第49話 【二度目の夏を迎えて -4-】
―――夜・柊八束宅。
氷峰は八束の家に呼び出された。部屋に入るや否や八束がいきなり携帯片手に氷峰に画面を見せつけ押しかけてくる。
「おい、いきなりこんなメールよこしやがって! なんなんだよ!」
八束は不機嫌だった。彼は携帯電話を握りしめたまま、氷峰に突っかかる。
「お前また蔀に頼まれたんだろ?」
氷峰は目の前にいる落ち着きのない八束の手を無理やり下ろさせた。
「とりあえず落ち着けって。お前海鳴と付き合って何年くらいになる?」
「あ? 三年くらいになるか……ってそれどうでもいいだろ! なんで今親父の連絡先知らされなきゃなんねぇの……いらねぇよこんなもん」
八束は携帯を床に叩きつけた。氷峰はどうしようもない彼につくづく思いやられる。
「捨てられんのか? せっかく教えたのに。破棄してもこっちにデータあるからまた送りつけようと思えば遅れるけど?」
「……ッ!」
彼の言葉にならない声がする。氷峰の一歩上をゆく言葉の圧になにも言い返せない。
「お前……枝燕に理解してもらういい機会だよ。あの人もなにか伝えなきゃならないことがあるみてぇだし。俺とお前も友達以上の付き合いをした仲だ……海鳴と一緒なら会えるはずだ。今、枝燕に会っておくべきだと思うんだ」
「だからそれ、蔀に頼まれて言ってんだろ!?」
「いや違ぇよ……お前ら家族の事情まで深くは首突っ込む気はないんだけどよ……」
「俺は一応ガキの頃、お前の伯父さんのお世話になったし……それに俺――」
「今、お前の父親が生きてんの羨ましいと思ってんだ」
「…………」
八束は目を伏せた。続けて――、
「俺が親父になにされたか知らねェ癖に」
と小さい声で呟いた。
「ああ知らねぇな。知りたくもねぇ」
氷峰は冷たく当たった。
「じゃあ、なんでおメェそんなに俺のこと気にすんだよ! 高校ん時に無理やり抱いたからか!? 」
氷峰の心を揺さぶろうとする八束に嫌気が刺している。そんな態度をとってしまう八束自身も当然だった。過去を引きずっているのはお互い様ってわけだ。
「……蔀の親友だからだよ」
「――!?」
八束に肩を掴まれたその手を自らの首にあてがう。氷峰は死にたくなるような目つきで八束を睨んだ。
「……だったら弟との距離も近くなる。仲良くしなきゃって……一緒に暮らしてたんだ。気にするだろ普通」
「……」
八束は黙ったまま氷峰の首に触れたまま、氷峰の言葉に耳を傾ける。受け止めきれない彼の重みが首元熱から伝わってくる。
「放っておいた時期もあったけど、やっぱ放っておけねぇんだわ」
「てめぇ……変なところで優しすぎんだよ……」
苦笑しながら一言。憎みたくても憎めない。そんな気分に晒された。
「自覚ねぇわ」
そう言い返すと煙草を取り出しライターで火をつける。煙を深く吸って一気に吐いた。その煙草の香りが華木を思い出させる。
八束が冷蔵庫から牛乳を取り出して、温かいコーヒーを二人分入れる。
コップに注ぎながら呟いた。
「俺の親父どうしてんのかな……あの日一瞬顔を見ただけですげぇ怖かったのに……会える自信ねぇよ」
八束の不穏な言葉を真正面から受け止める。
タバコを吸って吐いたところでブラックコーヒーを一口飲み――、
「だろうな。そう言うと思って前もって蔀に話してある。お前と枝燕と二人きりで会わせるのはやめておけってな」
一息つく。タバコの火は携帯灰皿にしまって消した。
「だから海鳴連れてけって話?」
「そう」
「兄貴も一緒なんだろ、どうせ」
「兄弟仲良く会えっての」
「はぁー……(よくわかってんなこいつ)」
氷峰の奥ゆかしい対応に納得して深い溜息をついた。
呆れているのではないが、歯がゆい気落ちになった。
「何溜息ついてんだよ……もう少し蔀とも上手くやってけよ?」
「っるせーな! わかったよ!! あとここでタバコ吸うな!」
「なーにキレてんの。海鳴がタバコ苦手なんだっけ?」
「そーだよ! お前がきたってバレるだろうが」
氷峰は八束の顔色窺いながらにやけている。
八束は蔀と全然連絡を取り合ってないことが理解できた。
今は海鳴が一番大切なパートナーなんだと。
―――夜・氷峰宅。
八束から家を突然追い出された。今日はたまたま学校をサボり、施設で時間を潰していた。時間を潰してそのまま自宅に着いたのも束の間、帰ってきたばかりの自分を追いやるなんてよっぽどのことがない限り、彼があんな行動するとは思えない。
――「いいからどっかいけ。すぐ済む話だから」
八束がそんな一言を言い残して玄関のドアを勢いよく閉めて、海鳴は途方に暮れる。
と言っても途方に暮れるのはほんの一瞬で、すぐ彼は亜結樹のところへ向かった。
