130.少女、カミングアウトする。

 絵に描いたように美しいその人は、あたしの傍に降り立つとそっと語りかけてきた。


「生きたいか?」


 声を発する事すらだるくて首を横に振る。

 違うの、ただ一つだけ願うのは


「かみさまお願いです、あたしと言う存在を最初から無かったことにしてください」


 一息で言い切ると神さまは面白そうに口の端を上げた

 その顔が神々しい見た目の割には俗っぽくてあれ?と思う

 神さまじゃなくて実は悪魔なのかもしれない。どっちでもいいけど


「これまで存在していた事実を消滅……出来なくはないが代償は大きいぞ。君の『器』つまり身体と引き換えだ」

「好きにしていいです」


 どうせ死ぬんだったら身体なんかどうなったって構わない。それで願いが叶うなら安いものだ


 あぁ、あたしが生まれてきた意味って 何だったんだろう


「契約成立だな。私はイニ、君の名は?」

「知花」


 ふわりと浮く感覚がして目を開けてみると胸から腕が生えていた

 いいや、イニと名乗った神さまがあたしの体の中に手を突っ込んでいるんだ

 なのに全然痛くない、もしかしてもう死んでる?


 しばらくゴソゴソ漁っていた彼は、ふと眉をしかめると手を引き抜いた

 とぷんとまるで水のようにあたしの肌の表面が波打つ


「このままでは少し小さいな。ユーナと型は近いがもう少し成長させる必要があるか……」

「?」


 何を言ってるんだろうと思っていると、彼はこちらの肩をポンと叩いた。


「よし知花君! 支払いはツケにしてやろう、こちらの世界で少し成長したまえ」


 ……


「そうだ、ついでに精霊集めもしてもらおうか。器とその仕事で存在消滅の対価としよう!」


 ……


「おや元気がないな。打ちひしがれているのか? うーむ参ったな。それでは任務に支障をきたす……なら仕方ない、辛い記憶を封じてあげよう。これは特別サービスだぞ」


 パチンと指を鳴らす音が響く

 あたしは――私は?


「ようこそ、世界へ!」

「え」


 気づくと私はピンクの世界をグルグルと回りながら落下していた。


「うわああああ!? 誰か助けてぇぇぇぇ!!!」


 そしてオズワルドの居る森に落ちて、記憶を封じられた事にも気づかず旅を始めた

 あはは、笑えるよね。私は自分を消滅させるために精霊集めをしてたんだ。


 これで分かったでしょう

 この世界での『ニチカ』は、

 あなた達が今まで接していたニチカは、


 あたしが「こうありたい」と望んで演じていたヒロインだったんです


 明るく健気で前向きで……本当の自分は全然そんなことないのに


 散々みんなに綺麗ごとを吐いて来たくせに、本当は自分が一番ダメだった。そんなこと言える資格なんてあたしには無かった


 もう誰にも会いたくない、恥ずかしい、あんな偉そうなこと言ってた自分が嫌い。あたしは、あたしは、あぁ


 あぁぁ……


 ああああ……


***


 水に流れ溶けるように周囲の映像が消え去る。

 先ほどまで子猫がいたはずの箇所には気を失った少女が倒れていた。その目はしっかりと固く閉ざされ開かれることはない。


「今のは……」


 戸惑ったような水の精霊は無視してそちらに駆け寄る。息があることにホッとするが、体温は非常に低く呼吸もほとんど止まってしまいそうなほど遅い。

 抱えているだけでも命が流れ出していくのが手にとるようにわかった。器を奪われた為に魂が体から分離しようとしているのだ。


「起きろ!」


 肩を掴んで揺さぶると微かに少女が呻いて身じろぎした。ビンタでもしてやろうかと手を構えるが衝撃で魂が剥離してもマズイかと思いとどまる。

 なんにせよこんなところではまともな治療もできない。しかしここは遥か上空、雲の上、ここまで乗ってきた光の道もイニが作動させていたようだしどうやって地上まで降りればいいのか。


