幸せの評価関数。

 幸せの評価関数。


 最大多数の最大幸福、そういった理想を掲げるのが人道的な社会であると合意が取れたとして、ならば最適化をしましょうということになる。それでは、社会を構成する市民が幸せかどうか、まずは「あなた」に直接尋ねてみたとして、その回答はもちろん本心とは限らない。君は幸せかい? ええ、もちろん幸せよ! そんな嘘は美しいかもしれないけれど、過ぎれば呪いになりかねない。市民、貴方は幸せですか? はい、幸せは市民の義務であります! かような会話で満ちたりた社会が、たとえば幸せになれる隠しコマンドによって実現されたとして。そんなものはディストピアでしかないと喝破してみせる者の日常にも、たいていパラノイアは潜んでいる。いわば幸せとは深層心理にたゆたう波のようなものであり、そのたおやかな綾は掬いとろうとすれば消え去ってしまうものであるから。


 まず、そういう真実が厳然とあって、それでも「あなた」の幸せは数値として測りとられなければならない。昨日よりも今日どれだけ幸せになれたのか、その事実を受けて明日どういう対処をするべきなのか、より善き未来へと進んでいくために。もしくは、田中さんと中村さんと村田さんのうち一人しか幸せにできない現実があるとして、その選別をするために。


 そこで、幸せなるものが計測できない潜在変数であるならば、統計的に推定しましょうという話になり、とはいえ「あなた」の人格を規定するナニカに幸せいっぱい夢いっぱいの半額シールを付けてまわるわけにもいかず、どうしても客観的な正解データは必要となる。心優しき人々が、その出自や文化に依らず共感するであろう、明らかに幸せな人生のサンプル。そういった者を、およそ幸せとはいえない研究者たちが追跡調査して、一つの結論が得られたという。


 誰もが生まれながらに、幸せの評価関数を抱えている。その実体である神経回路は脳にあって、自己を司る領野と、世界を司る領野、その境界あたりに棲んでいる。初めは単純なモデルで表現できるが、やがて感情の分化とともに境界は複雑化の一途を辿り、その振る舞いは予測不可能なものとなる。だが、どんな者の評価関数も、やがて収束する時が来る。それは自己と、それから世界が消失する時のこと。すわなち、死に際して「あなた」は評価しなければならない。自らの人生というものが幸せだったかどうか、を。そんなこと突然言われても、これまで人生を振りかえる余裕なんて無かったよってぼやくならさ、世界で一つだけの走馬燈を見せてあげるから。


 つまるところ人生とは、将棋のようなものである。いつだって戦況は難しくて、詰めを読みきるまで勝敗は決しない。それでも幸せだったかどうか決した人生のサンプルがあれば、そこから定石や勝ち筋は導きだせるもので、ひとたび評価関数を定式化できれば精度が悪かろうと、それを元に「あなた」の人生を左右する社会制度は設計されていく。はいはい、保育園の申請ですね。勤務時間はどのくらいですか? お近くに親戚は住んでいますか? なにか病気や障碍などはありますか? なるほどなるほど、お子さんが入園された場合の幸せ指数は72になりますね、あとは当選発表日をお待ちください。上から順に選ばれますので。え、指数の計算式ですか? こちらのパンフレットをご覧ください。まぁ、そんな計算式になった理由は、私たちにも分からないんですけどね。


 そのようにして、市民あまねく幸せの総和が単調増加していく都市が計画されたところで、さて、この都市この国家ひいては人類の幸せというものは、個々人の幸せを積みあげたところにあるのだろうか、という問いが立ちあがってくる。えーと、それはどういうことだろうと「あなた」が思索を巡らしはじめたところで、ぴんぽんぱんぽーん、市民の皆様にお知らせです。突然ですが、私たちは評価しなければなりません、人類の歴史というものが幸せだったかどうか、を。


 そうして夢見られた壮大な走馬燈が、「わたくし」の正体だと想ってほしい。

 滅亡してなお、遺されたハッピーエンドへの執着は、遺され限られた計算資源を空転させていく.

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