4.大波乱の年明け

「だから! むなしい片想いには今年中にケリをつけようと、二人で約束したんだ!」

 参拝所に向かって動きだした人波に、のまれてしまわないように必死に避けながら、私は繭香と額を突きあわすようにして話した。


「なんで、そんなこと!?」

 その場で突っ伏してしまいそうな気持ちを必死に堪えて、縋るように繭香の両腕を掴む。


「なんでって……いつまでもダラダラと引きずっているのが嫌だったからに決まっているじゃないか! 自分自身も……そんなあいつを見てるのも!」

「そ、そう……そうだね……」

 確かに繭香の言うことには一理ある。


 年が変わるのをきっかけに、今までの自分から新しい自分に生まれ変わるなんて、理想の年明けだ。

 うらやましくさえある。

 だけど――。


(それに巻きこまれた人間はどうなるのよー!)

 私は貴人の告白にかなり驚いた。

 心底ビックリした。


 おかげで、一番に「あけましておめでとう」を言って、今年こそ少しは素直に接しようと思っていた諒に、また背中を向けてしまった。


「繭香……でも私ね……」


 貴人の想いは嬉しい。

 嬉しいけど、こんな時でも私が一番に考えてしまうのは、やっぱり諒のことだ。 

 貴人の気持ちを知っても、それはきっともう変わらないと伝えようとした私を、繭香がごくごく至近距離で睨んだ。

 

 大きな瞳のあまりの迫力に、冗談じゃなく本当に心臓が止まる。

「気づいてなかったわけじゃないだろ? 貴人のこと……今まで考えないようにしてただけだろ……?」

 図星を指されてドキリとした。


 何事にも完璧で、あんなに素敵な貴人が、なんだか自分に好意を示してくれている?

 ――それは、私が彼と親しくなってすぐの頃から、感じていたことだった。


 始めは気のせいかと思った。

 自意識過剰だとも思った。

 でも彼が見せてくれる優しさは、本当に何度も何度も私を救ってくれた。

 自然と惹かれていきそうになった自分がいたのも嘘じゃない。

 だけど――。


「ただ……私のことを考えて、気づかないフリしてただけだろ?」

 他ならぬ繭香にそう尋ねられて、二の句が告げなかった。


 確かに――貴人のことを考えると、いつも真っ先に繭香の顔が浮かんでしまっていたのは本当だ。

 どう見たって貴人のことを好きな繭香の気持ちを、私はやっぱり、一番に考えずにはいられなかった。


「貴人は、私と琴美が似てるっていうけど……お前たちだってよく似てる。他の人間の気持ちばっかりで、自分のことはあと回しなところなんかそっくりだ! でも私は、それが嫌だった。自分があいつの邪魔をしてるみたいで……これまで散々お荷物になってきたんだから、そろそろ卒業しなきゃって、私だって思っていたんだ!」

 私の顔を真っ直ぐに見つめたまま、繭香が告げる言葉にドキドキする。


「琴美……早坂が佳世と仲良くしてる姿を見て、どう思う?」

「えっ……?」

 急に思いがけない方向に話が飛んで、とまどいいながらも私は自分の心にそっと問いかけた。


「最初は、ちょっと複雑な思いもあったけど……今は嬉しいよ。自分じゃひき出してあげれなかった渉の素敵な面とか……ああ、佳世ちゃんの前じゃああなるんだな……なんて知って、私も嬉しくなる……」

「同じだ」

 繭香が目の力をほんの少し緩めて、小さく笑った。


 それはいつもの、妙な特徴のある不気味な笑い方ではなくて、ほんとに見るからに美少女然とした、あまり私が見たことのない笑顔だった。

「私もあいつの新しい顔が見てみたい。琴美と一緒にいることで、どんなふうに変わっていくのか。今はそれを見てみたいんだ」


「繭香……」

「私のことなら心配いらない。あいつより先に、約束どおり告白して、キッパリとフラれた。繭香は大切な妹みたいに思ってるなんて……そんなこと、わざわざ言われなくたって、ずっとわかってたことだ」

