#46 With All My Heart

 そろそろ本当に閉幕の時刻だ。流石にこれ以上終焉を引き延ばしたりはしない。もうイレギュラーもハプニングも発生させない。コリゴリだ。


 故に本当に最後の最期。いや、正しくは


『喜劇は終わりだ、幕を引け』と言ったのは何処の誰だったか?


 まぁ誰でもいいけどさ。これもなんとなく思い出しただけだし。真に大切なのは発言者ではなく発言内容だしね。


 何にせよ、非才で愚かな僕の描いた喜劇だか悲劇だか歌劇だか、分類がよく解らない拙い舞台は終わる。大きな歓声も盛大な拍手も感動の涙もいらない。起立しての拍手喝采スタンディングオベーションなんてもってのほか。静かに恙無い退席を推奨するし、その後一瞬で忘れてくれたってちっとも構わない。


 だって、忘れないでいてくれる人は一人、ヒトじゃないものがひとつ。

 合わせて『ふたつ』も持っている。そこが名前も知らない彼との違い。


 同じく世界から消えるという道程に居るのだとしても、この事実に僕の心は救われるし報われる。満たされる。多分それはとても素敵なことだ。


「なぁ、亜季子」


 何かに支配され、ぐったりと力無く伏している亜季子に向かって語りかける。

 その『何か』が恐怖なのか絶望なのか、その他よく分からない感情に基づいた別の『何か』なのかは、僕が知るところではない。興味はあるけど、知ったところで大きな意味を持たないから。


「亜希子、お前と過ごしたバカバカしい毎日は悪くなぁ………いや誤魔化さない。正直、本当最高の日々だった」


 些か唐突だったかも知れない。表情から察するに亜希子はイマイチ理解していないし飲み込めていない。だけど、偽りの仮面はもう要らないから。


「君にとっては違うかもしれないけれど、僕にとっては『楽しい』を百乗したって表せない素晴らしくてハッピーな人生だった。もし亜季子にとってもそうだったのなら僕はとても報われる」


 それとさ……言葉を区切り、ライターを彼女にゆるく投げる。亜希子から貰い、僕が落として彼女から投擲され再び僕の手に舞い戻った『彼』ライター

 思い起こせば、なかなかハードでタフな経験を送っているが、そんな過去カシツを微塵も感じさせない程に優しく、ふんわりとした柔らかい孤を描き、亜希子の慎ましやかな胸の前にジェントルに落ちる。我ながらナイスコントロール。


「貰った分際で悪いんだけど、返すよ。僕には不相応な良い代物だった。小傷とか結構ついちゃってるけど、これでもかなり大切にしてたつもりだから…本当にありがとうな」

「ばかぁ! 何それ? 死ぬ間際みたいなこと言わないで! 『これを僕だと思ってくれ』みたいな事を言って、ひょっとして形見にしろってこと? だったら絶対に受け取ってなんかやんない。絶対、大切になんかしない!」


 それでもいいさ。でも、嘘をもっと上手くつけるようにしたほうがいいと思うよ。

 ぎゅっと握り締めながら言っても説得力はないぜ?


―――って待て? ? それ拘束解けてんじゃん。って、あぁ分かった理解した。僕の存在が消えていっているから、僕から放出したチカラも比例して薄まるのか…。とことんリアリスティックでつまらない現実の法則。


 裂かれる猶予と零れる時間。やりたいことは迅速に。


「君と過ごす日常は何にも代え難く、ずっと続いて欲しいと思う黄金の日々だった…本当に心からそう思った。でも、それは本物だとしても間違いなんだ。僕は幸せそれを手にしてはいけない」


 二度とは還らぬ尊き過去。でもそれはもう―――


「この世に本当に、絶対的に間違っていると断言出来るものは決して多くはないけれど、『それ』だけは確実に間違いなんだよ」


 長いのか短いのかは判断できない一生のなかで、今までの素晴らしい日々カコとこれからの輝かしい時間ミライを君と一緒に生きたかった。一緒に老いて、死にたかった。


 本当に狂しいほど強く、祈る神なんか持っていない癖に切実に祈った。


「あとさ、勝手だけどシャーロットをよろしく。結構取り乱すと思うけど、何とかフォローしてやって。あ、シャーロットってのは、君を助けて、僕が血迷って消そうとしたあの銀髪で天使みたいなビジュアルの異国風巨乳なお姉さんの幽霊のことね」


