第2話 ハッピーエンドに縛られて
「……何を、言ってるの?」
エクスが困惑している。
「僕は、いつも通り鬼姫を呼んで……」
「いやいやいや、鬼姫じゃねえだろ。あれは」
タオが、問いかけを繰り返す。
「あんなバケモノ、一体いつどこの想区で拾ってきたんだよ」
「バケモノなんて、ひどいよタオさん。それは確かに、鬼姫は強いけど」
「だから! 鬼姫じゃねえって……」
「やめましょう、タオ兄」
シェインが止めた。
「この新入りさん、どうやら鬼姫様とコネクトした気で戦ってたみたいです。今は、そんな事より」
ちらりと、シェインが視線を向けてくる。レイナに、ではなくレイナと話し込んでいた、幽鬼のような少女に。
「…………王子様……?」
自殺願望、以外の事をシンデレラが、ようやく口にしていた。物憂げに、首を傾げながら。
「舞踏会……? 一体……何のお話……?」
「……あのハッピーエンドが、なかった事になっちまってる……ってのか?」
タオが、己の頭を片手で掻きむしりながら呻く。
「畜生め……一体、何だってんだよ……」
「タオ兄、もしもですよ。あの後お城で何かあって、シンデレラさんと王子様が婚約解消しなきゃいけなくなったとしたら」
シェインが、冷静と言うか冷酷な分析を行っている。
「それはシンデレラさんにとって、悪夢以外の何物でもないですよね。だから綺麗さっぱり、記憶から切り捨てちゃう。王子様との結婚なんて最初っからなかった事にしちゃうってのは、あり得るお話じゃないですか」
はじまりの森から、さほど遠くない場所にある村。シンデレラと、そしてエクスが生まれ育った村である。
タオ・ファミリー4名は、とある民家に金を払い、一夜の宿を借り受けていた。
シンデレラも、一緒にいる。女の子は自宅へ帰らせなければならない時間ではあるのだが。
「もし、そうだとしたら……」
エクスが言った。
「僕は、王子様を許さない……お城へ行って、話をつけてくる」
「落ち着いて、エクス」
レイナとしては、とりあえず宥めるしかない。
普段どちらかと言うとタオやレイナを宥める側にいる少年が今、激情に近いものに支配されかかっているのだ。
「何か行動を起こすのは、もう少し事態を把握してからにしましょう……ねえ、おじさん」
客人たちの様子を見に来たのであろう民家の主人に、レイナは問いかけた。
「少し前に、お城で舞踏会があったと思うんだけど……」
「お城の舞踏会は明日の晩だよ。一体、何を言っとるのかね」
主人が、この客人5名をあまり歓迎していないのは、その口調からも明らかだ。金を払わなければ、絶対に泊めてなどくれなかっただろう。
「それよりも。そのシンデレラを、出来ればさっさと家へ帰してやってくれんかね。あそこのカミさん、今頃きっと大騒ぎしているぞ」
「あそこのカミさん、というのは」
シェインが訊いた。
「……シンデレラさんを虐めてる継母さん? そんな所へ帰らせろ、とおっしゃる」
「まずいんだよ色々と、あの人に睨まれると」
主人が、いくらか声を潜めた。
「シンデレラを、こんな所で匿ってる、なんて知られたら……」
「……この村のね、顔役みたいな人なんだ」
出身者であるエクスが、説明をしてくれた。
「別に身分が高いわけじゃないし、お金持ちってわけでもない。ただ、異様に押しが強いと言うか……村長さんもね、あの人には頭が上がらないんだ」
「いますよね、そういうオバサン」
シェインが1人うんうんと頷いている。
「図々しくて、ご近所トラブルばっか起こしてるくせに妙に世渡り上手で、自分より弱い相手は絶対に見逃さないタイプ。いわゆるモンスター何ちゃらって奴ですか。はっきり言ってヴィランよりタチ悪いです」
「駄目なんだよ。そーゆう連中にはガツンと言ってやらねえと」
タオが立ち上がり、部屋を出ようとする。レイナは慌てて止めた。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「だから、ガツンと言ってやるのよ。あー……シンデレラさん、あんたの家どこか教えてくれるかな」
「駄目ですよ。タオ兄は、何だかんだ言って女相手だとあんまり強く出られないんですから」
シェインも立ち上がった。
「ここはシェインにお任せです。大丈夫、手荒な事はしません。虐められるってどういう事か、ちょっと教えてあげるだけですから」
「……気持ちはわかるけど、ここは少し考えて」
レイナは説得を試みた。
「その継母さんも、お姉さんたちもね、自分の『運命の書』に従っているだけなのよ。舞踏会の日まで、シンデレラさんを虐める……それが役割。『運命の書』に記された、彼女たちの物語なんだから」
「なあ、お嬢……ストーリーテラーってのは、そもそも一体何もんなんだ」
