第23話 みんな大好き、ブス子ちゃん

「坊ちゃん、もう、諦めた方が」

 羽識さんが高級な洋服を炭で真っ黒に汚した寺地くんへ声をかけました。

「何を言うか。仮にここにあの鎮太郎とかいう男が埋まっていたとしたら柳はこの程度で諦めると思うのか」

 寺地くんは焼け焦げた丸太や板切れを取っては投げ、取っては投げと繰り返します。

「いや、羽識は知らないだろう。僕は伸宏という男に金を握らせて多くのことを聞いたのだ」

「はあ」

「伸宏は柳を馬鹿にするような物言いで終始語っていた、確かに柳は馬鹿かもしれぬ。ただ、どこまでも真っ直ぐな女なのだ」

 寺地くんは一際大きな丸太を掴みました。

「ぐ。これはなかなか重い・・、ふう、よし」

「私が心配しているのは坊ちゃんの体のことで御座います。柳などのことは私にとってはどうでも良いのです」

「・・・」

 寺地くんは羽識さんの言葉に応えずにひたすら焼け焦げた木々をどかし続けました。

 暗い昼が一層深い闇の夜になり、また暗い朝になりました。疲弊すれば車の中で休み、目覚めればまた柳を捜す、そんなことを寺地くんは何度も何度も繰り返しました。次の日も、その次の日も寺地くんは柳を捜し続け、雨が降る日は羽識さんの差すじゃの目傘の下で捜索を続けました。

 そんな日々が何日か続いた後、それは発見されました。寺地くんが大きな柱をひっくり返した時のことです。

「む」

 何やら人の指のようなものが地面から覗いています。

「こ、これはまさか」

 寺地くんは齧り付くような勢いでその指の周辺を傷だらけになった手でざくざくと掘りました。それは肩から切断された女の腕でした。指の股には何やら膜のようなものが張っているように見えます。

「これが、水掻きか。嗚呼、ということはこれは柳さんの腕だ。間違いない。うぐ・・、うう」

 寺地くんは崩れるようにして膝を地面に突きました。

「坊ちゃん、帰りましょう・・」

 羽識さんは震える寺地くんの肩に手をついて言いました。

 寺地くんは水掻きの着いた腕を布に包むと両手に抱えて立ち上がり、ふらふらとした足取りで車の方へと歩いて行きました。そしてリアドアを開けて後部座席に乗り込むと、死んだような目に涙を溜めてぼんやりと中空を眺めました。

「では、出します」

 運転席に乗り込んだ羽識さんの声が寺地くんの心を通り過ぎていきます。車のエンジンが起動し、ゆっくりとタイヤが回転をはじめました。動き出した車の外の風景が寺地くんの意識の中で無感動に平らに滑っていきます。

「・・む、あれは?」

 ふと、突然それまで黙っていた寺地くんが声をあげました。羽識さんがルームミラーで見ると、何かを一心に見つめる寺地くんの我を忘れた様な眼差しがあります。

「どうしました?」

「停めろ!停めるのだ!」

 郷の真ん中あたりに少し開けた場所があり、虚ろな表情をした人々が行き交っていました。その中央に樹海かどこかで拾ってきた腐った木材で作られた磔台が設置されています。

「安いよ安いよぉ〜」

 そう声をあげながら金夫は磔台に吊るされた柳に石を投げつけました。

「あう・・」

 すると金夫の足元に謎のキノコがひとつぴょこりと生えました。金夫はそれを毟り取ると「キノコ〜、キノコいらんかねぇ〜」と威勢良く叫びました。

「畜生、全然売れないじゃないか。やい醜女!お前の容姿が薄気味悪いのが全ての原因だ!あっしの親の様に保険にかけて殺してやろうか」

「うう、しんたろ・・、あいたい・・」

「ああん?また夢でも見てるのか?キノコ製造機に夢を見る機能は求めて無いんだよ!黙ってキノコだけ作ってろ!」

 金夫は足元の石を拾うとまた柳に投げつけました。ごん、という鈍い音がして、柳の額からドロリとした血が流れ、周囲にはキノコがボコボコと生えます。柳はうつむいて涙をぽろぽろと流しました。

「ぶぇ・・」

「ヒヒヒ!痛えか!!働くってのは奴隷になるってことなのだ。煮るのも焼くのもあっしの勝手なのだよ」

 金夫はぴょんと道行く人々の方へ向き直ると再び「キノコ〜、キノコ〜」と威勢良く声をあげ始めました。

「頂こう」

「お、まいど!百個でも千個でも・・、ぉげふ!」

 金夫は衝撃に混乱した頭で直ぐに自分が地べたに素っ転んだことを理解しました。

「びぇ、かあちゃん、いたいよォ!」

 見上げるとボロボロの服を纏った長身のげっそりと痩せた少年が立っていました。変わり果てた寺地くんです。

「ぼぼぼ暴力振るいましたね!?毎度あり!慰謝料たっぷり請求させて貰いますでゲスよ!誰でやんすか、あんた、ちょっと、聞いてるんですか!?」

 寺地くんは柳の手や足に巻き付けられていた麻縄を解くと柳を抱きかかえて磔台から降ろしました。

「ぶへ」

 柳は“今度はこの人が自分を虐めるのか”と思いました。

「ちょっと、うちの従業員に気安く触らないでほしいでやんす!この助平!おさわり代よこせ!金よこせ!!あ、おい。このやろう!」

 寺地くんは金夫を無視して柳をおぶると、道の脇に停めてある車に向かって歩いていきました。

「待って、待ってくれ!幾らでもへつらうから!!」

 金夫は札束で出来た豪邸が遠去かっていく気持ちがしました。

(金、あっしの金ヅル!愛しい愛しいあっしの醜女!!)

