(13)秀明の乱入

「いっ、けぇぇっ!!」

 そうして美子の渾身の気合で蹴り出したボールは、ほぼ一直線に飛んで行き、一人の頭上の的を弾き飛ばしてそのまま後方に飛んで行った。それを見た桜達が、拍手しながら感嘆の声を上げる。


「きゃあっ!! 凄いわ、美子さん。命中よ!!」

「ほう、これは凄い。いやあ、大した物だ」

「……どうも」

 称賛の言葉に対して美子は辛うじて笑顔を保ちながら言葉を返したが、内心では結構動揺していた。


(『大した物』なのは、ここの使用人の皆さんですよ!! どうして顔目掛けて一直線にボールが飛んできてるのに、目を見開いたまま微動だにしないで直立不動でいられるの!? 普通無意識に避けるわよね? そのおかげで的中したけど、あの人達自立歩行式ロボットなの!? まかり間違って顔面命中コースでも、絶対に避けないで大量出血確実だわ!?)

 顔面直撃コースでも全く動じない男達に、うすら寒い物を感じた美子の心情などお構いなしに、桜が楽しそうに促してくる。


「美子さん! 他の的にも当ててみて?」

「はぁ……、やってみます」

(もうどうだって良いわ。あれは自足歩行ができる、高性能案山子よ。誰が何と言っても案山子だわ。ボールがぶち当たっても、鼻血なんか出ないんだから!!)

 かなり無茶苦茶な事を考えながら、それから美子は殆ど自棄でボールを蹴り続けた。


「とぅ、りゃあぁぁーっ!!」

「きゃあ! また当たったわ~」

「いやいや、これは凄いな」

(あはは……、もう、どうとでもなれだわ……)

 取り敢えずこの場を何とか穏便に切り抜けたい一心でボールを蹴り続けた美子が、六球目で六つ目の的を見事に弾き飛ばしたところで、かなり向こうの塀の外から喧騒が伝わってきた。


「あら、何かしら?」

「随分騒々しいな」

(本当。この辺は閑静な住宅街だし、幹線道路からは奥に入っているから、逃走車両なんかも来ないと思うんだけど……)

 どう考えてもパトカーのサイレンや、スピーカーでの制止や警告らしき音声が塀に沿って響いてきたが、はっきりと聞き取れないうちに、何やら派手な衝突音と怒声が入り交じった騒動が伝わってきた。


「何?」

 美子が目を丸くする中、流石に顔を顰めた加積が傍に控えていた笠原に言いつける。

「笠原、ちょっと様子を見て来てくれ」

「畏まりました」

 落ち着き払った動作で一礼した笠原が姿を消すと、桜がしみじみとした口調で述べた。


「こんな所で事故かしら。危ないわねぇ」

「本当にそうですね」

「じゃあ美子さん。次、あそこもやってみて?」

「……はい」

 やっぱり最後までやらないと駄目かと、美子はがっくり項垂れながら残る的に意識を集中しようとしたが、ここで急に背後が騒がしくなってきた事に気が付いた。


「……るな! ……がっ!」

「お前……、……の、か……」

「……、邪魔す……、そこ……」

「……押さえ……、……ざけっ、……っ!」

(何事なの? 切れ切れにしか声が聞こえないけど、段々、騒ぎが大きくなっている様な気が……)

 そう訝しんでいた美子の目の前で、突然四・五人の男が一塊になって生け垣を回り込んで庭に乱入してきた。


「……っの! くたばり損ないの妖怪じじぃ!! どこに居やがる!?」

「ふざけるな! 貴様こそ、とっとと失せろ!! 身の程知らずの若造がっ!!」

「お前らこそ、公務執行妨害で全員纏めて現行犯逮捕だ!! その手を離せ!!」

 血相を変えて怒鳴り散らしている秀明を、排除しようとしている笠原と同様の黒スーツの男達と、秀明の身柄を確保しようとしているらしい警察官達が、互いに牽制し合い、取っ組み合っている三つ巴の状態に、美子は一瞬呆然としてから無意識に叫び声を上げた。


「ちょっと! どうしてあんたがここに居るの? まだ南米に居る筈じゃない!?」

「どうして、って……」

 その声で美子に気付いた秀明は、警官を殴り倒そうとした手の動きを止めて固まった。そして彼と同様に集団から遅れて庭に侵入してきた幾人かの警官達も、美子の他、加積夫妻や庭に点在している的人間を見て、あまりの非日常的な光景に無言になって動きを止める。


「……お前、ここで一体、何をやっている?」

「何を、って……」

 警官の胸倉から手を離し、ゆっくりと美子に近付きながら、地を這う様な声音で尋ねてきた秀明に、美子は狼狽して口ごもった。しかし桜が縁側で立ち上がって、堂々と言い放つ。


