四章【ノスタルジー&フォーサイト】ー1

                 ◇


 蒸気と歯車の音の中、時乃琉香トキノ・ルカは男を睨んだ。

 空朔望響クウザク・ボウキョウと名乗った男。その最初の印象は老いている、だった。

 外見が、では無い。髪の毛こそ老いに真白くしているが、その容貌はせいぜい中老。そもそもこの幻思論の時代、見た目で年齢を推察するのは時代遅れの行動だ。

 眼前の男は、纏う雰囲気それ自体が老いていた。


「これから話をしようというのに立たせているのも悪いね、君」


 久々に孫に出会った老爺のような口調で、空朔は琉香に話しかけた。

 琉香が睨みつけている視線の先、テーブルと椅子が床面から迫り上がって来て出現する。

 壁の機械が作動して生えて来たマニピュレータがカップを並べ、完了するのは茶会の準備。

 真鍮細工の細い腕が、器用に紅茶を注いでいく。


「座りたまえよ、君。話をするというのなら、できれば落ち着いてしたいものだ」


 警戒姿勢を崩さない琉香の前、空朔は悠々と席につき紅茶を啜る。


「毒や罠を心配しているのであれば杞憂ですよ」


 背後から響いたその声に、琉香は驚いて振り返る。

 いつの間にそこに立っていたのか、ダークスーツ姿の女性がいる。

 シニヨンに纏められた髪の毛の色は深い赤。深紅の赤髪が炎や鮮血を思い起こさせる色とすれば、彼女のはまるで紅葉を過ぎて枯れた落ち葉か。


「ここは素直に飲むべきかと。硬直したままでいるよりは、早く話を進めましょう」


 女性の言葉は正論だ。そもそも何故自分がここにいるのかも解っていない今この状況、放置するよりは把握に務める方がよほど良い。優雅に紅茶を楽しむ空朔は、それをすぐにでも語ってくれるだろうから。


「……はい」


 素っ気ない返事をして、琉香は用意された椅子を引く。そこに物理的な罠が仕込んでありそうな重さは感じられない。幻思的な罠なら解ろうと解るまいと対処出来ないだろうが。


 席につき、そこにある紅茶に視線を注ぐ。毒が混ざっているかどうかも当然視覚からは判別不能。漂って来る香りは甘いもので、緊張で乾いた喉と頭が、水分と糖分を求めて騒ぐ。


「ええい、」


 ――熱っ!

