126.少女、願い出る。

 今まさに思い浮かべていた彼の声がホール内に響いてドキッとする。その声は落ち着いた響きを持ったまま指示を出した。


 ――そのまま大階段を登り、左の扉を進んでくれたまえ。


 言われた通り一行は進んでいく。やがてある扉を開けたところでニチカが小さく悲鳴を上げた。いきなり部屋が無くなり青い空へと真っ逆さまに落ちる寸でのところで師匠にしがみつく。


「なによこれーっ、どんなトラップ!?」

「何の躊躇ためらいもなく踏み出したなお前……」

「どれ」


 何かに気づいたらしい水精霊がふわりと跳び、少し先の空中にトッと足を着ける。目を見開いた弟子の横でしゃがんだオズワルドがノックするように空中をコンコンと叩いた。


「恐ろしく透明度の高い『何か』で出来た橋らしいな」

「うそ、何にも無いじゃない」

「あるんだよ」


 おそるおそる足をつけてみると……なるほど、確かに硬質な足場がある。おっかなびっくり歩き出した少女だったが握り締めたホウキだけは手離すまいと固く心に決めていた。

 それにしても不思議な感覚だ。青く澄んだ空の中をひたすら歩いていくとやがて正面に別の島が見えてきた。


「うわぁぁ……」


 手前まで来てその神々しさに圧倒される。

 その島は建物から通路から地面に生える草にいたるまで全てが白金色に輝いていた。先ほどよりは小さいが優雅な建物はあちこちに装飾がなされていて、中央の塔の先端には大きな鐘が取り付けられている。

 後ろの島が本島とするならばこちらは儀式用の特別な島と言ったところだろうか。見ているだけで厳かな気持ちになるというか、自然と背すじが伸びる。そんな場所だ。


 そして正面入り口の石段に腰掛けていた男がゆっくりと立ち上がった。金色の翼を広げた彼はゆっくりとこちらへ来るとニチカの前に立った。


「とうとうここまでやって来たのだな」

「イニ……」


 優しく慈悲深い笑みを湛えた神は少女の肩に手を置き目を閉じる。


「内面も大きく成長したようだ」

「そ、そうかなぁ。アハハ」


 照れくさくなっておどけるように笑い声をあげる。これまでとはまるで違う雰囲気に少しだけドキドキしてしまう。なぜだろう胸の辺りがきゅうっと締め付けられるような感覚が走った。


「よく頑張ったな」

「っ……」


 じわりと涙がこみ上げて一度だけうなずく。その声と響きがなぜか無性に懐かしかった。


(そういえば最初からだったっけ)


