⑦生贄の子羊

「ぐふぁっ!!」

「あなた、どこまでふざけてるの? そんな屑物を本物と見間違う様な眼しか持たないで他人様の家に盗みに入ろうなんて、どんな料簡なの!?」

 険しい顔つきで問い質す美子に、佐藤は顔色を変えて弁解しようとした。


「い、いえっ!? ぬ、盗むだなんて、そんな滅相も」

「黙りなさい!! まかり間違ってうっかり偽物を盗まれて、それが表に出たらどうなると思うの! 巷で『藤宮家ではこんな紛い物を、本物だと思って後生大事に仕舞い込んでいたのか』と、物笑いの種になるでしょうが!?」

「そ、それならっ!! さっき聞いた、ひいお祖父さんが騙されて購入した贋作とか、妹さんが作った模倣品とかを、最初から処分しておいて下さいよ!!」

 どうやらこの場を離れていた間に、どうして美術品に関して造詣が深いのかを美子から説明されたらしい佐藤が、悲鳴じみた声で訴えた。それを聞いた秀明は、(俺もそう思う……)と密かに同意したが、美子は深く嘆息してから言い返した。


「どこまで馬鹿なの、あなた。どうして祖父がそんな紛い物を、後生大事に残しておいたと思ってるの。お人好しで騙されまくった父親でも、祖父が曽祖父の事を尊敬して敬愛してたからでしょうが」

「え?」

 そして怪訝な顔になった佐藤に向かって、美子が力強く断言する。


「現に祖父は、残された品々の説明をしながら『こんなしょうもない物しか残さなかった人だが、騙された事はあっても人を騙した事なんか無い人だったぞ?』と、それはそれは誇らしげに語って聞かせてくれたもの。直接聞いたのは私で最後でしょうから、私が死んだ後は後腐れ無く処分するように家族に言い聞かせておくけど、祖父の想いと思い出が詰まったこれらは、世間的には無価値な二束三文のガラクタでも、私と藤宮家の立派な財産なのよ! 誰に何を言われても、私が生きている限り、これを処分なんかさせないわ!!」

「…………」

 真正面から彼女の顔を見上げた佐藤は、呆気に取られた顔付きになって無言のまま何度か瞬きし、妻の後姿しか見えていない秀明も、思わずその姿を凝視した。すると美子がいつもの穏やかな口調に戻って、話を続ける。


「という訳だから、もう一度家に潜り込んでも、万が一にも一般的には価値のない物を盗んでいかない様に、それなりの鑑定眼をモノにするまでは開放しないから、そのつもりでいて頂戴。……さあ、今度はこれとこれよ。さっさと答えてね?」

 しゃがみ込んだ美子が、今度は瓜二つの一輪挿しを二つ佐藤の前に押しやると、彼ははっきりと顔色を変えて、涙目で土下座しながら叫んだ。


「すみません! ごめんなさい! もうこの家にも他の家にも、絶対盗みに入りません! 決して入りませんから、勘弁し」

「さっさと答えろと言ってるだろ!! 偽物はこっちに決まってるだろうが、このド阿呆がぁぁっ!!」

 美子の怒声と共に勢い良く振り下ろされたハリセンが、一輪挿しの一方を粉々に打ち砕く。それを目の当たりにした佐藤は、完全に腰を抜かして泣き叫んだ。


「ひぃぃぃっ!! だ、誰かっ! 誰か、助けて下さいーっ!!」

 しかし秀明はそのまま襖をきちんと閉めて、何も見聞きしなかった事にして、その場を離れた。


(死にはしないと思うから、美子の気が済むまで付きあわせても支障はないか)

 そんな無情な事を考えながら秀明は自室に戻り、これから必要になると思われる、幾つかの処置を済ませた。


 その日の夜半、何故か覚醒した秀明は、ベッドからゆっくりと上半身を起こし、室内の様子を観察した。しかし室内に異常は感じられなかった為、自分の勘に相当の自信を持っている秀明は、怪訝な顔を見せる。

 そこで彼は隣に寝ている美子を起こさない様に慎重に床に降り立ち、ゆっくりと窓に歩み寄った。そして僅かにカーテンを開けて外の様子を窺ってみると、今度は微かな物音が窓の外から聞こえてくる。


「何だ?」

 思わず小さく自問自答した秀明だったが、その答えはすぐに分かった。器用にも両手首に手錠を嵌めたままの佐藤が、自分達の寝室がある棟とは直角に繋がっている棟の一階の窓から、抜け出す所を目撃したからである。


「なるほど……。根性は認めるが、気付かれている時点でまだまだだな」

 そんな事を呟いた秀明は、カーテンを元通りに閉めて窓から離れ、なるべく音を立てない様にクローゼットに掛けてあったコートを取り出すと、パジャマの上にそれを羽織りながら寝室を抜け出た。それから足音を忍ばせて玄関に向かい、靴を履いて外へと出る。

 全く迷いのない足取りでまっすぐ門へと向かった秀明は、中途半端に開いていた門の扉を開けて外へと出た途端、少し離れた所で喚いている客人の姿を認めた。


「……いてててっ!! あんたら何もんだよ! 離せ!!」

 監視拠点としている藤宮家の門の斜め向かいに位置している家で、当直していた二人組の黒服の男に、彼はあっさり取り押さえられていた。浴衣に裸足、加えて手錠を嵌めていると言う、どこからどう見ても不審者にしか見えない佐藤は抵抗しながら訴えたが、対する男達は冷笑で応じる。


