覚悟の刻
「はいよー! ハルファスー!」
はしゃぐルーミンのかけ声に、彼女の駆る馬はいななきと加速をもって応える。
彼女の馬、ハルファスとは文字通り馬が合っているらしく、ルーミンはすぐに乗りこなしていた。
「こら、ルーミン! はしゃがないの!」
そんな妹を、マーチルが並走しつつ注意するが聞きやしない。しかし、それも無理のないことかもしれない。およそ一週間歩き詰めだったのだ。馬による移動も意外に体力の消耗は激しいのだが、徒歩とは比ぶべくもない移動速度と、なにより全身に風を受けての疾走感は気分を高揚させる。その証拠に、マーチルもマーチルで叱り声は苦笑混じりだった。
「はっはっはー。赤嬢ちゃんハスファルと相性ばっちりだなー。こいつは温厚なくせしてなかなかやんちゃなんだが」
「でしょでしょー♪」
ルーミンの後ろに同乗しているイシトがのほほんと笑う。
四頭の馬と一人の新たな仲間を迎えて丸一日。イシトは人見知りしないようで、当初こそラピュセルの名に面食らっていたが、今ではすっかり馴染んでいた。ガレイル軍に未練が無いというのも大きいのだろうが、なかなかたいした順応性である。
「そっちはどうだい青姉さん。クラナスは素直だろー?」
「ええ、まあ。あと、私の名前はマーチルです」
「あー、すまん。俺人の名前覚えるの基本苦手なんだわ。おいおい覚えるよう努力するんで、しばらくは我慢してー」
「はぁ……」
飄々と言うイシトに、マーチルは呆れたような溜め息一つ。馬の名前は覚えてるくせに、人の名前はなかなか覚えられないという。ラピュセルの名前は、ガレイル軍にいた際に何度も聞いたから覚えていたらしい。
「で、姐さん。エルフィンの乗り心地はどう?」
「最高よ。とてもいい子ね、エルフィンは」
ラピュセルが跨がる白馬、エルフィン。馬術は一通り習得しているが、ここまで従順な馬には初めて出会った。
「そいつは人懐っこいからなー。大事にすればするほど応えてくれるぞ」
「言われなくても大事にするつもりよ」
現状、軍馬はとても貴重だ。まして忠実な馬はなおさらである。そうでなくとも、エルフィンはラピュセルに心を許してくれた。ならば、彼女もまた大切な戦友だ。大事にしないわけがない。
「そうしてやってくれ。で」
イシトが前へと視線を移す。その先には、先頭を走る武蔵の背があった。
「兄さん、やっぱりそいつ曲者だろー?」
「ああ。まだ時折、気まぐれに落とそうとしてくるな」
「ええっ?!」
思わずすっとんきょうな声を出してしまった。
昨日のあの、云わば乗り手を試すかのような振り落としに武蔵は耐えきった。だというのに、その黒毛馬はまだそんなことをするのか。というか、それではイシトが言っていた「楽しそうな眼」とは何だったのか。いじり甲斐のある玩具を得た子どもの眼、みたいなものだったのか。
「どうやら、昨日のあれはまだ序の口だったらしいな」
「みたいだなー。まあ、一応『乗り手』としては認めているだろうから、兄さんならすぐにでも『主人』として認識してもらえるさ」
「そいつは楽しみだ」
「それで、テンマっちー! その子の名前は決めたのー?」
黒毛馬には、まだ名付けがされていないらしい。
フランシール大陸共通の慣習として、馬の名は主人が正式に決まった際に、その主人が名付けることになっている。黒毛馬にはこれまで正式な主人がいなかったため、まだ名無しのままだった。
「考えてはいるが、まだこいつに名付けるには早いみたいだからな。もうしばらくとっておくさ」
先程のイシトとの会話通りなら、黒毛馬はまだ武蔵を主人と完全には認めていない。その状態で名付けても、黒毛馬には定着しないだろう。
「ーー皆さん、あれを!」
