133.××、少女、同化する。
我に返った彼らが扉の向こうで大騒ぎをしているが知ったことではない。
半目のまま息をついたオズワルドは改めて室内を見回した。全体的に落ち着いた色合いでまとめられた部屋にはランプの明かりが濃い影を落としている。
そして正面、部屋の中央にはベッドが置かれていた。ただし今は茨に覆われその上で寝ているはずの者は見えない。それは閉じ込める檻のようにも、中身を守ろうとする卵の殻にも見えた。
男は懐から筒のようなものを取り出し無造作に投げつける。
「『急速冷却弾』」
ここ数日で威力をさらに強化された魔女道具は部屋を瞬時に凍りつかせる。
パキパキと微かな音が鳴る白い世界の中、一部が白く変色した茨に向かって男は足を振り上げた。
「いい加減に……しろ!!」
***
「……」
ふと、意識が浮上する。けだるい身体は腕を動かす事すら億劫でうめきながら転がる。腕から伸びている茨がシーツに引っかかり、薄い布地は軽い音を立てて破けた。
もうこの痛みにも慣れた。全身を絶えずチリチリと針で突かれているような感覚が不快だったが、意識の外に締め出してしまえばさほど気にならない。
……ここに入れられてどのくらい経っただろう。うつらうつらと浅い夢を出入りしていたので日付の感覚がほとんどない。
聞き覚えのある幼い女の子の泣き声や、『ニチカ』が友達だった少女たちの声が聞こえた事もあったがどうでもよかった。どうせ彼女たちが呼びかけているのは自分ではない。望まれているヒロインはここには居ないのだ。
(もう、いい)
魂が浮き上がるような感覚にすうっと意識が遠のいていく。
肉体との結びつきがどんどん細くなる。
(ごめんなさい。もう居なくなりますから……)
そして最後の一本を引きちぎろうとしたその時、突如、轟音と共に冷気が流れ込んで来た。ひやりと冷気に左腕を撫でられて不本意ながら引き戻される。目をうっすらと開けると黒い人影がそこに立って居た。
「起きろバカ弟子。いつまで寝てるつもりだ」
凍った茨を蹴り壊しながら中に入ったオズワルドは、こちらを虚ろな眼差しで見やる少女にぞっとして動きを止める。
血のような薔薇が咲き乱れる中、彼女はシンプルな白いワンピースを着せられ静かに横たわっていた。その頬は青ざめ、やつれた顔は悲愴感に満ちている。元々細かった手首は握ったら折れてしまいそうなほどになり、やせ細った指から青い指輪が抜け落ちシーツの上に転がっている。
痛々しく、そして一枚の絵のように美しかった。
仄暗い不健全な美。この空間はあまりにも死の匂いが濃すぎる。
「あなたには一番会いたくなかった……」
かすれた声が少女から発せられたものだと気づくまでに数秒かかる。その意味を理解するまでにさらに数秒。眉をつり上げベッドの傍に立つのに結局五秒ほど要してしまった。
「こっちはそうもいかないんだ。いい加減出てこい、そんな状況じゃないのがわからんのか」
寝不足で多少思考が短絡的になっていたオズワルドは、その腕を掴んで死のゆりかごから引きずり出そうとする。
だがニチカはふいと逃げるように向こう側を向いてしまう。縮こまり丸くなる背中からも茨が数本突き破り白い夜着に赤く血が滲んでいた。その痛ましさに何も言えなくなってしまう。
少しの間をおいて、少女は謝罪の言葉を口にした。
「これまで綺麗ごとばっかり言ってごめんなさい。あなたの言う通り、あたしはヒロインなりたがりなタダのちっぽけな臆病者だった。見たでしょう? 可愛がっていた子猫を自分の保身のため見捨てるような、卑怯で卑屈な上っ面だけの小者」
平坦な声がそこで少しだけ自嘲するような色を含む。張り詰めた声は泣き出すのをこらえているかのようにどんどん早口になっていった。
「あなたに『生きててくれてありがとう』なんて言ったっけ。あはは、死にたいと願った女がどの口でそんな事言うんだろうね。簡単に諦めた自分は棚にあげちゃってさ」
ここで一度区切ったニチカは、ついにこらえ切れなくなったのか顔を覆って泣き出した。体内にわずかに残っていた水分が全て涙になり排出される。
「あたしにはそんなこと言う資格なかった。自分こそ一番ダメだった……嫌い。こんな自分だいっきらい」
いけない、このままでは本当に体力の方が先に尽きてしまう。
サイドボードに置きっ放しになっていた水差しを取ろうとしたオズワルドは、その手を掴まれ目を見開く。荒波のような不安を感じながら振り向けば、すがるような目をしたニチカがわずかに微笑んでいた。
「ねぇお願い。まだあたしを弟子だと思ってくれているなら、最後のわがまま、あなたの手で」
――殺して
頭のどこかで何かがぷつんと切れたような音がした。
「っ、」
掴まれていた手を逆に掴み返し、縫いとめるようにベッドに押し戻す。馬乗りになったオズワルドは空いている方の手で容赦なくその頬に平手を一発叩き込んだ。
「甘ったれんのもいい加減にしろ! お前が何をウジウジ気にしているのかは知らないが――」
もう気遣いなどどこかに吹っ飛んでいた。
ハッと短く息を吐いた男は収まらぬ怒りのまま少女の肩をつかんで引き起こした。