「見て分からないの? コスプレに決まってるじゃない。美子さんがサッカー選手になって、幼稚園に慰問に来たって設定なの。皆、騒ぎ立てる様な、無粋な真似は止めて頂戴」

 その物言いに、秀明はピクッと頬を引き攣らせたが、黒スーツの男の一人が深々と頭を下げて謝罪してきた。


「申し訳ございません、奥様。不法侵入者が大挙して押しかけまして、表で対処しきれませず」

「こちらに人数を割いてしまったから、仕方あるまい。そちらの方々には、即刻お引き取り願おうか。職務に忠実な事は賞賛に値するが、生憎とそれはうちの客人なので、それを置いて引き上げて貰うと嬉しいんだが」

 加積が鷹揚に頷き、その場の責任者らしき私服警官に話しかけたが、その要請に少しの間傍観していた警官達は、途端に我に返っていきり立った。


「あなたがこちらのご主人か? 無茶な事は仰らないで頂きたい! この男は危険運転及び道交法違反での現行犯逮捕をさせて貰う。ほら、とっとと来い!」

「ふざけるな! 俺はこれからこいつを連れ帰る必要があるんだ。お前らはとっとと失せろ!」

「ふざけてるのはお前の方だろうが!」

「やれやれ困ったな。どうしたものか」

 目の前で秀明を警官が取り囲み、更に黒スーツの男達と警官の間にも一触即発の気配が漂い始めたのを感じた美子が、オロオロと為す術も無く事態を見守っていると、どこか間延びした口調で加積が尚も口を挟んだ。


「もう一度尋ねるが、私の申し出はそんなに無茶な事かな?」

「当たり前です! 第一」

「お話中、申し訳ありません。あなた様のお名前は、鈴鹿様と仰いますか?」

 怒りで顔を赤らめながら、私服警官の一人が加積に向かって言い募ろうとした時、どこからともなく現れた笠原が彼に親身にお伺いを立てきた。その為、相手も一応怒気を収めて笠原に向き直る。


「あ、ああ、そうですが、何か?」

「鈴鹿様の上司の方とお電話が繋がっておりますので、出て頂けますか?」

「はあ? 分かりました。お借りします」

 恭しく差し出された携帯を、当惑しながら鈴鹿が受け取り、周りの警官達も怪訝な表情になって互いの顔を見合わせた。


「はい、鈴鹿ですが……。署長!? いえ、その……。はぁ!?」

 そして話し始めてすぐに携帯を耳に当てながら勢い良く加積を振り返り、すぐに背中を向けながら小声で「しかし」とか「ですが!」などと電話の向こうにいる人物に反論していた様だったが、さほど時間を要さずに通話が終了した。


「……分かりました。その様に取り計らいます」

 そして通話を終わらせて笠原に携帯を返しながら、鈴鹿が無念極まりない表情と口調で申し出た。


「お邪魔いたしました。そちらの方の行為は、不問に付すとの上の指示ですので……」

「無駄骨を折らせて悪かったな」

「気を付けてお帰りになってね」

 憎々しげに秀明を睨みながら辞去した鈴鹿達を、加積達は朗らかな笑顔で見送った。


「笠原、どうやった?」

「表の方で倒れていた警官の方に、所属部署をお尋ねしまして。そちら方面に影響をお持ちの田部様に連絡して、所轄の署長にお口添えして頂きました」

「相変わらず仕事が早いな」

「ありがとう、笠原」

「いえ、当然の事でございます」

 淡々とした主従のやり取りに美子がひたすら唖然としていると、笠原の口からとんでもない内容が飛び出してきた。


「ところで、その男は何をしたんだ?」

「成田から制限速度五十キロオーバーで飛ばして、周囲の車を煽ったりかすめたりした挙げ句、信号無視で交差点を突っ切り、避けようとした車同士が衝突、追突事故を起こしたそうです」

「五十キロ……」

「免停確実だな」

「あらあら。暴れん坊さんねぇ」

 そんな事実を電話一本で無かった事にするなんてと、美子が改めて加積夫妻に対する畏怖を覚えていると、更に驚愕する事実が耳に飛び込んでくる。


「更に一方通行を逆走してこちらの道に入り、門前で派手にスピンさせて車の側面を正門に派手に衝突させた上で斜めに突っ込み、無理やり門に隙間を開けて邸内に侵入しました。それを追って来た警官も乱入して、こちらの人間とも混戦状態になった次第です」

「一体、何やってるのよ!?」

 本気で呆れ果てて秀明を怒鳴りつけた美子だったが、忽ちその数倍の剣幕で叱りつけられる羽目になった。


「それはこっちの台詞だ!? 急いで仕事を片付けて、死に物狂いで車を飛ばして駆けつけてみれば、妖怪夫婦と仲良くコスプレの真っ最中とはどういう了見だ!? 人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」