ふいにマーチルが声を上げた。その指差す方向に視線を転じれば、草原に突如として並び張られた多数の幕舎。そして、打ち立てられ風にはためく旗。赤と黒、金で刺繍された剣と盾の紋様が描かれたそれは、間違いなくガレイル帝国のもの。
「敵陣!?」
慌てて馬を停止させる。
不用意に近づいて見つかるわけにはいかない。だが。
「……いや、大丈夫そうだ。見た限り敵の姿は見えない」
「ほんとだー。見張りとかいないね」
ルーミンはもとより、武蔵も目はいいらしい。取り敢えずは、見つかる心配は無さそうだが。
「イシト、何故こんな場所に敵陣が?」
「んー。たぶん、例の砦を攻撃してる部隊の陣じゃないかな。俺は兵士じゃないから、詳しいことは何も聞かされてないけど」
マーチルと顔を見合わせる。
まだ味方の勢力圏だと思っていた。しかしここに到達するまでの間に、防衛線はとっくに後退していたらしい。そして今、敵陣の中に敵兵の姿が見えないということは。
「ーーはっ!」
かけ声と共に手綱を打つ。エルフィンが任せろとばかりにいななき、力強く大地を蹴った。武蔵達もすぐに追随してくる。
急がなければ砦がーー味方が危ない。
□□□□□□
数刻後
「矢が尽きるまで射ち続けろ! 下の味方の援護を絶やすな!」
アルティア王国軍ーー今となっては残党軍ーーが籠城を続ける砦、ソレイル城塞。そこは今、まさしくガレイル軍からの激しい攻撃に晒されていた。城門は突破されて久しく、城壁の下ではなだれ込んだ敵と迎え撃つ味方が入り乱れて混戦状態。
その戦場を、バゼラン・ランバード将軍は城壁の上、鋸壁の狭間から俯瞰し、絶えず命令を発し続けていた。
「伝令! 味方右翼より応援要請が来ています!」
「直接回せる兵力は無い! 上からの支援を増やしつつ、徐々に下がって中央の味方と合流するよう伝えろ!」
「左翼に敵増援! 戦線維持困難になりつつあります!」
「城門付近の味方残存部隊、包囲されました!」
「ええい! ウィルの部隊は!?」
「依然健在! しかし中央で釘付けにされています!」
「……やむを得んか。俺が出る!」
指揮官が直接戦場に立つなど、本来なら最たる下策だ。だが戦況は悪くなる一方、敵にはまだまだ余力がある。今は一兵たりとも失いたくはない。
自ら孤立し包囲された味方を救出すべく、バゼランは得物の巨大な
「ーー物見塔より報告!」
いざ出陣、というまさにその時。新たに駆け込んできた伝令兵の報告が、バゼランの歩みを止める。
「敵軍後方に、味方の一団が出現! 敵指揮官に奇襲をかけた模様!」
「本当か!?」
事実なら、それが成功すれば一気に流れがこちらに傾く。バゼランのみならず、周囲の兵達もすがるような目でその伝令兵を注視していた。
「まだ無事な味方がいたか! どこの部隊だ!?」
「はっ! その者達、いや、その方々は!」
伝令兵は、語気も荒く続けた。その事実に打ち震えているように。
「見慣れぬ者もいるそうなのですが、そのお姿は間違いなくーー王女殿下であらせられるとのこと!」
□□□□□□
「テンマ! 前衛を!」
「心得た!」
ラピュセルの指示に、武蔵は二つ返事で馬を加速させる。戦場の空気を感じてか、黒毛馬も武蔵の命令に忠実になっているようだ。
武蔵が刀を抜き、突然の乱入に足並みの揃わない敵部隊の只中に突撃する。数人の敵を轢いて弾き飛ばし、空いた隙間に馬から飛び降り、着地様に正面の敵を唐竹割りに斬り、返す刀で隣の敵を横一閃に薙ぎ払った。
「ルーミン、テンマを援護! マーチルはここから皆を護りつつ敵を減らして!」
「はっ!」
「はい!」
縦横無尽に暴れまわる武蔵を目で追いながら、マーチルとルーミンにも命令を下した。イシトはここに来る手前で降ろし、隠れさせている。
ルーミンは馬を駆って、馬上から矢を立て続けに連射。武蔵の死角に回った敵を次々仕留める。