タオが苛立っている。憤っている、とも言える。
「自分の家族を、ただひたすら虐めるのが役割だと? それ以外の事ぁ何にも出来ねえのが、自分の物語だってのか? ある意味、カオステラーよりタチ悪いとしか思えねえんだがな」
「……そうね。私も、そう思う事……なくはないわ」
ストーリーテラーが紡ぎ出す「正しい」物語と、カオステラーがそれを捻じ曲げる事によって生ずる「誤った」物語。一体、どれほどの違いがあると言うのか。
ある1人の男に、そんな事を問いかけられた。王国が、想区が、滅びる時に。
レイナは、それを朧げに思い出していた。
痛みを伴う記憶に、しかし今は苛まれている場合ではない。
「……ともかく。タオもシェインも聞いたでしょう? 舞踏会は明日の夜。シンデレラさんの過酷な運命も、そこで変わる。明日の夜までの辛抱よ」
「お城の舞踏会が……まだ、始まっていない……」
エクスが呟いた。
「僕たちは、舞踏会で……シンデレラのハッピーエンドを、確かに見届けてから旅に出た……はずなのに……時間が、逆戻りしているの?」
「それも含めて……この想区で何が起こっているのかを、詳しく調べる必要があるわ」
ある1つの予感を胸の内で押し殺しながら、レイナは言った。
とてつもなく、禍々しい予感。
自分のみならず、タオもシェインもエクスも薄々は気付いていながら、気付かぬふりをしている、1つの事実。
(想区では……同じ事が、無限に繰り返される……)
「……あなたたちは一体……何なの……」
シンデレラの声が、震えている。
「私を……助けて、くれるの? 私を、ここから連れ出してくれるの? ……お母様やお姉様たちを、どうにかしてくれるの……? そうじゃないなら、お願い……中途半端な事、しないで……」
幽鬼のような少女が、本当に冥界へでも消え入ってしまいそうな様子で怯えている。
「私が、お母様に……お姉様たちに……もっと、ひどい事される……だけだから……」
「シンデレラ……」
エクスが、それ以上は何も言えずにいる。
あなたたちは一体、何なの。エクスも含めた4人に対し、シンデレラはそう言った。最初にエクスを見た時にも、再会と呼べるような反応を示さなかった。
幼馴染みであるはずの少年の事を、シンデレラはどうやら覚えていない、と言うより知らない。
彼女にとってエクスという少年は、最初から、この想区には存在していなかったのだ。
俯きかけていたエクスが、顔を上げた。
タオもシェインも、表情を引き締めている。
騒がしさが、家の外から伝わって来る。夜だと言うのに、村人たちが騒いでいる。
怒号が聞こえた。悲鳴も聞こえた。そして……禍々しくおぞましい唸りが、咆哮が、聞こえてくる。
「ヴィラン……!」
レイナは呻いた。何が起こっているのかは、確かめるまでもない。
「な、何だ一体……」
「おじさん、外に出ないで!」
民家の主人にそう言い残し、レイナは部屋を飛び出した。タオとシェインが、それに続く。
「すみません、ご迷惑かも知れませんが……シンデレラを、お願いします」
エクスが、一番最後だった。
「ここを動かないで、シンデレラ……大丈夫。君は、僕が守るよ」
ヴィランの群れが、村を襲う。町を襲う。人を襲う。
それ自体は、とりたてて珍しい事ではない。今や、どの想区においても日常茶飯事だ。
この村でもそうだ。ブギーヴィランの群れが猿の如く跳梁し、何頭ものビーストヴィランが牙を剥いて爪を振り立て、ナイトヴィランの部隊が猛然と村内を蹂躙し、村人たちに襲いかかっている。
ウイングヴィランたちが、羽音やかましく飛び回りながら弓を引いている。
人魂のような光と共に、ゴーストヴィランの大群までもが出現している。
日常茶飯事とも言うべき、ありふれたヴィランの襲撃……ではなかった。
彼らの統率者が、姿を現しているからだ。
「さぁさぁ、私は望みを叶える魔法使い〜」
おぞましい声で高らかに歌う、異形の老婆。
レイナによって、すでに調律された……はずの存在である。
「綺麗なドレスも、ガラスの靴も、かぼちゃの馬車も思いのまま。叶えましょう、叶えましょう」
「フェアリー・ゴッドマザー……!」
レイナが息を呑み、名を呟く。
「そんな……彼女は、私が確かに……」
調律が、まるで無かった事になっていた。
フェアリー……否、カオス・ゴッドマザーと言うべき状態にある魔法使いの老婆が、ヴィランの群れを率いているのだ。
歌うように、悪しき口上を述べながら。
「醜いものは美しく、清いものはおぞましく、退屈な秩序は、刺激的な混沌に……」
「何を……しているんだ、貴女は……」
エクスは呻いた。
呻きが、叫びに変わってゆく。怒りの叫びだった。
「まず最初に、シンデレラを助けなければいけない貴女が……一体……何を、やっているんだぁああああああああああああッッ!」
