神がそれぞれ遠距離に適したひもろぎシステムを起動していた。

「それではこれより、時間稼ぎとドイツ組二人の救助作戦を開始する!とにかく二人と通信ができる環境の構築、二人がディーバ直下まで移動しても通信がつながらないようなら直接拾いに行くけど、その場合は日向狼、わかっているわよね!」

 霧巴の号令の最後に狼に向かって叫ぶ。

「機体の自壊覚悟でリミッターを解除、クトゥルフの全力を出して攻撃しつつディーバに着艦する!」

「わかっているならよし!良い、これは救助防衛戦。全員無事にここから一度離脱することに全力を尽くすこと、以上!」


 長い防衛戦の始まりだった。

 まずお互いが距離をとりつつ、ドイツ組の移動を見守るだけで何もしなかった。

 だが二人が十二機の陣形から50mほど離れた場所まで移動したとき、状況は動いた。

 バルクホルン十二機のが「逃げろ!」と叫んだと同時に、今まで距離を保っていた十二機が一斉に速度を上げてディーバに攻撃を始めた。

 ディーバへの射撃自体はダメージと呼べるものはなかったものの、その飛行高度や速度を下げるには十二分のもので、十二機のうち四機ほどが前に出て白兵戦を仕掛けようとしたところを、狼が割り込み牽制を行うもリミッターのかかったクトゥルフでは全機を止めることはできず、甲板上に待機していた霧巴が対応するも素人の攻撃では止めるに至らずにディーバは就航以来始めてのダメージを負うこととなった。

 そのダメージは微々たるものではあったが、相手は近接戦は有効であることを認識すると次は全機で突撃を敢行。霧巴が月読の力を発揮して月光による指向性の広範囲による射撃を放ち、格納庫から射撃している量産型の牽制射もあって多くは退けるが今度は三機、白兵を許してしまう。

 敵が離れたタイミング、三度目の突撃の前にドイツ組が下部ハッチからディーバに着艦するも戦闘に耐えられる状態ではなく戦力は増えぬまま霧巴が撤退を指示した。

 しかし二度の攻撃により航行速度が落ちていたこともあり、神の力による自己修復能力も間に合わずに三度目の突撃が訪れた。

「クトゥルフ、覚悟は決めてくれ!」

「全力を出せれば問題あるまい!いい気になっとるあやつ等の鼻を叩きおってくれるわ!」

 作戦通りにリミッターを解除した狼の現人神は、最初にクトゥルフを発現させたときのようにオーラの触手で突撃してくる十二機を捉えようとするも、二機ほど抜けてしまう。

「しまった!」

 フレームの軋む音と警報の鳴り響くコックピットで狼が叫ぶ。

 甲板の上に居る霧巴の巫女舞は、ダメージを負って最高速でないにしても急速に速度を上げているディーバにしがみつく形で対応できるような状態ではない。

 二機がそれぞれ、格納庫と巫女舞に切りかかろうとしたその時、格納庫下部ハッチの裏、パイロットや整備班の簡易宿泊所のある辺りが開き、コードが二本、切りかかろうとしていた機体に突き刺さって相手の動きを止めた。

