85.少女、癒される。

 行商人が去っていった後、少し離れた箇所で成り行きを見守っていたウルフィがおずおずと近寄ってきた。オズワルドの視線から逃げるようにニチカの影に回り込む。


「今の人、イケニエって言ってなかった?」

「言ってたけど、何か知ってるの?」

「ううん、何も……」


 不安そうな顔をしたオオカミは、焚き火の前にペタンと伏せるがやはり話す気はなさそうだった。彼の器にスープをとってあげるがペロリと一舐めしただけでまた塞ぎ込んでしまう。オズワルドも完全無視を決め込んでいるし、沈黙がキャンプを満たす。どうしようかと口を開きかけた、その時だった。


 ゴゴゴゴ……


 突然地面が少しずつ揺れはじめ、ぐらりと大きく揺さぶられる。鍋に少しだけ残っていたスープがダイブし地面に染みを作った。

 揺れは唐突に収まった。日本で言えば震度4くらいだろうか。


「びっくりしたぁ……この世界にも地震ってあるのね」


 飛んでいった片手鍋を回収して戻ると、ウルフィがこの世の終わりのような顔でうずくまっていた。少し迷ったがそっとしておく事にする。話したくなれば自分から話すだろう。


 そして夜は静かに更けていく。夜中にふと目を覚ますと、ウルフィはジッとどこかを見上げていた。


***


「やだよぉーやだよーぉぉ、僕行かないから! 外で待ってるよぉぉ!!」


 翌朝、森の中に悲鳴が響き渡る。しっぽを掴まれたウルフィがオズワルドに引っ張られているのだ。


「往生際が悪いんだよお前は! そんなに見られたくないんならこれでも被っとけ!」

「もごっ」


 ガサッと紙袋を頭に被せられ、ウルフィはピタリと静止した。そのまま一言も発しなくなる……大丈夫か?


「ウルフィ?」

「ハッ! ニチカどこ? ぎゃう!」


 一歩踏み出そうとした彼はそのまま前転した。穴がないのでなにも見えていないらしい。とりあえず目のところに穴を開けてやるが、茶色い紙袋を被った四つ足の生き物はなんとなく滑稽で笑ってしまう。


「なんだかハロウィンの仮装みたい」

「はろうぃん?」

「おい、いい加減行くぞ」


 そして昨日の橋のところまで戻った一行は、昨日とは様変わりして――いや居ない、耳と尻尾をつけただけだ。果たしてこんなので本当にごまかせるのだろうか?

 緊張の面持ちで一行は門番たちの前に立ち並ぶ。昨日と同じように鋭い視線を向けて来た彼らは、だしぬけに口の両端を吊り上げた。


「がうがう、お前ら、初めて見る耳と尻尾だな!」


 あ、これ行ける。ニチカは直感的にそう悟った。


「そ、そうでーす。初めてでーす……」


 確かに、自分だって動物園に居るオオカミたちを見分けろと言われても無理だ。彼らにはニンゲンの顔を識別できないのだろう。それにしても?


「今日は普通にしゃべるのね?」


 うっかり口を滑らせた途端に横から脇腹を突かれる。ドスッって……ドスッて音が……相変わらず容赦のない……


「初めまして、僕たちは南からやってきた者です。こんなところにお仲間ハーゼが居るとは思いませんでしたよ、せっかくなので見学していっても良いですか?」


 歯を喰いしばるニチカの横から営業用の仮面をかぶったオズワルドが進み出る。その言葉を聞いた門番二人は顔を見合わせてコクリとうなずいた。


「もちろんさ、ニンゲンならお断りだが耳と尻尾の生えたヤツに悪いやつはいないからな」

「そーそー、昨日来たヤツらなんか、こっちがカタコトで話したら話が通じないと思ってあっさり引き返していったよ、バカだよなー」

「えぇ本当にバカですねー」


 頭を抱えられ『ぐりぐり』とされながら少女は思う。


(アンタらにバカって言われたくないわよぉぉぉ!!)


「さぁ入った入った、同胞なら大歓迎だ」

「名前は何て言うんだい?」

「僕はルドドと言います。こっちの知能の足りなそうな顔をしたのがコロロ」


 オズワルドがルドドなのは分かるが、なぜコロ……ペタコロンかそうか。


「お? あっちの紙ぶくろは?」

「動く紙ぶくろです」

「へぇぇ、外界には変わったものがあるんだなぁー」


 怒るな、怒るなニチカ。きっと彼らは一度信用したものは疑わないとても純粋な種族なのだろう。


「それにしても、昨日きたニンゲンたちと良く似た匂いだな?」

「昨日見かけて喰ったんです。その時匂いが移ったのでしょう」

「へぇぇ、見かけによらず残酷なことするな~おたくら」

(納得するなぁぁぁ!!!)


