#30 Ultima forsan

 僕達は校庭に舞い降りた。

 比喩ではなく本当に、空中から地上へと緩やかに下り立ったのだ。


 荒れたグラウンドに飄々と立っている殺人鬼とは三度目の邂逅になる。

 行き逢った先にあったのは未知と恐怖と、そんでもって過去との遭遇つってね。


「マジかよ驚いた。公園さっきの少年か…お前は一体何者なんだ?」

「ふざけんなっ! どうでもいい」


 現状敵対する『彼』は舞い降りた僕らの目の前に立っている。一人で。

 背丈は身長一七三センチの僕よりも少し低いくらい。

 その体格は中肉中背と言うよりは、気持ち太め。


 男にしては長い黒髪だが、手入れが行き届いているようには到底見えないボサボサなナチュラルスタイル。

 外見から推測される歳は二〇代中盤から後半ってところか……って言うか、何だよ。普通に喋れるんだ。


 眼前の敵について情報を収集しながら、第一目的である幼なじみの安否を問う。


「亜季子はどうした?」


 あらゆる毛穴が開いて、全身の血液が沸騰するみたいに熱く急速に巡って行く様な錯覚。

 未だ自身を人間だと認識していることに気付いて自嘲。思考に少しの柔軟性と余裕が生まれた。


 しかし、それでも臨戦態勢は崩せない。固く握りしめた両の拳はいつでもアイツを殴れる。返答次第では即効で開戦する準備が出来ていた。


 彼はと言えば、ポケットに手を入れたまま、身体を折って不愉快に笑う。


「あせるなよ、王子様。お嬢さんは校舎の中だ。それより少し、話をしようぜ少年」

「はぁ? 何の話をだよ? 日本経済と少子高齢化社会の今後についてか?」


 とぼけながらも情報の審議に脳の処理機能を働かせる。

 こんなにも僕の頭は回るものだとは思いも寄らなかった。

 もっと以前の、別の機会に発見したかった事実。


 彼の言葉を信じるなら、亜季子は無事らしい。でも、嘘なら…。


 右手を軽く開いて、シャーロットにそっと触れる。

 これだけで意思疎通が出来るのだ、死ぬのも悪くない。なんて……


(亜季子は本当に無事だと思うか?)

(えぇおそらくは本当に校舎の中にいると思う)

(根拠は?)

(私達は思念の塊。嘘はつけないの)

(ならお前は亜季子を探しに行け)

(で、でも貴方は…)

(大丈夫、策はある)

(でも…)

(いいから行けっ!)

(…仰せのままに)


 そう言い残し、彼女は文字通り霧散した。


 しかしまあ、策はある、ね……。

 本当にあればよかったんだけど、モチロンそんなものない。

 現在の僕はと言えば、妖怪変化の類に『完全に』仲間入りしているわけじゃないから、どうやら嘘もつけるみたいだ。


 さて、どうしたものかな…。

 打開策を考えながらも彼との問答を繰り返す。


「あのお嬢さんは、お前の女か?」

「違うよ。アキは単なる幼なじみだ。彼氏彼女の関係なんかじゃない」


 とりあえず、少しでも時間を稼がなければ。

 シャーロットが亜季子を探す時間は長ければ長い程いいに決まっている。


「金髪の少女――いい女だなあ。顔は美人だし、多分性格もいいだろう。どうだ? 容姿淡麗なお前は、一回ぐらいヤッたのか?」


 下劣で薄い笑顔を浮かべ下品に腰を動かす。

 会話の内容は下世話だけど、一応成立している。

 意外にまともな会話ができているのか?


「さぁ、本当どうなんだろうね? 見た目通り、女性としての発育的には中学生と見紛う程にイマイチだし、好みのタイプじゃないけどさ、人間的にはかなりいい奴だと思うよ」


 彼は心底意外そうな表情を作り、自分の意見を独善的に述べる。


「そうなのか? もったいねぇ。俺は案外好みだぜ」


 なんだコイツ? マジで思いの外会話が成立している? 話せば分かるのか? 暴力による肉体言語なんて低俗な手段に頼らずともこの問題は解決するのか?