 口内と喉を焼く痛みに、琉香は大きく咳き込んだ。毒だとか罠だとかでは無く、ただの純粋な温度攻撃。

 単純過ぎるそれ故に、効果的に琉香の行動を封じる一撃だった。


「ああ。熱いだろう。感じたまえよ、君。それが本物の紅茶の熱さだ」

「ちなみに私が淹れました」


 琉香の斜め後ろで、女性が堂々とした声で言う。

 豊満な胸を張った姿を想像し、自分の発展途上と無意識に比較し追加ダメージ。


「そう、熱湯とは此の様に舌を焼くものだ。現代出回っているような幻思的加工でそれを誤摩化しているような液体は紛い物だよ。紛い物。この世は紛い物に満ちている」


 持論を語る空朔の口調は得意げだ。己が淹れた訳でもない紅茶の温度一つで何をそんなにと思う程に。

 いや、おそらく紅茶は重要では無い。それが飲料だろうと食料だろうと建材だろうと書籍や通信手段に至るまで、男は話題が何であろうとも似たような台詞を吐いていただろう。


「昔のものが、好きなんですね」


 壁一面を埋めるもの。幻思論の現代どころか、旧世界でだって時代遅れの物理機械。

 この部屋はきっと空朔望響の内面の投影だ。懐古趣味。過ぎ去った時代に対する愛好。

 彼程強くは無いけれど、琉香にもその気持ちは存在する。


 今朝の街の人波に感じたそれを、琉香はふと思い出した。

 襲いかかって来た孤独感。

 誰とも共有出来ない孤愁感。

 倒れそうになったような孤立感。

 再びぶり返しそうになったそれは、


「解ってくれるか、君。それならば話は早そうだ!」


 空朔の喜びの声に振り払われた。

 先程受けた印象とは真逆に位置する、少年のような無邪気極まる歓喜の叫び。椅子に座った状態でなければ、このままこちらの手を取って踊りだしそうなぐらいの過剰反応。

 予想外のそれに驚かされて、少し距離を取りたいと思った。


「総帥。説明をするならば順を追いましょう。時乃琉香が困っています」

「カ、カ、カ、そうだった。――そうだ。話をしよう」


 空気の変化を察した琉香は椅子を引いて姿勢を正した。

 空朔の表情が変わる。真剣の色が滲みだす。 


「そう。話をしようじゃないか、君。この世界そのものに関する、欺瞞と真実のお話を」


                 ◇



「話の前に一つ、君の疑問に答えておこう。――時乃彼岸博士は、私達が捕えている」


 まるで時間を告げるかのようにあっさりと、空朔望響はそれを言った。

 そこに罪悪感などは感じられない。そこにマイナスは読み取れない。必要だから、当然だから、意味があったからやったのだと言う感覚。信念もしくは開き直り。


「そんなに睨みつけないでくれよ、君。彼は無事だ。私達も理由があって確保したのでね。必要な存在をそう簡単に傷つけたりするものかよ。無論、それは君のこともだよ、時乃琉香君」

「さっきまでの殺人トラップで、それを信じろと言うのが無理ですが」

「予想外だったのだよ。ああ、本当に予想外だ。まさか私達が占拠した研究所に直接君が乗り込んで来るなど考えもしてなかったのだよ。だからここに連れて来て『保護』しようとした訳さ」


 白々しい上から目線で空朔は語る。予想外が本音だったとしても、琉香をここへと連れて来たのは保護なんて善意が理由では有り得まい。第一そもそもの問題、ここは一体何処なのだ。


「ここは反世界政府組織【アブラクサス】拠点、異想移動船【アドーニⅥ-Ⅱ】。

 一言で言えば動く異想領域で――現在は時乃彼岸異想領域研究所トキノ・ヒガンいそうりょういきけんきゅうじょと同一座標に停泊中です」


 琉香の疑問を察したかのように、淡々とダークスーツの女が語る。


「ビニールシートの裏側に潜む昆虫でもイメージして頂ければ近いかと。戦闘員二人がこちらの囮に注意を注いでいる隙に、空間に穴を開いて引きずり込ませて頂きました」


「説明ご苦労。さて、時乃琉香君、私達の名前は聞き覚えてくれているかね」


 琉香は首を縦に振る。

 害獣や自然災害の駆逐された新世界において、最も人に害をなすのは人間だ。

 夢想を叶える為の力を非道と我欲の為に用いる悪なる者達。その筆頭が反世界政府組織と呼ばれる集団だ。

かつて幻想と呼ばれたものを凶器に扱う、世界そのものに対する敵対者。


「そう。世界を不当に支配する者達に対する抗いの牙。真なる世界の代行者。それが我々だ」


 目の前の男は、破壊と拉致と監禁の主犯たる空朔望響は、謳い上げるようにそう言った。

 己の独善を美酒として、彼は立場に酔いしれている。


「貴方達は……何が目的なんですか」


 琉香は問う。疑問に小さな怒りを乗せて。


「街を襲って、人を攫って、一体その先に何を求めているんですか」

「求めるものか。ああ、そうさ。そうだ。物事には何であろうとも理由が要る。故にだ。これからその話をしようと言うのだよ、君」


 空朔は得意そうに唇を歪め、そこから理由を吐き出した。



「君は――【大非在化ランダマイザ】について何を知っている?」

 ――?

 琉香の脳裏に浮かんだのは、僅か一つの疑問符だった。

 この幻思論の時代、変わってしまった新世界においてそれを知らない者がいる筈が無い。

 曰く旧世界の完全崩壊。

 曰く物理法則の絶対敗北。

 曰く万物の根源たる存在率の消滅。

 忘れたくとも覚えていない、唐突に来たクライシス。


「【大非在化】によって、世界の全ては変わってしまった。

 百億人が存在を失い、惑星はその形を大きく歪ませ、物理法則の絶対性は消え去った。

 そう、”世界が変わった”というその事実だけを、人間達は認識している」


 しかし、


「”何がおきた”かについては、それを知る者はあまりにも少ない」


 それも仕方の無い事だがね、と空朔は言う。


「幻思論を理解しろ、と言うのも酷だろう。これは複雑怪奇にして奇々怪々、およそ人間が知る物理法則とは絶対断絶の先に存在する狂人の業だ。理解を投げて結果だけを享受することを選んでも責める者は誰もいまい」


