第34話 【他人事の戯言 -2-】
―――八年前。
蔀と中学を卒業する歳になったある日のことだ。八束が金髪になったことを彼に話すと、彼は当然の如く頷いた。どうして驚きもしなかったのか尋ねると「多分、あいつはそうなりたかった」と返事をした。俺は彼と学校のクラスが中学三年生になっても同じだったから、弟の様子もたまに話すようになった。
「一緒に暮らし始めて一年経って、八束の奴……怪しい男と知り合ったぽい」
「怪しい男? 年上の人?」
「歳はわかんねぇけど……この間、八束のスマホ覗いちゃったんだ……。そしたらベタなフルネームのイニシャルで八束とメールのやり取りしてた」
「そっか……」
「そっか……ってお前、自分の弟のことだろ? 心配じゃねぇの?」
「……いいんだ。あいつに俺は必要ないからな」
「なんでそんなに冷たく当たるんだよ」
「……」
蔀は氷峰の淡々とした言い草に、少し苛々している様子だった。彼が弟の八束に対して冷たくなる理由を話そうとするのを躊躇っていると、氷峰は続けてこう話す。
「父親が原因なのか?」
その一言に、蔀は目を丸くし、隣で廊下を歩いている氷峰の足を止めた。
「……違うん……いや、違わないけど……それだけじゃないんだ」
「は? どっちだよ」
何を思って噤んだ言葉なのか、彼の様子に戸惑う氷峰だった。
「今日の帰りに、また……理由話すから」
「あっそ」
二人は音楽室へ向かう途中だった。授業が終わるとそのまま下校時刻になった。
***
教室へ向かうと、さっきまで一緒だった蔀が突如姿を消した。
どこへ行ったのか、トイレに向かったのだろうと思い、その場で待つことにした。
「一緒に帰る約束したもんなぁ……」
暫くしても、彼は戻ってこなかった。音楽室から出た時は一緒だったけど、廊下ではぐれたのかもしれないと思い、もう一度音楽室のある階へと上がることにした。
「蔀ー……いるか――」
音楽室の隣の空き教室で何やら人の気配がした。教室の戸は閉まっていた。氷峰は蔀がいるかもしれないと思い、静かにそっと戸を開けた。
「――!?」
蔀は氷峰と目が合った。氷峰はもう一人の生徒が蔀に覆い被さるようにいたのに気づいて、それが何をしている様子だったのか、瞬時にわかってしまった。
「お前なにして――」
男子生徒は、氷峰の声に気づいてはっと振り返り、下げていたチャックを上げた。
「違うんだ! 俺は柊から言われて……」
「どういう意味だよ! 先生に言っ――」
「言わないでくれ!」
地べたに両膝をついていた蔀が立ち上がり、氷峰を制した。
「……蔀」
「ごめん、約束してたのに……」
二人の会話を他所に、男子生徒は気まずくなって、黙ってその場を去ってしまった。
「何でこんな真似したんだよ……。もう帰ろうぜ。帰り道で話はゆっくり聞くからさ」
「ミネ……俺もさ……もうどうしたらいいか、色々悩んでんだよ」
「でも学校ですることじゃねぇだろ」
「こっちもストレス溜まってたんだよ! 俺は八束が離れて行ってくれて清々してるんだ!」
そう叫んだ蔀は足早に鞄を持って教室を出て行く。氷峰も後を追うように走って行った。
「待てって、蔀!」
氷峰は蔀の腕を掴んだ。蔀は前を向いたまま歩く足を止めて、咄嗟に呟いた。彼がなぜ弟の八束に冷たく当たる理由があるのかを。
「母さんが八束を産んでからおかしくなっちゃったんだ……。それで親父と仲が悪くなって、親父は八束を虐待するようになっちゃって……俺はあいつを守る義理なんて持ち合わせちゃいなかった。だから――」
「伯父さんに頼んだのはお前なのか?」
「俺はちゃんと児童相談所に伝えた。でも相談員の人が組織の人だとわかると、伯父さんの名前がすぐ上がって……。それでお前の所に転がり込んだんだろ、多分」
「そうだったのか……」
「今まで理由も聞かずに、八束の面倒見てたのかよ」
「面倒だろ、そんなの。俺だって中学に入ってから一人で生活してたんだし、あいつと一緒になってからお前の代わりに弟ができた感覚でいたし」
二人はまた止まった歩みを進めながら会話をしていた。
「なぁ蔀、あいつ入学式しか行ってないらしいけど、大丈夫なのか?」
「簡単な話、勉強はどこでも今はできるからな……。あいつ次第だ、そんなの」
「冷てぇやつだな本当に」
「そういうお前だって、去年、速水先輩にフラれて急に俺に相談してきたじゃないか、色々と」
「それは……お前が言うように? ストレスが溜まってたんだよ」
「あっそ」
たわいも無い会話をしながら、二人は帰路に就く。