「狼狽えるな! 囲んで押し潰せ!」
一人、少し離れた場所から馬に跨がった敵が指示を出していた。あれがこの部隊の指揮官のようだ。
「させません! 【
マーチルの周囲で視覚化された八つの旋風が巻き起こり、彼女が右手を挙げると、その動きに呼応するように空に舞い上がる。
「行って!」
言葉と共に、マーチルが挙げた右手を振り降ろす。瞬間、旋風が唸り、敵部隊へ襲いかかった。
「ぎゃああああ?!!」
無数の悲鳴が響いた。
旋風は幾重もの刃となり、鎧などまるで紙切れの如く多数の敵を切り裂いていく。
「魔導士だと!? ええい! 弓兵隊、まず奴を射て!」
マーチル、即ち魔導士の存在に泡を食い、敵指揮官はその排除を命じる。が、本来なら即座に飛び来るはずの矢が一向に放たれない。だが、それもそのはずである。
「どうした!? 早く矢を放て!」
「た、隊長! 弓兵隊、全滅しています!」
「なんだと!?」
マーチルの魔法は、包囲のために動いていた歩兵のみならず、周囲に展開していた弓兵をも巻き込んでいた。意のままに操れる魔法をマーチルが選んで放った理由がこれである。
「ぐあっ!」
ザシュッ、と。
武蔵が一振りで斬り裂いた敵が倒れ伏した。刀の血を振り払うと、その血振りすら敵の雑兵には威嚇となって、武蔵から我先に後退りしていく。
「くっ……貴様ら、何を怖じ気づいている! 戦え! 家族がどうなってもいいのか!?」
「え?」
今の敵指揮官の言葉。そのような台詞、通常配下に使うものではあり得ない。少なくとも、ラピュセルは言ったことはない。その台詞は、まるで。
「う……うおおおおおおっ!」
兵士の一人が、露骨に肩を震わせながら、恐怖を押し殺すように叫び、武蔵に斬りかかっていく。だが当然、そのような後ろ向きな剣が武蔵に届くわけもなく。金属のぶつかる高い音が鈍く鳴り響いた。
「今のは、どういうことだ」
あえて反撃しなかったのだろう。鍔迫り合いながら、武蔵はその敵兵に問いかける。
「お前……いやお前達は、脅されて戦っているのか」
「う……く……!」
依然、その敵兵は震えている。だがその震えは、恐怖以外の別の意味合いも含んでいるように感じられた。
「……承知した」
「うわっ?!」
それで察するには十分である。
武蔵は鍔迫り合いから相手を軽く押し返し、その剣を弾き飛ばす。勢いのまま尻餅をついたその兵士の横を通り過ぎ、武蔵が睨むは、馬上の敵指揮官。
「な、何をしている! 戦え! 殺せ!」
だが、誰もその命令には従わなかった。怖じ気づいているのか、それとも、従いたくなかったのか。
武蔵が一歩進む度に、周りの兵達は後退。囲むどころか、むしろ敵指揮官への道を開いていた。狼狽えだした敵指揮官に、武蔵は迷いなく歩を進める。
と。
「ーーええい! 役立たずどもが!」
怒声を上げ、敵指揮官が剣を抜いた。馬の手綱を打ち、武蔵目掛けて一直線に突っ込んでいく。
「テンマっち!」
ルーミンが矢を放った。狙いは正確で、敵指揮官に真っ直ぐ飛んでいく。
「甘いわ!」
が、命中の寸前。矢は敵指揮官に弾かれる。それだけでも、この敵が最前線の指揮官に任命されるだけの実力を有しているのだと推測できた。
「はあっ!」
剣を振り上げ、武蔵へと突っ込んでいく。武蔵は動じず、その場で迎撃の体勢を取りーーその顔に、初めて僅かな驚愕が滲んだ。
直前で敵指揮官は馬を高く跳躍させ、武蔵の体を飛び越えたのだ。着地し、そのまま振り返ることなく直進。その先にいるのは、ラピュセル。
「アルティアの王女! その首、貰い受ける!」
「ラピュセル様!」
マーチルが咄嗟に前に出る。急ぎ呪文を唱えているが、到底間に合わないだろう。
「どけい!」
「うあっ!?」
高速ですれ違い様に振るわれた剣。マーチルも剣を抜いて辛くも防いだが、その衝撃で落馬してしまった。
