63.少女、悪夢を見る。

 あの時、霧の谷で眠りから覚めたランバールは、目の前に白いフードの少年がいる事に気づいた。彼は自分の事をファントムと名乗り、警戒するこちらに向かってこう言い放った。


 ――愛想のいいふりしているけど、ずいぶんドロドロとした感情をその仮面の下に飼っているね。どうしてわかるかって? 僕も同類だからさ


 妙な仲間意識を持たせたファントムはランバールの『両親を探し出したい』という願いをなぜか知っていた。そして言葉巧みに取引を持ち掛けてきたのである。胸元のアクセサリーをギュッと握り締めながら青年は思う。


(危険な賭けではあるけど、でもそれでも、オレは……)


 その様子を見ていたファントムは、フードから覗く口元をニタリと持ち上げ問いかけた。


「もう一度聞かせてよ、キミの願いはなに?」


 ランバールはスッと顔を上げる。その黄色い目は尋常ではない狂気と憎しみを孕んでいた。


「オレは両親を必ず探し出して、そして――ブッ殺すんだ」


 ニチカは勝手に感動的な再会をイメージしていたようだが、真意はまるで違う。本当は捨てられた時の記憶がおぼろげにあった。父親に殴られ、蹴られ、唾を吐き捨てられ、馬車から放り出された時の屈辱は今でも覚えている。手を伸ばした先で母は蔑むような目でこちらを見下ろしていた。絶望に駆られた幼い日のランバールは、その時誓った。


「オレの人生はあいつらに復讐してからようやく始まるんだ。風の精霊なんて知らない、すべてはオレが生き延びるためだけに利用しているだけだ」


 心地よい負の感情にファントムが身を震わせる。やはり情報通りこの男は使えそうだ。


「さぁ、キミの負の感情を、闇のマナに転換してごらん」


 甘いささやきと共に、取り出した握りこぶし大の魔水晶をランバールの手の甲に触れさせる。すると薄灰色だった鉱石が瞬く間に妖しい紫色に変化した。ファントムは満足そうに口の端を吊り上げる。


「『嫉妬』か。良い出来だね」


 少年の姿が背景に溶け込むように少しずつ消えていった。まだそこに居るのだろうか、鈴を転がすような声だけが居座る。


「それじゃあ後は手はず通りに。僕はこの魔水晶を仕込んでくるから、キミはゴール直前であの巫女を空から落とすこと」

「わかっている」

「じゃあね~」


 ようやく気配が完全に消えうせる。残された青年は一つ頭を振ると再び笑顔の仮面を顔に貼り付けた。明るく気さくな『ラン君』の声が工房に響く。


「さぁ~てと、オレも早いトコ調整終わらせて寝ないとね」


 だがその目だけは、決して笑っていなかった。


「でないと、両親に会えないもんな」


***


 ニチカは飛んでいた。風の里の上空をランバールお手製の特製ホウキで気持ちよく浮遊していた。


(なぁんだ、これだけ飛べるなら大丈夫そう)


 これならレースで恥を掻くこともなさそうだ。急上昇、急降下、くるっとターンして曲芸飛行もお手の物。鼻歌でも歌えそうな気分だったが、突然ミリミリっと嫌な音が響く。


「え?」


 不安を覚えた次の瞬間、乗っていたはずのホウキがパッと消えうせた。少女はまっさかさまに落ちていく。


「うそ、いや、なんで――!?」


 グングン迫る地面。ギュッと目をつむった次の瞬間――


 ドサッ


「ッ~~!!」


 背中に衝撃が走り目が覚める。窓から差し込む朝日、チュンチュンという鳥の鳴き声が現実を知らしめる。つまり落ちたのはホウキではなくベッドの上からだった。


「なんて不吉な夢なの……」


 よりによって今この夢を見ることはないだろうに。早鐘を打ち続ける心臓を押さえ、顔を洗ってシャンとする。階下に降りていくと客間のテーブルに突っ伏して眠る緑の頭が見えた。


(ラン君、何時まで頑張ってくれたんだろう)


 その横をそっとすりぬけ、となりの部屋に入らせてもらう。


***


 結局、明け方までホウキの調整をしていたランバールはただよってきた良い匂いに目を覚ました。ぼんやりとしながら上体を起こし猫のように伸びをする。隣のキッチンから出てきたニチカが軽く挨拶をした。


「おはよ、勝手だとは思ったけどお台所借りたよ」


 目の前のテーブルにコトン、と白い皿が置かれる。カリッと焼けたトーストの上には熱々の目玉焼きが乗せられ、黄身が絶妙な具合にトロけてぷるぷると揺れていた。向かいの席に同じ物を二セット用意した少女は少し首を傾けながら申し訳なさそうに言う。


「食材は後で買って戻しておくね」

「ん、いいよいいよ。オレとシルミアじゃ腐らせるだけだし」


 まともに朝食を取るなんていつぶりだろうと思いながらランバールはトーストを手に取る。この家にまだ使える食材があった事が驚きだ。あの風の精霊は料理をしない、というか食事を必要としないから。


「いただきまーす。んん~おいしいー! やっぱり出来立ては最高だね」


 ランバールは幸せそうに朝食を頬ばる少女を複雑な視線で見ていた。だが笑顔の仮面をかぶりなおすと、立てかけていたホウキを机越しに渡した。


「ほい、お待たせしました」

「わ、ありがとう。へぇ~昨日よりすごい軽くなってる」

「うん、今まで作ってきた中で最高の一本に仕上がったと思うよ」


 仕掛けの方も、と心の中で付け足す。そんなことには微塵も気づかない少女は、満面の笑みを浮かべて礼を言った。


「本当にありがとうラン君、もしかしたら優勝できるかもしれない!」


 その純粋な言葉に、ほんの少しだけ胸がちくりと痛む。自分にまだ良心が残っていたのかと驚く青年だったが、そんなことは少しもおくびにも出さずこう言った。


「センパイにも見せてきなよ。あの人夜中の三時に帰ってきてさー」

「そんな遅くに? 何してたのよ全く!」

「そりゃ色々じゃない? いやぁ~センパイも溜まってるんだなぁ」

「んなっ……!」


 ちょっと煽れば、予想通りに少女は飛び出していった。どこかホッとしながらもランバールは目玉焼きトーストをかじる。


 間違いなくおいしいはずなのに、心の内にはなぜか苦い味が広がっていた。


***


 リビングを飛び出し階段を駆け上った少女は、自分の向かいの部屋を勢いよく開ける。枠に手をかけながら乗り出し、まくし立てようとする。


「ちょっとオズワルド! あなたねっ……」


 夜遊びなんてやめろと言いかけたニチカは目を剥いた。理由は一言で説明できる。ベッドで眠りこける男の上半身が裸だったのだ。

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