 初めてその名を口にした時も懐かしさがこみ上げたのを覚えている。長年ずっと呼び続けていたような、それも特別な感情を乗せて――


「精霊諸君も久しぶりだな。来てくれて嬉しいよ」

「おぬし、だいぶ雰囲気が変わったの。ホントにあのイニか?」

「う、うん、ユーナの為だからね、わ、わたしも協力は惜しまない……つもり、で」

「ノッくん、観念しなよ……」

「何がだい? シルミアぁ!?」


 ビクンと跳ねたノックオックに笑いが起こる。


「……」


 だがニチカは相変わらず妙な胸騒ぎを感じていた。駆り立てられるような嬉しさと、同時に逃げなければという強い不安感。


 喜びと恐怖が同時に湧き上がるなんて、まったくおかしな話だ。そう思い深呼吸をする。有り難いことにしばらくすると恐怖は収まっていった。


「さぁ案内しよう。準備はもう整えてある」


***


 中へと案内された後、ニチカは身を清めるため湯殿を使わせてもらうことになった。

 丹念に身体の汚れを洗い落とし、サラリと肌触りの良い白い衣装を身に纏う。ゆったりとしたそれは聖職者の着る服のようでよく見ると裾の方には銀糸で紋様が刺繍されていた。

 用意されていた金のバングルを両手首にはめ、足首にはクリスタルのアンクレット。靴は無いようなので裸足でということなのだろうか。

 湯浴みを手伝っていたルゥリアはその姿を見て関心したように声を上げた。


「馬子にも衣装というヤツじゃな。そのような格好をしていればおぬしでもちゃーんと巫女のように見えるぞ」

「ルゥちゃんあのね……」


 それ褒めてないでしょと口の端を引きつらせる。



 準備を終え男性陣が待つ部屋へと戻ると、全身をザッと見回した師匠は一度瞬いてから口を開いた。


「馬子にも――」

「素直に褒めようっていう人は私の周りに居ないわけ!?」


 裸の足を床に叩きつけると他の精霊たちは素直に褒めてくれた――特にシルミアからは赤面するほどの大絶賛を貰い「もうやめて」と頼んだくらいに。


 そうこうしている内にイニが部屋へと入ってくる。彼は自然な動作でニチカの腕を取ると入ってきた方とは反対側のドアへエスコートした。


「用意が出来たようだな、では行こうか」

「あ、うん……」


 再び言い知れぬ不安が湧き上がり、白くまっすぐな回廊を歩きながら問いかけた。


「あのね、ユーナ様を復活させて『ハイさよなら!』ってわけじゃないでしょ? みんなと話す余裕ちょっとはある?」


 その問いかけに少し驚いたような顔をした神は、そのままの表情で一つうなずいた。


「もちろんだ、そのような無粋な真似はしない」

「よかった」


 ホッとして正面を向く。回廊の突き当たりは大きな両開きの扉になっていて、近づくと自動で内側に引き込まれた。


「うわ……」


 その先に見えてきた光景に目を奪われる。

 少し視線を上げたその先には限りなく透明に近い巨大な球体が浮かんでいた。今いた小島が五つくらいは入りそうな大きさだ。

 イニに導かれるままに足元の白い台座に乗るとスーッと上昇してそちらに向かう。


 たどり着いたのはまさしく天空の大ホールだった。ド真ん中で横にスッパリと切ったところにフロアがあるらしく、中央の高さから球体の中に入る。


「なんとまぁ……けったいなところじゃ」


 あっけにとられたルゥリア以下三人の精霊も、どういう仕組みで浮いているのかサッパリわからないらしくあちこちを眺めていた。


 そしてその中央、ぽつんと据えられた台座の上を見たニチカはそこから視線が外せなくなった。


 美しい金の髪が流れ落ちる中、一人の女性が静かに横たえられていた。胸の上で指を組み、自分が今着ている服とまったく同じものを身につけている彼女は


「あれが、ユーナ様?」

「そうだ、今はただの抜け殻だがな」


 なんて美しい人なのだろう。スッと通った鼻筋に伏せられた長いまつげ。目を閉じていても気品が感じられる。以前ノックオックに見せてもらった記憶と全く変わりがない美貌はいつまでも見つめていられる芸術品に近い何かがあった。


「四大精霊は四方の陣へそれぞれ移動してくれ。ニチカ君はここで待機。そこの男は見学席だ、邪魔をするなよ」


 指示された通り精霊たちがユーナを中心とした四方に設置された陣へと移動する。彼らの魔法陣はこの中央の陣へと繋がっているようだ。


「じゃあなニチカ、ヘマするなよ」

「あ……」


 ポンと頭に手を乗せた後、見学席へと向かうオズワルドの背中を見て引き止めたい衝動に駆られる。なぜかこれが最後のような気がして――


「っ」


 何をバカなことを。頭を振ったニチカは不安な気持ちを追い出し目の前の課題へ向き直る。今からこの人を起こすのだ。精霊たちの力が集まるこの魔導球で彼女の魂を呼び出し、割れてしまった『器』の替わりへ注いで……


「って、そういえば『器』の替えは?」


 それが無ければ魂を呼び戻しても肉体へ定着させられないではないか。

 尋ねるとイニはパッと手の中に白い聖杯を呼び出した。


「ここにある、安心したまえ」


 いつだったかホログラムで見せられた時と同じ真っ白でシンプルな『器』だ。ただあの時よりも少し輝きが増しているような気がする。


「では復活の儀を始めよう」


 イニの号令がかかり、精霊たちは自分たちの成すべきことが分かっているのか目を閉じ集中し始めた。それぞれの足元の魔法陣が赤・青・緑・黄色と光り出す。


「ニチカ君は魔導球を持ってそこに立っていてくれ。しばらく時間がかかるだろうからそのままで」

「うん」


 魔導球を胸の前で捧げ持ちユーナの前でじっと待機する。四方から送られるエネルギーで魔風が発生し儀式のローブの裾をゆるやかにはためかせた。


「……喋っても平気?」

「構わんよ」


 彼の方を向けば愛おしそうな眼差しでこちらを見ている。今が切り出すチャンスだ。


「あのね、叶えてもらうお願いのことなんだけど」

「願い?」

「何でも一つ叶えてくれる約束だったでしょ。で、その、ちょっと無謀なお願いかもしれないんだけど、ここと私が居た日本、二つの世界を自由に行き来できるようにとか出来たり――イニ?」


 そこまでいった少女はおかしな事に気づいた。提案を聞いていた彼が口元を手で覆い隠しクスクスと笑いだしたのだ。


「願い、願いか。フフ、何を言ってるんだ」


 急に場の空気が変わったようだ。冷たい感覚が下から這い上がり首をきゅっと掴まれるような錯覚を起こす。


 あんなに輝いていた天空の間が急に自分の周りだけ暗くなったような、澄んだ空気がどろりと粘つき出すような……


 薄く笑った神はゆっくりと口を開き、言い含めるように告げた。


「君の願いならすでに叶えてるじゃないか」

「なに……言って」


 どういうことだと問い正したいのに声が出てこない。カラカラに乾いた口の中に舌が貼りつく。



 同時に何かを思い出しそうで、血の気が一気に引いていく。



 すでに叶えている?

(そう)

 いつ?

(この世界に来る前)

 どこで?

(あの燃え盛る居間で)

 何を?

(それは――)




「君はこの世界に来る前こう願った。







 自分という存在を最初から無かったことにしてくれ、とね」

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