挿話5 杉原美千瑠の小さなわがまま

 コートのポケットの中で、スマホが震えてる。

 きっとこうなるとわかっていたから、あらかじめマナーモードにしておいたのに、どうして完全に電源offにしておかなかったんだろう。

 肝心なところまで気が回らない自分には、本当にがっかりする。


「どうした?」

 小さなため息さえ聞き漏らさず、隣に立つ剛毅がすぐに問いかけてくるので、私はガックリと落とした肩を無理に持ち上げた。

「なんでもない」


「そうか」

 同意はしてくれても、納得はしていないのはわかっている。


 だって剛毅のスマホだって、きっと私と同じで、さっきから鳴りっぱなしのはず。

 警備主任の内藤や、運転手の河合や、執事長の中尾。

 ひょっとしたら直接お父さまからだって、連絡が来ているかもしれない。


「ごめんね……」

 家に帰ったら、いったい何人の人間から剛毅が責められるかと思うと、自然と謝罪の言葉が口をついて出た。


「別に……謝る必要はない」

(本当にそうなら、どうして眉間に皺を寄せてるの?)


 もし剛毅にそう尋ねたら、きっと「俺は生まれつきこんな顔だ」と答えるのだろう。

 その声音まではっきりと想像できたから、思わず笑ってしまった。


「今度はなんだ……?」

 ため息混じりの問いかけは、呆れているわけでも咎めているわけでもない。


 彼――澤田剛毅は、強面な上に言葉数が少なく、他人の目に自分がどう映るかをあまり気にかけない。

 もともとそういう人間。


 でも、自分がどう思われようと気にしないけど、相手には人一倍気を遣うし、本当はとっても優しい。

 ――私はちゃんとそのことを知っている。


「ううん。なんでもない」

「そうか」

 あいかわらずの簡単な返事が、どれだけ安心できて頼りになるのか。

 きっと誰よりも知っている。

 

 


 高熱で倒れた諒ちゃんが眠る保健室から帰ってきた琴美ちゃんは、自分も倒れてしまいそうなくらい赤い顔をしていた。

 ――それはきっと、風邪がうつったからなんて理由ではない。


(たぶん……いいことがあったんだよね……?)

 思わずまた笑いがこみあげる。


 いくら呼んでも目を覚まさない智史君を連れたうららちゃんは、さっき、早々に室内に移動してしまった。

 チラチラと舞う雪に、智史君が体温を奪われてしまわないように――。


(いつも一緒……そして本当にとっても仲良し……)

 頭と頭をくっ付けて眠る二人の姿を思い出すと、微笑ましくって、ますます笑ってしまう。


 順平君が連れてきた他校生の彼女さんは、すっかりクリスマスパーティーを楽しんでいるようで、目をキラキラさせながらあちこち見てまわっている。

 いつもみんなの先頭を切って走り出す係の順平君が、誰かにふり回されている様子というのも、珍しくっておもしろい。


(そういえば……今日は可憐さんも彼氏さんを連れて来てた!)

 綺麗なイルミネーションよりも、大きなクリスマスツリーよりも、可憐さんの笑顔ばっかり見ている彼氏さんが、どんなに彼女を好きなのかは、ちょっと見ているだけでもよくわかった。


(みんな嬉しそう……)

 それはもちろん、二人組みになって見回りという名の仕事をしている貴人と繭香、玲二君と夏姫ちゃんにも言えること。


 私と剛毅も同じ仕事を受け持ってはいるけれど、今日は八時までで帰ると、貴人にはあらかじめことわってある。

(お父さまの会社の取引先を招いてのクリスマスパーティー……やっぱり、顔を出さないわけにはいかないものね……)


 それでも、早く帰って来いという電話を無視して、私はギリギリの時間までまだこの会場に留まっている。

 それにはちゃんと理由がある。


 貴人と可憐さんと智史君と私が、サンタクロースの扮装で配って回ったクリスマスカード入りの封筒――全校生徒のぶんをようやく配り終えたけれど、実は私自身はまだ貰っていない。


「ええっと……私のぶんだけなかったのかな? こんなにたくさん準備するのは、きっと大変だったよね……うん。たまには、そんなことだってあるわ……足りなかったのが私のぶんでよかった! ……私は、別になくてもいいよ?」

 貴人にこっそりとそう耳打ちしたら、軽く首を振って訂正された。


「いいや。ちゃんと美千瑠のぶんも準備してあるよ。ただ……ちょっと特別なサンタクロースだから、お届けが遅くなってるんだ、ごめんね……」

 貴人が何を考えて、何を計画しているのかなんて、いつもいつも私には考えも及ばない。


「あいつ……どうせ就職するんだったら、杉原コーポレーションにしてくれないかな? ……あの発想力と行動力。もちろん運動神経と頭脳も、他所に流れるのはもったいない!」

 剛毅は半ば本気でいつもそう言ってるけど、本当に貴人は、私なんかよりよほどお父さまと話があいそう。


「ごめんね……時間、大丈夫?」

「うん。大丈夫!」

 貴人に気を遣わせないように精一杯の笑顔で返事する間も、本当はポケットの中のスマホがブーブー音をたてていた。

 