「わりぃ嬢ちゃん、動かしちまった」

 通信機からは橋本の声が聞こえてくる。

「なんで……なんでそれを動かしたぁ!」

 いつもの霧巴からは想像できない剣幕で怒号を発する。

「だってよ、動かさなきゃ嬢ちゃんと俺の部下が助けられねぇだろ。だから許してくれや……日向の坊主!」

 今度は狼に。

「そいつらをそのまま抑えておけよ、俺は嬢ちゃんよりも操縦に慣れてねぇから外さねぇようにな」

 そういうと先ほど二機の動きを止めたコードを更に十本伸ばし、狼の現人神が触手で捉えられた十機の頭部に突き刺す。

「いかん主殿!触手による拘束をとくのじゃ!我の加護があれば無事とは思うが念のためじゃ!」

 クトゥルフの叫びに狼は思わずそのとおりに触手の拘束を解くが、橋本の伸ばしたコードによる拘束がすごいためか相手は一機も身動きがとれずに居る。

「あぁそうだ嬢ちゃん、帰ったら俺の娘家族にはじいちゃんはカッコよかったって伝えてくれよ?」

「自分で伝えなさい……」

「それが無理ってのは嬢ちゃんが一番知ってるだろうに。じゃあよろしくな」

 橋本の言葉に霧巴が泣きそうな声でそういうが、橋本はやめない。

 そして、今度は敵に向かって……。

「よーし、いい子だ……俺は北欧神話ってのはよくわからねぇがそっちにも黄泉の国みたいなのは存在するんなら、そっちの主さんによろしく言っておいてくれ。まぁあんたらは俺みたいに満たされた人生じゃなかったから恨みとかで罵倒から入りそうだがな……じゃあ、あばよ」

 そう橋本が言うと同時に鈴の音が鳴ると、十二機が一斉に精霊機関を停止させて落下を始め、こうして小規模戦闘としては長い二時間ほどの救助防衛戦は終了した。


 巫女舞を支えながら格納庫に戻った狼は、現人神を降りると霧巴のもとに向かった。

 コックピットから出ようとしない霧巴に外からコックピットハッチを開け、中を除くと顔を覆いながらすすり泣いていた。

「おい、あれは一体なんなのか説明してくれ!整備長はどうなったんだ!」

 狼の呼びかけに顔を上げるが、応えはない。

「説明できるのはお前だけだろうが、橋本のおっちゃんはどうな……」

 狼がそこまで言ったところで。

「私が説明致します、今はそっとしておいてあげてください」

 狼が振り返ると、そこには粕壁ぬりえが立っていた。

「説明、できるのか?」

「我は全部はわからぬが、なんとなく察しがつく。知っていたからこそ気持ちの整理の時間が必要ということもあるからな、今はぬりえ殿の説明で満足したほうがよいと思うぞ主殿」

