12/6 結局最後は……

自分ですよ、自分。どうも、南雲麗です。

いえね。ふとカクヨム内のエッセイのニーズを探してたらですね。どうも参加者内部での企画云々が問題になっているとかなっていないとかで、それに対する筆者様の意見が記されていた作品を拝見したのです。仰られていることは正論でしたし、別段この話を引用してなんかする訳ではないのですけども。そこで思い立った言葉がございました。


『自己責任』。まったくもってよく聞く言葉です。中にはうんざりしている人も居るかもしれない。でもね。改めてちょっとこの言葉の意味について、あけっぴろげに、脈絡も身も蓋もなく考えてみようかな、と。


上記の話から論を起こしますが、簡単なところでは『企画への参加の有無』から選択が始まります。そして選択には当然、結果が出ます。問題はその結果を見ての選択なのです。


参加して結果が出て喜ぶこと。参加せず、それに関して口をつぐむこと。参加したのに結果が出ず、企画者などに文句をつけること。参加せず、ランキング上位や新着レビューを参加者が独占したからといって暴れること。全部の参加作品を読みに行くこと。★の返礼として★をつける前提で作品を読みに行くこと。その他諸々……。


全てが選択。その全てが自分の責任。その行為で自分が納得できるのなら良いでしょう。しかし心の何処かで何かが囁いたら。もう一度見直してみるべきかもしれません。


企画だけの話ではありません。投稿ペース、新作の有無、作品のリメイク、作品の打ち切り。全てが選択です。そして選択したらそれを自分で背負う。自分を棚に上げている側面は十分にあります。でも本来のあるべき姿ではないか。そう思うのです。まあ難しいから人って拗らせるんですけどね……。


いくら公開(ピー)だからと言って規約以上に自由に(ピー)をぶちまけたらそりゃ連行(BAN)とかされる訳ででして。ちなみに俺もBANは怖いです。当然。このエッセイ書いてても怖い。でもこれを『書くという選択』をしているのも自分なので、全力を尽くして後は読み手に委ね、その結果に応じて自分で処理をしていくしかない訳です。まあ、心を強く持っていくしかないわけですね。


そんな所で、自分を戒めつつ、今日の徒然はこれにて。

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