文鳥は間違えなかったか -Strangers on a bag- 前編

 しっかりとした睡眠、しっかりとした朝食、そして特に心や体を乱すような不幸に見舞われることもなく。

 しかし、そんなに順調に登校を完了したにも関わらず、自分の席についてスマホをいじり始めた私は……なんとなく、今日は面倒臭い1日になると、そんな予感がしたのだった。

 自分の直感ほど信じられないものはない、小池咲よ、お前はいつから直感占い専門のシャーマンガールになったのだ。そう自分に言い聞かせてはみたものの、なかなか一度ついた『嫌な予感』というものは拭えず、朝から意味もなく憂鬱な気分を抱えることとなってしまった。


 7月上旬、期末テストが終わった時期ともなれば、みんなそろそろ来たる夏休みに向けて浮足立つ頃合いであり、教室内には異様とも言える熱気が籠っている……ような気がする。

 まあ、単純に夏が来たからかもしれないが。私もさすがに、あんな太陽光を集める色のカーディガンなんか着ていられないので、半袖セーラー服に衣替えしている。

 そんな初夏のカラッと暑い日、1時間目が始まる10分前。あんまりにも暑苦しく怠くて、出歩いて話す気力がなかった私は、机に突っ伏しながら、鞄のキーホルダーをくるくるといじっていた。


 以前は筆箱につけていて、なんとなくカバンに付け直した、チワワのストラップ。

 正直、このストラップはもう捨てようと思っていた。

 中学校の友達であるアッチが、もうお揃いのストラップを外していたから、私だけ持っていても仕方がないかなと思っている。他の高校に散ったお揃い仲間たちも、もうとっくに外しているんだろうし。

 ネガティブな考えに、勝手に微妙な表情になるのを自覚する。


 そんな時、こないだの席替えで私の前の席を引いたキヨが、自分の席に鞄をどかっと下ろした。毎度のことだがギリギリの登校。

 いつも通り、あんまりやる気の感じられない無表情で、私の微妙な表情に首を傾げた。


「朝っぱらから何だよその顔。片頭痛?」

「……まぁ確かに、私、低血圧だけど」

「関係ないらしいぞ」

「えっ、マジで?」


 キーホルダーをいじりながら、目も見ずに会話をする。キヨは朝飯のつもりなのか、吸うタイプの栄養ゼリーを飲み始めているようだ。

 あんまりにも長いこと、私がくるくるとチワワを回し続けているので、興味を持ったのだろうか、キヨはそれを指差して言った。


「あれ……お前、鞄にキーホルダーなんか付けてたっけ?」

「……最近付けたんだよ。整理してたら古いの出てきて、なんとなく」

「へー。チワワか……お前猫派じゃなかったっけ?」

「そうだけど……これは友達とオソロで買ったから」

「死語だぜそれ」

「うそ? オソロが?」


 しょうもない会話をしていると、1時間目開始のチャイムが鳴った。

 汗ばんだセーラー服を、風を送り込みながらぱたぱたと正し、大きく伸びをして、カバンから教科書を取り出す。

 さて、以前なら内職とかもできたんだが、今は座席が座席だ。廊下側に近い方から2列目、前から2列目。

 スマホをいじってて見つかって、さあ指導室だ、さあ没収だ……なんてことになったらつまらないしな。とりあえず真面目に授業を受けているフリでもしとくか。

 古文の先生が入室してきて、起立の号令。

 お願いしますとお辞儀。


「はいお願いします。……えー、欠席は?」


 はあ……ダルいなぁ。欠席確認だけで授業が終わればいいのに。

 しょうもない願いに妄想を膨らませながら、私はストラップの無くなった筆箱を開けて、シャーペンを取り出した。


 初夏にしては暑すぎるような、そんな今日。

 今年初めての冷房が効きだした。



 休み時間、雉を撃ちに……いや、これは男の表現か。お花を摘みに教室を出て戻ってくる途中の廊下で、カミネを見かけた.