 

 体育館の入り口にかかる小さな丸時計が、八時を指す。

 それと同時に、剛毅が隣で囁いた。

「お嬢さま、お時間です。これ以上はもう……」


 私のお願いで、学校では名前を呼んでくれる約束のはずなのに、わざわざ『お嬢さま』と呼びかけたということは、もう限界だということ。


「はい……」

 仕方なく頷いて、校門に向かって歩きだす。


 せめてみんなには、先に帰ることを詫びたかったのに、なぜか他の『HEAVEN』のメンバーたちは誰も姿が見えない。


(しょうがない……あとでゴメンなさいのメールをしよう……)

 剛毅の先に立って、運動場の中ほどまで進んだ時、ふいに照明のライトが私に向けられた。


「えっ? 何?」

 驚く間にも、一つだった照明が二つ三つと重なり、私の周りだけがどんどん明るくなっていく。


「えっ? えっ? ……どういうこと?」

 あまりの眩しさで周りの状況が全然見えない中、ずっとクリスマスの曲を演奏してくれていた楽団の人たちが、まったく違う曲を奏でだす。


「ハッピーバースデー!」

 私にはまったく見えない暗闇の向こうから、たくさんの声がその歌を歌い出した時、どこからとり出したのかわからない大きな花束を、剛毅が私にさし出してくれ、涙が零れるかと思った。


「誕生日おめでとう!」

 いつもクリスマスの陰に隠れて、おざなりにされてしまうことが多かった――。

 そう、今日は私の誕生日。


 でもそのことを貴人が知っていたなんて。

 クリスマスパーティーの途中でこんな演出を考えていてくれたなんて。

 夢にも思わなかった。


「おめでとう! 杉原さん!」

「おめでとう! 美千瑠!」

 

 たくさんの人たちの祝福を受け、ありがとうありがとうと頭を下げながら照明から抜けると、校門の前には一人の人影が立っていた。


 最近では屋敷を出ることは滅多になくなったけど、そういえば私がまだ小さい頃は、こうして幼稚園や小学校のお迎えに来てくれていたのは彼だったんだと思い出した。


「蒼衣!」

 小さな子供のように駆け寄っていったら、にっこりと優しい微笑みが私を出迎えてくれた。


「なんだか懐かしいですね……うん。そうやって、私のところに走って来てくれる姿が見れただけでも、芳村君の申し出を受けてよかったのかもしれない……」

 ひどく嬉しいことを言ってくれながら、蒼衣はいつもの黒い上着の内ポケットから、白い封筒を取り出した。


「はい。お嬢さま。メリークリスマス」

 ほとんど屋敷から出ることのない蒼衣に、ここまで来てもらって、私だけのサンタクロースになってもらうなんて、貴人はいったいどんな魔法を使ったんだろう。


 少し離れて私の後方に立つ剛毅の顔を、ふり返ればすぐにわかる。

 剛毅だってきっとこの計画を知ってたんだ。

 そして少なからず貴人に手を貸したんだ。


(もう! ……教えてくれたらよかったのに!)

 この時まで黙っていて、私を脅かすのが醍醐味の一つだということは、私にだってわかってる。

 だから私も――ちょっと剛毅と蒼衣を驚かしてみる。


「ありがとう。蒼衣。でも杉原に関係のある者は、学校では私のことを『お嬢さま』とは呼ばない約束になってるの……ねえ、剛毅?」

 ふいに名前を呼ばれた剛毅は一瞬怯んだ顔をしたが、私の言葉をよく吟味して、ほんの少し頷いた。


「だから、蒼衣が私を『お嬢さま』って呼ぶなら……その封筒は受け取れないわ」

 それは私の小さなわがまま。

 いつも私の、どんな突飛な行動だって、大きく引き受けてしまう蒼衣に対する、小さなわがまま。


 でも突然の攻撃にも全然動揺した様子はなく、蒼衣はニッコリ優雅に微笑んで、私の名前を呼んだ。

「それでは、美千瑠さま。メリークリスマス。そしてハッピーバースデー」


 記憶にある限り、蒼衣がその言葉を、クリスマスに言い忘れたことはない。


「ええ。ありがとう」

 背後にいた剛毅の腕をひっぱって、それから蒼衣の手も取って、二人の間にぶら下がるようにして歩きだしたら、剛毅が苦情の声を上げた。


「お嬢さま!」

「だめ。まだ学校の中だから、『お嬢さま』はなし!」

「…………美千瑠」

 不承不承の声がおかしくて、また笑いがこみあげてくる。


(いいでしょ? だって今日は、年に一回の、私がわがまま言ってもいい日だもん……!)


 もうずっと、校門の前で私が出てくるのを待ってくれていた車に乗りこむ。

 いつもは後部座席に一人だけど、今日は両手に花。

 ――ううん、両手に私の騎士。


 目にいっぱい焼きつけた、素敵なクリスマスパーティ―の様子と、二人のちょっと困った顔を思い出せば、このあとの父のパーティーでの挨拶回りも、いつもよりずっと笑顔でできる気がする。

 ――きっと、そうに違いない。

 

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