(19)予想外の醜聞

 待ち合わせ場所でほぼ一年ぶりに従弟と顔を合わせた時、美子は内心で色々思う事はあっても、それを面には出さずに笑顔で声をかけた。


「お待たせ、俊典君。久しぶりね。元気だった?」

 それに相手も同様の笑顔で応える。

「ええ、美子さんも元気そうで何よりです。深美伯母さんの事があったから、心配していたから」

「ありがとう。家の中の事も何とか落ち着いたから、大丈夫よ」

「それは良かった。じゃあ、行きましょうか」

 祖父や叔父とは良く似通った顔立ちながら、美子は心の中で(良く言えば貴公子然だけど、確かに気概や迫力に欠けるかもしれないわ。そこら辺が照江叔母さんには、不満で不安なんでしょうね)と、並んで歩きつつ冷静に彼を評した。

 そんな事など微塵も想像していない俊典は、そつなく話題を振って時折美子を笑わせながら、予約してあった店に彼女を連れて行った。 


「本当は家族全員で、通夜や葬儀にも出向きたかったけど、父が『外戚が大挙して押し掛けたら、昌典の立場を悪くする』とか言って、俺達を同行させなかったから。その……、母さんの話では、精進落としの席で問題が起きたそうだけど、その後、困った事になったりはしていないのかな?」

 テーブルに案内されて注文を済ませると、早速俊典が一番聞きたかったらしい内容を口にした。さすがに他家の事情に首を突っ込み過ぎかと、懸念しながら問いかけられた内容に、美子は思わず苦笑しながら頷く。


「それも父や藤宮家の親族達で、上手く取り計らっているから心配要らないわ。余計な騒ぎにしてしまってごめんなさい」

「そうか、それなら良いんだ。やっぱり美子さんは凄いよな。あれから本当に母さんが感心しきりで」

 一人で納得した様にうんうんと頷いている俊典を見て、美子の頬が僅かに引き攣った。


「私としては、後から思い返したら傍若無人過ぎて赤面物だから、皆には早く忘れて貰いたいわ」

「母に限っては無理だと思う」

「……そうみたいね」

 真顔で断言されてしまった美子は、がっくりと肩を落とした。するとマッシュルームのポタージュを持って来たウエイターが下がったのを見計らって、俊典がまた控え目に声をかけてくる。


「それで、母から話を聞いていると思うけど……」

 さっそくスプーンを取り上げてスープ皿に入れた美子は、手の動きを止めて彼に視線を向けた。

「私との結婚の事よね? いきなりの話で、正直驚いたわ」

 そう言ってスープを口に運んだ美子に、俊典は同意する様に頷いた。


「同感。俺だってまだ秘書としての仕事を覚えてこなすのに精一杯だし、二年後に控えている区議会議員選挙に立候補しろって言われて、これから地元の有力者との関係を綿密にしていかなきゃいけない時期だって言うのに、そんな事落ち着いて考えられるかよ」

 最後は彼らしくなく、些か乱暴に文句を言ったのを聞いて、美子は一人納得した。


「なるほどね……、それで分かったわ」

「え? 何が?」

 当惑した俊典に、美子は更にスープを一口飲んでから、自分の推測を口にした。


「俊典君が二年後に立候補するからこそ、ここで私との結婚話が持ち上がったのよ」

「は? どうして?」

 まだ良く分かっていない従弟に、彼女は噛んで含める様に説明を始めた。


「だって、立候補者の母親が横に立って『息子を宜しくお願いします』って頭を下げてたら、とんだ過保護と思われるか、露骨な世襲議員だと思われそうだもの。妻が夫の為に頭を下げるなら、内助の功以外の何物でも無いでしょうけど」

「…………」

 そこまで言われて分からない俊典では無く、無言で美子を凝視した。その視線に構わず、美子は話を続ける。


「加えて、これまでの叔父さんの選挙の時、体調を崩すまでは母が、その後は私がいつも選挙事務所のお手伝いをしていたから後援会の主だった方とは顔見知りだし、政治活動の内情なんかもある程度は分かっているし」