 なんて甘い幻想を抱いたが、それは所詮ただの儚い幻想ユメでしかなかった。


 彼は嘲る様に憎たらしく中傷わらう。


「なぁ、少年。これでも俺は結構な数の人を喰ってるんだ。この街ではまだそんなにだが、前の街では老若男女構わず喰った。手当たり次第に喰い散らかした」

「中学生的な犯罪自慢したいのならば他を当たってくれ。僕は生憎、他人の自慢話が死ぬ程嫌いなタイプの人間なんだ。なんせ、他者の武勇伝ほど退屈なものはないからね」


 辛辣な言葉にめげる様子は微塵もなく、彼は下品に笑いながら続ける。


「そう言うなよ少年。味わいから言って、控え目に見ても若い女なんて最高だぜ? 何回でも殺れる。怯える姿に華奢な体つき…何とも言えない興奮を与えてくれる。それはもうギンギンにな」


 激しい嫌悪感。

 文字通り上っ面が剥がれてきたな。


 言葉遣いは崩れているし、それに同調するように人間と同様に見えた身体も面妖な姿へと変容していく。上半身の端々に大小問わずの亀裂が入り、そこ間から目を背けたくなるような何かが這い出している。大変気味が悪い。


「さっきの発言といい、見た目通り異常なロリコンなんだな、アンタ。本当に、生理的に気持ち悪いぜ?」

「別に性癖は否定はしないが、それ以外にも数えきれないくらい喰った。本当に。その中には偉いヤツもいれば、貧しいヤツもいた。美味いヤツも不味いヤツもいた。そんな俺が、そんな俺がだぜ?」


 答えに全くなっていない上に質問を疑問形で返す彼の瞳孔は開ききっていて、その口からは泡が浮き出している。軸がブレてるみたいに動きが不規則になってきた。揺れながらも恍惚とした表情は崩れない。彼の一方的な言葉は止まらない。


「そんな俺が喰い損ねたのがお前だ! あっちゃならねぇよな? そんな事態。どっかで尻ぬぐいをしないと駄目だろうが? 失敗に成功を上乗せして、何とか帳尻を合わせねぇと…『ごちそうさま』あっての『いただきます』だろう。間違ってるか? ふざけんじゃねぇよ。主に感謝ってかぁ?」


 あぁ、コイツは本当に人間じゃないんだ。もう別の何かなんだろうな。

 全く以て理解出来ない。分かり合えない。分かり合おうとも思えない。

 話し合える気がしたけど、ただの気のせいだった。


 もし話し合いだけで全てが解決するのなら人類皆兄弟。そこにはラブアンドピースな世界が拓けている。そんな未来はそれこそ未来永劫にやっては来ないだろう。所詮夢物語でしかない。

 フィクションの世界でだってあんまり描かれることのない、誰にとっても都合のいい話。


「じゃあ、何で亜季子を襲おうとした? 僕を食い逃したから、別のものでお腹を誤魔化しましょうってか? 大した美食家だな。アンタ、いい歳こいて我慢もできまちぇんかぁ?」


 僕の挑発を受け、フラフラした動きがピタリと止まる。その醜い顔は僕の方を向いているが、瞳はせわしなく別々の方向を視ている。人体の構造上では不可能な可動域。何かを思案している様にも見える。


「あぁ…決めた。お前は調味料だ。ズタズタに切り裂いて生かす。あの女の前で消す。そんで女を喰う。決定だ。ぞくぞくする。疼きが止まらねぇ。いい加減腹も減った。おいクソガキィ、せいぜい一瞬で消えろ。メインディッシュより多い前菜なんて有り得ねぇ。しつこい味は糞だ」

「お腹こわしても知らないぞ?」


 彼の歪な焦点がこちらに合った。その姿と形相は、もう人のそれではない。

 もう衝突は避けられない。激突することに決定してしまった。


 さぁて、気持よく消えるために、頑張って存在するとしますか。

 素早く首を回し、校庭に備え付けられた大きな時計に目を向ける。

 時計の短針はアラビア数字の五を指し、長針は頂点に位置している。

 平たく言えば午前五時、僕は死ぬまで生きようと気合を入れ、ひ弱な足に力を込めた。

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