第7話 裁きの森で


「クソッタレどもが…………」


剣斗の目が覚めた時、そこには知らない天井すらなかった。

そこにあったのは、空一面を覆い隠すほどに生い茂った木々の群。その隙間から見える空は暗く、気を失ってからかなり時間が経っていることが分かった。

飛ばされたのは朝であったので、最低でも10時間は経過しているはずだ。


「裁きの森か……ふざけやがって……」


立ち上がり、体についた汚れをある程度はたきながら悪態をついた。

森の中ではあまり動き回ってはいけないという話を聞いたことがあるが、今の剣斗の頭には、そんな情報は抜け出ていた。

とにかく歩いて、思考を止めないようにする。

怒りを、憎しみを消さないように、ひたすら歩き続けた。

そうでもしなければ、諦めてしまうことは容易に想像が出来たからだ。

今の自分にあるのは、この世界に対する憎しみだけ。それが彼を生きる方向へと動かしているのだ。


「絶対に生き残ってやるぞ……死んでたまるか……」


ある意味では、彼らのおかげでここまで生きることに執着できているとも言える。その点だけを言うならば、剣斗は彼らに感謝していた。

だが、それはそれだ。必ず奴らには報復を………


「いや……今それは置いておこう……」


熱くなってきた思考を一旦断ち切り、自分が今おかれている状況を確認した。

持ち物はなにもない。

服はジヴァとの訓練で使っていた動きやすい格好で、それだけ通気性もよく、夜風の冷たさには充分すぎるほど相性が悪かった。


「そもそも、この森って出口あるのかよ…………」


裁きの森と言うのだから、もしかしなくても出口がそもそも無いという可能性の方が高い。

それよりも、この森で何もなく過ごせる可能性は相当低いだろう。

眼に映るのは木々の数々。空すらも覆うそれはどこか黒ずんでいて、よく見れば血が混じっているようだ。

恐らく、ここで死んだ者たちの血を吸った結果であろう。

ということは、確実に出血を伴うなんらかの外敵がいるということだ。


「クソ……どうする…………」


考えがまとまらない。頭が無駄な回転をして、余計なことばかりを考えてしまっている。今は生き残り、この森を抜ける事を考えることの方が先決だ。

そう前を向こうとした時、キュルキュルと腹部から情けない音が聞こえてきた。

考えてみれば、朝から何も腹に入れていないのだ。


「腹、減ったなぁ…………」


元の世界の食事が恋しくなった。

この世界の食べ物と言えば、見た目はいいのに何故か味が少しおかしかった。

炭を食べているような、下手をすれば毒でも入っていたのかもしれない。


グルルル……と、再び音が鳴った。

先ほどよりも異常なほどに音が大きい。

だが、特に空腹感は増しているわけでもなく、ただ、グルルル……とまるで獣が唸るような音がきこえる。

腹が減っては何とやらと言うが、さすがにこれは鳴りすぎである。


「一体何が…………⁉︎」


不可解に大きすぎる音に疑問符を浮かべた時、剣斗の中の本能とも呼べるものが警報を鳴らしているのを感じた。


「グルルル…………」


気がついついていた。

それが自分の腹の音ではなく、異形ものが発した唸り声であると。

そして、それが自分の背後に存在するということ。

ゆっくり。

ゆっくりと首だけを後ろに動かした。

獣臭さが強くなり、吐き気が襲ってくる。

そして、ソレと剣斗の目が合った。


「あ………………」


ギラギラと光る双眸が剣斗を捉え、人の頭くらい簡単に飲み込めてしまえそうな巨大な顎門。

その体毛は、今まで喰らってきた命によって紅く染まっている。


「あ、ああ……」

「ーーーーーーーー‼︎‼︎‼︎‼︎」


獣が吠えた。

それは、相対する者の魂すら削ぎ落とそうとする迫力を放っており、身の毛もよだつ恐怖心を剣斗に与えていた。


身体が強張り、ガチガチと歯が鳴った。

逃げなくてはいけないのに、身体が動いてくれなかった。

震えすらしない恐怖の中で、剣斗の頭の中に流れて来た映像は、こちらを見て笑う外道供の姿だった。


「ふざけんな…………」


ここで死んでしまえば、それこそ彼らの思うツボだ。

それだけは許されない。

何に、と言うわけでもないが、おそらく、彼自身の魂がそれを許さないのだ。


「クソッタレがぁ‼︎‼︎」


だから走った。恐怖心から逃げるために一目散に逃げ出した。木々が皮膚を裂き、息が上がって吐き気が襲ってくる。

きっと、ジヴァによる訓練が無ければここまで走れなかったであろう。

それくらい走った。

獣が追いかけてくるのが分かる。

それでも、出来る限りの速度を出して走り続ける。

頭に残っているのは、怒りの感情のみ。


それが原因なのか、彼の刻印が輝く。


すると、身体が先ほどより軽くなり、それと同時に力が溢れて来た。

というよりも、何かが身体を纏っていると言った方が正しいかもしれない。

踏み込んだ足が地面に亀裂を入れ、彼自身を飛ばしていく。


「はぁ……はぁ……ここまでくれば……きっと……」


息を整えながら周囲を見渡した。

そこには獣臭さも、恐怖心を煽る相貌もない。

強張っていた身体が段々と解れていき、今更ながら膝が震え始めた。

身体に纏わりついていた力が消え、一気に疲労感が襲ってくる。


例えるならば、ど素人がF-1カーに乗せられた後のような感覚だ。

吐きそうになるのを必死に堪え、覚束ない足取りで木にもたれかかった。


怒りや憎しみは消えていない。むしろ、それが強くなっている気がする。


だが、それよりも強いのは、大きな安堵だった。


なんとか生き残った。

それだけが、今の剣斗を支配していた。

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