「こそこそ逃げ出した挙句、暴れる方が悪い」

「それに世話になってる家に、何の断りも無く出て行くような不義理は、許せんな」

「そうだな。ここは一つ逃げたくても逃げられない様に、足の一本でも折っておくか?」

「名案だ。それなら一・二ヶ月、嫌でもこの家から逃げられないからな」

「病院に入院させる訳にはいかないから、折った後に適当に引っ張って繋いでみるから、治った時足が歪む位は勘弁しろよ?」

「そうそう、俺達医者じゃねえし。まともに歩けなくなるかもしれねえなぁ」

「ひっ、ひいぃぃっ……」

 男達のからかいの台詞をすっかり真に受けてしまった佐藤は、完全に腰を抜かして恐れおののき、そんな一連のやり取りを耳にした秀明は笑いを堪えながら、精一杯厳めしい表情を取り繕って男達に声をかけた。


「二人とも、捕獲ご苦労。世話をかけたな」

 すると二人の男は瞬時に真面目な顔を取り繕い、秀明に向かって深々と頭を下げる。


「社長、夜遅くお騒がせして申し訳ありません」

「ですが助かります。捕獲したものの、こいつを敷地内に投げ込むだけでは騒ぎになるかと思いましたので」

「安心しろ。俺が責任を持って引き摺って行く」

 そんなやり取りを見た佐藤は、些か呆然としながら呟く。


「『社長』って……、どうしてだ? その人の奥さんの父親は大きな会社の社長だが、その人はそこの会社の課長だって聞いたぞ?」

 その問いかけに、男達は鼻で笑って答えた。


「確かに社長は旭日食品社長の家に婿入りしたが、それとは別に、俺らの組織のトップでもあるんだよ」

「副社長に実務丸投げの、名目上の社長だがな」

「ですが本当にヤバイ案件に関しては、副社長ではなく社長が判断していらっしゃいますから」

 苦笑気味に言葉を交わす三人を、道路に座り込んだまま見上げた佐藤は、顔を蒼白にさせて喘ぐように告げた。


「あ、あんた……、実はカタギの婚家を隠れ蓑にした、ヤクザだってのか?」

 何やら変な風に勘違いした上での掠れ声を聞いて、名目上の部下二人から(さあ、どうするんです?)といった感じの、どう見ても面白がっている視線を受けた秀明は、佐藤の前で道路に片膝を付いて、彼と視線を合わせながら凄んだ。


「……だったら、どうだって言うんだ? ヤクザの家に盗みに入る様な馬鹿、今更命なんか惜しがる筈も無いよな?」

「す、すみません! ごめんなさい! 全然知らなかったんです!!」

「何時だと思ってる。近所迷惑だ。騒がない様に、さっさと息の根を止めるか」

「…………」

 顔面蒼白で今にも号泣せんばかりの佐藤だったが、冷静に時間帯を指摘された途端、涙目で全身を硬直させて口を噤んだ。背後で「社長、悪乗りし過ぎ」「楽しんでるよな」などと囁いているのが聞こえてきたが、秀明はそれには構わず、更に冷酷な表情と声音を装いながら話を続ける。


「俺の妻とその家族は、俺達とは違って揃いも揃って善良な人間ばかりなんだ。万が一、その人達に少しでも危害を与えたり被害を被らせたりするなら、手足の爪を一枚ずつ全部剥がした後、麻酔無しで歯を一本ずつ抜いて、腹を切り開いて心臓と肺以外の全ての内臓を取り出して投げ捨てるのを見せて散々苦痛と恐怖を味あわせてから、最後に両眼を抉り出」

「ししししませんっ!! ここの家の皆さんに、髪の毛一本程のお怪我だってさせませんし、物も壊しませんし、盗みません! 本当です!! 信じて下さい!」

「それなら妻が満足するまで付き合って、大人しくここに滞在するな? 皆お前を『可哀想な行き倒れの貧乏学生』だと思って親切にしてるんだ。それが泥棒だと分かったらショックを受けるし、怖がって人間不信になりかねん」

「分かりました! 遠慮なくお世話になります! 俺は行き倒れの貧乏学生です!」

 ぶんぶんと首がちぎれそうな勢いで縦に振った佐藤の肩を、ここまで無言を保っていた二人が、それぞれ左右から叩きながら言い聞かせた。


「ようし、良い子だ。言っておくがこの屋敷は、二十四時間俺達が警備してるから、間違っても逃げ出そうとは思うなよ?」

「今度捕まえたら、問答無用で骨位やっても良いですよね?」

「そうだな……。流石に利き手の右腕は気の毒だから、左腕と右足を折ってくれ。俺の判断は待たなくて良い」

「了解しました。他の皆にも、しっかり申し送りしておきます」

 にやりと笑いながら物騒極まりない事を口にした秀明に、佐藤は完全に血の気を失った。そして秀明に立つ様に促された佐藤は、よろよろとした足取りで門に向かって歩き出す。対する秀明は、男達に改めて軽く礼を述べてから、佐藤を引きずる様にして歩き出した。


「もう一つ言っておくがな、加川」

「はい……、って!? 何で俺の名前!?」

 さり気なく声をかけられた為、うっかり素直に返事してから、佐藤は自分の本名がばれている事に愕然として足を止めた。そこで同じ様に足を止めた秀明が乱暴に浴衣の合わせ目を掴み上げ、ドスの効いた声で恫喝する。


「お前の身元位、すぐに調べられる。お前にも、大事な人間の一人や二人は居るよな? お前が逃亡したり屋敷内で何かヘマをしたら、その人物に不幸が降りかかるかもしれん。……これは単なる独り言だが」

「…………」

 そんな明らかな脅迫に、再度恐怖のどん底に叩き落とされた佐藤が固まっていると、秀明がその顔に不気味な笑みを浮かべながら告げる。


「気合入れて『骨董好きの貧乏学生』を、最後まで演じろよ?」

「……はい」

 それから静かに家の中に入り直した二人は、何事も無かったかの様にそれぞれの部屋に戻った。

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