1章「美味しいティラミスはどこですか?」(5)
スーパーで買ったポテトチップスをぱりぱり囓っていると、廊下が騒がしくなった。
「ニワトリじゃあるまいし、いい加減憶えろよおっさん! ほとんど一本道だろうが」
叱声を飛ばす後谷に続いて、髭を生やした
「悪い悪い、今度から気を付けるからよ、そんなに怒らんでくれやミツルちゃん」
「今度今度って、いっつもそれじゃねえか。たいがいにしろよ!」
二週間前に入ってきたばかりの砂原は物覚えが
「マジやってらんねえっす」と愚痴をこぼす後谷を、杉田がやんわり
死の案内役のデートガールが三名。
死体処理の男たち、「黒子」も三名。
一悶着あったが、『あずらえる』の総員六名がようやく揃い踏みした。
ミーナは最前の節で「おらんうーたーん」と歌っている。マンドリルはどこに消えた。
「そうそう言い忘れてたけど」と嘉神がロザリオをデスクへ置いた。
「東北でいい出物が見つかったから、明日明後日とお休みにするわね」
嘉神がヴィンテージ品の買い付けに出ている間、店も『あずらえる』も臨時休業となる。
うっす、と杉田と後谷が声を揃える。砂原は、へえ、と気の抜けた調子で返事した。
さて二日間をどうやって潰そうか、と麻耶は思案したが、期末試験が間近に迫っていることを思い出して気が滅入った。
「それじゃあ、そろそろスタンバってもらおうかしら。今夜も精々頑張りなさいな」
麻耶の手に、即効性の致死毒タブレット「毒りんご」が収められたピルケースが握らされる。速やかに苦しまず確実に逝けるように配合された赤いプロドラッグは、仕事前に嘉神から手渡されるのが習わしである。味に癖が無く、水無しでも飲めるのがセールスポイントである。鼻を近づけると、ほんのりとりんごが香る。
嘉神がどこから毒りんごを仕入れているのか、どういうメカニズムで毒りんごが人に死をもたらすのか、麻耶は知ろうとも思わなかった。
飲んだら確実に死ぬ。その事実だけで十分なのである。
ケースをポケットへ収め、麻耶はデート通りへ向かった。
ビルの群れに押し潰された空は、すっかり
今日もまた、夜が始まる。まだ見ぬ誰かの命が消えるであろう夜が。
二日続けての甘党は、『あずらえる』で働き始めて四か月目にして初めてのことだった。
これが確変ってやつ?
もっとも、その前に麻耶は、二人の辛党を相手にしなければいけなかった。
最初に声を掛けてきたのは、左の鼻の穴から太い毛を一本ぶら下げたスーツ姿の男だった。符牒は出てこなかったので、ファミレスでシーザーサラダをつつきながら、割り切りを
美味しいティラミスはどこですか?
その一言が無ければ、麻耶の接客はしょっぱい。
開口一番、「カラオケに行かない?」と誘った二人目の客の前では、マイクを渡された数だけ赤とんぼを歌った。評判倒れのハリウッド映画を観たような渋面を張り付けて、二人目の客は背中を丸めて通りの人混みへ?まれていった。
相場よりも割高な価格設定は辛党避けのためであったが、期待に胸ならぬ股間を膨らませる客を呼び寄せるデメリットも否めなかった。
甲高い声が上がったのは、今日はボウズかな、と麻耶が考え始めた頃だった。
「あのう! ティラミス、じゃなかった違う違う」
なにこの生き物。
「美味しいティラミスはどこですかあ?」
お嬢様校として名高いK女子高校の白い制服を着た、
頬肉にめりこんだ眼鏡の下に細い亀裂が走っている。あ、これ眼か。震えが起こる寒さだというのに、異様に狭い額からも、車に
鏡餅にボンレスハムを四本接いだような肢体を包みこむ制服は、破けやしないかと見てるほうがはらはらするくらいパツンパツンに張り詰めている。足元は黒く
てか、この人って男? それとも女? 新種の生物の性別鑑定は承っておりませんが。
「美味しいティラミスはどこですかあ?」
肉団子の口から、二度目の符牒が飛び出す。
五十万円です、と麻耶がマニュアル通りに返すと、肉団子は「これで俺と、じゃなかった、私とデートしてくださあい!」と、信販会社のロゴが入った封筒を突き出した。
はい、喜んで。
前金を受け取り、嘉神の店へ向かう最中で、麻耶は推察する。
男の確率、七十パーセント。
肉が厚すぎて骨格は判らなかったけど、立ち方が男っぽい。うっかり自分のこと、俺って呼んでたし。けど、一人称が俺の女もたまにいるからなあ。
肉団子の性別当てに気を取られ、裏口へ回るという意識がすっぽり抜けていた。
あ、と気づいた時にはもう遅く、正面扉を押し開けてしまっていた。
店の中には珍しく客の姿があり、麻耶に背を向ける恰好で
「では、この椅子に座っていた時に殺されたと」
「左様でございます、お客様。事件発生は一九六三年九月七日、場所はバーミンガムの民家。犯人はその家で親と同居していた道楽息子。
淑やかで
客付いたの? じゃあお金置いてとっとと出てきなさい。
嘉神に目配せされ、麻耶は足音を忍ばせてカウンターへ封筒を置き、店を出た。
物好きもいるにはいるんだな、と麻耶は思う。
嘉神が扱うヴィンテージ家具は、そのほとんどが
強盗に惨殺された家人の鮮血を浴びた仙台
売り物の一つ一つには、どんな
ここの家具を買って、何に使うんだろ。
チェストに腰掛けるダメージドールがショーウインドウ越しに、麻耶を冷たく見送った。
デート通りへ戻ると、肉団子は破顔したまま突っ立っていた。
「お散歩の前に、やってほしいことがあるの」
麻耶は小型のツールナイフを取り出し、肉団子の丸々した右手に握らせた。
「これであたしに、どこにでもいいから傷を付けて」
合点がいかず戸惑いの眼差しを向ける肉団子に、麻耶は重ねて言う。
「そうじゃないと、たぶん望み通りのサービスはできないから」
引き出したナイフの刃を肉団子は凝視していたが、やがておずおずと切っ先を麻耶の右手の甲へ宛てがった。
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