 3組の前で、何か考え込んでいるようだが。


「よー」

「ん、咲か。…………」


 よー、と挨拶したんだから、その2文字くらい返してほしいものだが、いかんせんカミネはちょっと面倒くさがりな節がある。

 海蔵寺神音かいぞうじ かみね。ちょっと不思議な雰囲気を纏っている、モデルみたいにクールで大人っぽい女子だ。

 体育祭のときに起きたトラブルがきっかけで仲良くなったのだが……彼女は1組所属のはずであり、10分しかない休み時間にわざわざ3組に遊びにくるようなタチでもないと思っていた。ま、勝手なイメージを押し付けるのはよくないか。


「何か用事か?」

「……まぁね。別に急ぎでもないけど」

「なんなら取り次ぐけど」

「いい。移動教室でバタバタしてるし」


 振り向いて我が3組の教室を見ると、各自テキストや保護眼鏡などを持って、教室から出て行こうとしていた。

 そうだ、次の時間は、5組と合同で科学の実験……早めに実験室に行って、各班実験の用意をしろとか言われてた気がする。


「咲ー、行こー?」

「あ、うん。今行く!」


 右手に持った私の科学の準備を振って、空乃が呼ぶ。

 私はカミネにごめん、と会釈っぽいアクションをした。行ってらっしゃいと無表情に手を振るカミネを残して、私は空乃と一緒に実験室へと向かうことにした。

 興味深そうにカミネの方を振り返りながら、空乃が尋ねてくる。


「友達?」

「うん。海蔵寺神音、カミネって呼んでる」

「そうかいそうかい。咲に友達が増えたようで、あたしゃ嬉しいよ」

「いつ私のおばあちゃんになったんだよ」



 今日の日直だった5組の百島くんと3組の前田さんが、最後の班に実験用具を運び終えたところでチャイムが鳴った。

 3組と5組の合同実験は、前半組と後半組に分けられる。

 授業の前半は、3組の半分と5組の半分が科学室で実験し、両組のもう半分は屋外での観察実験。後半はそれを入れ替える、という少々面倒なシステム。


 今日は、いつもよりちょっとだけ収容人数が多いせいか、科学室はなんだか蒸し暑い。薬品の匂いも相まって、絶対に気分が悪くなる人が出てくるだろうな……などと思いながら挨拶。先生もエアコン使用の許可が降りなかったことに文句をたらたら言いながら、授業の話をし始めた。


「酸化銅は化学式で表すとCuOやな。んで、この実験では、酸化銅からO、つまりはえー、酸化しているので、これを還元してOを取り除くわけやけど。黒部、お前いっつも寝てるけどちゃんと毎回ノート取ってんのか?」