「マーチル!」
「次は貴様だ!」
大きく円運動をしながら、今度こそラピュセルに狙いを定めた敵指揮官。
「……はっ!」
ラピュセルもサーベルを抜き、エルフィンに突撃の指示を出した。ただ待ち受けていては、確実に勢いに押し負ける。
「うおおおおお!」
「はあああああ!」
気合いと気合いのぶつかり合い。すれ違い様、互い同時に剣を振るう。
「きゃあっ!?」
結果、ラピュセルが押し負けた。勢いが同じなら、重量のある方が有利なのは自明の理だったのだ。体が一瞬宙を舞い、直後に全身を襲う痛み。辛うじて受け身はとったものの、背中から落ちた衝撃にわずかの間呼吸が止まる。
「かはっ……!」
「ラピュセル様……!」
「ラピュセルさまー!」
マーチルがよろよろと立ち上がり呪文の詠唱を再開するも、落馬の影響か、詠唱速度が出ていない。ルーミンも敵指揮官に射撃を繰り返すが、ことごとく弾かれて当たらない。
「甘いわ小娘ども! 次で終わりにさせてもらーー」
「甘いのは貴様だ」
「ぬおっ!?」
次の瞬間、敵指揮官は落馬した。音もなく肉薄した武蔵の斬撃をまともに受けたのだ。馬上への攻撃だったせいか深くは入らなかったようだが、武蔵相手にその隙は致命的だった。
「くっ、この……!」
「動くな」
よろめきながら立ち上がる敵指揮官の喉元に、武蔵の刀が突きつけられる。詰みだ。
「ラピュセル。平気か?」
「つ……。なんとかね」
本音を言えば全身が痛いが、そんなことは今は気にしていられない。ルーミンがマーチルに肩を貸しているのを横目に確認してから、武蔵のもとまで歩み寄る。
「どうする?」
「……」
なおも忌々しげに睨んでくる敵指揮官。
問いただしたいことはあった。先程の、配下への脅しとしかとれない言葉の意味。だが、それは後でもわかるだろう。今、目前の砦では多くの味方が戦い続けている。
自分の剣に視線を落とす。落城から今日までのことを思い返す。
これまで、敵を斬ったことは幾度もある。だが実は、殺めたことは一度もなかった。武蔵と出逢った時、あのような窮地に陥ったのは、敵であっても斬り殺すことの出来なかった自身の甘さのせいだった。
あの時は、自分だったからまだいい。だが、これからはいよいよ多数の配下を従えることになる。そんな自分に甘さが残ってしまっていたら。次に窮地に陥るのは自分ではなく、多くの仲間達かもしれない。
覚悟の刻がきた。
ラピュセルは目をつむり、一度大きく息を吐き出す。
そして。
「がっ……!?」
一閃。手加減無しの、全力の一撃。
敵指揮官の胸部から鮮血が吹き出し、ゆっくりと倒れた。流れ出る血が、地面と、立ち尽くすラピュセルのブーツを赤く染めていく。
「覚悟、しかと見届けた」
「……ありがとう」
言葉にしたことは無かったが、どうやら彼は察していたようだ。
多くを語らない、ただその一言に、臆しかけた心を救われる。閉じかけていた瞼を開け、知らず俯いていた面を上げた。左手に張り付いた、肉を、命を断つ感触を、剣の柄ごと握り締め。
これよりは、前にしか道は無い。戦いが終わるまで、下を向くことは許されない。弱い自分と、それでも良かった
「ガレイル帝国の将兵達よ!」
剣を掲げ、胸を張り。
ラピュセルは凛として宣言する。
「お前達の指揮官は討ち取った! ただちにこの場より立ち去るがよい! そしてしかと目に焼き付けよ! その脳髄に刻み込め!」
いつしか戦場は静まり返り、皆がラピュセルの言葉に聞き入っていた。
「これよりは、アルティア王国唯一にして最後の王族! このラピュセル・ドレークが、お前達の覇道を阻む者であると!」
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