(23)急な話

「……社長?」

 いつもの彼らしくなく、若干戸惑っている秀明の表情を見て、昌典は幾らか溜飲を下げながら、不敵に笑った。


「婿に入るなら、婚姻届と養子縁組届を出す必要がある。二つは同時でも構わないが、私の立場上どうしても披露宴には旭日食品や旭日ホールディングス関係企業の重役を呼ぶ必要があるからな。招待状を送った段階で色々問い詰められると思うから、それだけでもさっさと手続きして事前に社内外に公表しておけば、幾らかは説明が楽だし手間が省ける」

 それは言外に、社内外に秀明を藤宮家の人間、かつ自分の後継者候補として公表するという事を意味しており、そこまでは考えていなかった美子は軽く目を見張り、秀明は神妙に頭を下げた。


「分かりました。幸い本籍は都内に移してありますので、明日にでも戸籍謄本を取ります」

「仕事はサボるなよ?」

「勿論、勤務時間内に、外出の用事をでっち上げます」

「あのな……」

「真面目に仕事をしなさい!」

 平然と勤務時間内に職場を抜け出す算段を立てている秀明に、昌典と美子は本気で頭痛を覚える羽目になった。それから幾つかのやり取りをした秀明が昌典に挨拶をして席を立ち、美子は彼を見送る為、並んで廊下を歩き出した。


「そう言えば……。秀明さんの方は、招待客のリストをもう出したのよね?」

「ああ。それがどうかしたか?」

「加積さん達の他に、どんな人達を呼ぶの?」

「職場で無視できない関係の人間と、大学時代や経産省時代からの友人知人で五十人は埋まった。出席できないと断りを入れてくる人間もいるだろうから、人数は多目に見積もっているが」

 主に好奇心から尋ねた美子だったが、新郎側と新婦側の招待客数のバランスの悪さを思い出し、もう少し呼びたい人間はいないのかと、少し心配になりながら尋ねてみた。


「昔からのお友達とかは呼ばないの? ほら、この前地元の駅で会った勝俣さんとか」

 思いついた名前を挙げてみると、秀明は彼には珍しく真剣に考え込む表情になって、困った様に尋ね返してくる。


「靖史? そうだな……、呼びたいのは山々だが、誰か一人だけ呼んで、他を呼ばないって言うのはな。不公平になるだろう?」

「勝俣さんの他に、何人位呼びたいの?」

「そうだな……、ざっと八十人位?」

「友達……、多いのね」

 美子が少し唖然とした表情になると、それを見た秀明は苦笑いしながら首を振った。


「でも皆に、わざわざこちらに出て来て貰うのも悪いしな。あそこを出て以来、音信不通になっている人間が殆どだし」

(でも本音を言えば、音信不通になっているにも関わらず招待したいし、気を遣う人間がたくさんいるわけね。この人が、あそこに拘る理由が分かった気がするわ)

 秀明の様子から、何となく相手の心情を察知した美子は、玄関で靴を履き出した秀明に向かって、ちょっとした提案をしてみた。


「ねえ。それなら披露宴に招待するのは諦めるにしても、あそこで別に披露宴擬きをしない?」

「披露宴擬き?」

 予想外の事を言われて瞬きした秀明の横で、門まで見送る為に美子も靴を履きながら、事もなげに言い出した。


「地元に残っている人同士なら、連絡が付いたり消息が掴めるんじゃない? 会いたい人のリストを作って、勝俣さんみたいに地元に居て顔が広そうな人に、片っ端から当たって貰えば何とかなるわよ。成人式の時とか、クラス会の類をやっていないの?」

「やっている。靖史から話を聞いた。色々あって参加できなかったが」

「それならその時のリストを元に、誰か面倒見の良さそうな人に幹事を頼んで、会費二千円位の飲み会を企画して貰うのよ。ほら、会費制の披露宴ってあるじゃない」

「それはそうだが……」

「気軽に参加して貰う様に、適当なお店を借り切って飲み放題食べ放題にしましょう。足が出た分は私が出すわ。できるだけ多くの、秀明さんのお友達に会いたいし」

「ちょっと待て、美子」

 思いついたまま口に出しつつ、歩き出して玄関を引き開けようとした美子の手首を、秀明が掴んで制止した。その為、美子は困った様に彼を見上げる。


「駄目? そういう面倒な事を、仕切ってくれそうな人はいないかしら?」

「いや、幹事の心当たりはある。俺が不満なのは、お前が金を負担するところだ。俺の昔のダチを呼ぶんだから、俺が金を出すのが筋だろうが?」

 真顔で主張してきた秀明に、美子は溜め息を吐いて応じた。


「つまらない事に拘るのね」

「つまらなくは無い。俺が出す」

「折半」

「……分かった。折半だ」

 一瞬面白く無さそうな顔付きになったものの、一歩も引かない気迫の美子の顔付きを見て、秀明はすぐに苦笑いの表情になり、美子の手首から手を離した。それを受けて美子も笑いながら玄関を開け、並んで門に向かって歩き出す。


「それと職場関係と友人関係の他は良いの?」

「他と言うと?」

「恩師関係とか親戚関係とか」

「何だと?」

 思いつくまま無意識に口に出した瞬間、至近距離からゾクッとする冷気を感じた美子は、自分の失言を悟った。


(しまった! うっかりしてたわ。この人、父方母方双方と絶縁してるのに!)

 正面から秀明の顔を見るのは怖かったものの、美子は勇気を振り絞って彼に向き直り、謝罪しようと口を開いた。


「あ、あの、ごめんなさい」

「何か余計な事を、お前の耳に入れた馬鹿でも居たか?」

「え? 余計な事って?」

 激怒しているかと思いきや、険しい表情ながらも怒っているのとは微妙に異なる空気に加え、意味不明な事を言われて美子は戸惑ってしまった。そんな彼女を見て、すぐにいつもの顔付きになった秀明が、踵を返して歩き出す。


「……何でもない。今度の土曜日、忘れるなよ? 新しい車を買ったから、ここに迎えに来る」

「え、ええ。待ってるから」

 そのまま振り返らずに門から出て行った秀明に、美子は「気を付けてね」と最後に声をかけたものの、秀明は振り返らないまま軽く手を振っただけで歩き去って行った。その姿が角を曲がって見えなくなってから、美子は門の中に入って鍵をかけたが、先程の彼の様子を思い返して溜め息を吐く。


「失敗したかも……。でも『余計な事』とか『馬鹿』って、何の事かしら?」

 先程の秀明の態度に引っ掛かりを覚えつつ、美子は再び玄関に入り、忘れないうちにきちんと予定を控えておこうと、気持ちを切り替えて自室へと向かった。

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