八束は氷峰と重要な話があると言っていた。海鳴はまだなにも聞かされていない。
亜結樹に事情を話すととりあえず家に迎え入れてくれた。
それからしばらく亜結樹とふたりきりで氷峰の家で寛いでいた。
「なんで今日学校こなかったの?」
亜結樹が海鳴に水の入ったマグカップを持ってきた。海鳴は水しか飲めない。
それに理解があるのは海鳴のパートナーである八束と亜結樹と産みの親ともいえる陵莞爾だけだ。
「だって高校生でいられるのもあと一年間だけだし、俺は純粋なクローン人間として真っ当な生き方をしたいと思ったからだよ。勉強より大事な役割を与えられているし」
「大事な役割? 組織で言われたこととか?」
海鳴と八束の間で固く結ばれた約束。
亜結樹も理解しているはずだ。今言葉にしなくても伝えられていることである。
亜結樹の顔を覗き込むと、なんとなく不機嫌な気がした。
海鳴はいつもふたりだけになると施設にいた頃の話をしたがっている。
「恋愛のその一歩先。俺だってよくわかんねぇけど……」
「また飛躍してる……。クローンは結婚できないからその未来を悲観してる……」
「悲観的かどうかは俺次第だろ」
「また上から目線」
亜結樹は頬を膨らまして海鳴を睨んだ。睨まれて当然。自分はあの頭のいかれた科学者のクローンなのだから。
海鳴は亜結樹の少し可愛げのある表情に微笑んだ。目の奥は笑っていないが。
「あははっ、お前ってそういう態度もとれんだな。俺はそんなお前も大好き」
「本当に? 嘘じゃない?」
「全然。信じてくれる?」
「……うん」
ふと、リビングの壁にかかっている時計を眺める。亜結樹は
「ミネ、遅いなぁ……。今日は仕事が休みで蔀さんと込み入った話があるって言ってて終わったらすぐ帰るって言ってたのに……」
「あ……あー、そーいうことか。なんか話見えてきたかも」
「え? なに?」
海鳴は水を喉に流し込むと納得のいった顔つきで空になったマグカップを静かにテーブルに置いた。
頭の中で考えを巡らせていた。現在氷峰が亜結樹の側にいない件と八束に追い出された件とが繋がった。
現在亜結樹の側に氷峰がいない事情が見えた。原因は蔀である。
亜結樹は氷峰から八束のところに向かうとは一言も聞いてないことも海鳴の中で理解できた。
「俺も今日は亜結樹とずっと一緒にいられたらなぁー」
「海鳴さっきからなに一人でニヤニヤしてんの?」
「実はミネさんは今、俺ん家に行ってると思うぜ」
「そうなの?」
亜結樹は目を丸くして海鳴を見つめる。澄んだ瞳に疑いの色は一切見えない。海鳴を信じている瞳だった。
海鳴は亜結樹の目を見たあと、天井を見上げながらこう呟いた。
「あの人たち元々付き合ってたんだろ? なんか多分、俺たちの知らないところでなにかが変わり始めてんだよ」
「なにかってなんだろ……。あたしたちには内緒ってこと?」
「亜結樹はミネさんの過去を知りたい? 俺は八束の闇にそんなに深入りしたくねーよ」
「そっか……」
亜結樹は深く深呼吸をして水を一口飲んだ。
すると、玄関の鍵の開く音がした。氷峰が帰ってきたようだ。
「ん? 見覚えのある靴が……!? 海鳴なんでいんだ?」
「俺の方こそ……なんでミネさん帰り遅かったんですかぁ?」
なんともいけ好かない表情を氷峰に見せつけてやったにも関わらず、彼の表情は無に近い。
「まぁいいから、お前八束ん所に帰れよ」
「もう夜も更けってますよー? 高校生を十時以降一人で歩かせちゃいけないんじゃないですかねぇ」
海鳴はなんとも嫌味ったらしい文句をつけている。氷峰に対するその態度はわざとらしい。亜結樹を目の前にして豹変する素振りを見せつけてくるのは、あのいかれた科学者と見た目だけではなく瓜二つなのだろう。
「はぁ……わかったわかった。八束ん所まで送ってってやるよ。歩きだけどな」
「え?! 歩き? マジかよ!」
「バイク乗って帰ってきてまたバイク乗ると思ったか? そっちの方が面倒なんだ。特に夜はな」
「普通逆じゃね?」
「まぁまぁ、素直に言うこと聞け」
氷峰も内心、バイクで帰りたい気持ちも半分あった。
だが、どうしたって高校生の彼を後ろに乗せて走るのが今の会社にバレたら面倒なことになる。だけど彼を家まで送らなければならない。そんな二の足を踏むことにならなければならないそんな状況下で、決断に至った。徒歩なら問題ないと。
「じゃ、せっかく帰ってきたけどまた海鳴送ってくから、留守番頼む」
「うん、わかった。いってらっしゃい」
「亜結樹、またなー」
氷峰は亜結樹に見送られて、海鳴を連れてふたたび家を出た。
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