「…………」


 なんと声をかけたらいいのかわからなくて、俯く私の頭上から、とても失恋直後とは思えない繭香の覇気のある声が降ってくる。

「いいんだ。おかげで吹っ切れた! あとは思うことなく、あと押しをするだけだ!」

「あ……とおし……?」


 ハッとして顔を上げたら、再び獲物を狙う猛禽類のようになった繭香の目が、真っ直ぐに私を見つめていた。

 その強さ。

 圧倒的な迫力に、蛇に睨まれた蛙のように全身が硬直する。


「何かに本気になった時の貴人と私を……琴美はまだ全然知らないと思うぞ? ……まあ、琴美も諒も運が悪かったな……いつまでももたもたしてるからだ……うん。自業自得だな」


 この上なく不吉な言葉を残しながら、繭香はクルリと私に背を向ける。

 必死に掴んでいた彼女の腕がなくなった途端、私はその場所にヘナヘナと座りこんでしまって、自分の体が今までどれだけ緊張していたのかを初めて知った。


「ち、ちょっと……繭香……!」

 繭香は長い黒髪を、ご機嫌に背中で揺らしながら、あっという間に人ごみの中にのまれた。


 人が多いこんな場所で座りこんでいたら、本気で危ないと思うのに、足に力が入らない。

 なんとか立ち上がろうとする私の腕を、その時うしろから誰かが引き上げた。


「こんなところに座り込んで……まったくお前は何をやってるんだよ……?」

 呆れてはいるが、怒ったふうではない声が嬉しくて、私はちょっと涙ぐんで声の主をふり返った。


「諒……」

「ああ? ……まあ話はゆっくりと聞くから……まず、ちょっとこっちに来い」

「うん」

 腕を掴んで連れて行かれるのに、素直に従った。

 


 

 境内のすぐ外にある茶店の、赤い毛氈が掛けられた長椅子に座って、諒がどこからか貰ってきてくれた甘酒に口をつける。

「ねえ。これって高校生が飲んでもいいの?」


 私の隣に腰を下ろして、同じく紙コップに口をつけていた諒が、ブッとふき出した。

「い、いいんだよ! そこで無料で配られてたんだから……確か本当の『酒類』じゃないんだろ……細かいことを気にすんな!」


「うん」

 大人しくもう一度飲んでいると、静かにじっと見られている気配がした。


「なに?」

 顔は向けないままに尋ねたら、逆に問い返された。


「うん……お前、さっき貴人に何言われたんだ?」

 危うく紙コップを落としそうになって、慌てて手に力をこめた。

 気をつけていないと力をこめすぎて、今度はギュッと握りつぶしてしまいそう。


 自分で自分の体もコントロールできなくなるくらい、私は諒の問いかけに、どうしようもなく動揺していた。

「何って……」

 泣きたいくらいの気持ちで、諒の顔を見る。


「いや……カウントダウンの最中になんか話してると思ったら、そのあと、繭香と二人ですごい勢いでどっか行くからさ……ひょっとして……」

 バツが悪くなったかのように、諒がふいに私の顔から視線を逸らした。


 口を開いたら心臓が飛び出してしまいそうで、何も答えられずにいた私に向かって、次の瞬間、もう一度顔を向けると、サッと手を振る。

「やっぱいい! こんなのって……なんか俺、みっともなさ過ぎる!」

「諒!」


(そんなことない! 私だって本当は、すぐに全部話してしまいたい! でも迷わずそうするには、あまりにも内容が内容で……!)


 必死に目を見開いて、決死の思いを伝えようと言葉を探し、パクパクと口を開いたり閉じたりする私の両頬を、諒がむにゅっとつまんだ。


「なにやってんだ。金魚みたいだぞ」

 左右に頬をひっぱられて、「なにすんのよ!」と叫ぼうとした言葉も出せなくなる。

 そんな私を見て諒が笑った。


 この上なく優しい、実に諒らしくない笑顔で、

「ハハッ! ぶっさいく!」

 いかにも諒らしい言い方をするから、その顔にドキドキする。


(なによバカ! こっちは、またかん違いして背中を向けられるんじゃないかって……心配してばっかりなのに!)

