142.師弟、続いていく。

 ギロチンにセットされた囚人とはこのような気分なのだろうか。

 玉砕覚悟の告白をしたニチカは鋭い刃を――男の返事をほとんど恐怖に近い感情で待ち構えていた。


 やがてククッと噛み殺すような笑いが聞こえてきた時、絶望のどん底に叩き落とされたような気分になる。


(あぁダメだったんだ。やっぱり私みたいな子供相手にしてくれるワケなかったか)


 トホホと自分をあざ笑うが、じわりと視界が歪む。


(覚悟してたのに、どんな結果になっても受け入れようと思ってたのに)


 ぐしっと手で涙を拭うが、後から後から溢れてきてしまう。


 何をやっているのだろう、こんな不様な醜態さらして。

 ダメならきっぱり諦める。縋りつく様な女にはなるまいと決めていたのに。

 熱い物がこみ上げて、本格的に声を上げて泣きそうになってしまう。

 せめて彼を煩わせまいとムリに口角を上げた。鏡の前で予行練習した表情は上手く作れているだろうか。


「いっ、いきなりこんな事言ってごめんね。ダメだろうって覚悟はしてたんだけどやっぱり――」


 滲む視界の中に、黒いぼやりとした物を捕らえる。


(あ……)


 その瞬間、これまで共に旅をしてきた場面が次々と浮かんでしまった。


 出会った時、強引な形で付いていこうと決めた時、

 桜花国で独り先走り襲われそうになった時、ロロ村で失恋した時、

 不安で押しつぶされそうになった時に飛んでくるデコピンはいつも強烈で、扱いの雑さに不満を漏らせば楽しそうに笑った。


 強引で、乱暴で、いつもこちらを騙しては揶揄からかって、

 お互いの気持ちを図り兼ねすれ違った日々もあった、過去に踏み込み戸惑うこともあった。でも


 ――俺が側に居てやる


 数えきれないほどの思い出の中で見つけたのは、ひねくれた態度の裏に隠された優しさだった。


(やだ、やだよ、やっぱり諦めたくない、フラれても好きで居る事って許されるのかな。想い続けちゃダメなのかな)


 いつも護ってくれた。右も左も分からない自分をここまで導いてくれた。

 少し前を歩くその背中は、振り向いてくれなかったけど でも


「っ……ひぐっ……」


 大声をあげて泣き出しそうになったその時、


 ふいに、手を引かれた。



 涙を拭っていた手を強引に剥がされ、前へと引っ張られる。

 痛む心臓も。零れる涙も。愛しい気持ちも。

 全部ひっくるめて、引き寄せられる。


「ふっ……」


 自然と飛び込む形になり、わけの分からないまま胸に頬を押し付ける体勢になる。

 状況を理解すると同時に、すぐ間近で声が響いた。


「俺は、」


 顔は見えなかったがその声は間違いなく師匠の物だった。

 ちゃんと耳付きで産んでくれてありがとうと母に感謝したくなるような、世界で一番大好きな声。


「今まで恋というものをした事がない。人を好きになることを無意識に避けて来た、臆病だったんだ」


 低い声が、鼓膜から入り脳髄をビリビリと震わせる。

 それだけでどうしようもなく幸せになってしまう程度には、心の芯まで落とされてしまっている。


「悪かった」


 傲慢から生まれたとしか思えない男の謝罪に、ニチカは目を瞬く。

 あの、オズワルドが、謝った?

 驚きながら見上げると、師匠は困ったような笑みを浮かべていた。


「そっちから告白させるなんて、本当情けないな」


 急な話の展開にニチカはただ目を見開くことしか出来ない。

 それは、それではまるで――


 身体を離して正面から向かい合う形になったが、それでも両の手はしっかりと握られている。鼓動はさきほどからドクドクと加速しっぱなしだ。手のひらから脈が相手に伝わってしまっているのではないだろうか。


 師匠は少しだけはにかむと首をわずかに傾けた。


「なぁ、お前いつだったか『自分を一番に思ってくれる人が欲しい』って言ってたよな?」


 望んでいた、焦がれていたそれは、とうに諦めていた物だったのに


「ニチカ」


 握られた両手に力が籠められる。

 互いの緊張が最高点に達した時、臆病者のオズワルドは本当の気持ちをハッキリと口に出した。


「俺の一番になってくれないか」


 一度言葉が右から左へ通過する。

 少女の脳はその意味を二度三度、確かめるように循環させる。

 ようやく意味を理解した瞬間、その眼からぶわりと涙が噴き出した。

 言葉が継げない。意味不明な声を散々漏らした挙句ようやく言葉になったのは不安げな物だった。


「わ、わたしでいいの? ほんとにいいの?」


 信じられない思いで問いただす。こういう場面でニチカの本質は素直になれない、卑屈な面が出てしまう。


「わたしなんかで……!」


 必死に確認しようとする少女の頬に、ふわりと手が添えられる。


「!」

「なんかじゃない、お前が良いんだ」


 疑わなくても良いのだと、細められた青い瞳が語っていた。

 空に染まらないその色が暖かくて、じわと幸せがようやく胸に広がる。


 信じてみよう、この人ならきっと――大丈夫。


 涙を振り払ったニチカは最高の笑顔で微笑んだ。



「……うんっ」



 力強く引かれ、素直に身を任せる。

 青い世界の真ん中で、二つの影が重なり合った。





 しばらくして少女がもぞりと動く。

 顔を上げたニチカは唐突にこんなことを聞いて来た。


「ね、師匠! あれってまだ有効?」

「あれ?」

「ご褒美! イニをやっつけたらくれるって約束だったでしょ」

「あぁ」


 そういえばそんな約束をした気がする。確か好きな場所に好きなだけ望むまま気持ちいいことをしてやるとか。あの場で最高の一撃を引き出すための作戦ではあったが……


「って、お前まさかこんな場所で――」

「キスして! 種とか関係なしに、偽りフェイクじゃなくて本当の!」


 屈託なく笑う少女に心の中で苦笑いを浮かべる。

 やれやれまったく、これではいつになることやら。


「馬鹿だな、そんな約束いらないだろ。これから好きなだけしてやる」

「いいの、一つの区切りでして欲しいんだから」


 つま先だったニチカはそっと目を閉じる。

 ふと、イタズラしたくなる気持ちが湧きあがる。


(ふむ)


 そういえばまだ『その言葉』は言ってなかったなとしばし考え、唇ではなく耳元に口を寄せる。


「!?」


 たった5文字の魔法はまたたく間に彼女の顔を赤く染め上げた。


「えっ、な……っ!?」

「覚悟しろよ、俺をここまで本気にさせたんだからな」


 激しく動揺するニチカに満足気な笑みを浮かべ、今度こそオズワルドは顔を引き寄せた。



 ――愛してる。



 その余韻に浸れぬまま、少女の思考は溶かされ始めていた。




 ひねくれ師匠と偽りの恋人

 終わり




***


ここまでお付き合いありがとうございました。

この後は、後日談と番外編をいくつか更新予定です。

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