16.少女、拘束される。

 駆け出そうとしたニチカは突然響いた声にギクリと動きを止める。岩影から現れたのは相変わらず仏頂面をした師匠だった。


「お、オズワルド。奇遇ね、こんな、とこで会う、ナンテ」

「何が奇遇だアホ弟子め、だれが悪魔みたいな男だって?」


 冷や汗をかきながら後ずさりする。どこから聞いてたこの男。

 固まる弟子などお構いなしに、オズワルドは巨大なホウェールを一瞥するとフンと鼻をならした。


「やはりここに居たか。職場放棄してないでさっさと仕事に戻れ。早くしないとクスリぶち込むぞ」

「待って! ホウェールは妊娠してるの、赤ちゃんを守るために姿を隠したのよ!」


 ここに来て新たに発覚した事実を伝えようとするのだが、対峙する男は冷たい眼差しのまま淡々と言い放った。


「だからどうした」

「んなっ……」

「ガキが出来ようが流れようが、仕事を全うするのが旅客機としての使命だろうが」

「なんだと!」


 いきりたったミームが立ち上がる。だがオズワルドはそちらに一瞥くれると軽蔑したかのような視線を向けた。


「ホウェールのライダーか。お前、そこのデカブツが抜けた穴を誰が埋めているのか知っているのか? 大型旅客機が輸送できなかった分を、残された小型旅客機が必死になって運んでいるんだ。夜も寝ずに。朝から晩まで。過労で倒れた機体も出始めている」

「……」

「このままいくと死人が出るな。それもこれも生まれてくるか分からんガキを優先したお前らのせい――」

「やめてよ!」


 溜まりかねたニチカが金切り声を上げる。どうしてこの男はこんな酷いことしか言えないのだろう。


「ひどいわ、生まれてくる命を尊重して何が悪いの?」

「はっ、お得意の無知が出たなニチカ。旅客機なんぞ人間側の都合でいくらでも増やせる。ただのエゴで作られたにすぎないんだよ、そのガキは」

「……」

「ど、どういうこと?」


 降り向けばミームは気まずそうな顔でうつむいていた。オズワルドが皮肉ったような笑顔のまま続ける。


「劣悪な環境に不満を持ったライダーが今回のことを仕込んだのだろう。逃げ出す大義名分のためにホウェールにガキを作らせたのさ。『それなら逃げ出しても仕方ない』と自分を正当化する為にな。お前はそれにまんまと引っかかったというわけだ」

「……ちがう」

「良かったな思わぬ休暇が取れて」

「違うッ!!」


 ミームの金切り声が洞窟に反響して消える。感情が高ぶったせいか熱をはらんだ目を爛々と光らせながら彼女は否定した。


「マリアに子供が出来たのはホントに偶然なんだ。アタシが仕組んだわけじゃない!」

「……」


 無言のまま見つめるオズワルドの視線に耐えかねたのか、わなわなと次第に震え出す彼女の目から涙がブワッと噴き出す。


「……でも、これで逃げ出せるって思ったのは……その通りかも、しれない」


 膝から崩れ落ちた彼女は消え入りそうな声でつぶやいた。


「マリアごめん、アタシ最低だ……」

「ミーム……」


 誰も、何もしゃべらない。あのおしゃべりなウルフィでさえ毛一本動かさずに立ちすくむ。


 その空気を破ったのは、ドヤドヤと入り込んで来た黒服の集団だった。


「居たぞ!」

「ゴラムさん、こちらです足元に気をつけて」


「なっ、なに?」


 驚くニチカの視界にその人物が入ってくる。はち切れそうな体型を趣味の悪い縦じまの黄色いスーツで包んだ見覚えのある男だ。革靴で足元の小石を蹴散らかしながらフゥフゥと息を切らしている。


「やれやれようやく見つけたぞ。なんだって護衛を雇ってまでこんな所まで来なくてはならんのだ」


 今回の事の発端であるゴラム社長の登場にミームがビクリと反応する。仕事の依頼主という関係であるオズワルドが朗らかに両手を広げてその一行を出迎えた。


「ご足労をおかけして申し訳ありません。社長自らの目で確かめて頂こうと思いまして。御社のホウェールはこちらでお間違いありませんか?」


 その変わり身にニチカは激昂した。一歩詰め寄り噛み付くように問いかける。


「あなたが呼び寄せたの!? この人でなしっ、事情を知ってたのなら――むがっ」


 その口をバシッと押さえつけ、オズワルドは人の悪い笑顔を浮かべた。


「どこぞで無能なひよっこがピーチク喋っているようですがお気になさらず」

「むーっ、むー!!」

「オズワルドくん、君は優秀な魔女だ。それは確かにうちのホウェールに間違いない。さっさと仕事に戻るようにしてくれ」

「仰せのままに」

「むぅっ!?」


 隙をみて反撃しようとした瞬間、オズワルドが出した黒いヒモがニチカの自由を奪う。ぐるぐる巻きにされた彼女は地面に転がされた。


「しばらくそこで見ているんだな、魔女の仕事とはこういう物だ」


 視線でウルフィに助けを求めるも、彼も主人の前とあっては自由に動けないようだ。悲しい顔をして首を横に振られる。


「や、やめろ、くるな」


 近づいてくる影のような男にミームが怯える。オズワルドはその手に注射器のような物を持っていた。


「おねがいだよ、マリアは本当に子供を大切に思ってるんだ。産ませてあげてよ、ねぇ」

「……」

「頼むから……!」

「なんだ? 何を喚いている?」


 ミームの小声の懇願に、マリアの妊娠を知らないゴラムが口を挟む。スッと目を細めた男は感情を滲ませない声でそっけなく答えた。


「さぁ、私には理解できかねます」

「ならばさっさとやってしまえ! ふひゃひゃひゃひゃこれで営業再開だ!」


 欲望のままにゴラムは高笑いをする。黄色い歯をむき出しにしてニタリと笑う様は思わず目を背けたくなるものだった。


「貴様らには散々迷惑をかけられたからなぁ、ガッツリ働いてもらうぞぉ!」

「や……いやだ」


 オズワルドの洗脳薬の針があと数センチに迫る。その時、ムリヤリもがいて猿ぐつわを外したニチカが切り裂くように叫んだ。


「やめてよ!」

「!」


 パリッと手元に小さな電流が発生し、驚いたオズワルドが注射器を取り落とす。振り向いた彼は冷たい視線を床に転がされている弟子に向けた。


「俺の邪魔をする気か?」


 ニチカはその目を真正面から見つめ返した。迷いのないまっすぐな瞳が金色に変色している。しばらくしてゆっくりと、だが迷いなく言葉を紡いだ。


「たとえ口が悪くて根性ひねくれてても、何も知らない私を助けてくれたのはあなただった」

「……」

「信じたいっていうのは、間違い?」

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