第8話野生児カイン8

『昔、アフガン王が戦場に五百人の兵の派遣を要請されたが、五人だけ送った。

最強の五人で勝った。五百頭の羊より五頭のライオンがいいと』


        映画『ランボー3 怒りのアフガン』




その時、カインの視界が幾条もの銀色の光を捉えた。目を見張るような素早さで、カインが咄嗟に身を翻す。

後ろの石塀に当たって落ちたそれは、数本の針だった。

蛮人の若者が次々に飛来する銀色の針を躱し、あるいは剣で払いながら叩き落としていく。


その内にカインは辺りから、殺気が遠ざかっていくのを感じ取った。

どうやら姿の見えない敵は消え去ったようだ。カインは地面に落ちた針を拾い上げ、鈍色の光を放つ先端を見つめた。


ただの物取りなどではないだろう。明らかに熟練の暗殺者の手口だ。

カインは革袋に何本かの針を入れるとグリニーの待つ研究室へと戻った。


グリニーがカインの持ってきた針を調べると、すぐにその先端からは猛毒であるパリトキシンが検出された。

「カインよ、お主、最近になって人から何か恨みを買うようなことをしたか?」


「心当たりなら充分すぎるほどある。最初にザンボラを訪れた時に俺は酒場で十人の傭兵を撲殺した。

その次は路地裏で盗賊八人を剣で輪切りにしてやった。奴らの仲間が俺を恨んで手練の殺し屋を雇っても不思議ではない」


「なるほどな。しかし、いずれにしても注意が必要じゃぞ、カイン。だが、相手の手の内がわかったのは、

僥倖じゃったのう。敵が毒針使いなら、針を通さぬ丈夫な外套を羽織れば良い。丁度いいのがあるんじゃ。

針どころか、ナイフくらいなら簡単に跳ね返す外套がのう」


「ほう、それは面白いな」

カインが興味ありげに目を輝かせる。

「お主にやろう。着てみるが良い」

グリニーが葛篭(つづら)から取り出した黒い外套をカインに差し出す。


カインは外套を受け取ると早速羽織った。寸法も丁度いい具合だ。外套の布地はベルベットのような感触だった。

「礼を言うぞ、グリニー」

「礼などいらんさ、カインよ、その外套はお主のような戦士が着てこそ意味があるのじゃからのう」


それからカインは一旦、研究室を出た。

グリニーには傭兵や盗賊の話を聞かせたが、しかしカインは別のことを考えていた。

そうだ、あの晩に助け出した娘のことだ。老執事は他言無用とカインに言い含めた。


だが、もしかしたらあの後に気が変わって暗殺者を雇い入れたのかもしれない。あるいは他に理由があるのか。

とにかく今の段階では証拠など何一つなかった。

一番手っ取り早いのは殺し屋をひっ捕まえることだ。そして拷問に掛けて依頼者を吐かせれば良い。

そう考えるとカインは暗殺者を捕らえる作戦を練り始めた。




それからのカインは黒ヤギ亭の二階に始終入り浸っては、金に明かせて娼婦を買い漁った。

食事は下の酒場には降りずに二階の部屋まで給仕に運ばせた。

この未開人の若者は気前良く金をばらまき、娼婦や酒場の主は上客だと大層喜んだ。給仕にもカインは充分な心付けを渡した。


それから十日ほどが過ぎると、見慣れぬ給仕が部屋に食事を運んできた。

「見ない顔だな。新しい給仕か?」

饐えた麦酒と汗の匂いを胸元から漂わせた荒野の蛮人が、ベッドから重そうに腰を持ち上げる。


その傍らでは裸の女が眠っていた。三十路辺りの小太りの男がにこやかな笑みと口調で、ええ、そうですと答えた。

「そうか」

それだけ言うとカインは男の顎を殴り、昏倒させた。そして椅子に縛り上げると早速尋問を始めたのだった。


カインが男の頭に麦酒を浴びせ、目を覚まさせる。

「残念だったな。俺はこの酒場の親父に顔見知りの給仕以外、絶対に部屋に近づけるなと言い含めておいたのだ。

お前はまんまと罠にかかった。俺が馬鹿力だけの知恵足らずだと油断したか?」


カインが男の手首を掴み、裾を引き千切る。すると落ちた何本もの針が、小さな音を鳴らして床へと散らばった。

「さあ、この俺にどう言い訳するつもりだ?」

口角を釣り上げた男はカインの頬に唾を飛ばした。そしてさっさと殺せと喚いた。


「答えたくないようだな」

カインは男の親指を掴むと、無造作にへし折った。突然襲いかかった激痛に歯を食いしばり、男が身悶える。


「さあ、答えろ。答えれば命だけは助けてやる」

男の髪を鷲掴み、猛禽の如く鋭い双眸を向けてカインは問い詰めた。




白い天蓋付きのベッドで休んでいたヒズラドは、突然その頬を張られて安らかな眠りから強制的に起こされた。

「だ、誰だっ、この無礼者がっ」

まだ寝ぼけているヒズラドの頬にもう一度張り手が見舞われる。今度は流石に自分の置かれた状況を察したようだ。


「ヒズラド、この恩知らずの薄汚い犬めっ、娘を助けてやったのに良くもこの俺を殺そうとしたなっっ」

怒りに滾った両眼を真っ赤に充血させ、己を見下ろす蛮人にヒズラドは震え上がった。

暗闇の中で微動だにせず睨み据えるカインのその姿は、まるで地獄から現れた悪鬼を彷彿とさせ、ヒズラドの血を恐怖に凍りつかせた。


「ま、待てっ、待ってくれっ、あれは娘の為だったんだっ、金を渡したとは言え、お前が何かの拍子で口を滑らせるとも限らんし、

それに後々にまた金を揺すられては困ると思ったんだっ!」

ヒズラドがカインの足に擦り寄り、命だけは助けてくれと哀願する。そんなヒズラドを鬱陶しいとばかりにカインは足蹴にした。


「ふざけるなよっ、俺がそんな話で納得するとでも思っているのかっ、だとしたらお前は相当な馬鹿者だっ」

「勿論、きちんと詫びをし、金を払おうっ」

「いいだろう。それならば命だけは助けてやる。だが、命を助けてやった恩を決して忘れるなよ」


カインは再び夜陰に紛れると街中へと引き返した。

それからまた何日か過ぎたが、ヒズラドからは連絡がなく、詫び金が届けられることもなかった。

「あの時始末しておけばよかったな……」


カインは心中でそう呟くと追い縋る衛兵達を弾き飛ばし、路地を駆け抜けた。

あれからカインに逮捕状が出たのだ。罪状は貴族の暗殺未遂だった。

カインはヒズラドへの報復を誓うと下水道へとその姿を消した。

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