 だが、


「人々はね、一つ重大な事から目を逸らさせられているのさ、君。――解るか」


 反応に困った琉香を無視して空朔のテンションはあがっていく。

 手振りは大げさに。身振りは派手に。世界に呪いを響かせるように。

 登り詰めていく興奮は最高潮に達し、そして叫んだ。


「【大非在化】とは、”何故”、”何者が”起こしたのかと言う事だ!


 我々が愛してやまなかった旧世界は、一体誰によって、何の為に滅ぼされたのか!

 ――それこそが全ての理由であり、この欺瞞の世界の秘密なのだよ」


                 ◇


「……世界?」

「規模の大きさに混乱してるのかね、君。だがしかしね、これはそのサイズの話なのだよ」


 世界。世界。世界。世界。昨日今日と琉香の前に現れる人間は、こぞってその語を使いたがる。

 流行しているのだろうか、それとも思考の前提自体が違うのか。

 幸いか不幸かは知りたく無いが、自分は祖父の知り合いとの遭遇経験から変な人間との接し方には慣れている。適当に相槌を打って向こうに思い切り喋らせておけばいいのだ。

 そう、思い切り喋らせる。出来うる限りの情報を向こうから引き出す。この手の人間は自分が抱えている事を口にしたくて仕方が無いタイプの人間だ。


 こちらが反応を返さなくとも、呼び水の一つさえあるのなら――


「考えた事は無いかね。かつて滅び今ここにあるものについて」


 向こうから、勝手に話を初めてくれる。


「【大非在化】とは、幻思論的用語で言うならば存在率の完全消滅だ。現実と幻想の区別が完全につかなくなり、物理的実体の悉くが幻想的非実体へ転化し、物理法則から時間空間の概念に至るまで、人の想像しうる範囲全てが、想像外の全てが曖昧模糊と化した大災害」


 そのような事象が、


「果たして”自然に起こりうるものだろうか”?」


 空朔は一瞬息を止め、そして告げた。


「私の仮説を言おう。【大非在化】を引き起こしたのは現【世界政府】だ」


 有り得ないと思うかね、と空朔は問う。

「彼らの原型は旧世界に存在していた研究機関でね。――君も知らない訳ではあるまい」


「――【真理学研究会】」


 祖父から聞いたその名前を、琉香は小さく口にする。

 異端理論さえも飲み込み、肥大化していった巨大研究科学機関。旧世界における英知の結晶。知識を求めた果ての果て。時乃彼岸が所属していた、異形の科学の集合地。


「そう。”彼らの研究に不都合だったから”、旧世界は滅ぼされた。

 何故なら物理法則。何故なら社会構造。何故なら資源資本。何故なら架空率。

 旧世界を構成していた万物万象全てにおいて、彼らの実験の妨げになるものだったからだ」


「…………」


「高い存在率を持った世界空間は幻思論的現象を阻害し、既に完成し切った社会構造は新しい技術を取り入れて変革するだけのスペースを持たず、俗世間と接した資本は望まぬ研究を押し付けてきて、望みを叶えさせてなるものかとあらゆる面から襲いかかる。

 故に彼ら、狂科学者達はこう考えたのだろう。世界にあるもの悉く我らの邪魔をするのなら、己が世界となればいいと」


 そしてそれを成し遂げるだけの知識が。理論が。技術が存在していたから。

 異想領域理論。時乃彼岸が、祖父が提唱してしまった新しい世界を作り上げる業。


「旧世界は素晴らしかったよ。フラスコとなりえない輝かしき混沌。生きている人々一人一人の営みが生み出した世界!」


 それが、


「消されたのだ。一夜の夢幻と変わらぬように。

 滅ぼされたのだ。砂の城が波に崩されるかのように。

 ――許す訳にはいくまい、よなぁ?」


 ぞっとした。

 この男の中では、結論は既に決定している。何を話したところで、彼は話の流れさえも強引に捩じ曲げて、その着地点へと歩むだろう。会話では無く壁を前にした確認作業。彼の言葉は悉くが旧世界への偏愛と現在世界への憎悪を語るものと機能している。


「……何故」


 思わずそんな言葉が口から出ていた。

 黙って向こうに語らせていた方がいいと解っていても、つい漏れてしまった。


「何故真理学研究会のせいだと断言できるんですか」

「それはね、私も見ていたからさ」


 空朔望響は、狂気の男は、その笑みを歪に深めて語る。


「旧世界における唯一の幻思論研究機関。君のお爺さん達の部下、研究の内情も真相も知らぬ一介の作業員としてではあるが、この私はそこにいたのさ!