 ぬりえの隣にいたクトゥルフも、そう促すと狼は霧巴のほうを見てから首を縦に振り。

「わかったけど、霧巴の奴をここに残しておくのは危険だと思うから運ばせてもらうぞ」

 狼がそう言って巫女舞のコックピットに入ろうとしたところで、ようやく霧巴が言葉を紡ぐ。

「大丈夫……あんたが心配してるのは私が自暴自棄になることでしょうけど、そこまでじゃない。ぬりえの説明を聞いてきなさい」

 とても大丈夫とは思えない声色で囁くような声量で言うと立ち上がり、狼の脇を潜るように巫女舞から降りると医務室の方へと歩いて行った。

「精神的な疲労だと思います。できればどなたか……」

 ぬりえがそこまで言うと整備服を着た大男が。

「私が行こう、こういうのは付き合いが短い元はよそ者の私のほうが適任だろうからな」

 声を聞いて王紗であることに気づいたが、今はぬりえから先ほど起きた出来事の説明を受けることが重要である。

「それでは、艦橋のほうがよろしいでしょうか……それとも神社のほうに」

「神社のほうが落ち着いて話しができそうだから、そっちにしようか」

 答えたのは艦橋から降りてきていた海原だった。

「僕も知りたいからね、敵機の回収と橋本さんが動かしただろう精霊機のあるだろう場所の調査を指示してきた。説明、願えるよね」

 ぬりえは首を縦に振り。

「それでは、向かいましょう」

 ぬりえに先導され、狼と海原は神社へと向かう。

 エレベーターに乗る前、狼は一度医務室のある方向に視線を流すが、海原に促されて慌ててエレベーターに乗り込んだ。


 居住区にある神社の社務所兼住居の居間、前回狼が東シナ海戦の直前に訪れたそこに到着するまで、誰も言葉を発しなかった。

 むしろ今でも、以前にも見た小さいぬりえたちの配膳の音以外聞こえない。

 そして、ちゃぶ台の上にご当地和菓子とお茶が置かれたところでぬりえが話し始めた。

「先ほどの現象の結論から言いますと、橋本さんはお亡くなりになりました。それと同時にこのふねを襲撃してきたあの人たちも同様にお亡くなりになっています」

 ぬりえの最初の言葉に二人は驚きはするが、なんとなく予想していたのか言葉は飲み込んでぬりえの続きの言葉を待つ。

「その途中に関してはどこから説明しましょうか……」

「橋本さんが乗ったと思われる精霊機と、先ほどの現象。それに対しての影響を順番にお願いできますか」

 ぬりえが少し悩む言葉を口にすると、海原が説明の順建てをお願いする。

 こういう時、海原が艦長という役職をしている理由を狼は理解する。

「そうですね、他のことも話しますと時間がかかりすぎますし……」

 ぬりえは少し座り直してから、説明を続けた。

「橋本さんが乗られた機体は黄泉比良坂。先日霧巴ちゃんが封印したと言っていた第三世代の三機目になります。ただ、他の二機とは違い黄泉比良坂は性能評価ではなく、新理論実証機でした」

「新理論?」

 狼が思わず疑問を口にした。

「はい、精霊機関というものは龍脈や神社、祠といったものを小型化したものというのはよろしいでしょうか」

 二人は首を縦に振る。

「つまりは精霊機関というものは、本来は神様の住環境を再現し、機関に記した祝詞を供物や神楽と見立てることで力を借りる機関です。霧巴ちゃんの言う第0世代は神社に置いて行われる祈祷や神楽を通して力を通していて、原初から引き継がれている神話の力を発揮しやすいだけ」

「だから第0世代が一番出力が高いっていうことなのか」

「はい、第一世代は神棚で、第二世代は祠。第三世代で始めて神社という『場所』の定義を行うことができていました」

「第一世代がかなり速い速度で開発完了した理由は、単純に一般家庭でも運用できる概念をスライドさせただけだったからなのだろうね」

 海原の推測にぬりえが首を縦に振る。

「神社、つまり場所の規模が大きくなったことにより、霧巴ちゃんはひとつの仮説を考えました。神社には神話の場所や概念そのものを祀る社も存在しているのなら、精霊機関でも同じことができないかと」

「それが黄泉比良坂ということか」

 狼のつぶやきにぬりえが「はい」と返し、続ける。

「今までのような神様の力を借りる場合は、その機体には人の名前を付けられました。主に役割を示すものですが。ですが黄泉比良坂は違います、精霊機関で場所、概念を再現するため機体の名前には再現元の名が使われます」

 そこでぬりえがお茶を口にしてから続ける。

「場や概念の再現の場合、分霊等はできません。ただしその性能は比類なきレベルであることは橋本さんが先ほど証明いたしました」

「でも解せないね、今の説明だと黄泉比良坂は一度も、それこそ起動試験すらしていないんじゃないかな」

「はい、建造が完了した段階で死神さんや閻魔様が顕現してまで忠告しに来たのですから、ある意味実証は完了していましたので試験をする必要すらなかったというのが霧巴ちゃんの考えで、忠告通りに封印することを決めました。御霊抜きをするにもリスクが高かったため封印することが一番だと閻魔様も仰っていましたから」

「しかし性能自体はよくわからない状態じゃないのかな」

「いいえ、閻魔様と死神さんが忠告に来られたのにも理由があります。イザナギ様がお二方を遣わせたということをお鏡を使ってまで証明なさりましたから。黄泉比良坂という概念を感じたためと」

「お鏡って……」

「その時は浄玻璃鏡じょうはりかがみではなく八咫鏡やたかがみを持ってこられていたので……」

「神話だと通信やらはできなかったんじゃ……」

「単純にイザナギ様の神気を宿しやすかっただけだと思います。そしてイザナギ様の遣いで閻魔様まで来られたという事実が重要だということなのです」

「でもなんで閻魔様だったんだろう」

「黄泉比良坂、黄泉の国を統治なさっているのはイザナミ様ですし、神仏習合の際に閻魔様はイザナミ様と出会っておりますので、黄泉比良坂によるイザナミ様の確認を含めてのことかと思います」

