(9)白鳥秀明と愉快な仲間達
「清人、待たせたな!」
「後は宜しく」
「きゃあっ!」
無防備な所を、いきなり両肩を佐竹に押されて美子が背後に倒れ込んだが、思わず悲鳴を上げた美子を、背後から伸びた手ががっしりと捕まえた。
「おう、任された。よっ……と!」
「何するのよっ!」
そして背後から誰かに、そして両足は佐竹に持ち上げられ、瞬く間にワゴン車に乗せられてしまう。
「ちょっと! 離しなさいってば!」
「失礼しました。こちらにどうぞ」
目の前で勢い良くしまったドアの向こうで、再度深々と頭を下げた佐竹の姿があっという間に見えなくなり、美子が乱れた着物の裾を直しながら車の中を見回すと、運転席から陽気な声がかけられた。
「藤宮さんですか? ようこそ、歓迎します。白鳥秀明と愉快な仲間達、会員ナンバー21の富川佳代と」
「会員ナンバー8の篠田光です。初めまして」
誘拐犯と言われても文句は言えない男に、すぐ隣でにっこりとほほ笑まれて、美子は盛大に顔を引き攣らせた。
「『白鳥秀明と愉快な仲間達』って……、ひょっとして以前佐竹さんから聞いた、武道愛好会の事ですか?」
「別名はそうですね。あ、因みにさっき待ち伏せしてた佐竹清人は、会員ナンバー23です」
「富川。武道愛好会の方が、正式名称だ」
「だって堅っ苦しいですよ。愉快な仲間達の方が可愛いじゃないですか」
(薄々思っていたけど……、武道愛好会って、奇人変人の集団?)
無意識に顔を顰めながらバックミラーを眺めていると、運転席から富川が訝しげな声をかけてきた。
「あれ? バックミラー越しにガン見されてる気がしますが、何か私に物申したい事でも?」
「いえ、女性もいらっしゃるとは思っていなかったので」
かなり失礼な事を考えていた自覚はあった為、美子が適当に誤魔化すと、それに篠田が笑って応じる。
「白鳥先輩に言わせると、『富川は確かに生物学上の女だが、男社会で健気に頑張っている女性全般に失礼だから、社会学上の女とは認められない』だそうです」
「ですが、いきなり男だけの車に連れ込まれたら藤宮さんが落ち着かないだろうから、付き合う様に言われまして」
「……お気遣い、ありがとうございます」
(気遣いの方向性が、絶対間違っているけどね!?)
完全に呆れ果てた美子は、ここで苛立たしげに質問を繰り出した。
「ところで、どこに向かっているんですか?」
「何だか、白鳥先輩がお話があるそうで」
「一仕事終えるまで、指定の場所で待ってて欲しいそうです」
「……そうですか」
(それならそうと、直接私に連絡をよこしなさいよ! しかもどうして他人を迎えに来させるの!!)
美子は心の中で正当な主張をしたが、二人はそれを読んだかのように弁解してきた。
「それが先輩の用事が何時に終わるか、ちょっと予測が付かないそうで」
「それに加えて、結構凶暴でかなり頑固な女を確保するとなったら、それなりに腕の立つのを用意する必要があるとかなんとか」
「でもさすがに年の瀬ですから、急に言われても暇な人間はそうそう居なくて。それぞれ都合の良い時間帯と場所で、リレー形式で繋ぐ事になったんです」
「先輩との待ち合わせ場所で一人で延々と待たせたら、変な人間に絡まれる可能性もあるので、連れを用意してますから」
「はぁ……」
(何、この人達、人の考えてる内容が分かるの!? というか先輩同様、何気に失礼よね!?)
そんな風に密かに腹を立てながら、美子は軽く嫌味を口にした。
「お二人とも、年の瀬に身体が空いていらっしゃっるんですね。どんなお仕事を?」
「俺はフリーライターで、こいつは菓子職人です」
「先輩! ショコラティエですってば!」
「え? あの……、お二人とも東成大の卒業生ですよね?」
意外に思えたその進路に、二人は今度は苦笑いで答える。
「う~ん、良く言われるんですよね~。武道愛好会のメンバーって、様々な格闘技での有段者でありながら東成大に入学した人ばかりですから、色々な意味で突きぬけてる人間ばかりで。真っ当な職に就いたのは、今の所半分くらいかな?」
「俺らなんか可愛い方ですよ。ホストになった奴もいるし、放浪の旅に出て行方不明になった奴もいるし、住居不定無職でオンライン取引で金だけガバガバ稼いでいる奴もいるし。後はメイクアップアーティストに、ラーメン店の店長? 他にも色々、変わり種がいますけど」
「でも今のところ、犯罪者とか前科持ちはいませんよ? 警察に捕まる様なヘマしませんから」
「しかしあの白鳥先輩が、官僚になって今はサラリーマンって、何の冗談だ」
「本当ですよね~。真っ先に道を踏み外すと思ってたのに。同じくツートップの小早川先輩なんて、弁護士ですよ弁護士」
「あの人、何かやらかしたら、自分で自分を弁護する為に弁護士になったんだろ」
「ですよね~」
そう言ってケラケラと笑い合う二人に、早くも美子の忍耐力は限界に近付いた。
(やっぱり奇人変人の集団……。絶対にこれ以上、お近づきになりたくないわ)
そう心に決めて、それからは余計な事は言わずに黙っていた美子だったが、繁華街のコインパーキングに車を入れて三人で歩き始めてから、訝しげに前を歩く二人に尋ねた。
「あの……、待ち合わせ場所って、一体どこですか?」
「ええと、この辺の筈……」
するとキョロキョロと周囲を見回していた富川が、声を張り上げて大きく手を振った。