 金夫は短い脚をバタバタと振り回しながら必死に寺地くんの腕の中の柳を追いかけました。

「嗚呼、愛してるぅ!行かないでェ!!ど、泥棒!花嫁泥棒!!・・おや」

 ふと金夫は脚をバタつかせている割には身体が前に進んでいないことに気が付きました。そういえば首が少し締まるような感覚もあります。

「だ、誰だ!後ろからあっしの襟を掴んでやがるのは!」

「どろぼう」

「ん?あひゃっ!!」

 金夫は首を後ろの方へ向けて驚愕しました。そこには巨大な蜚蠊ごきぶり男、御器ノ介が立っていました。触覚は折れ、身体中がボロボロになっています。

「返せ。私の嫁を返せぇえ!」

「うひゃぁあぁあっ!!」



 後部座席で柳を抱きかかえた寺地くんが未舗装の歪んだ道程に揺られています。寺地くんは膝の上の柳に視線を落としました。身体中傷だらけ、腕は一本もげて、目も何かで抉られていてひとつ足りません。柳は寺地くんの腕の中でガタガタと震えながら寺地くんを見上げました。

「怖がらないでくれ、僕は君に痛いことはしないよ」

「ぐ、ぐへ。だれ」

「な、何・・?」

 柳の言葉に寺地くんはショックを隠せませんでした。これまでに柳と直接話したのは、確かにほんの数言かも知れません。しかし、それまで出会った人間が自分のことを思い出せない等ということは経験したことはおろか、考えることすら出来ない人生であったからです。

「僕は」

 寺地くんは目を閉じて心を落ち着けました。

「僕は鎮太郎くんの友人だよ」

「うひ?ほんと?」

“鎮太郎”という名前を聞いて、柳は一つになった瞳を輝かせました。

「ああ。柳さん、必ず君を鎮太郎に会わせてあげるからね」

「げひゃ、や、やった。鎮太郎くんに逢える!元気出てきた、ひ、ぐひひひ」

 羽識さんはルームミラーの中の柳を見て、よくそんな傷だらけの状態で笑顔になれるものだと身震いすると共に、妙な違和感を憶えていました。柳の腕です。

 肩から無くなっている柳の腕と、寺地くんが焼け跡から見つけた腕の左右が逆のように思えました。

(もしや、誰か別の人物の腕だったのか。いや、そんなことは無い、勘違いだ。水掻きのある腕などそうそうあるものでは無いのだから。それに、もしそうだとして何だというのか。こんなに穏やかな坊ちゃんの顔を見たのは私ですら初めてのこと。細かいことは良いではないか)

「坊ちゃん、如何致しましょう。直ぐに柳さんを医者に診せた方が良いですよね」

「ん、そうだな。その、あの、ひひ、うひひ!」

 突如寺地くんの様子がおかしくなりました。皮膚がぽつぽつと黄色くなり、あっという間に身体中に出来物が吹き出ます。

「・・坊ちゃん?」

「か、かゆ、かゆい!!かゆいぃい!!」

「どうなさったんですか!」

「ふひ、こわい。ま、また、殴られるかな、へへ」

 丁度その時のことです。助手席に布に包んで置いてあった柳のお母さんの腕がガサガサと動き始めました。

「な、これは!腕が!!」

 腕は指をわらわらと動かして布から抜け出ました。

「ぎゃああ!かゆい!!うごごご!!」

「へへ」

 柳は膿を吹き出しながら痙攣する寺地くんの膝の上で暴力の予感に震えています。

「坊ちゃぁあん!!」

 混乱の中、柳のお母さんの腕は羽識さんの足元に潜り込み、アクセルに手をかけました。エンジンの咆哮が勢いを増し、計器がどんどんと加速の兆候を現していきます。

「ぎゃああ!!」

 気付いた時には車は道を大きく逸れ、フロントガラスには道の脇に並んだ大量の地蔵が一面に写っていました。

 次の瞬間にはそれらの地蔵がガラスを突き破って車の中に一気に突っ込み、羽識さんの顔面を直撃しました。羽識さんは頭が爆発したようになり、寺地くんも目玉と舌が飛び出して西洋彫刻のような顔から叩き潰した出目金のような顔になってしまいました。


 それからしばらくして、滅茶苦茶に変形した鉄と肉と地蔵のごちゃまぜになった車の横を「マッチ、マッチ」と掛け声をあげて走り抜ける佐藤さんの姿がありました。

 潰れた車の傍のアスファルトには指に血を付けて引きずったようなもので“もっと くるしめ。おかあさんより”と大きく書いてありました。しかしそんなことは佐藤さんには知ったことではありません。彼にとって走ることは何にも代え難い喜びになっていました。


 どどめ色の曇った田園風景にクラクションの音が響き渡る中、佐藤さんは耳を塞ぎながら爽やかな笑顔でどこまでもどこまでも走り続けました。

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