「えっ、あー、もちろんですよ?」

「んじゃ、前回板書した、炭素粉末を用いて酸化銅を還元する際の化学反応式を答えてみ。ノート見てええから」

「あはは、元総理大臣の田中角栄氏は、辞書を食べて覚えたそうですよ?」

「成程、ノートは食べたから無いってわけか。それなら、当然覚えてるんやろな?」

「えーと、あいにくその日は体調が悪くて、吐いて戻しちゃって。また書いて食べときます」

「やかましいわ! 落語みたいなオチつけんでええねん!」


 空乃の冗談に、科学室が笑いで包まれる。先生も、呆れながらも笑っていた。

 私も遠くの席から、そのやり取りを笑う。

 そんな時、科学室のドアが開いて、けたたましい音を立てて壁に激突した。


「遅れてすいませんっス!」

「遅れましたー」


 キヨと下邨だ。

 実はこの2人、けっこうな頻度で一時限目や移動教室に遅れてくる遅刻常習犯。

 最初の方こそこっぴどく怒鳴られたりしていたが、7月ともなればある種『慣れ』のようなものができてきて、最近では無言で出席簿に遅刻の文字を刻まれるのみだ。


「遅いぞアホセット。特に下邨、お前中間テストの補充課題いつ出すつもりや? もう一学期終わるで?」

「夏休み終わったら出します」

「夏休みの課題どうすんねん?」

「冬休み終わったら出します」

「ホンマお前ら、しょーもない冗談にばっかり知恵働くな! オチつけないと気が済まんのか!?」

「そうしないと落ち着かオチつかないんで」


 ……きっと下邨は将来、どっかの落語家に弟子入りでもしてるんだろうな。扇子をヒラヒラと回す、今と変わらぬアホ面が目に浮かぶ。


 そうこうしているうちに実験概要のプリントが配られた。

 遊んでばかりもいられない、この一時限内で実験を終わらせないと、昼休みまで押してしまう。同じ班の班員と顔を突き合わせて、実験の段取りについて確認する。


「ええと、まず……酸化銅と炭を混ぜたものを、試験管に入れてゴム栓閉める、だよね?」


 実験は4人または5人1組の班で行う。

 外見に相応しい麗しい美声で、第一段階の確認を行ったのは、さっきも名前が出てきた前田小鳥さん。

 クラスの中でもひときわ美人。アイツもコイツも隣の席を狙っているんだよ、みたいなマドンナ的存在。

 かなり恥ずかしがり屋だが、キヨたち男子と一緒に恋バナしてる時に、つい『小池さんのことがタイプ』だなんて冗談を言ってしまうような、お茶目な一面もある。まさに非の打ち所がない女の子と言えるだろう。

 男言葉な上に、中学の時は裏で『鉄の女』などという可愛さのかけらもないあだ名をつけられていた私には、存在自体が眩しくて。ああ無情。


「そこまで進んだら、次は先生のところに行って石灰石を貰って来なくちゃいけない、か。私行ってくるね」


 至って控えめに、至って地味に自分の役割を確保したのは、眼鏡が印象的な田淵さんだ。

 入学したての頃からぼちぼちと話しててけっこう仲がいい私に言わせれば、田淵さんは地味であることを信条としている節がある。

 目立たないけれど、何か役割を果たせている。それが一番ベストだとでもいうような……行事ごとの時、彼女はいつもそういうスタンスを取るのだ。


「任しとけ、ガスバーナーもフラスコもアルコールランプも全部俺が用意するぜ」

「……アルコールランプはいらないけどな、これ」


 そして、この班で唯一の男子、小六智治ころく ともはる

 幾度となくフラれているものの、前田さんのことが本気で好きらしく、同じ班になったりするたびに無駄に張り切るやつ。あと、先の1学期期末テストで学年6位の好成績を収めていたりする。