蔀にとって八束の存在が、単なる邪魔者では無いことはその時わかった。蔀の両親が離婚してしまった原因までは流石に訊けなかったけど、蔀自身も両親の離婚の原因が八束にあるとしたら――と思いつめていたのかもしれない。彼の言葉を聞いて、俺は柊司秋が蔀に委ねていたものが何だったのかこの時はまだ知らなかった。
蔀は伯父である柊司秋に、将来はキュプラモニウムに入るように頼まれていた。その為に高校は医療関係が学べる進学校に進まなければならなかった。
柊司秋と蔀の父親である柊枝燕は昔から不仲だったらしく、蔀が家に帰る度に枝燕から伯父の愚痴を聞かされていたそうだ。八束が蔀の元を離れてから、蔀は父親と二人暮らしでいた。彼は高校三年生になった頃父親の元を離れて、一人暮らしとなっていた。
そして俺は暫くの間(高校生の頃)蔀と直接顔を合わせることはなかった。
六年前、允桧が自殺したその日までは――。
―――現在・キュプラモニウム施設内。
今朝、海鳴は蔀から連絡をもらった。そのため学校が終わると、施設へと向かった。門を通り抜け、一階の製造部のある研究室を通り過ぎて行く。さらに二階へ上がった所にある休憩室のドアを開けて彼が来るのを待機していた。今日は学校の帰り道で、亜結樹に陵莞爾の持っていたサバイバルナイフを手渡された。その形に見覚えがあったので、確実に彼の私物であった。海鳴はナイフを握った手を眺めながら――
「どうせ陵さんに、なにか伝えたいことがあるんだろうに。俺を呼び出してどうする気なんだか……」
そう言って、ひとり休憩室に居座っていた。がらんとした空き部屋で、一人パイプ椅子に座って独り言を呟いていると、例の男がドアを開けて現れた。
「今から、会長室に向かうぞ。待ったか?」
「いや全然。ていうかここに呼び出すのは、その為だったからかぁー」
そそくさと蔀が海鳴にそう声をかけたものだから、海鳴は心の中で解決していた考えが思わず声に出てしまった。二階の休憩室からは、渡り廊下を通れば七階の会長室まではそれほど遠くはなかった。
二人は廊下を歩きながら、昨晩の氷峰の一件について話し合っていた。
「八束を呼ぶ理由なんてお前に言う必要はないし、あいつが喋ったところでお前が――」
「理由というかさぁ、亜結樹から電話が来たのに、ミネさんの家で八束にあんなことさせたあんたの神経が、どうかしてるって話だよ」
「あいつに任せるしか無かったんだ……。それに――」
蔀がなにか言いたそうにしているのを遮るかの様に、海鳴は詰め寄って話を被せてくる。
「陵さんに言いたいことがあるなら、俺があんたの代わりに言ってやってもいい。けどそれなりに覚悟決めてよね。亜結樹は傷ついてるから絶対に! ミネさんの気持ちも大事だけど!」
海鳴の話は止まらない。七階に向かうエレベーター内で続けて――、
「八束は俺が傍にいるから気持ちがセーブ出来てて――つまり病的なセックスをしないで済んでるかってことだけど……何のために俺が八束といるかわかってんだよね?」
「それは、理解している。だけど――」
「だけど何? 蔀さんが陵さんに言いたいことって何? 話はまとまってるの?」
どうにも海鳴の態度に、蔀は
「けど、お前に頼みたいことがあってな……」
「頼みたいこと? なに?」
「このキュプラモニウムの存続についてだ」
「存続? もしかして……」
「司秋さんが倒れた今、陵さんにも伝えておきたいんだが、組織が亜結樹と允桧の様なクローンを生み出さないためにも、システムを見直す必要があってな……。それだけじゃないんだが……」
エレベーターが止まった。七階に到着した。
「つまりは、組織を解散させたいんだね」
「その通りだ。司秋さんもこの事を既に考えていたかもしれないんだ」
「ふーん……。俺が陵さんを説得させればいいのね」
海鳴の言葉は、先を見越した返事だった。再び歩き出して、会長室まで短い道のりを進んだ。
二人は呼吸を合わせ、会長室の前で目を合わせた。
海鳴が頷くと蔀はドアをノックした。返事は無かった。彼がドアを静かに開けると、ソファで脚を組みながら本を読んでいる陵の姿があった。陵は本を閉じて、机に置いてるコーヒカップを一口啜ると、部屋に入ってきた二人に視線を送った。ここに来るのをまるでわかっていた様子だった。
「二人揃ってどうしたの? 険しい顔してさ」
「昨日……氷峰弓弦がここへ来て――二人きりでなにを話されていたんでしょうか」
最初に口を開いたのは蔀の方だった。
「唐突だね。そんなことここで言い切れるわけないだろ? 俺なりのクローンに対する持論を述べた。それだけだ」
「陵さん、それだけじゃないでしょ? 俺にはなんとなくわかるよ」
