エピソード3【5秒の恋】②
* * * *
人を好きになるのに、5秒もいらない。
学生時代から恋多き人生を歩んできた俺、栗原ヒロユキは、36歳になった今でもそう思っている。
特に
好きになってはいけない相手の場合
俺はさらに燃えてしまう
* * * *
「あっ、どうも、また会いましたね」
「こんばんは。この1週間、毎日ですね」
いきつけのコンビニで出会ったその女性は、にっこりと笑みを浮かべ軽く会釈をした。
平日の午後7時半。
決まってその時間だ。
実は、顔見知りになるきっかけが、1週間前にあった。
突然の雨に襲われた時、彼女が予備の折り畳み傘を貸してくれたのだ。
5秒――
その女性の笑顔の美しさ、そして他人を思いやる内面の麗しさに、俺の心が奪われるまで、やはり5秒で充分だった。
だが、俺は好きになってはいけない。
そう。
恋多き人生を送ってきた俺だが、ユイという女性と結婚し、子供にも恵まれた。
いつも人形遊びをしている一人娘が可愛くて仕方がない。
そっか……娘のトモコも、もう11歳か……ということは、結婚して13年か……
既婚者に、新たな恋は御法度――
そう。
それは当たり前のことだ。
分かってる。
分かってるさ。
俺は家庭が一番大切。
家族の幸せを真っ先に考えている。
しかし今の状況のように、結婚してようが、恋をしてしまう瞬間は不意に訪れてしまう。
だから。
だからだ。
俺は幸せな家庭のことは記憶の片隅に閉じ込め、本能の赴くまま誘ってみた。
「あの……今夜、お食事でもどうですか?」
「え?」
「いや、その……ここ最近よくお会いしますし、この間の傘のお礼も兼ねて……軽くお話でも……あっ、いえ、気分を害したならすみません」
「いえ、そんな……う~ん……」
女性は照れ臭そうに言った。
「じゃあ、お食事だけ」
やった!
やった! やった!
そう。
自分でも驚くくらい、すんなりと事は運んだ。
もちろん、あわよくばホテルに……なんて考えは今日は全く持っていない。
あくまでも、今日は、だが。
「さぁ、行きましょう。美味しいフランス料理の店が……」
「あの」
そしてコンビニから出た時、女性はうつむき加減で声をかけてきた。
「本当に……私でいいんですか……」
「え?」
「私……こんなガラガラ声だし……身長も……あと……」
と言いながら、女性は鼻の下と顎あたりを触り始めた。
ん?
んん??
ちょ、ちょっと待てよ!
一回、整理しよう。
ちなみに俺的には、ガラガラ声は酒やけかなと思っていた。
だから、酒が好きな俺とは相性がいいと思っていた。
背が高いのも、俺はタイプだ。
だから何も問題はなかった。
だが、なぜ鼻の下と顎を気にする??
そろそろ、時間的に何かが生えてこないか気になっているのか??
「あ、あの!」
俺は慌てて尋ねた。
「ちなみにお名前は?」
「えと……」
彼女は言った。
「ヒカルです」
「…………」
…………どっちだ?
そう。
俺は彼女がニューハーフじゃないかと疑っていた。
しかし、ヒカルという名前は難しい。
男女どちらでも、違和感なく存在しているから。
だが、おそらく、この雰囲気を見ると、彼女がニューハーフなのは間違いなさそうだ。
どうする?
このまま食事に行っていいのか?
でも、逆にここで断るのも失礼じゃないのか?
ニューハーフは普通の女性より女子力が高いと聞く。
より女心を持っているはずだ。
しかし、それ以上に重要なことがある。
そう。
何より、神秘的なこの未知の恋へ、俺の心が、もう止められなくなっている。
やはり、俺は好きになってはいけない相手を好きになってしまうようだ。
性別なんかどうでもいい。
もう俺は彼女を抱きしめたい。
熱い口づけをかわしたい。
危険な恋に溺れたい。
溺れたいんだ!――――
「さあ!」
俺は、彼女の瞳をじっと真剣に見つめながら言った。
「はやく行きましょう。俺はヒカルさんのことが、もっともっと知りたくなってきました! だか……!」
「ちょっと待ってください!」
彼女は俺の言葉を勢いよく遮ったあと、
「あ、あの……まだもうひとつ……」
うってかわって静かにボソボソと喋り始めた。
「私……凄く嬉しかったんです……あなたとお話ができて……」
「え?」
「もう、これで満足です……未練はありません……だから、食事はまた今度で……」
「……?」
「……私……誰にもかまってもらえなくて……誰の目にも映らなくて……あの日から誰とも話ができなくて……やっと話ができたのが……その……」
あなたなんです――――
ゾゾゾッッッッ!!
俺はゾクッと、背筋に悪寒が走るのを感じた。
「あ、あの日って……?」
俺は震える声で尋ねた。
「あの日というのは……」
彼女は言った。
「3週間前にこのコンビニの前で信号無視の車が女性をひき逃げ……死亡した事件があったんです……その日です……」
「…………」
…………ん?
クルッ……
俺は彼女に背を向け、腕組みをして少し考え始めた。
頭がパニック――――
もしかしたら、彼女はニューハーフじゃなくて、もっと凄い存在なのかもしれないと、そう思い始めていた。
幽霊――――
今の話だと、どう考えても、ヒカルさんは、その時の被害者だと感じる。
しかも、いま俺はもしかしたら、ニューハーフの幽霊をナンパしているという、かなりカオスな行動をしているのかもしれない。
だが、ここで俺が逃げ出したらどうなる?
ヒカルさんはより悲しくなり、もっとここでの自爆霊としての期間が長くなってしまうかもしれない。
俺の愛で成仏できるなら力になってやりたい。
いや、違うか。
そういう気持ちもあるが、ただ単に愛おしい。
抱きしめたい。
口づけをしたい。
俺は、絶対に好きになってはいけない人を、この世のどんな女性よりも好きになりかけていた。
「ヒカルさん!」
バッ!!――――
彼女にこの思いを伝えるため、すぐさま振り返った。
だが――――
「あ、あれ……?」
そこにヒカルさんはいなかった。
どこだ?
いったい、どこに??
「あっ……」
その時、俺はあることがピンと閃いた。
もしかしたら、俺と話ができたことで、少し気持ちがやわらいだのか……?
だからこの場から消えてしまったのか?
「ヒカルさん……」
ツーっと、一粒の涙が頬を伝わった。
良かった。
こんな俺でも、もしかしたら、彼女の役に立ったのかもしれない。
成仏できるきっかけになれたのかもしれない。
そう思うと、どんどんと涙が溢れてきた。
「ヒカルさん……」
そして星々が舞う夜空を見上げ、心の中で小さくつぶやいた。
ヒカルさん
きみと出会え、一瞬でも恋をすることができたよ
俺は一生、忘れないよ
ありがとう
だから、だからね
生まれ変わったら、今度こそ一緒に食事に行こうね
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