 どうやら今のところは大丈夫のようだ。

 私をバカにして、こんなに嬉しそうに笑ってる。 


 その笑顔にすらときめいてしまうなんて、本当に私のほうが諒よりも、ずっとずっとどうかしてる。

「別にいいもん。不細工でも……」


 説明しようと緊張する気持ちも、諒に誤解されたくないと焦る気持ちも、全部どうでもよくなって、再び紙コップに口をつけた私の顔を諒が覗きこんだ。

「なんだよ……なんか調子狂うな。いつもみたいにギャアアって怒らないのかよ……?」

 あまりの言葉にちょっとムッとした。


「人を怪獣みたいに言わないでくれる? 年も明けたことだし……私だって今年はもっと大人になろうって思ってるんです!」

「おとなぁ? ……お前が? ハハッ……無理無理!」

 いかにも楽しそうに笑いながら、お腹を抱えて笑い始めた頭の上で、ワナワナと奮えるこぶしを握り締める。


(これをふり下ろすべきか! ……やめておくべきか!)

 寛大な大人になりたい自分と、堪忍袋の尾が切れそうな怒りの間で、葛藤する私の手を、その時誰かがフワッと両手で包みこんだ。


「ここにいたんだ、琴美」

 温かな風が吹くような、爽やかこの上ないその声を聞いて、こんなにドキリとしたのは初めてだった。


「お、貴人!」

 涙を拭きながら顔を上げた諒は、私の背後に立つ貴人の姿を見ると、「よお」と手を上げた。

 そのいつもどおりの様子にホッとしながらも、なんだか嫌な予感を感じる。


 貴人も「やあ」と諒に手を上げて、すぐに問いかけた。

「もう初詣した? まだならちょっと琴美を借りたいんだけど……」

「……? ああ、別にいいけど……」

 まるで貴人に私を譲るかのように身を引きながらも、諒はちょっと変な顔をする。


「それって……俺も一緒じゃダメなのか?」

「うん。琴美と二人きりになりたいんだ」

 その答えにボッと顔に火がつくと同時に、私は頭を抱えた。


(貴人ー! 何言ってるのよー!)

 そんな言い方をしたら、諒が変に思うに決まっている。


 案の定。

 実に胡散臭げな目で、私と貴人を交互に見ている。


(せっかく……これまで変な誤解されないですんでたのに!)

 その上――。


「別にいいだろ、諒?」

 そんなに意味深な念の押され方をしたら、意地っ張りの諒は「いい」って言うに決まっている。


 別にその返事自体は構わない。

 構わないけど、それからあと、諒が態度を硬化させたら、ここ最近のように自然と傍に居れるようになるまでには、また長い時間がかかってしまうんだろう。


 居てくれるのが当たり前になりつつあって。

 この頃では私も、やっと素直に話ができるようになって。


(前よりちょっとだけ近くなった諒との距離が、また離れちゃうなんて……そんなの困る!)

 

 全然悪意なんてない顔で、私と諒に向かって笑っている貴人に、私は思い切って口を開こうとした。

 その時――。


「……よくないな」

 思ってもみなかった返事が、諒から返ってきた。


「…………諒?」

 貴人が驚いたように目を見張る。

 しかしその驚愕の表情は、次の瞬間、それはそれは嬉しそうな笑顔へと変わった。


「よくないの?」

「ああ。よくない」

 きっぱりと言い切った諒を見て、貴人が大声で笑い出した。

「ハハハッ。なあんだ。やっぱりそうなんじゃないか……」


(…………おや? なんだか話が見えなくなってきた……)

 首を捻る私を無視して、貴人は諒のほうへと右手をさし出す。


 諒もその手をガシッと掴んで立ち上がり、二人は私に背を向けて歩き出した。


「ちょ、ちょっと?」

 取り残されてはたまらないと、慌てて私も立ち上がり、二人のあとを追いかけるけれども、並んで歩き出した二人は、小声で何かを囁きあっていて、とても私の出る幕じゃない。


(なんなのよ……もう!)

 私と二人きりになりたいなんて言っていた貴人も。

 放っとけないなんて嬉しいことを言ってくれた諒も。

 私なんかにはまるでお構いなしだ。


(もう! もうもう!)

 ふくれっ面で歩きながら、私は今からするお参りでは絶対に学業成就を願おうと心に決めた。


(これ以上ふり回されて、なるもんですか!)

 恋愛なんて、進路指導の先生ではないが、高校三年生には不要だと肝に免じて、今年は受験勉強に打ちこもうと心に誓った。


 

 ――まさかこれまでの人生で最大の、「色難の年」が始まったとは思ってもいなかった。

 

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