 ホウキで地道に下降していくしか無いのかと歯噛みしたその時、ホールに戸惑ったような声が響いた。


「え、なにこれ、どうなってんの? どういう状況?」


 はじかれたように振り向くと、いつの間に侵入したのか白いフードをかぶった少年と、禍々しい気を放つ黒竜が入り口付近で立ち尽くしていた。


「ファントム!」

「え、なんじゃ? どちらさま?」


 よりによってこんな状況で。舌打ちをしたオズワルドは少女の腰からホウキを外すと巨大化させた、隙を見て穴の開いた天井から逃げるしかない。


 ところがファントムは困惑したかのようにニチカを指差しては首を傾げている。そこにこれまでのような攻撃性は感じられなかった。


「なんでその子が死にそうになってるわけ? だってその子が新しい精霊の女神になるんじゃ……イニは?」

「あやつなら逃げおった! このニチカの『器』を奪ってユーナを復活させるためにの!」


 止める間もなく泣きそうな声をしたルゥリアがこちらの事情をバラしてしまう。

 たしなめようと口を開きかけるがファントムの青ざめた様子に思わず動きを止める。彼は混乱したようにブツブツと何かを呟きだした。


「え? え? えーと…… 待って待って待って待って、もしかして僕、すっごい勘違いしてたんじゃ」

「とにかく今お前に構ってる余裕はないんだ! あの男がユーナを復活させる前に器を取り返さないと――」



「あの、ごめん。それ僕」



 小さく右手を上げ、申し訳なさそうな様子で少年が名乗り出る。

 話の前後がまったく繋がらず、男と水精霊の思考が鈍化する。追い討ちをかけるように彼は言った。


「僕がユーナ、なんだけど」


 その時の二人の顔は実に見ものだった。そっくり同じ表情をした彼らは示し合わせたように叫んだ。それはもう見事なハーモニーが響く。


「「はぁぁぁぁ!!?」」


 どういうことだと尋ねる前にファントムが白いフードを引き下げる。

 ふわりとした黒髪に利発そうな顔をした少年と美しき女神ユーナは似ても似つかない。彼(?)は朗らかに片手を上げると懐かしそうに水の精霊を見やった。


「やぁ、ルゥちゃん久しぶり」

「知らぬ知らぬ! わらわはおぬしなど知らんぞ!」

「え、ひどい。あーそうか、カモフラしてるからわかんなくても仕方ないのか」


 スッと目を閉じた少年は急に纏う雰囲気を変えた。

 目を開けた時そこにいたのは圧倒的なオーラを放つ人物だった。


 その懐かしい雰囲気に、水の精霊の目から意図せずぶわりと涙があふれ出る。

 彼女はほろほろと感情を垂れ流しながら信じられないと言った風に問いかけた。


「ユーナ? おぬし真にあのユーナなのか?」


 コクリと少年が頷いた瞬間、ルゥリアは駆け出してその身体にしがみついた。そのままワンワンと泣き出す。


「ユーナぁぁぁ、わらわは、わらわは寂しかっっ……ひぐっ、愚か者ぉぉ、我らに何の相談もなしに置いていきおってぇぇ!!」

「あーはいはい、悪かったって。泣かない泣かない」


 なんだかおかしな状況になってきた気がするが言葉を挟めない。ルゥリアは身体を離したかと思うと相手を頭からつま先まで眺め回した。


「しかしなぜそのような身体に入っておるのだ。これは人体か? それとも」

「あー、それ話すと長くなるんだけどさ、まずはその子どうにかしなきゃ」


 そう言ってこちらに目を向けてくる。オズワルドは少しだけ身構えたが成り行きに身を任せることにした。


 改めて腕の中を見下ろす。ニチカは目覚めては居たが外界からの情報を完全にシャットアウトしているようだった。開かれた眼差しにじわりと涙が滲み、頬に一筋流れ落ちる。


 くたりと力の入らない身体を抱え上げ、ファントム……いや、ユーナが導くままに黒い竜の背中へと乗り込む。


「さぁ乗った乗った。あーホンット馬鹿なことしたなぁ、取り返しつくかなコレ」


 ヴァドニール飛んで、と命令を受けた黒竜は音もなく浮かび上がる。そのまま少しの揺れもなくホールの天井から飛び出したかと思うと下界目指して飛びはじめた。

 何かの魔法でも使っているのか風に曝されることもない。こんな快適な空の旅、今の状況でなければ楽しめたのだろうが……


「ニチカ?」


 そっと呼びかけるが相変わらず反応はない。虚ろな目で空を見つめている彼女に声は届かない。


「お前ずっと騙して来たのか、俺も、アイツらも、……お前自身でさえも」


 応えはない。

 二度と『ニチカ』には会えないようなそんな予感が胸をよぎる。


 雲を抜け眼下にエルミナージュの城が広がる。

 事態は一刻を争う物になっていた。

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