蔀の後ろにいた海鳴が横から顔を出して、陵に相槌を交わした。海鳴の手には、彼のサバイバルナイフが握られていた。陵にわざと見せびらかす様に、刃を出したりしまったりを繰り返していた。
「海鳴君まで、俺に歯向かう気なの? 嫌だなぁ」
軽くため息をつきながら、陵は二人をソファに座れと手招きする。だが、ふたりはそれには応じなかった。特に蔀は、昨日の氷峰の一件を黙って見過ごすわけにはいられなかった。
陵は「言いたいことがあるならはっきり言え」と言わんばかりに、彼を睨んでいた。腕組みをして目を閉じたまま顔を上げると――
「俺を説得するために海鳴を呼んだなら、悪いけど間違ってるからな」
と、蔀に言い放った。ついで――、
「海鳴もナイフを振り回さないで、俺に返す気ならすぐよこしなさい」
と、海鳴の顔も見向きもせずに言った。その言葉もむなしく、海鳴はナイフを渡す気は無かった。
彼は口を尖らせながら、ナイフを持った手を後ろに回した。
蔀は一歩陵に近づいて、氷峰や亜結樹の身体の秘密を知った心境を語り始めた。
「氷峰は……あいつは亜結樹が傍にいることで、自分の両親や昔一緒に過ごした允桧のことを思い出して、混乱していたんです。亜結樹の肉体は救えなくても心は救える……そう信じてあの子を氷峰の所へ行かせたんです。それなのに貴方って人は――」
蔀は向かいのソファの背後に立つと、真正面にいる陵を捉えた。だが、次に言おうとした言葉が彼の強めの一声で遮られてしまった。
「何が言いたいの?」
「陵さん……貴方は氷峰弓弦を自殺させたかった……違いますか?」
「…………」
陵は顔を歪ませたまま黙っていた。笑っているようで笑っていない――そんな表情を浮かべながら、腕組みをしていた手を解く。そして嘲りながら――
「この俺が、そんな人殺しに見えるかい?」
と言った。
「そんなふうに考えたことがあるのは、允桧と出会った時かもしれないが……。允桧と出会ったことで、性の混乱から人の愛し方がわからなくなったと思ったが……違った。もしそうなら亜結樹に出会った時もそうなるはずだ……。原因は允桧と亜結樹の出生の秘密を知ってからだ……あいつが本能的に追い込まれるようになったのは」
蔀は手のひらを見つめながら――自分が亜結樹を生み出してしまい、亜結樹を氷峰に引き渡したのは自分だと諭すように告げた。
「陵さんは、可哀想だとか思う訳ないよね、こんなこと」
蔀の言葉を補うように海鳴が感情を付け加えた。
「はっ……同情なんてする訳ないだろ。それより亜結樹のせいなんじゃないの?」
陵の言葉に二人は目を見開く。
「――!?」
「出生の秘密を知ったところで、亜結樹や允桧の身体の一部が、氷峰君の両親の身体の一部だと理解しておきながら、氷峰君自身は亜結樹の傍を離れようとしていないじゃないか。この俺が彼を自殺させたかった? どっからそんな答えが出て来たのかな?」
陵は吐き捨てるように言い、自分の足元を見ながら嘲笑した。
「貴方って人は……!」
蔀は顔には出さなかったが、彼の聞き捨てならない考えに、憤りを感じていた。
すると蔀の様子を遠目に見ていた海鳴が陵の目の前に立ちはだかる。陵の胸ぐらを掴みながら――
「クローンの運命は、俺たちが最後でいい! 絶対にこの組織を解散させてやるからな!」
と言い放つ。殴りはしなかったが蔀と同様、憤慨していた。
陵はそのままの体勢で海鳴の態度を凝視する。内心、自分の分身にこんなことをされたのは、生まれて初めてかもしれないと思った。彼は海鳴の手首を持ちながら――
「放してくれよ……」
と、小声で優しく言った。だが、海鳴はなかなか陵を解放しなかった。胸ぐらを掴んだその手を離そうとしない海鳴に陵は一喝した。
「この手を離せと言ってんのがわからないのか!!」
「――っ!」
陵の豹変ぶりに彼のクローンである海鳴は畏縮した。彼からそっと手を離し、蔀の元へ後ずさる。
近寄って来た海鳴に蔀は小さく声を掛けた。
「海鳴。言いたいことが言えたなら、今日はもう帰ろう……」
蔀が会長室を出ようとしたとき、海鳴は思い出したかのようにドア付近から振り返る。
「陵さん、返すの忘れてた。はい……」
「なんで君が持ってんのかなぁ……。まぁ細かいことはいいや」
陵は海鳴からサバイバルナイフを受け取る。先ほど怒鳴り散らかした人物とは思えないほど穏やかな表情だった。蔀は足を止めたままだった。彼がなにか言いたそうにしていた為だった。
「蔀君。君は俺を会長の座から引き摺り下ろしたいのかな? 当たってる?」
「どうですかね……今の陵先生には話したくありませんので。失礼します」
蔀は陵に対して
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