癒しの刻

 アラームが部屋に鳴り響く、夏休み最初の日曜日、朝6時。心優はうるさいそれを乱暴に叩く。

 モソモソとスマホに手を伸ばし、開いてみると、そこには望先輩からLINE通知が来ていた。

 相変わらず朝早いなぁ、と思いつつ、それを開くと『今日会える?』との文字が。

 え?

  ……え⁉︎

 何をおっひゃって……

 ピロリンと再び音が鳴り、また通知が。

『息抜きにどう?』

 そして、ずっと行きたかった絵画展のチケットの写真。

 一気に目が覚めた。


 ***


『朝ごはんまだだから駅前のパン屋に居るね』

『了解です! 私も朝ごはんまだなので、そこ行きますね』

 午前8時前。駅前のパン屋に入ると、パンの乗った盆を片手に持った先輩が居た。

「先輩、おはようございます」

「心優ちゃん! おはよう、忙しいのに、突然誘ってごめんね、」

「いえいえ! 丁度、原稿終わって息抜きしたかったところだったので」

「そっか、それは良かった」

 ニコッとイケメンスマイルを振りまき、レジに向かう。

「ここのメロンパン、美味しいんだよね。ついつい買っちゃうんだ」

「そうなんですか? 私はいつもこの、クロワッサンとアップルパイとラスクばかりなので……」

「俺はアップルパイ食べたことあるけど、クロワッサンはまだ無いな……」

 レジに並びながら、互いが持つ盆に乗ったパンを見つめる。

「じゃあ、このミニクロワッサン1個あげますよ?」

「え⁉︎ 本当? じゃあ、メロンパン半分こしようか」

「やったぁ♪」

 会計を済ませると、早速店の外にあるベンチに腰掛け、パンの袋を開ける。

「はい、どうぞ」

 望先輩は半分にちぎったメロンパンを差し出し、私に勧めてくれた。

 有り難く頂戴し、お礼にクロワッサンを1個プレゼントする。

「んー! おいひい! 表面カリカリだ! これは何度でもリピしたくなりますね!」

「クロワッサンも美味しいね! 俺も今度から買おうかな〜」

 あー……幸せ。

「ところで、そのチケット、どうやって手に入れたんですか? かなり人気で即完売したって……」

「町内会の抽選で弟が当ててきたんだけどね、」

「えっ⁉︎ 弟いるんですか⁉︎」

「うん」

 望先輩の弟だから、身長デカイんだろうな。中学生くらいかな、うん、それだったら私、身長絶対抜かされてるな。

「あのくじ運はほんと凄いよ」

「そうですね〜」

 中学生……デカイ中学生……身長170は超えていそうだな……。

「よしっ! そろそろ行こうか!」

「はっ、はいっ」

 先輩が笑いかけてくれたので、笑い返してみたが、彼ほど爽やかな笑顔にはならなかった。このガチガチに硬い表情筋が憎いっ。


「おおっ……凄い行列だね、」

「そ……そうですね……」

 この炎天下の中で並ぶのか……と思うと少し億劫になる。

「これは……仕方ないね、頑張ろう」

「折角のチケット、無駄に出来ませんからね!」

 と言ったは良いが、熱中症で倒れそうで怖い。ペットボトル1本は所持しているが、一瞬で飲み干すか、蒸発するかのどちらかだ。


「心優ちゃん、」

 並び始めて10分が経過した頃、先輩に名前を呼ばれたので振り返ると、突然、スポーツタオルがフワッと頭上に降ってきた。

「熱中症予防ね、」

 彼は優しさ溢れる笑みを浮かべて私の頭をポンポンと撫でると、またリュックを漁り始めた。

「あれ、」

 一瞬、彼の手が止まり、

「タオルもう一枚持ってきたと思ったのになぁ……」

 いや、タオル持ってきすぎでしょ。

「仕方ないか……」

 そう言うと彼はリュックを頭に乗せ、日を避けようとした。

 絶対意味ないって。変な人に見えるって。テレビの取材来てたら絶対撮られるやつだからこれ。

「……先輩、い、一緒に被ります?」

「え……?」

 ポカンとした彼の表情は、神なのか!と言っているように目が輝いている。

「ど、どうぞ」

 いや、タオル借りてる時点でこんなこと言える立場じゃないんだけどね。

 と思いつつ、彼の頭にタオルを被せる。

 しかし、身長差のおかげでタオルが落ちて来てしまう。

「うわぁっ……」

 身長差を痛感。すると、先輩は少し屈んでその身長差を少なくしようと試みる。

 かっ顔が近いって…いや、他の人からみたらそうでもないかもしれないけどっ、いつも先輩の顔は私の頭上にあったから、急に近くなると焦ってしまう……。

 なんとなく、落ち着かないので顔を背けると、先輩は蚊の鳴くような声で呟く。

「余計に熱中症になりそうだな……」

 そして、更に小さな声で

「心が」

 え⁉︎ なにそれ、どういう意味⁉︎ 心が熱中症って、あの、アレですか、アレ。

「あ、暑いですね、」

「う、うん」

 なぜか気まずい沈黙。

「せ、先輩、」

「……何?」

「あの、試合……応援、行きますから、が、頑張ってください、」

 話題がそれしか思い浮かばなかった。

 いつも小説書いてるから発想力は人一倍だと思っていたが、会話となると難しい。

「うん。……スリーポイント5本決めてやるよ」

 彼はそう言って笑い、ガッツポーズをした。

「心優ちゃんも、イベント、頑張ってね。もう少しなんでしょ?」

「え、なんで知って……」

 イベント、とは、年に一度の小説家が集うイベントのことなのだが、私は今年初めてそれに招待されたのだ。

「いや、俺もOWLさんのファンの1人だから。俺、部活無かったら行くね」

「え、そんな、」

「俺だって、心優ちゃんのこと応援したいし」

「……あ、ありがとうございます」

 応援したい、なんて直接言われるのって、なんか照れるな。

 自分の持っているサイトでたくさんコメントをくれる人は居ても、直接言われることなんてまず無い。多分、今、私は、顔が赤いに違いない。

「で、サインは決まったの?」

「いや……なかなか……」

 イベント決定の知らせが水澤さんから届いた時、専用垢で呟いたのだが、サインというものを持っていないのだ。

 サイン会なんてものがあると聞いて、水澤さんに慌てて相談したのだが、

『え、サイン持ってないの?』

 と、拍子抜けされた。挙げ句の果てに

『OWLって書くだけじゃダメなの?』

 と言われてしまった。

 いやいや、サインって言ったら、芸能人みたいに、文字の原型を留めていないような、象形文字っぽいアレでしょう! ああいうの書くの憧れないんですか⁉︎

 と聞いてみたが、首を傾げられてしまい、そのままサインについては何もアドバイスを貰えず……。仕方がないので自力で考えているが、さっぱり思い浮かばないのだ。

「そっか……でも、あまり考えすぎるのも良くないよ? 俺も良くあるんだ。バスケのこと考えすぎて、たまにわからなくなる。だから心優ちゃん、もっと力抜いて良いと思う」

 そう言って彼は微笑み、私の頭をそっと撫でた。

 本当に、先輩と一緒にいると、癒される。今日は先輩に誘われて本当によかった。

 と心から思う。

 今度お礼しなくちゃ。

 私は笑い返し、半分ほど進んだ列の先に見える建物に目をやった。

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