 悪いやつじゃないと思う。たぶん。


「私は……そうだな、記録でもしとくよ」

「サボりめ」

「バカだな小六、私はあんたに仕事を譲ってやってるんだよ。前田さんのために働くんだろ?」

「そういう意図があったとは……気が利くな小池!」

「あはは……みんなで実験進めなきゃダメだよ?」


 前田さんが優しめに釘を刺す。言われた通り、みんなでテキパキと実験を進めることにした。他の班は、だらだらとしながらももう始めてしまっている。

 隣の実験台で作業しているキヨが、こっちの班に向かって声をかける。


「悪い、そっちの純水貸して」

「あ、はい、冬山くん」

「……おう……。あんがと」


 思いがけず3組のマドンナが反応してくれたことにたじろいだのか、キヨは微妙に歯切れの悪い返事をした。

 っていうか、純水なんか今回の実験で使うか? ……と思って見てみると、キヨは使わない試験管に意味もなく純水を流し込んでいた。幼稚園児かお前。

 溜め息を吐いて目線を戻す。チューブ付きのゴム栓を手に取って、けっこうキツイ試験管の口にはめ込むのだ。

 ゴム栓を試験管に詰めながら、ふと、前田さんに前から気になっていたことを聞いてみることにした。

 隣に寄って、小さく耳打ちする。


「ずっと気になってたんだけど……前にさ、男子含めてみんなでおしゃべりしてたとき、私のことがタイプとか言ってたことあったよな?」

「えぇっ? アレ、冗談だよ?」

「さ、さすがに分かってるよ。ただ、なんであんな冗談言ったのかなーと思って」

「……ふふ、それは察してよ」


 そう言って、前田さんはちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。

 察して、と言われても。てっきり「別に、なんとなく言ってみただけだよ」とか返されると思っていたので、こうも意味深に言われると、ひどく気になる。

 ううむ。近寄ってくる男子を遠ざけたかった、とか?

 いや、前田さんの性格的にそんなことはしなさそうだしな……。


「……あの、ちょっと? そんな真面目に考えないでよ? 気にしないでね?」

「あー悪い悪い、実験中だよな」


 とは言いつつも……滅多に冗談なんて言わない前田さんが、なぜあの場面で変な冗談を言ったのか、私は少し気になっていた。新聞部で悪いクセでもついたのだろうか、小さいことが気になって仕方がない。

 なおも気になって、記録する手を止めて考え込んでいると、前田さんは困ったように笑いながら、


「そんなに気にしなくても、近いうちに教えてあげるよ」


 なんて言ったのだった。

 どういう意味? と聞くにも聞けず、私は悶々としながら、科学の実験を班員のみんなと一緒にクリアしたのだった。



 そのときはたしか……こんな感じだった。


 クラスの男子や女子を交えて、7人か8人くらいの人数で机を囲んで話していた。

 みんなの好きなタイプの話になって、比較的恋愛にオープンな女子たちが「やっぱり最近の芸能人ならアヤノくんみたいな人かな」とか言い出した。

 話がヒートアップしてきたときに1人の男子が満を持して、「前田さんって、この中なら誰がタイプ?」と聞いた。

 前田さんはその質問に頬を紅くしながら、絞り出すようなか細い声で、「この中なら…………咲ちゃんかな」なんて答えたのだ。


 女子のみんなは面白がってそれに便乗していたが、普段前田さんがあまり冗談を言わないのも相まってか、男子連中はショックを受けたらしくしばらく黙っていたけれど。

 当事者である私もどう答えていいか分からず、「イケメン」「男前」とか言って囃し立てられるのを、赤くなって黙って聞いていた。


「……ってわけなんだけど」

「そういう話はバレンタインの時期とかにするもんだよ」


 田淵さんは、わざとらしく嫌ぁーな顔をして唐揚げをつまんだ。


 今日は空乃が食堂飯なので、田淵さんと一緒に弁当を食べることにした。

 5月上旬くらいまでは、立ち入り禁止となっているが暗黙の了解で上がることのできる屋上を、昼食の場所として利用していたのだが……ぶっちゃけ、いちいち上がるのも面倒なので、最近は私も空乃も教室で食べることにしている。