 そこで行われていた計画の名前を教えよう。


 【楽園計画】。


 存在率の高すぎて幻思技術が安定しない現世の代わりに、異想領域技術を使い幻思論がまかり通る領域を作成しようという計画。神の手による旧世界の中に人の手による世界を生み出し、あまつさえ塗り替えようとするその所業。

 これが世界を滅ぼす試みでなくてなんという!」


 熱を入れて語る空朔だが、その論理は飛躍している。

 否定はできない。しかし彼の口調は最早推測と真実の区別がない。

 それを人は狂気と呼ぶ。

 琉香の背筋に震えが走る。目の前の男は、一体何を求めているのかと。


「……それで、」

 震えた声で琉香は問う。


「それで貴方は、一体何をするつもりなんですか」

「決まっているだろう、君。ああ愚問だ。愚問もいいところだ。

 しかしそうだ。そうだとも。はっきりと言おう、我らの悲願は――」


 忘れられないと言う事は呪いだ。

 記憶は美化され、思い出のセピアは輝いて、行き着く先は旧世界の神格化。

 そして夢追い人たちは何時しかこう思ったのだ。


「この幻と虚飾の世界を打ち払い、懐かしき真世界を取り戻す!」


 その瞬間、時乃琉香は何故眼前の男を老いていると感じたのかを理解した。

 老年が抱くものと言えば――妄執だ。

 爛々と輝く瞳に映すのはそれ一つ。旧世界に対する執念のみ。


「さあ、本題と行こうか時乃琉香君。君を此処へと招いた理由を見せよう」


 空朔が座る椅子の肘掛けに、小さな突起があるのを琉香は見た。

 狂気の男がそれを押す。

 周囲から響く重低音。歯車の響き。シリンダーの軋み。

 物理機械が作動して、この部屋の真の姿が顕現する。


「異想領域技術とは既存の空間の上に新しく調整された空間を用意する技術だ。だから我々【アブラクサス】はこう考えているのさ。”異想領域が存在するならば、その下に基礎となる空間が隠されている”のでは無いかと」


 ギアノイズを立てながら天井が裂けて行く。

 スチームボイスが轟いて、壁の古めかしい機器が沈んで行く。

 閉ざされた部屋が切り開かれて、背後に隠されていたものが露になる。


「【異想領域破壊装置パレットナイフ・デストロイヤー】。

 この時乃彼岸異想領域研究所が、世界政府が秘密裏に作り上げていた究極兵器。

 絵の具の層を剥ぐように、存在する異想世界を丸ごと削ぎ取る対界機械」


 開かれた空間、空朔の背後にそびえるそれは、まるで巨大な木に見えた。多様な太さのパイプが束ねられて作り上げられた異形の樹木。荘厳な響き轟かす楽器にも似ているか。

世界の終わりの音色を鳴らす、天使の喇叭の集合体。


「しかしね、この欺瞞の世界は予想以上に強固だった。旧世界を嘲笑うような強度を持つ、容易に崩せない忌まわしい世界。多くの幻思学者に協力をして頂いたのだがね、まるで楔の一つも打ち込めないのだよ」


 憎々しげに彼は語る。その目の狂気を、更に暗く昏く輝かせて。


「だからこそ時乃博士の協力を仰ぎたいのさ。この現存世界の組成を知っている人間。異想領域技術の第一人者。彼が知るそれさえ手に入れられたなら、欺瞞の世界は真実の風に吹き飛ばされ、覆い隠された真世界を曝け出してくれるに違い無いから」


