19.少女、委ねられる。
ここで話は数分前に遡る。再び惰眠をむさぼろうとオズワルドは日当たりのよい椅子に戻り目を閉じた。
(森の外に出てからというもの騒がしかったからな。こんな時でもなければおちおち昼寝もできん)
何よりも睡眠を愛する彼は、うららかな日差しを感じながら目を閉じようとした。だが、彼の安眠はゴロゴロと転がってきた何かに妨害されることになる。
「!?」
椅子ごと吹き飛ばされしたたかに背中を打ち付ける。彼の耳にとびこんできたのはもう聞きなれてしまった弟子の声だった。
「誰か助けてーっ!!!」
甲高く響き渡るニチカの悲鳴が頭にガンガン鳴り響く。我慢の限界に達したオズワルドは立ち上がると足音も荒くそちらに向かった。
「やっかましい! 俺の安眠をジャマしやがって、その口縫い閉じてやろうか!」
「オズワルド! 助けて!」
「あ?」
見ればニチカは涙目かつ半分衣服を剥かれた状態で見知らぬ男にのしかかられていた。ヒクリと顔を引きつらせたオズワルドはクルリと踵を返し、片手をあげながらその場を立ち去ろうとする。
「なんだ、その、良かったなニチカ。貧相なお前でも欲してくれる物好きなヤツがいて……」
「ちょっとどういう意味よそれ!」
「そうだ! わが后を愚弄するか!」
初対面の男にいきなり伴侶宣言をされたニチカはギョッとしたように振り仰いだ。
「なに后って! 勝手に決めないでくれる!?」
「ニチカ君! なんなのだこの男は、そなたの知り合いか? いや、そんなわけがないな、このような見るからに陰険で不健康そうななまっちょろい男など」
オズワルドは決して沸点が高い方ではない。その発言にピシッとこめかみに青スジが走る。その様子には気づかず、少女は呆れたように返した。
「いや、私としてはあなたの方が何者か知りたいんだけど……」
「まさか恋仲ではあるまいな!? どうみても私のほうが男前ではないか!」
確かに言うだけあって男の容姿はかなり優れていた。輝くサラサラの金髪にクリスタルのごとく煌く瞳。顔の造作も身体も完璧すぎてむしろ彫像のように見える。白い聖職者のような服も相まって神々しいとさえ言えた。……これまでの行いですべて台無しなのだが。
あいにくと少女の好みからは外れていたので、その美しい顔に見つめられてものぼせる事もなく気丈に言い返す。
「こっ、恋仲なわけないでしょ! それといい加減にどいてくれない? 重いんですけど!」
「目つきも悪い! 姿勢も悪い! 服のセンスもなんだ黒一色などと――」
そこまで言いかけた金髪男は、急に耳元をかすめた風に言葉を止める。一拍おいて投げつけられた椅子が少し離れたところに落下した。
飛んできた方向を見やれば、眉間にしわを寄せたオズワルドが次なる椅子を構えている。その不機嫌極まりない様子に、ようやく金髪男はニチカから離れ立ち上がった。
「ふむ、私とやろうと言うのかね」
「アンタがそいつをどうしようと勝手だが、ヤるんなら人気(ひとけ)のないとこにいってからにしろ。うるせぇんだよ」
自分の身より睡眠を優先されたことにショックを受けるニチカだったが、すぐにこういう人だったと思い出しため息をつく。ところが金髪男はどこか愉快そうに笑うと何やら腕を構えた。
「おもしろい、相手になろう」
「すぐにそこから叩き落してやる」
「ちょっ……」
一触即発な二人を止めようと少女が金髪男の服のすそを掴んだときだった。急にまばゆい光があふれ、気づくとニチカは見知らぬ白い空間の中で彼と二人佇んでいた。
「えっ……なにここ、どこ?」
どこまでも続く白い空間は見た限り壁も何もなく遠近感が狂う。とまどうニチカの傍らまで来た金髪男がフムと声をあげた。これまでのデレデレとは違い、どこか感心したような表情を浮かべている。
「無意識に亜空間に連れ出すとは君の潜在能力は期待以上のようだな」
「連れだす?」
「挨拶がまだだったか、私のことは『イニ』と呼んでくれたまえ」
ポカンとしていると男は改めてニチカに向き直った。イニ、と口の中で転がすと、どこか懐かしいような感覚が胸をつつく。ふしぎに暖かくなる胸に首を傾げていると、イニはとんでもない事を言い出した。
「何を隠そう、君をこの世界に呼んだのは私でね」
「へぇ、そうな――んなぁっ?」
サラリと重大発言をされて反応が遅れる。絶句する少女などにはお構いなしに、彼は朗らかに笑いながら事情を明かした。曰く、ニチカがなぜあの森に乱暴に叩き落されたかを。
「いやはや焦ったよ、呼び寄せたはいいが座標がなんらかのトラブルでズレたらしくてね」
「もっ、元の世界に帰してください! いや、まずはお母さんに連絡を取らせて――」
「まぁ、待ちたまえ。話を聞いてからでも遅くはないから」
……それもそうか。何か理由があって召喚されたのだろうし。
「はぁ。それじゃ、なんの目的で私を?」
率直な疑問をぶつけるとイニは手を振った。途端に地上を空からドローンで撮影したような光景が足元に映し出される。
「この世界は今、かつてない危機に瀕している」
真面目な声音で指し示す方角を見ると、あちこちの森や川が異様な紫色に変色しているところがあった。見るからに毒々しい色は本能で良くないものだと分かる。
「ホントだ……どうして?」
「間違った魔導を扱うものが増えすぎたせいで、精霊のバランスが崩れかけているのだ」
