29.少女、教わる。
それまで穏やかに微笑むだけだった由良姫が、少女の申し出に青ざめてすっ飛んできた。腕を掴んで小声で忠告をする。
「あなた、それがどれだけ畏れ多いことか分かっているの? よりによって四大精霊の一柱である炎帝様を使役しようだなんて!」
「使役? しえきって……えええっ?」
自分がどれだけ身の程知らずな発言をしたのか、まったくの無自覚だったニチカはパパパと手を振って否定した。
「そんな使役だなんて滅相もない! ごめんなさいっ、私この世界の常識に疎くって」
「この世界?」
「え、えっと」
しどろもどろになる少女を見ていた精霊は豪快に笑いだした。遠く響く遠雷のような笑いを収めると一度大きく頷く。
「良かろう。なにより我の面子を保ってくれた恩人の頼みだ。断るわけにもいくまい」
「本当ですか!?」
快諾して貰えた事にパッと顔を明るくするのだが、すぐに後ろから冷やかすような笑い声が飛んで来た。
「フッ、世間知らずも場合によっちゃ武器になるな」
「誰のせいよっ」
恨みがましい目で師匠を睨みつけるが、どこ吹く風で視線を逸らされてしまった。本当にもう、意図的に教えず楽しんでるとしか思えない。むくれてそちらを見ていると、炎の精霊は穏やかに尋ねて来た。
「その魔導球に?」
「あっ、はい! お願いします」
慌てて駆け寄り魔導球をその鼻先まで持ち上げる、炎の精霊がフーッと息を吹き込むような動作をすると、たちまちの内に透明だった球の中に赤い光が渦巻いた。
「わぁ……」
優しく暖かな光にうっとりとする。たえず変化する光は呼吸をしているかのように明暗を繰り返していた。
「それで我とつながる印となった。遠く離れた所でもチカラを貸せるだろう。時に少女よ――」
そこで一旦言葉を溜めた精霊は、グッと鼻面を近づけて来たかと思うと見透かすように目を覗き込んできた。
「そなた、非常に強いチカラを秘めておるな。だが心の外殻が曇りきっておる」
「え?」
「そのままでは我のチカラも十分に引き出せまい。どれ」
そう言うや否や、竜は鋭いかぎ爪のついた手をニチカの頭に乗せる。潰されやしないかと一歩引きかけた時、
「!」
世界が開けた。
例えるなら薄暗かった室内に明かりを灯したかのようだ。視界が急にクリアになり周囲がよく見えるようになる。いや、見ると言うよりは「感じる」と言った方が正しいだろうか。目の前にいる炎の精霊やたくさんの木々、足元に広がる大地……そして何より大気中に何かがきらめき出した。
「ちょうちょ?」
ひらりひらりと舞う紅い光の蝶が、炎の精霊や自分の周りに集まっている。それは指先に止まったかと思うとふわりとほどけ、少し離れたところでまた形を作った。
「精霊様、あの、これは?」
蝶はひらひらと身体の周りに、とりわけ先ほど力を分けてもらった球の周りに集まってくる。それを目を細めて見ていた竜は低く穏やかな声で話し出した。
「それはそなたらがマナと呼んでいる物。この世界に息づくすべての源であり、大いなる流れ」
「流れ?」
「何か命令してみよ」
いきなり言われて戸惑うが、ニチカは両の手のひらに集まる蝶にそっと話しかけてみた。
「力を貸してくれる?」
呼びかけに応じるように、蝶たちがボッと音を立てて火の玉に変化する。勢い良く燃えているがふしぎと熱くは無い。満足げに頷いた精霊は太鼓判を押してくれた。
「上出来だ、その力は今後そなたを守り、助けとなってくれるであろう」
「はいっ、ありがとうございます精霊様!」
「気をつけるのだぞ」
それだけを言い残し、精霊は一度燃え上がり姿を消した。
***
翌日、一行は桜花国随一の資料館へと来ていた。大きめの少し古びた建物を見上げながら男は口を開く。
「由良姫から許可は頂いている。桜花国は医療方面にも明るいからな、フェイクラヴァーの治療法も見つかるかもしれんぞ」
「本当!? よーっし、がんばるぞー!」
「ニチカすっごいやる気だねー」
「もちろん!」
ところが元気な少女の横で、オズワルドは「ふああ」とやる気をそぐようなあくびをした。あろうことかそのまま踵を返して来た道を引き返そうとする。
「まぁ、ガンバレ」
「手伝ってよ!」
まさかここまで非協力的だと思わなかったニチカは思わず男の服を掴んで止めていた。眠たげな顔で振り返った男を見上げながら前々から思っていたことをブチまける。
「この際だから言わせてもらうわ。あなた仮にも私の師匠でしょ? 私に色んなことを教える義務があると思うの!」
「……」
あからさまに「面倒くさい」という表情をした男だったが、ふと思いついたように表情を変える。
「教えるのは構わんが、お前この世界の文字を知らないだろう。教える以前の段階だな」
「それは……そうだけど」
確かにこの世界の文字がニチカは読めなかった。言葉が通じるのだから文字も読めるようにしてくれればいいのにと思ったが、誰に苦情を言えばいいのかわからないので黙りこむ。
「文字が読めなきゃこの資料室も無意味だったな。しばらくはウルフィにでも習うといい」
「えっ」
そんなわけで、ニチカは館内の日当たりの良い長机にかけながら文字を教えてもらうことになった。となりに座ったウルフィがやけに張り切って机をテシテシと叩く。
「さてニチカくん、しっかり聞きたまえよ。僕のことはウルフィ先生と呼びたまえ」
「おねがいしますウルフィせんせ……」
まさかオオカミに文字を教わる日が来ようとは。人生なにがあるか分からないものである。
「それでは書き取り開始ー!」
「ひぇぇ~」
大きな文字一覧――日本でいうところの「あいうえお表」に当たるのだろうか――それを書き取りながら、ウルフィにその文字を口頭で説明してもらうという作業を繰り返すこと数時間。意外にも勉強は順調に進んでいた。
「すごいねニチカー! 僕の数万倍おぼえがいいよ!」
「そう?」
一応謙遜しながらもニチカは奇妙な感覚にとらわれていた。元いた世界で英語を覚えるのはからっきしだったのに、この世界の言語は不思議とすんなり頭に入ってくる。
(なじみがあるような気がするのはなんでだろう)
新しく学ぶというよりは、忘れていたものを思い出すような感覚だ。見たこともない文字のはずなのに。
「まぁいいか」
なんにせよ作業が順調なのはいいことだ。しばらくすると簡単な文章なら組み立てられるまでに文字を覚えていた。
「ねぇウルフィ、ここの文なんだけど――」
「ぐかー、すぴー」
「って……」
我らが偉大なけむくじゃら先生は集中力が切れたのか、いつのまにか爆睡モードに入っていた。呆れた少女だが、窓から差し込んでくる夕陽を見てそんなに時間が経っていたのかと驚く。
「んんんーっ、私もちょっと休憩しよっと」
伸びをして立ち上がる。ふと思いついてその辺りの本棚へと向かった。背表紙をなぞりながら自分にも読めそうなものをさがす。
「あ、これなんかいいかも」
手にとったのは絵本だった。これなら子供向けだし自分でも読めそうだ。
「せいれい、の、女神、ユーナ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます