第2話 無職の日常
「今回はご縁がなかったいうことで、今後とも当社をーー」
このやり取りは何度目だろう。書類選考で落されなかっただけ良心的な会社だと考えるべきだろう。
無職になってはや半年。十年間の(それこそ命懸けの)労働の対価は決して安いものではなかった。
大半は違約金に消費されたが、残額でも数年は生活できた。ただ、それを後輩たちの育成金として寄付してしまったのは、単に俺の何の役にも立たないプライドのせいだ。
俺を解雇した奴からの施しなんて受けてたまるか! 俺はお前がいなくても生きていける。そう態度でしめしたかった。
生活費もそこをつきかけた今、その愚行を後悔しているあたり見限られて当然だったのかもしれない。
今日受けた会社は商社で、待合室には俺の他に数名の求職者の姿があった。
みな、俺と同い年か年下だった。俺以外はみんな大卒か院卒で、学歴があっても就職は大変なんだとしみじみと思った。
ただ、この会社の求人情報には学歴不問と書いてあったし、俺達に差異はない。何なら十年も職歴がある俺のほうが上ではないか。そんなことを考えていた矢先、他の求職者からこの会社は応募者全員に対して面接を実施するらしいとの情報を聞いてしまった。細心の注意を払って作成したエントリーシートがようやく実を結んだと小躍りした三日前の感動を返してほしい。
面接官は二代半ばの小奇麗な女性だった。中途採用枠ということで前職についてあれこれ聞かれた。俺は自主練習を反復しながら懸命に答えた。
一次面接ということもあり時間は十分程度だった。
「これが最後の質問です。神代さんは、何故、十年間も務めた会社をお辞めになられたのでしょうか?」
やっぱりきたか。大丈夫、答えはちゃんと用意してある。
「……色々とありまして……。社の方針と私の生きざまというのでしょうか。パーソナルな部分が合致しなくてですね。それで辞めました。もちろん、円満な退社です」
咄嗟に作った笑顔がぎこちなかったかもしれない。円満な退社なわけがないだろう。突然、解雇を言い渡されて(実際は、盗み聞いて)、捨てられて野良犬になるくらいなら、自分から飛び出して野生犬になろうと考えて脱走した。
「これで本日の面接は終わりになります。結果につきましては一階受付にてお知らせしますので、お帰りになる際にお立ちより下さい」
そんなに早く合否はでるのか。さすがは大企業……こんな短時間で俺の何がわかるんだよ!
「あのう、神代さん。会社というよりも私個人からのアドバイスになりますが……。もう少し自然な笑顔を心掛けたほうがいいと思います。そんなに睨まれるとこちらも委縮してしまいます。第一印象って大事ですから」
そんなに恐い顔していたかな。今後の参考にしよう。何事もポジティブに考えなければ……。
「ありがとうございました」
不機嫌を悟られないように必死に繕ってお辞儀をし、退出した。俺と入れ違いに面接室に入った男の爽やかな笑顔を目にして絶対に真似できないと思った。
大企業のオフィスビルを出て、人込みの雑沓に紛れた。これだけ人がいるんだ。俺なんかいなくても……。そんなマイナスのことを考えてしまう。
ふと、ショーウィンドウに映った自分の姿が目に止まった。黒髪に、平均的な体格、確かにあの面接官の言う通り少しだけ目つきが悪いかもしれない。
笑ってみる。すげぇ、恐い。一応は笑顔の形はとっているが、目が笑っていない。目は意志を映すという。だとすれば、この眼が宿す意志の正体は……怒り、憎しみ、悲しみ。それとも愛情?
前職のせいで自分の感情すらわからなくなっている。俺は、人間としてとうの昔に破綻しているのかもしれない。
今日は帰って、酒を飲もう。明日のことは明日考えればいいさ。
そんな折、フードを目深に被った若い男がぶつかってきた。
衝撃で転んでしまった。一着しかないスーツの安否を確認していると、男は無言で立ち上がり走り去った。
「今時の若人は本当に」
そんなオッサンくさいセリフを吐きながら、上着のポケットから財布を取り出すと見知らぬ紙が地面に落ちた。
「不採用通知は早々に処分したしな」
折りたたまれた紙を開く。
「……嘘だろう」
紙に淡々と書かれた文字を何度も確認する。まわりの視線なんて気にしている余裕はない。
どうやら俺は使命からは逃げられないらしい。
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