「そこまでやって、女史がすんなり納得したということは……確認できちゃったんだね」

 海原とぬりえは会話する形で疑問と説明を繰り返すように続け、海原のその言葉にぬりえは再び「はい」と短く返し、続ける。

「霧巴ちゃんとしては理論実証はできたものの、第三世代では黄泉比良坂という概念が限界であると結論づけました。そして今建造している第四世代は一機しかないために、この場、概念の付与は行わずにいたのですが……いえ、どちらにしても今回の事には間に合わなかったでしょうね。だから霧巴ちゃんは自分を責めないでもいいのですが……」

「無理だろうねぇ、どのみち黄泉比良坂を作ったことと、その封印場所をディーバを選んだこと、その二つの要員が女史が自身を責めるのに十二分と思えるし」

 霧巴を心配する言葉が出たところで、会話に間があく。

「一度休憩を入れましょうか、艦長さんが指示をしていたとは言えずっと指示なしというのは問題でしょうし」

 その間はぬりえの意図したものであったらしく、笑顔を見せる形で二人に言った。

「……ってもう艦橋から離れて30分か、確かに最低でも連絡はしないといけないね」

 狼は戦闘後であり、他に敵も確認されていないためやることはない。敢えてやることがあるとするならばそれこそ休むことだろう。

 艦橋に連絡を取り、現状と指示を出している海原を見ながらお茶と和菓子を口に入れると、カステラ生地に包まれた控えめな甘さの餡がいつもより美味しく感じた。


 それから10分、特に追加の攻撃が確認できないことと、領空内で戦闘が起きたため、現地の軍が説明を求める形で訪れると通信が入ったこともあり一旦地上に降りて故障箇所の修理や精霊機の整備を行うことにしたディーバ。

 神社の社務所の居間に、王紗やドイツ組、そして霧巴も訪れる形で説明の続きを聞くことになった。

「えっと、最初から説明しなおしましょうか……?」

 ぬりえが気を遣い、そう聞いてくるが増えた四人はこちらに向かっている最中海原から概要を聞いたらしく断った。

 霧巴は元々知っていたことではあるのだが、狼が海原に話している時の様子を聞いても黙ったままで表情もいつもと変わらずよくわからないとのことだった。

「それでは、黄泉比良坂が力を発揮した際に発生する現象とその影響についてお話させて頂きます。いいですね、霧巴ちゃん」

 今度のぬりえは、霧巴に対してあらかじめ説明の許可を求めた。

「……えぇ、必要なことだから」

 表情自体はいつもどおりお感じにはなったものの、声に覇気が感じられない返事でぬりえの説明を促した。

 ぬりえはそれに黙って首を縦に振ると、先ほどの続きを話し始める。

「場や概念を再現する黄泉比良坂は、その名のとおりの力を持ちます。先ほどの現象は黄泉送り、もしくは黄泉渡りです。神話に置いて黄泉比良坂は現世と黄泉をつなぐ道であり、そこの存在は黄泉の国に属しています。橋本さんが行った黄泉送りは、黄泉比良坂という機体を通して繋がった存在を強制的に黄泉の国へ先導として導くものです」

「……でもイザナギは帰ってきているよね」

「はい、黄泉の食べ物を口にしなければ問題ありません。ですがあの機体の場合鈴を鳴らす行為は黄泉の国への案内を終えた合図となります。それと同時に、影響下にある方々に黄泉の食物を口にさせたと同等の意味を与えるという概念までが付与されているのです」

 ぬりえの説明を聞いて、一同が霧巴のほうに視線を移す。

「……そうよ、黄泉比良坂の精霊機関に刻んだ祝詞にはそこまで書いてある。閻魔と死神にも忠言を受けたけど、いっそそこまでやったほうがイザナミ様は落ち着くだろうと言われたのよ。そしてその忠言を受けた時、私とぬりえ以外には橋本しかいなかった、細かい調整作業を残すだけだったから最低限の人員と安全を考慮した場合のぬりえだけで作業をしていたから」

「別に責めてるわけじゃないぞ、俺たちはむしろ橋本のおっちゃんに助けられたし、あの機体がなかったら被害はもっと大きかったのは確実だからな。後悔はしてもいいが、いつまでもその調子だったらおっちゃんはなんていうと思うよ」

