2港町シーサイドブルー

11.少女、諭す。

 港町、シーサイドブルー。半島のように突き出ている現在地と向こう岸を結ぶ交通の要所である。


 その半円状に広がる街並みを、小高い丘の上から見下ろしていた男は重いため息をついた。


「なぁ、あの街なら良い娼館があるんだが」

「用がないでしょ。私は賭けに勝ったんだから、嫌って言ってもついていきますからね」


 男のさりげない提案をニチカは満面の笑みで切り返した。前に向き直り、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で丘を降りていく。


 そう、先刻のちょっとしたゲームで、ニチカは見事にスペードのエースを引き当てていたのだ。その瞬間の男の顔と言ったら、思い出しても笑いそうになる。


 苦虫でも噛み潰していたような表情をしていたオズワルドだったが、後を追いながらついに観念したように吐き捨てた。


「あぁ、わかったよクソッ、しばらくはお前の保護者になってやる」


 そのまま彼は取り引きの条件をまとめていった。


 一つ、オズワルドはニチカに一日一回、何かしらの体液を提供すること。二つ、最低限の身の安全を保証すること。代わりにニチカはオズワルドの弟子としてできる限りの雑用は請け負うこと。


「まかせて! 私、こう見えても家事は得意なんだから」

「くそなぜだ、あのカードには確かに……」

「なに?」

「なんでもない」


 後ろからブツブツと聞こえる声に首を傾げながらも、ニチカはこれから向かう街を見下ろした。鮮やかなブルーの屋根と、白い漆喰のコントラストが目に眩しい。爽やかな潮の香りがなんとなく郷愁をくすぐる。


 絵に描いたような港町。そんな感想を抱いた少女とは別に、オズワルドはこの光景に異変を感じ取ったようだ。


「妙だな」

「何が?」

「連絡船が一つも飛んでいないとはどういうことだ?」

「飛ぶ?」


 聞き間違いかと一瞬思ったが、魔女がホウキで飛ぶ世界なのだ、船が飛んでもおかしくないのかもしれない。


 とりあえず行ってみるかということで、一行は再び歩み始めた。


***


 シーサイドブルーに足を踏み入れるなり、異様な雰囲気に包まれたニチカは息を呑んだ。街全体にピリピリとした空気がただよっていて、誰もが疲れ切った顔をしている。


「なんだかとってもイヤぁな感じ……」

「おかしいな、普段は活気にあふれた街なんだが」


 その時、何の前触れもなく後ろから元気な声が上がった。同時に後ろから伸し掛かられてバランスを崩しそうになる。


「ニチカーっ! 見て見てこんなのが売ってたよ!」

「うわっ!?」


 なんとか踏ん張って振り向けば、クセの強い茶髪の少年が人懐っこい笑顔で背中に乗っていた。小学校中学年ぐらいだろうか、目深にかぶったキャスケット帽と尖った犬歯が可愛く、キラキラとした金茶色の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。当然のことながら見覚えはない。


「だ、だれ?」

「えっ、僕だよ」


 まさかとは思いつつも、少女は先ほどから姿が見えない彼の名を口にしてみた。


「……ウルフィ?」

「あったりー!」


 そんな馬鹿な、四つ足の友人が一瞬にして人間になるなど。激しく混乱しているとオズワルドが「オオカミの姿で街を歩かせるわけにはいかないだろ」と、そっけなく呟く。


 確かに、と思っていると、ご機嫌なウルフィは尻尾でも降りそうな勢いでぎゅうぎゅうと抱きついて来た。


「ねーねー、人間になった僕どう? かっこいい?」

「う、ウルフィ、重たい……」


 子供とは言えかなりずしりと来る。なんとか逃れようとしていると、オズワルドが振り向いた。


「そういえば何が売ってたって?」

「そうだ! これ見てみてー」


 オオカミはようやく降りて懐からバサリと新聞を取り出してみせた。よく見えるようにと頭上にそれを広げて右下の小さい広告のような箇所を指して見せる。


「あのねー、この記事のねー」


 だが、ふと疑問を持った男が制止を掛けた。


「待て、お前よく金持ってたな?」

「おかね?」


 キョトンとする彼の後方、商店街の曲がり角から前掛けをかけた体格の良い男が飛び出してくる。彼は左右に視線を振っていたかと思うとこちらにピタリと視点を合わせた。その形相が見る間に鬼のようになっていく。


「くぉらぁぁぁああ!! この盗人めぇぇええ!!」

「いっ!?」


 こん棒を振り上げながら迫ってくる店主に怯むのだが――ハッとして振り向けば連れの二人はとっくに逃げ出していた。この光景に既視感を覚え思わず叫ぶ。


「またこのパターン!?」

「ウルフィてめェ! 盗るならバレないようにやれって言ったろ!」

「叱るとこ違うでしょ!」


***


 なんとか怒れる店主を巻いた一行はどこぞの路地裏に逃げ込む事に成功した。のだが、ニチカは膝に手をつきながら早くも後悔していた。


「やっぱりこの人について来たのは間違いだったかも……」


 だがあくまでもプラス思考の彼女は拳をグッと握りしめて決意する。


「いや! この性格破綻者だって更生させるのは可能なはずよ! そうよ、もしかしたら私がこの世界に落とされたのだってそれが使命なのかも」

「何を一人でブツブツ言っている」


 視線を上げればオズワルドが壁に寄りかかり堂々と盗んだ新聞を広げているではないか。その悪びれもしない態度にニチカは苦言を申し立てることにした。


「あの! 今からでも遅くないから、お店のおじさんに謝ってお金を払うべきだと思います!」

「このミジンコめ、ブタ箱にブチ込まれたいのか」

「あたっ」


 額に走った強烈な痛みに思わずよろめく。半目の男はデコピンを放った指を下ろし呆れたように続けた。


「知らないようだから教えてやるけどな、この街で万引きは市中引き回しの上、はりつけ死罪だ」

「えぇっ!?」

「とかだったらどうする、常識もないのに不用意な発言をするな」

「嘘なの!?」

「せいぜい厳重注意で罰金とられて終わりだろ。だが俺は払わない」

「やっぱり最低だーっ!」


 よくもまぁ、これだけ口が回るものである。一筋縄ではいかないと気合を入れなおそうとしたところで何かが足りないことにはたと気付く。すぐ後ろを走っていたはずの彼が居ない。


「ん? あれっ、ウルフィは!?」


 慌てて路地裏から顔を出し見回すも、あの陽気な茶色は見当たらない。一気に青ざめたニチカはうろたえ、その身を案じた。


「ど、どうしよう、もしかして捕まっちゃったのかな」

「さぁな」


 どこ吹く風で答えた男をキッと睨みつける。さきほどの忠告を忘れ、つい思ったままを口にしてしまった。


「心配じゃないの? 家族でしょう!?」


 その発言にオズワルドはすぅっと目を細めた。低く感情を抑えた声が路地裏に響く。


「あんなもの下僕だ。勘違いするな、俺に家族はいない」

「えっ……」

「行くぞ。あのバカ犬なら心配ない、この程度でくたばる様ならハナから要らん」


 その雰囲気に口を挟むことがためらわれ、ニチカは無言で後を追うしかなかった。

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