こうして見ている間にも、紫はじわじわと広がりを見せていく。遠目でもそこに生きる生物が苦しみに悶え凶暴化しているのが見えた。
「ひどい……」
その様子に心を痛めていると、真剣な声が耳を穿つ。
「今、この世界を救えるのは君しかいない。精霊の巫女ニチカ」
突拍子もない呼称に言葉に目を丸くした少女は、思わず自分自身を指して確認するように繰り返した。
「巫女? 私が?」
「あぁそうだ、君には精霊と通じることができるチカラがある」
ニチカの手を取ったイニは野球ボールより少し大きい透明な球を握りこませた。中でキラキラと光の粒子が舞っており、明らかにただのガラス玉ではないことが伺える。
「世界を巡り四大精霊のチカラをこの魔導球に集めるんだ。その時、世界は安定を取り戻すことができる」
「そ、んなこと、いわれたって」
少女は激しく混乱していた。だがイニは真剣な顔で跪き手をギュッと握る。
「お願いだニチカ君、この世界を救ってくれ」
「困るって! 私、霊感が強いわけじゃないし、そういう巫女さんの家系でもないんだけど」
本当にごく普通の一般人である自分に何ができるというのか。しかしイニは自信満々に頷いて見せた。
「問題ない! 君はまちがいなく精霊の巫女なのだから、私の目に狂いはないっ」
「だから……」
根拠は何なんだと言いたくなったが、次に続けられた言葉に心が揺らいだ。
「もちろんタダとは言わない。見事達成できた暁にはもちろん元の世界に戻れるし、私がなんでも一つ願い事をかなえてあげよう!」
一度目を見開きしばらく黙り込んでいたニチカだったが、腹の辺りに手をやりながら慎重に切り出した。
「……それって、なんでも?」
「あぁ、私に不可能はない!」
すばやく頭の天秤に『精霊の巫女』と『フェイクラヴァーズの撤去+元の世界へ帰還』の二つをかける。すぐに片方が振り切った。
「やります!」
***
イニの導きで亜空間から出たニチカはホウェールの甲板に着地する。よかった戻れたと安堵しかけたその時、いきなり飛んできた椅子が側面に辺り吹っ飛ばされる。
「うわぁっ!?」
「あ?」
投げたのはもちろんオズワルドだった。倒れ伏した少女は涙目でキッとそちらを睨みつける。
「何するのよっ、痛いじゃない!」
「お前……どこから出てきた?」
しかし、彼からしてみればいけ好かない金髪男に投げつけたはずだったのにいきなりニチカが現われたのだ。不可抗力である。
自分がどんな風に出て来たのか少女が聞こうとしたその時、何もない空間に光の線が走り、切れ目から輝く男がひょいと出てくる。
一瞬で場の状況を理解した彼は、眉を吊り上げたかと思うとオズワルドに食って掛かった。
「貴様! 我が后になんて狼藉を!」
「だから后じゃないって」
「そう恥ずかしがるのも可愛いぞ」
「ちょっとイニ、やめてってば」
真顔でツッコミを入れると見せつけるようにイニが腰を引き寄せて来る。先ほどより多少軟化したその態度にオズワルドはムッとした顔でツカツカと近寄ってきた。有無を言わせずグイッとニチカを引っ張り自分の後ろに押しやる。
「弟子が師匠の許可なく勝手にフラつくな」
「あ、あのね、オズワルド……」
何とか場を収めて説明しようとするのに、イニは口の端を吊り上げ好戦的に笑った。
「そういえば貴様とは先ほどの勝負がついていなかったな」
「てっきり尻尾を巻いて逃げ出したと思ってたんだがな」
「だから二人とも~」
いい加減にしてくれと言いかけたその時、どこからともなく間抜けな電子音が上がり甲板に響き渡る。
「……なに? この音」
皆一様に怪訝な顔をする中、一人涼しい顔をしたイニは懐から電話らしき装置を取り出し耳に当てた。
「もしもし、私だ」
「お前かよ」
しばらく装置の向こうの誰かと会話していた彼は、ふいに表情を硬くしたかと思うと何度も頷く。本当に誰と会話しているのだろう。
携帯電話(?)を切ったイニは深刻そうな顔をして佇んでいる。だがこちらに向き直ったかと思うと再びガバァとニチカを抱きしめた。
「ぎゃー!」
「すまないマイハニー、急な仕事が入ってしまった。だが案ずることはない! 私はいつでも君を見守っているからな」
「とんだストーカー野郎だな……」
あさっての方向を見ながらボソリとつぶやいたオズワルドに気を悪くするでもなく、イニはビシッと指さしながらこう宣言した。
「というわけでそこの下僕。名誉にもわが后の世話役を命ずる、傷一つ付かないように細心の注意を払いたまえ」
「誰がコイツの下僕だ。逆だ逆、コイツが俺の下僕なんだよ」
「弟子でしょ! これ以上話をややこしくさせないで!」
まるでステップを踏むように軽やかな足取りでイニはひらりと手すりの上に飛び乗る。多少芝居がかったしぐさで両手を広げたかと思うと優雅な一礼をしてみせた。
「それでは騒がせたな諸君! また会おう、ハーッハッハ!」
トンッと手すりを蹴った男は甲板の下へ消えていく。慌ててかけよるとブワァッと一陣の風が吹き上げ、金色の大きな翼がやって来た時の逆再生のように太陽の中へと消えていった。
後ろから突き刺さるような視線を感じ、ニチカはギギギと振り返る。ぎこちなく笑って首を傾げて見せた。
「……えっと、怒ってる?」
「何だったんだあいつは!」
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