 君のメンタルは僕と違って強いから表立っては錯乱しないと思うけど、彼女は多分平静を装うことすら無理だろうからね。

 でも、君と彼女は気が合うと思うんだ。最初はかなり反発しあうだろうけど、きっと他の何よりも仲良くなれる気がするんだ。根拠なんてないけどそんな気がする。


 大粒の涙を流しながら、眩い光に照らされ輝く金色の短い髪を振り乱しながら幼なじみの少女は僕の願いを拒否し、自分の願いを身勝手かつ一方的に口にする。


「知らないよ、そんなの! 私は、私にはユキ以外は要らない! 求めない! ねぇ…遺言みたいに言わないで…別に、私を見ていなくても構わない…お願い……消えないで。行かないで!」


 消えて溶けて、昇って行く僕を引き止めるように両手を突き出す。

 縋り祈るようなその姿は、僕の後ろ髪を凄い剣幕で引くけれど、お願いの一つや二つ叶えてやりたい心情に駆られるけれど、それに素直に引っ張られる訳にはいかない。


 自分の気持ちを御しながら、亜希子の発言の間違いを正す。


「ばーか。マジで気づいてなかったのか? 僕が本当に見ていたのは昔から亜季子だけだよ」


 君らの見ていた僕が漫然と見ていたのは過去の名残シャーロットだけど、それでも僕が過去から現在に至るまでずっと一貫して見続けていた女性は誰よりも長い時間を過ごした幼馴染。そう亜希子。君だけだ。


「ありがとう。君が幼なじみで…君と出会えて本当に良かった。陳腐な台詞だけどさ、でもそれ以外に言えないよ。言い表せない」


 平時の精神状態であれば、もっと上手くて気の利いたウェットに富んだ上にエスプリすらを含んだ小粋で哲学的な言い回しが出来るのかも知れないけれど、現在の僕にはこれが精一杯。


 君と出会えて、毎日を共に過ごす事が出来て本当に良かった。


 この言葉は嘘じゃない。この気持ちが嘘偽りであるはずがない。この正直な気持ちだけは何人にも偽物なんて言わせない。


「ばかぁ…何言ってんのよぉ…いかないで…」


 泣くなよ。舞台から退場し辛いだろ? 僕は自分の役を過程カタチはどうあれ、最期まで遂げた。もう用済みだ。既に用無しなんだよ。


 そりゃあ、やり残したことはないわけじゃないけど、『自己責任』やるべきこと『自己満足』やりたいことの大体は完了した。言いたいこともほとんど伝えた。


 あとは本当に消えるだけさ。それが正真正銘『最期』の役割。ちなみに再演アンコール舞台挨拶カーテンコールはありませんのであしからず。


「あぁ……あとさ、マジで最期になっちゃったけど…」


 僕の身体が大気にゆっくりと溶けて昇っていく。


 おいおい『ユキ』は空から降るもんだろう?


 逆に天に昇って行くユキとか聞いたことねぇよ。

 ということはですね、つまりは僕がその魁、パイオニア的存在になるって訳だ。いいね、限り無くシャープで悪くない。

 なんて、我ながらセンスゼロの欠片も笑えないクソにも劣る冗談ジョークだ。


「やめてよ…なにその…『最期』って…ねえ!」


 僕の遺言、散り際の一言は大雨の少女に遮られる。


 なあ亜希子、クライマックスのシーンぐらいはきちんと言わせていくれよ。主人公がシメの台詞を言えないと、盛り上がりきらないじゃないか……。


 確かにグッドなエンディングとは言えないし、脚本も演出もグダグダでイマイチだった。

 何より、この結末は完全な僕の独りよがり。自己犠牲なんて崇高かつヒロイズムな精神に基づいた終焉には程遠い、マスターベイションの自己満足。


 それに『満足』等と宣った所で、それは言葉の上だけのものだし、そもそも充分に満足した訳ではなく、腹八分目どころか半分にも満たない様な小さな小さな充足感。

 でも十分だ。僕にはこれで良いんだよ。あれば良い。充分だ。


 では改めまして…


「あのさ、こう改まって畏まるのはキャラじゃないし、慣れていないし。正直、滅茶苦茶照れ臭いし、ぶっちゃけ半端じゃなく勇気を振り絞ってんだけどね…」


 ここまで来て苦し紛れ的に、刹那を欲しての咳払い。イッツ・オーヴァー。アーユー・レディ?


「なあ亜希子、僕はさ、本当マジで僕は――――――」







 素直じゃない君も。

 真面目な君も。

 泣きそうな君も。

 笑っている君も。

 怒っている君も。

 困っている君も。

 悲しんでいる君も。

 照れている君も。

 見慣れた君も。

 知らない君も

 どんな君も。






 あらゆる君が。





――――





 見方によれば些細とも呼べる一言。

 これを言わずに消滅する訳には行かなかったんだ。





 だから、これにて閉幕。賽の河原を後にする。








 僕の未練くさりはココで切れたんだよ。

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