「死者の代弁は誰にもできない……と言いたいけど多分閻魔様ならできそうね」

 そう言って少し目をつむり考える動きをしてから、霧巴は自身の頬を叩いていつもの表情に戻り。

「そうよ、聞けばいいんだわ直接。分霊だろうが言い訳はさせない」

「どういう意味だ?」

 霧巴の言葉に狼が聞くと。

「黄泉比良坂は神道における概念ですが、神仏習合と合わせれば地獄とも繋がっています。それと同時に閻魔様が忠言にいらした際に万が一を考えてご自身を分霊という形で黄泉比良坂に御霊入れをしたので」

「整備長は閻魔様と親和性が高かった。整備長がアレを動かせた理由は単純に閻魔が力を貸したからにほかならないのだから聞けばよかったのよ」

 そういつもの感じに早口で言い、立ち上がると。

「行くわよ、黄泉比良坂のところに」

「先ほどクトゥルフちゃんに行ってもらいましたし、そろそろいいかもですね」

 霧巴の宣言に、ぬりえが笑顔で言う。

「ぬりえ、貴女もしかして……」

「私は、艦の守護を任されてますので念のためですよ。たまたまです」

 ぬりえは笑顔のまま、そう言った。

 そして一同は、黄泉比良坂の封印されていた隠しドックへと向かうこととなった。


「ようやく来たか、ぬりえどのはほんと我の扱いが激しいのぉ」

 格納庫の下の階層、簡易宿泊区域の最奥に当たる壁の前にクトゥルフが立っていた。

「主殿と一緒にいる時間を削って頼まれた通り、閻魔殿に顕現してもらうように言っておいたぞ」

「ありがとうございます。それでは霧巴ちゃん……」

 ぬりえに促された霧巴はクトゥルフの横まで歩いていき。

「やっぱりこの状況を想定していたんじゃない……いや、ぬりえなら知らないほうがおかしいか」

 そうつぶやきながらも一人納得し、壁に手を当てた。

 霧巴が手を当てた真横の壁の一部が蓋のように開き、少し古めのコンソールが現れ霧巴がキーボードを叩くとクトゥルフの立っているあたりが開いて奥の部屋へと入れるようになった。

 霧巴が入っていくのを全員で見守ると、霧巴の後に続いて近くにいたクトゥルフから入っていくと、一同の前に現れたのは精霊機としては少し大きい24mほどの機体が一機のみが入れるスペースに立った状態で安置されていた。

「これが黄泉比良坂。触るのは大丈夫だけどコックピットに座ったり、間違っても起動したりはしないこと。ただ、今コックピットには整備長が座っているでしょうけども」

 振り返らず、霧巴はコックピットまで登りハッチを開ける。

 黄泉比良坂のコックピットへのスロープは、ここに来た全員が集まっても多少の余裕が有るほど広く、もしかしたら霧巴がここを設計した段階ではこいつも使う想定はしていたのかもしれない。

 そこには霧巴の言葉通り、穏やかな表情でコックピットに橋本が座っていた。

「閻魔様、今は彼に触っても大丈夫かしら?」

 霧巴がコックピット内部に向かって話しかけると……。

「大丈夫、そもそも今はこの機体の火は落ちておる。この者を早く弔ってやるが良い」

 コックピットの中から声だけが聞こえるものの、姿が見えない。

「顕現できなかったのかぇ、我が多少力を分けてもよいが……」

「遠慮しておこう外つ神、深き者よ。顕現するのはこれを押さえるわしの役割としては避けたいのだ、すまぬ」

「そうか、閻魔殿は楔だったな」

 霧巴のすぐ後ろにいたクトゥルフが声だけの存在と会話する。

「だがあまりここにはおらぬほうが良いのは確かだ、ぬりえ殿の座敷童子としての加護により外には漏れぬが、黄泉比良坂の大気が機体を通じてこの空間に流れておるからな」

「ご忠告どうも、ただ……」

 霧巴が閻魔に向かって、願いを込めた言葉を言った。

「彼の黄泉路、後裁きに対してよろしくお願いします。温情とかは無理なのは理解しているけど、生者への気持ち的にお願いします」

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