「確かにそうだね」

「だから叔母さんにしてみれば、これから手取り足取り政治家の嫁教育をする必要が無い、後援会から反対される可能性も無い、ある程度気心のしれた私を嫁に迎えて、来るべく選挙に備えて今のうちに万全の布陣を作ろうって考えたわけよ。気持ちは分かるけど……」

「…………」

 そう言って溜め息を吐いてから、美子はこれまで通りスープを飲み始めたが、向かい側の俊典の手と口が全く動いてないのを見て、怪訝な顔で尋ねた。


「俊典君、どうかしたの?」

 その声で我に返ったらしい俊典は、何回か瞬きしてから苦笑いの表情になった。

「やっぱり美子さんはさすがだなって思って。俺は正直、今回の話と選挙が結び付いているとは思って無かったから」

 そう言って食事を再開した俊典に、美子は宥める様に言い聞かせた。


「本来結婚は自分の意志で決めるものだし、叔父さんも政略結婚とか画策するタイプじゃないし、そういう風に考えられなくても無理ないわよ。叔母さんだって全くの打算だけで話を持って来たわけじゃないんだし、気に入らないからって親子で揉めないでね?」

「いや、美子さんは何事もそつがなくて任せておけば安心って感じがするし、どんな人にも分け隔て無く優しいし、母の見る目に感心する事はあっても、文句を付けるつもりは無いよ?」

「……そう?」

「ああ」

(何だか困った流れになりそうだわ。どうしたものかしら?)

 如何にも感心した様に、俊典が好感度の高い笑顔で述べてくる為、美子は笑顔を返しながら内心で頭を抱えた。そしてスープを食べ終え、黒ムツのポアレにアオリイカの煮込みが添えられた皿が運ばれてきたところで、何やら急に俯いて難しい顔をしていた俊典が顔を上げ、重々しく言い出してくる。


「それで……、ちょっと参考までに、美子さんの意見を聞いてみたい事があるんだけど……」

「何かしら?」

 相手の様子を見て美子が不思議そうに尋ね返すと、俊典が尚も小声で念を押してくる。

「くれぐれも、ここだけの話にして貰いたいんだけど……」

 如何にも心配そうに言われて、美子は流石に若干腹を立てた。


「それなりに口は固い方だと自負しているけど、そんなに心配なら話さないで貰える?」

「いや、ごめん! 嫌味とかじゃないから!」

「それは分かっているわよ?」

(何なの? 鬱陶しいわね)

 美子は何とか微笑みながらも内心で苛付いていると、俊典は更に声を潜めて、周囲を憚る様にして話し出した。


「実は……、父には二十年来懇意にしている女性がいるんだけど……」

「え? 懇意って……」

(後援会や常任委員会で、親しくお付き合いしている女性の方は何人も……。じゃなくて、この場合、意味する所はひょっとして!!)

 何気なく切り分けて口に運んだ魚の身を噛みしめながら頭の中で考えた美子は、その意味する所を悟った瞬間、勢い良く口の中の物を飲み込んで声を張り上げてしまった。


「えぇぇぇっ!? まさかあの叔父さんに限って!!」

「美子さん! 声が大きいっ!!」

「ご、ごめんなさい」

 血相を変えた俊典が中腰になって制止してきた為、美子は慌てて謝罪した。そして声を潜めて相手に抗議する。


「俊典君、こんな所で笑えない冗談は止めて。お願いだから」

 それは本心からの懇願だったのだが、俊典は真顔で告げた。

「俺も初めて知った時は、冗談かと思った」

 それを聞いた美子は、フォークとナイフを置いて本気で愚痴る。


「……お願い、勘弁して。この事、叔母さんは知ってるの?」

「全く。だからくれぐれも」

「言えるわけ無いわよ」

「ごめん」

 申し訳なさそうに謝られたものの、美子は聞かされた内容に頭痛を覚えた。


(こんな事聞かせないで……。今度叔父さん達の前に出た時、平常心を保てるかしら? 第一、今までの話の流れで、どうしてこの話題が出るの? 全然意味が分からないわ)