 秀明が本気で怒っているのが否応なく分かってしまった為、美子は怖じ気づきながらも必死になって弁解の言葉を口にした。


「だっ、だって! 背番号が12番よ!? ネーム入りよ!? 着なきゃ駄目じゃない!」

「全然意味が分からん!! だからお前は世間知らずだって言ってるんだ、この間抜け女!!」

「それはっ……、そうかもしれないけどっ……。だっ、だってぇぇっ……」

 そこでとうとう張り詰めていた緊張の糸が切れてしまった美子は、人目もはばからずに「うえぇぇっ!」と大声を上げて泣き出した。その豪快な泣きっぷりに、秀明を筆頭とする周りの者が唖然となる。


(だ、駄目っ……。何か急に安心しちゃったら、涙が止まらない。でも、大泣きしちゃって加積さん達が興醒めしちゃったら、お父さんや美恵達に迷惑がかかるかも……)

 そうは思ってもなかなか収まらない涙に美子が内心で焦っていると、秀明も怒りを抑えて僅かに狼狽した様に声をかけてきた。


「え? あ、おい。何もそんなに泣く事は無いんじゃ」

「まあぁ、女性を泣かせるなんて、最低な殿方ねえ」

「全くだな。こんな男が巷にはびこっているとは、嘆かわしい」

「あのな……、そもそもこいつがこうなったのは、あんたらのせい……、って、おいっ!?」

 好き勝手言っている加積と桜に、秀明が怒りの形相で文句を口にしようとしたが、ここでいきなり美子が秀明に駆け寄った。当然誰もが彼女が秀明に抱き付くかと思いきや、彼のジャケットの胸元を両手で掴み、ずびび――っと勢い良く、遠慮の欠片も無しに鼻をかむと言う暴挙に及び、その場に再び秀明の怒声が響く。


「美子!! お前は何でここでこの場面で、俺の服で力一杯鼻をかむ様な真似をするんだ!?」

「加積さんや桜さんに向かって、こんな真似はできないからに決まってるでしょうがっ!!」

「そういう問題じゃ無いだろうが!?」

「だっ、だってぇぇぇぇっ! なっ、泣き止まないと駄目ぇぇっ!」

「だったらさっさと泣き止め!!」

「むっ、無理ぃぃぃぃっ!! ふえぇぇぇっ!!」

「おいっ!! だから、ちょっと落ち着け!?」

 そして自分のジャケットを握り締めたまま、再び本格的に泣き出した美子を、秀明はこめかみに青筋を浮かべながら叱りつける。そんな光景を見せられた桜は、とうとう腹を抱えて爆笑し始めた。


「あはははははっ! やっぱり美子さん、最高だわ!」

「いやあ、俺だったら本気で惚れた相手にだったら涙や鼻水塗れにされても本望だが? どうした、色男」

「お前ら……」

 ひくっと頬を引き攣らせて不穏な気配を醸し出し始めた秀明を、即座に黒スーツの男達が囲もうとしたが、加積は僅かな手の動きだけでそれを制した。


「ここでこうしていても始まらん。美子さんは勿論帰すつもりでいるが、その格好のままでは少々問題があるだろう。元の着物に着替えながら、顔もどうにかさせよう。その間、お前はちょっと俺の話し相手になって貰おうか」

「あんたと話す事なんて」

「俺にちょっとした借りを作ったばかりの、招かれざる客は誰だろうな?」

「……ちっ」

 加積の提案に反論しようとした秀明だったが、重ねて告げられてさすがに分が悪い事を再認識した為、盛大な舌打ちをしてから自分のジャケットを掴んでいる美子に嫌々ながら言い聞かせた。


「取り敢えずそれを着替えて、まともな格好でましな顔にして来い。話はそれからだ」

「うぇぇっ……、は、はいっ……」

 ぐすぐすと美子が泣きながらも取り敢えず頷き、苦笑いしている桜に宥められながら屋敷の中に連れて行かれるのを黙って見送った秀明は、加積に促されて縁側から上がり込んだ。そして先程美子が通された座敷で、人払いをした加積と向かい合う。


「さて、若いの。俺からちょっとした提案があるんだがな?」

「断る」

 即座に真顔で断りを入れた秀明に、加積が面白そうな顔つきになる。


「話を聞く前から断定するのは、得策では無いと思うが?」

「どう考えてもあんたの持ちかける話なんて、面倒な事としか思えない」

「良い勘をしている。尚更気に入った」

 益々機嫌良さそうに笑った加積に対して、秀明がはっきりとした渋面になる。そして本人が全く預かり知らない所で、美子に関する重要な事があっさりと取り決められてしまった。

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