導きの栞が挟まった『空白の書』から、光……ではなく闇が発生した。
暗黒そのものが、何方向にも分かれて細長く伸び、うねり、鎌首をもたげ、エクスを包み込む。
何匹もの、黒い蛇のように見えた。
違う、とエクスは感じた。
ようやく気付いた。自分がコネクトしている相手は、鬼姫ではない。
導きの栞の表裏を成す、2人の英雄……鬼姫とモイラ。
この両名を押しのけるようにしてエクスを乗っ取った何者かが、戦っていると言うより暴れている。
体内より抉り出した長剣を縦横無尽に閃かせてナイトヴィランを斬り砕き、ブギーヴィランの群れをひとまとめに両断し、ビーストヴィランを叩き斬る。
力強い腕の一振りで暗黒の蛇たちが出現し、猛々しく禍々しく宙を泳ぎ、ゴーストヴィラン5、6体とウイングヴィラン10体以上を食いちぎり粉砕する。
ハインリヒも、シェリーもラーラも、その戦いぶりを半ば唖然と身守るだけだ。
絡み合う蛇たちにも似た筋肉を全身で躍動させ、長い黒髪をやはり蛇の如くうねらせながら、ヴィランに対する戦闘というよりは虐殺を一方的に実行し続ける男。
その中でエクスは困惑し、問いかけた。
『誰……貴方は一体、誰なんですか……?』
『俺の事など、どうでも良い。それよりお前だ、少年よ』
カオス・ゴッドマザーの放つ魔法の爆炎を、左手で無造作に払い散らせながら、男は言った。エクスにのみ聞こえる声でだ。
『お前は一体、何をしている。この想区で、何を為さんとしているのだ』
『僕は……守るんだ、シンデレラを』
この凶悪なまでに勇猛なる男と、ここシンデレラの想区で現在起こっている異変とが、全くの無関係であるとはエクスには思えなかった。
『どうか教えて欲しい……シンデレラが、あんな事になってしまった原因に、貴方は関わっているのか? 貴方が直接、この想区やシンデレラに何かしたわけではないにしても』
『俺は、何もしておらぬよ』
ウイングヴィランの群れが降らせてくる矢の雨を、右手の長剣でことごとく切り払い、横合いから襲い来るナイトヴィランの頭部を左の素手でグシャリと握り潰しながら、男は言う。
『起こるべき事が、ただ起こっているだけだ。この想区でも、な』
『この想区でも……? まさか、他の想区でも何か異変が』
『異変を起こすのは、お前だ。空白の書を持つ少年よ』
言葉と共に、男が長剣を一閃させる。
メガ・ゴーレムの巨体が、真っ二つになった。
『この想区で、お前はかつて異変と縁のない暮らしをしていたのだな。シンデレラという物語の、背景の一部として』
『僕は……ただのモブだから』
『だが、お前は言った。シンデレラを守る、とな』
炎を吐こうとするメガ・ドラゴンの首を、男は一撃で刎ね飛ばした。
『あの哀れな娘を、本当に守りたいのであれば……お前の為すべき事は、1つしかなかったはずだ。それをせず、お前はこの想区を出て行った。逃げたのだよ、俺に言わせればな』
『僕は……!』
自分が為すべきであった、ただ1つの事。
それが何であるかは訊くまでもない。エクス自身、ずっと心の奥底でくすぶらせていた事だ。赤ずきんを捜している時も、龍賊シルバーと戦っている最中も。
『……僕が、それをしていたら……シンデレラの物語は、壊れてしまっただろう。ハッピーエンドを迎える、彼女の物語が……』
『ハッピーエンドだと? そんなものはストーリーテラーどもの作り出した予定調和に過ぎぬ。目を覚ませ少年!』
男が叫んだ。
黒髪のもたらす陰影の中で、両眼が赤く輝き、燃え上がる。
『そんなものに縛られている限り何も出来んのだぞ、お前も! 俺も! あらゆる想区に住まう者ども全てが!』
巨大な暗黒が生じ、何匹もの大蛇の形を成し、獰猛に這って地響きを起こし、各種ヴィランの群れを粉砕してゆく。
『老婆を殺して兎に復讐される狸! 蟹を殺し、その仇討ちを受けるだけの猿! 仔豚を喰らい仔山羊を喰らって最後には死ぬしかない狼! 奴らにはな、それしかないのだ。それ以外、何も出来ない! 他の生き方も死に方も許されておらぬ!』
男は怒り狂いながら、しかし慟哭しているようでもあった。
『かく言う俺もな、別に欲しくもない女どもを7人も喰い殺した挙句、騙し討ちに遭って無様に死ぬ……それを、ひたすら繰り返すだけよ。俺の運命の書には、そんな物語しか記されていない……頼む、何とかしてくれ。空白の書を持つ少年よ』
陰影の中で、真っ赤に燃え輝く両眼。
真紅の、血の涙を流している。エクスは、そんな事を思った。
『ストーリーテラーどもに最初から縛られていない……お前にしか、出来ない事なのだよ……』
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