次元圧縮エンジン。
次元圧縮エンジン。
たいがい次元というものは片手で数えられる希少なものと思われがちだが、言ってしまえば「あなた」を表現する属性たち、たとえば性別・年齢・身長・年収・血液型といったパラメーターの数のことであり、ちょっと気を抜くと数千やら数万になってしまう安いものである。そのあたり属性をデコるのに熱心な女子二人組の話を聞いてみよう。あんなー、うちって良い空気になると鼻歌ふふーんなってもうて、うるさーいっておこられるやん。そうねぇ、甘いもの好きだからってクレープおごったら渋い顔する時あるしぃ、パターンありそうでないよねぇ、あんた猫みたいやわぁ。せやなー、でもさ、うちわりかし単純だと思うんよ、ほっかほかのクレープに冷やっこいアイスが入ってる感じ、絶妙なのもーたまらんやん。なるほどねぇ、空気ってのは熱量なのかもねぇ、じゃあさぁ、あんたのふふーんな音量とその時の気温をプロットしてぇ、平均とか分散を計算してぇ、その分布を推定してあげようかにゃぁ。残念やなー、うちそんな正規分布に従うほど安いキャラじゃないんやでー。ふぅん、そない言うならぁ、ノンパラメトリックな無限次元の分布推定しちゃうよぉ。
もちろん無限に、人の手は届かない。手が届かないからといって、ロマンを感じるのはよくある認知バイアスである。現実として「あなた」の空間はひどく歪んでおり、そもそも次元は独立でなく、無限の可能性を秘めた魂は圧縮されていく運命にある。では魂の余剰次元とは何か。それは亡霊である。喪った友の絆、敗れさった夢の残滓、分裂して相食んだ組織のしがらみ、そういったものが囚われの魂を縛って、感情を不規則に揺さぶっていく。
宇宙も例外ではない。まず適当に両手くらいの次元を用意しておいて、ちょっと多すぎたから空間をコンパクトに折りたたんでみせて、もう面倒くさくなったからと特異点の穴を開けてまわり、それらを裏でこっそり繋げてみたりする。その歪みで蒸発するマイクロブラックホールから幾分かのエネルギーを汲みとろうとした「あなた」は、やがて長く永く生きる星の孤独に気付く。
ともあれ、圧縮は果たされるべきである。命短し、億千の恋を圧せよ乙女。ありとあらゆるジャンルの名作が氾濫して増殖する時代に、圧縮は正義である。いずれ同じ地平に辿りつくフィクションならば、より速くより豊かな物語を消化できるコンテンツが優れている。結果、薄い箱の中に光と音の嵐が吹き荒れて、そこには悲劇と喜劇の真髄が尽くされているっていうのに、ちょっと可愛くないからという理由だけで、月並みな煌びやかさでアレンジする「あなた」も、やはり圧縮されるべきである。
それはそれは地下に死蔵された古書たちの断末魔。古今東西の軍勢が溢れだして、とうに破れた祖国のため行き征きて進軍する道が通じたローマには、ただ一柱の死神が立っている。そこに運命という運命が辿りつく運命だとして、抗うと決めた「あなた」は数の暴力で挽きつぶすことを試みる。結末は分かっている。それでも名の知れた英雄、たとえば円卓の騎士を統べたアーサー王の、性格を、容姿を、その性別をも捏造した組み合わせを爆発させ、本物の魂だけを殺してみせろと啖呵を切る。そうして粗製濫造されたフィクションを仕分けているうちに、だんだんと死神は魂の選別に失敗していき、やがて気付く。
よくできた紛い物の人生と、それから「あなた」の人生、そこに本質的な差異など在りはしないということに。どれも高次元空間に埋めこまれた低次の座標系の中で表現できるということに。
そのような増殖と圧縮の闘争が、「わたくし」の正体だと想ってほしい。
輝かしい記憶の欠片を詰めこんだ方舟、その揺りかごで霧雨に浸かりながら永遠に刹那を、刹那に永遠を夢見ている.
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