息がかかるほど近くで叩きつけるように言う。
「お前がそうありたいと望んだ『ニチカ』も、確実にお前の一部だろうが!」
「!」
「過去のお前がどうであれ今は今だろ! 根暗なのを忘れていたぐらい何だ、馬鹿馬鹿しい!」
「だ、だって違う……あなた達と一緒にいたニチカはあたしじゃ……」
「まだ言うか! なら証明してやるよ。答えろ、お前は俺たちの誰かが不幸になればいいと思うか? 誰かが傷つくことを願うか!?」
もう話がどこに跳んでいくか分からない。
ただ目を白黒させたニチカはその問いに素直に答えるしかなかった。
「ちが、そうじゃない、そんなこと願ってない……みんなは今でも大好きだけど、でも」
「イエスかノーで答えりゃいいんだよ。余計な事は言うな黙ってろ。いいか? お前が――例えお前自身が別人だと言い張っても、その肉体が死んだら俺たちは嘆き悲しむ。少なくとも俺は悲しい、大声上げて泣いて、もしかしたらまた禁忌に手を出してしまうかもしれない」
証明でもなんでもない。こんなのただの感情論だ。
ヤケクソ気味のオズワルドは挑発するように続けた。
「おい良いのか? 今度こそ俺は処刑されるぞ」
「そんなのダメだって! あたしなんかの為に――」
思わずとび出た言葉にパッと口を塞ぐ。
してやったりと、目の前の男はニッと笑った。
「ほら、その意見は誰のものだ? 今のもヒロインらしさを演じたと言うのか?」
何も言えなくなる少女の手を掴み、急に声のトーンを落としたオズワルドは先ほどまでとは打って変わって穏やかに告げる、ここ数日自分なりに考えて出した結論を。
「俺はな知花、やっぱり『ニチカ』も、確実にお前の一部だと思うぞ。お人よしで、能天気で、周りのみんなの幸せを願う普通の女の子だ。その気持ちは元々お前が持っていたものだ。元から持っていなければニチカなんて人格は生まれない。違うか?」
そうだ、これまでだって何も無理して演じていたわけではない。
この世界に来てなりたかった自分になれていた。幼いころ憧れた明るく元気な女の子。元いた世界では世間に合わせて無理やり抑えつけていた、本当の自分に。
「精霊集めを始める時に俺が出した条件を覚えているか、自分を偽るな、素直な感情で行動しろと約束したはずだ」
ホウェールの甲板で交わした約束がよみがえる。そうだ、あの言葉があったからこそ、自分は……
本当は戻りたい。素直なままに生きたい。
「で、でも、わたし、つよくない。本当は臆病で弱虫で……」
泣きそうになりながら見上げると、オズワルドはフッと笑った。
頭に乗せられた手が安心させるように優しく動く。
「そのままで良い。臆病でも卑屈でも、正義感に溢れたヒロインでも、全部ひっくるめて俺が知っているニチカだ」
その言葉で分離していた「知花」と「ニチカ」がゆっくりと溶け合い、一つになっていく。背中に回された手が暖かい。引き寄せられるままに少女は抱きしめられていた。
「も、戻っていい、かなぁ、ニチカで居てもいいの?」
「だから戻るも何も、最初っからお前はお前だろ」
「前よりわがままになるかも……」
「逆に今まで自己犠牲が過ぎたんだよ、聖人じゃないんだからちょうど良いくらいだ」
「これまでみたいに良い子じゃ居られないかもしれない」
「俺のレベルまで堕ちてくるっていうんなら大歓迎だ」
それでも尚、不安の逃げ道を探していたニチカに先回りするよう男が告げる。
「我侭でも怖いことから逃げても良い、見捨てたりしない、幻滅なんてしない、
お前を見ようともしない母親になんて縋らなくて良い、……俺が側に居てやる」
どれだけその言葉が欲しかっただろう。
内側から膨らんだ幸福感で全身が張り裂けそうだ。
押し出された空気は言葉になれず、あぅだの、うぐだの情けない嗚咽しか出てこない。
「……っ」
身体を離して目の前のオズワルドを見上げる。
なんとかこの気持ちを伝えなければと必死になればなるほど涙しか出てこない。
はやく、はやく伝えなければ 離れていってしまう前に――
叫びだしそうになった寸前、頬に手を添えられた。
「わかってる」
限りなく優しい声だった。
細められた青い目に冷たさなど少しも感じられない。
ただただ愛しいものを見つめている、そんなまなざしがニチカに向けられていた。
決壊したダムのように滂沱の涙を流す少女を、男は笑った。
「ぶっは、ひっどい顔だなお前」
あぁ、もう良いのだ。
私は、ニチカ
知花も含めたニチカ
それで良い。
しばらく泣いていたニチカだったが、急に肩を掴まれ押し倒される。
ぼふっと後頭部を枕に埋めた少女は一つ瞬いた。
「さて、気持ちの整理も着いたところでさっさとその薔薇をどうにかするぞ」
見上げればオズワルドは片手で襟元をゆるめていた。
ニヤリと笑った彼は覆いかぶさるように圧し掛かる。
サァァと先ほどとは別の意味で血の気が引いていく音がした。
「覚悟しろよ、優しくするつもりはないからな」
「ちょ、ちょっと待っ――」
静止の声は最後まで出せず、呑み込まれた。
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