 飯を食うだけなのにわざわざ風の吹き付ける屋上に上がるなんて、よく考えたら面倒なことこの上ない。ロマンっちゃロマンだが。


「でも、私も気になるなぁ。あの前田さんが、そんな冗談言うなんて」

「だろ? 聞いてみるまでは、ただなんとなく言ってみただけだと思ってたんだけど……あんな意味深な返し方されるとな」

「あの場に好きな人がいた、とか?」

「それで冗談言ってごまかしたってことか。ありそうだな」


 こればっかりはいくら推理しても正解が分からない。人の心の問題は。

 紙パックのバナナオレを吸って、眉間に皺を寄せて考え込む。向かいに座る田淵さんも、メガネのブリッジを弄んで考え込む。

 教室のドアが静かに開いて、見覚えのある女子生徒が2冊ほどの教科書を抱えてこっちに来た。


穂鳥ほとり、教科書ありがと」

「うん。英語どうだった? いけた?」


 穂鳥、とは田淵さんの下の名前だったはずだ。

 そして、この女子……丸くてピンクがかったほっぺたの持ち主の名前は。


「桃沢さん?」

「あ、有名人の小池さん。体育祭ではどうもー」

「有名人ではないけど……うん、体育祭ではお世話になったよ」


 体育祭で起きた事件の調査をしていたとき、桃沢さんにはちょっと、いやかなり、ご迷惑をおかけした。

 あんまり気にしてないみたいだけど、いちおう私のことを、覚えてはくれてるようだ。


「桃沢さんと田淵さんって友達だったんだ?」

「そうだよ。穂鳥の好きな人も知ってるよ」

「ちょっと?」

「ごめんごめん、さっき話してたのが微妙に聞こえてさ。恋話?」

「厳密にはちょっと違うかな」


 にしても、田淵さんに好きな人がいたとは。

 なんなんだ、最近身の回りでずいぶんと浮ついた話を聞くな。かくいう私も、四六時中柿坂先輩のことばっかりだけども。


「手紙、もう出せたの?」

「飛鳥? 怒るよ?」

「あはは、ごめんってー」

「飛鳥って桃沢さんの名前?」

「そうだよ」

「いいなー、可愛い名前」

「咲、も十分可愛いと思うけどなー。ホトリって、なんか語呂があんまり気に入ってないんだよね」

「自分の名前は気に入らないもんだよ。なんか可愛いあだ名があればいいんだけど」

「あだ名……キヨみたいな?」

「ふふ。たしかに、あだ名といえばキヨくんだよね」


 冬山清志、キヨ。入学してせいぜい3か月かそこらなのに、もはや彼のことを「冬山くん」だとか「清志」だとか呼ぶ同級生は絶滅危惧種。一部の先生にもキヨ呼びが定着してきている始末である。

 たしかにああいうあだ名呼びに、ちょっと憧れたことはあるけど。でも『コイケ サキ』のどこから2文字を取ればいいんだろう。サキはもうそのままだし……コイケから2文字取って、コイ? イケ?

 ……頭の中に小学校のため池が浮かんだところで、チャイムが鳴った。


「次、体育だね」

「プール?」

「うん。平泳ぎテスト。嫌だなぁ……男子みたいに講義でいいのに」

「ああ、教室で保険の講義だっけ、男子」


 喋りながらのそのままの流れで、プールの用意を持ち、田淵さんと一緒に階段を下りて、女子更衣室に向かう。

 女子更衣室は、校舎を出て部室棟Aを渡ったところに、プールへ続く階段の横に設けられている。

 ただ、この造りが少々面倒というか、考えられていない。25Mプールの25M地点に部室棟A、0M地点に部室棟Bがあるため、部室棟Bに用事がある運動部員は、部室へ行く途中で、女子更衣室の前を通る必要があるのだ。

 この女子更衣室は、水泳の授業だけでなく、女子の水泳部でも使われている。部活動の時間になれば当然、部室に行く男子は、中で女子が着替えをしている部屋の前を通らなければならない。