 短時間のうちに目まぐるしく考えを巡らせた美子だったが、全く相手の意図が分からなかった為、自棄になって再び切り身を口に運んだ。そして食べた事で幾らか冷静さを取り戻せた為、なるべく慎重に尋ねてみる。 


「それで? どうしてそんな事を私に聞かせたの?」

「その……、美子さんが、それについてどう思うか聞きたくて」

「どうして?」

「まあ、ちょっと色々あって……。そう言うのって言語道断だと思うかな?」

 顔色を窺う様にしてそんな事を言われた為、美子は渋面になりそうなのを堪えつつ慎重に述べてみた。


「幾ら身内と言っても、それぞれの家庭や夫婦間の事情は有るでしょうし、頭ごなしに否定するつもりは無いし、特に何も言うつもりは無いわ」

「そうなんだ。やっぱり美子さんは冷静だよな」

(何一人でほっとしているのよ。まさか……)

 如何にも安堵した様に自分を評した俊典に腹を立てつつ、そこでろくでもない考えが頭の中を過った美子は、相手を軽く睨む様にしながら尋ねた。


「俊典君。まさか結婚話を進める為に会うって言うのは方便で、叔母さんには内緒で叔父さんとその女性との別れ話に、一枚噛んでくれとか言わないわよね?」

 それに俊典が慌てて否定しようとした時、至近距離で女性の悲鳴が上がった。


「まさか! そんな事を美子さんに頼むなんて」

「きゃあっ!!」

「うあっ!! 何だ!?」

 皿を運んでいたウエイトレスの一人が、自分達のテーブルのすぐ近くで何かに躓いて転び、彼女の手から離れた皿が宙を舞って、皿が俊典の右肩に、それに乗せられていた牛フィレ肉のローストと、その付け合せの野菜が彼の側頭部に命中する様を、美子はばっちりと見てしまった。


「お客様、申し訳ございません!」

 あまりの出来事に、被害者の俊典同様固まってしまった美子だったが、その原因を作ったウエイトレスが勢い良く頭を下げて謝罪してきたのを耳にして、膝の上のナプキンを掴みつつ勢い良く立ち上がった。

「俊典君、大丈夫!? あなた、ここは良いから、急いで何か拭く物を持って来て。できれば濡らした物を」

「畏まりました!」

 再度頭を下げて走り去るウエイトレスと入れ替わる様に俊典の横に来た美子は、取り敢えず自分が持って来たナプキンを使って、未だ呆然として微動だにしない彼の頭や肩に乗ったままの肉や野菜を取り除く。


「ソースがべったり付いちゃったわね。クリーニングで落ちれば良いけど」

 取り敢えず落ちている皿に取った物を乗せてから、今度は俊典が使っていたナプキンで髪やスーツのソースを拭き取ってみたが、流石に簡単に拭き取れる物では無かった。


「全く! この店は、どんな従業員教育をしてるんだ!」

 ここにきて呆然とするのを通り越して、俊典が怒りを募らせ始めていると、それを宥める間もなく、黒の上下で固めた責任者らしい初老の男性と、先程のウエイトレスが連れ立って戻って来た。


「お待たせしました。こちらをお使い下さい」

「ありがとう」

「お客様。この度はこちらの者が、大変失礼を致しました。誠に申し訳ございません」

 おしぼりを受け取った美子は素直に礼を述べたが、俊典は憤然としてテーブルを拳で叩きつつ声を張り上げた。


「謝って済むか!! この店では皿の上にでは無く、客の頭に料理を乗せるのか!?」

 その怒声に、店内の客が一斉に自分達に非難めいた視線を向けて来たのを察した美子は、舌打ちを堪えつつ事態の打開を図った。


(拙いわ。この店は客層が良くて、政財界でも利用している方が多いのに。確かにこの失態は酷過ぎるけど、俊典君も頭に血が上り過ぎよ。どこで誰に顔を見られているか、分からないのに)

 そこで美子は、まず俊典に声をかけた。

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