 空朔は、今や世界の敵であることを宣言した男は笑う。


「だからお願いだよ、君。これを起動させる為、お爺さんを説得してはくれないだろうか?」


                 ◇


 世界を壊す。

 空朔望響の宣誓は、つまるところそう言う意味だ。

 世界は滅びるものであると一度知った今だからこそ、それは確かな恐ろしさを持って響く。


「滅ぼすのではないよ、君。とりもどすのだ。あるべき姿を、かつての過去を」


 彼はそう言うが、そもそも根拠たる理論が破綻している。

 この新世界を破壊すれば、下に埋められたかつての世界が帰って来る? 妄言であると琉香にも解る。世界は一度消滅したのだ。上書きされた訳では無い。それを空朔も語っていた。自分で自分の理屈の矛盾に気付く事すら出来ない狂気の中に、この男は捕われている。


 いや、彼も本当は解っているのかも知れない。

 解っていて尚、この手段にすがりついているのかも知れない。

 ならば返すべき言葉は一つだ。


「さあ、答えを聞かせてくれ、君。旧世界を生きた人間として、恥じない答えを返してくれ」


 空朔の出す脅迫に、琉香は応じた。


「お断りします」


 拒否の言葉を投げかけて。


「……理由は?」


 問いかける彼の動機を、琉香は理解出来るような気がしていた。

 寂しさだ。自分が知るものの全てが溶けて流れて消えてしまったと言う孤独感。

 それは共感出来るものだ。自分だって何度も抱き、ことある度にリフレインしていた。

 しかしそれでも、時乃琉香は彼を認める訳にはいかないと思う。

 何故なら彼は、自分の寂しさに耐えられず、それを世界中に押し付けようとしている男だ。

 同じ寂しさを抱いた人間として、それを認める訳にはいかないから。


 だから琉香は思いを告げる。

 紅い髪の少女のように。正義ノ味方を名乗る少年のように。

 挑発的に高らかに――


「懐古趣味の相手をする為に、世界や私のその全て、売り渡す気はありません!」


                 ◇

 

「――よく。言った」


 琉香が宣言した直後。ガラスを割り砕くような音が響いた。

 目の前の空間を割り砕いて、黒衣の自動人形がテーブルを足蹴に降臨する。


「熾遠さん!?」

「説明は。後。――掴まって」


 体温の無い腕が琉香を掴んで抱きかかえる。

 動き出そうとする彼女の背中に、空朔望響が声をかけた。


「世界政府の【機械の聖女アリスドール】か。繰り手の二人は不在かね?」

「私。一人で。充分だよ。妄念老人の相手なんて」


 声の色は常と変わりなく。しかし隠さぬ敵意を持って、乙女井熾遠は言葉を返す。

「抹殺対象ではあるけどね。しかし、しかしだ。少し話をしてみたい欲求もありはするのだよ、

【ジャスティス&スカーレット】には。旧真理学研究会の中核と真相に限りなく肉薄した者達。【大非在化】の元凶の一角よ。旧世界を直接滅ぼした人間達が、一体どう恥ずかしげも無く生きているのか。少なからず興味があるのさ」

「黙れ【アブラクサス】。私達は。そんなものじゃない。中核の周りでウロウロしていただけの人間が。

知った口を。聞かないで」


 叫ぶと同時にステップターン。

 熾遠の周囲、連続して情報窓インフォメーションが展開し、そこから銃器が出現する。

 十二の銃口と異色瞳が、空朔望響に狙いを付ける。


「おお、怖い怖い。……だがね」


 空朔が指を鳴らすと同時、虚空から滲み出て来る幽幻黒衣ブランクキャスト

 二体、四体、八体、十六、銃口の数を上回り、琉香と熾遠を取り囲む。


「依頼人を残したままで、相打ちになるのは望まないだろう、君?」


 それを確認した熾遠の反応は迅速だった。

 即座に踵を返して反転し、逃走の体勢へ切り替える。


「おや、ここから説得の続きでもしようと思ったのに邪魔するのかね」

「与太話を。琉香ちゃんに。聞かせる気は。無いよ」


 大きくふられた袖口から、握り拳サイズの球体が転がりだす。

 フラッシュ・スタン・グレネード。

 接地すると同時に炸裂して、部屋を白光で埋め尽くす。


「逃げるよ。琉香ちゃん」


 視界が真っ白く染まる中、熾遠の声が耳に届く。

 何かが爆ぜる音を合図として、逃走劇が始まった。


【NeXT】




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