「まぁ、覗こうとしているわけじゃないのは分かってるから、気にしないけど……男子からしたら、通りにくいことこの上ないでしょうね」


 そんな話を、女子更衣室に向かう途中で水泳部の小千田遼香こせんだ はるかさんに聞いてみたところ、このような答えが返ってきた。


「着替え終わってドアを開けるときも、無駄に気を遣わなきゃだし。女子にとっても男子にとってもいいことないわ。下邨みたいなスケベ野郎ぐらいしか得しないんじゃない?」

「下邨? バカな上にスケベなんだ、あいつ」

「1回、覗こうとしたのよアイツ。まぐれだー、とか、ゴカイですー、とか言ってたけど……信じらんない」


 あの下邨がねぇ……。


 話をうすぼんやりと聞きながらプールバッグを振り回していると、あっという間に女子更衣室だ。


 更衣室はオフレコだ。出てった出てった。



 今日はなんとなく面倒臭い1日になりそうであるという予感はどこへやら、特に変わり映えしない1日が過ぎようとしていた。

 本日最後の授業は、カバンを漁っていたら出てきたGPSキーホルダーをいじって過ごした。

 父方の親戚が情報系企業に勤めていて、正月の集まりの時にサンプルとして貰ったのを、ずっと忘れていた。スマホを登録すれば、このキーホルダーが発信する位置情報を拾って、キーホルダーの持ち主がどこにいるか分かるらしい。

 一緒に入っていた説明書を基に、机の下で10分ほどコソコソ操作し、無事に設定完了。ずっと使っていなかったせいだろうか、最初は位置情報がブレていたが、これならなんとか使えそうだ。

 ……もっとも、使い道なさそうだけど。

 そう自分にツッコんだところでチャイムが鳴り、私たちは座学から解放。部活の時間である。キーホルダーをポケットに突っ込み、机の中の教科書たちにお泊りを告げ(要するに置き勉である)、カバンを引っかけて教室を飛び出した。


 時刻は午後の3時半、授業が終わってすぐダッシュし新聞部の部室。比較的早く記事が仕上がったので、全員部室に揃って思い思いにだらだらと過ごしている。

 柿坂先輩は友達から借りてきたとかいうCDを片っ端からスマートフォンに入れ込んでいる。目を瞑って音楽を聴いている様も、素敵だ。

 渡良瀬先輩は、1人で棚や掃除用具入れの掃除をしている。毎回、手伝いましょうかと一応声はかけるのだが、大体「個人的に掃除好きなだけだから」と返されるのでしょうがない。


「ラスト1枚」

「えー! 咲早くない!?」

「最下位は今日1日、頭に紙袋被って過ごす刑な」

「追加ルールなんて聞いてないわよ。あ、私もウノ」

「……まぁ、どうせ最下位は確定してるからいいけどな!」

「ああ哀れなキヨ」

「…………」


 一方私たちは、カードゲームに興じていた。キヨは無表情ながらも、微妙に青い顔をしている。

 下邨がドロー4を使って青を宣言、私が偶然持っていた青のドロー2を使って対応、続く忍がなんと2枚も隠し持っていたドロー4を出したせいで、キヨは片手で広げきれないほどの手札を有している。


「……こんなことになるならいつも通り寝ときゃよかった」

「へへへ、キヨが紙袋被ってネタやるとか、普段からは想像つかねーな」

「おい、ネタやるとか言ってねーだろ」


 よし、黄色の3を出してっと。


「はい1抜け」

「うー、トランプは弱いクセに」

「咲に紙袋被せてみたかったな」

「私無愛想だし、多分あんまり変わらないよ」

「スキップ、ウノー!」

「はい、私もあがりね。一発で上がれてよかったわ」

「……こんだけ手札があって、なんで出せるのがねーんだよ……」


 先にあがって暇になった私は、カミネから借りたやたら文字の多い漫画本でも読もうかと思い立ち、ぐっと伸びをしてからカバンを開いた。

 じーっとチャックを開けると、その表層に、見たことのない便箋らしきものが。

 取り出して見てみると、真っ白な便箋には、ハートのシールが描かれている。


 ……面倒臭い1日になりそうな予感って、もしかして。


 私の鞄に忍ばせてあったものなのだから、見る権利というか、見る義務があるだろう。私は誰にも見られないように、その封を切ろうとした。


「私もあがり! 咲、何してんの?」

「えっ? い、いや、なんにも!」

「あら、何それ……え? もしかしてラブレター!?」

「忍!」


 ……カードゲームに勝てて調子に乗ってた。

 やっぱり私、今日は厄日だ。

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