 ツッコミの性が爆発するが、口を押えられた少女はもごもごと呻くだけだった。


「じゃ、入ってくれ。村に行ったら誰かが案内してくれるよ。みんな優しいからな!」



 おっかなびっくり渡った吊り橋は存外しっかりした造りで、谷底から吹き上げる風にもビクともしなかった。しかし渡り終えた先にあるのはゴツゴツとした岩肌が殺風景な山がどこまでも広がっているばかりで、村などどこにも見あたりはしない。


「どこに村なんかあるっていうのよ」


 いっぱい喰わされたかと思って振り返るが、門番二匹はこちらに背を向けたまま真面目に警備をしている。

 引き返そうかとしたその時、数歩進んだオズワルドが右手を空中に伸ばした。すると、ある地点を境に空気中に波紋が広がる。


「目くらましの一種だな、ほら」

「わっ!」


 襟元をつかまれてアッサリ放り込まれる。一瞬周りの景色が陽炎のように揺らめいた。


 ドサッ


「ぶへっ」


 そのまま乾いた砂地に滑り込む……と思ったが、なぜか密生した草にわしゃっと受け止められる。上体を起こすと、先ほどまでの荒れた渓谷とは違う景色が広がっていた。

 なだらかに下っていく広い丘だ。季節の花があちこちに咲き、遠くの方にさきほど見えていた山がそびえ立っている。そして丘のふもとにはぽつぽつと簡素な家が建ち、中心に行くにつれて増え集落を形成している。


「ここが、テイル村? なんて不思議なところ……」


 何より目を引くのが空の色だ。先ほどまで澄んだ青空だったのに、いつの間にか薄いピンクと紫が混じり合うような色をしている。心なしかキラキラと輝いているようだ。

 まるで世俗から切り離された幻想郷のような世界を、さらにメルヘンチックにしているのは住人たちの姿だった。丘をかけまわる子供たちの頭上には、ここから見てもわかるくらいに耳が生えている。

 姿に少しバラつきがあり、犬や猫の姿そのままで走り回っているのもいれば、その姿で二足歩行している者、人間の子供の姿で頭に耳が生えている者が居る。

 見ている間に茶色の子猫がいきなり立ち上がり、煙に包まれたかと思うと5歳くらいの男の子になったので自在に変化できるようだ。


「ふーむ、どうやらこの村をすっぽり覆うように結界が張られているみたいだな」


 振り返ると、オズワルドが結界を抜けてくる。その箇所を境目にしてこちら側からは渓谷が見えるようになっていた。


「……よくも突き飛ばしてくれたわね」

「すまん、手が滑った」

「絶対わざと!!」


 大きな声を出すと、だいぶ離れたところで駆けまわっていた子供たちがビクッと反応した。一瞬こちらを大きな瞳で怯えたように見上げてきたが、ニチカたちの頭の上に耳が生えているのを見ると安心したように駆け寄ってきた。


「わーいわーい、お客さん?」

「外のおはなし聞かせてー、昨日きたおじさんも面白かったけど、もっと聞きたいの」


 わらわらと寄ってきた子供たちは悶絶するほど可愛かった。あどけない笑顔の上でケモノ耳が揺れているのも良いが、本来のケモノ姿も鼻血を噴きそうなほど可愛い。


(天使……!)


 抱きしめたくなる衝動をグッとこらえ、いつもの通り少女から接する。


「こんにちは、ちょっと聞きたいことがあるんだけど良いかな?」

「なぁーにぃ?」


 ミルクティー色の子猫が首をかしげる。なんだここは、天国か。


「あ、あのね。私たちフルルさんっていう白いオオカミを探してるの。誰か見かけた人は居る?」


 そう尋ねると彼らはいっせいに顔を見合わせた。


「フルルねーちゃん、見た?」

「僕さっき見たよ! 外から帰ってきて村の方に行ったんだ」

「何か嫌な臭いのするもの持ってたね」


 その言葉に確信を持つ。やはりディザイアを奪っていった白いオオカミはフルルという名前で間違いないらしい。

 後ろで目立たないようにジッとしていたウルフィをチラッと見る。ニチカは心の中で謝った。


(ごめんね。でもオズワルドが危険なことしないように私が見張るから!)

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