「あ、いた! ヤッホー! 和臣、久礼! 久し振り!」
その声に、前方で所在なげに佇んでいた男二人が、揃ってびくりと反応してから項垂れる。
「げ! 富川先輩に篠田先輩!?」
「年も押し詰まってから、このメンツかよ……」
富川と篠田とは違い、明らかに現役学生と分かる風体のその二人に、富川は上機嫌に美子を紹介した。
「お待たせ! この人が藤宮さんよ。恐れ多くも白鳥先輩の女さん。くれぐれも粗相の無いように。藤宮さん、こっちが後輩の君島和臣に本郷久礼です。からかってやって下さい」
その台詞に、当事者の二人が何か言いかける前に、美子が盛大に反応した。
「ちょっと待って! 『白鳥先輩の女さん』って何!?」
その抗議の声に、富川がきょとんとして問い返す。
「え? じゃあ一見れっきとした女性に見えるけど、男さんとか元男さんなんですか?」
「女に決まってます!!」
「じゃあ問題無いって事で。じゃあ後宜しく! これからデートだから。じゃあね~」
「それでは俺も失礼します。どうぞごゆっくり」
「何をどうごゆっくりなのよっ!!」
そんな美子の怒声もなんのその。二人は笑って彼女を後輩に押し付けて、明るく笑いながら去って行った。
(もう嫌……、何なの、この人達)
それから必死に怒りを堪えながら、待つ事十五分。美子は押し殺した声で、側にいる二人に問いかけた。
「ねえ……。もう帰って良いかしら?」
「いや、困ります!」
「ここであなたに帰られたら、俺達もれなく制裁コースですから!」
「じゃあ、せめて場所を移動しない?」
「それが、先輩からの指示が」
「こに入るから、入口前で待っていろと言われまして」
打てば響く様に返された言葉に、美子の携帯を握り締める手に、より一層の力が籠る。
(全く……、さっきから電話は繋がらないし、メールも返信無しって。人をそっちの都合で寒空の下で待たせるなんて、何を考えてるのよ!)
それから更に十分が経過し、幾らコートを着て寒さは凌げているとしても、精神的な問題から、美子は目の前の建物の中に向かって歩き出しつつ二人に断りを入れた。
「もう我慢できない。帰れないなら、先に中に入って待ってるわ」
「ちょっと待って下さい!」
「藤宮さんと中で待ったりしてたら、俺達確実に処刑コースですから!」
必死の形相で追い縋った二人だが、一応足を止めた美子は、周囲をぐるりと見回しながら怒りを露わにして怒鳴りつけた。
「そんな事、知った事じゃないわよ! 大体ね、ラブホの入口前で男女三人で佇んでるから、さっきから目の前を通る人から例外なく変な目で見られてるのよ? あなた達、全然気にならなかったわけ!?」
「勿論、それは気になってましたが!!」
「万が一、タチの悪い奴に絡まれた場合、二人一組じゃないと拙いとの判断で!」
「もうあんた達自体が、タチが悪いわ!」
「……うわ、否定できない」
「否定しろよ!」
思わず本郷が手で顔を覆って呻き、君島がそんな相方を叱咤している隙に、美子はさっさと建物の中へと入って行った。そして壁の片方にズラリと並んでいるパネルを見上げて、真顔で考え込む。
「取り敢えず、部屋ってここで選ぶの? フロントらしき場所が無いから、このパネルのボタンかしら? もうこの際人目が無くて、寒くなければどこでも良いわよ。 あ……、鍵が出てきた。じゃあ、この番号の部屋に行けば良いわけね?」
そんな自問自答をしながら、美子が適当に明るく表示されているパネルの下のボタンを押すと、そのパネルの点灯が消えると同時に横からカードキーが出て来た為、彼女はあっさりとそれを手に取った。その一連の動作を目にした君島達は、盛大に顔を引き攣らせる。
「何でそんなに思い切りが良いんですか!? 男らし過ぎる!」
「しかもビギナーっぽいのに、何あっさりチェックインしてるんですか!?」
「勘。さあ、行くわよ」
そしてずんずんと奥のエレベーターに向かって歩き出した彼女の手を、二人は両側から掴んで必死に押し止めた。
「ちょっと、離しなさいよ」
「本当に勘弁して下さい!」
「俺はまだまだこの世に未練が」
「和臣、久礼。お前達、何を騒いでいるんだ? それに俺は、外で待っていろと言った筈だが?」
そして三人が揉めていた背後から、突如として不機嫌そうな声がかかった瞬間、二人は即座に美子の手首から手を離して勢い良く振り返り、上半身を九十度近くまで折り曲げた。
「押忍、お疲れ様です!」
「ご到着を、お待ち申し上げておりました!」
「……やっぱり帰って良いかしら?」
如何にも体育会系的な挨拶をする二人から、美子は諸悪の根源であろう男に視線を向けて問いかけると、秀明はそれを無視して苦笑し、後輩達に声をかけた。
「今日はすまなかったな。彼女の相手をするのは大変だっただろう。もう帰って良いぞ」
「はい、失礼します!」
「どうぞごゆっくり!」
途端に顔付きを明るくして、再度一礼してから脱兎の勢いで走り去る彼等を見送ってから、秀明は美子に向き直った。
「その部屋が気に入ったのか? じゃあそこに入るぞ」
さり気なく美子の手の中に有るキーに目を向けた秀明は、そこに記載されている番号を確認して、突き当たりの奥にあるエレベーターに向かって歩き出した。そして仏頂面の美子が、その後に付いて歩き出す。
「こんな所で、一体、何の用があるわけ?」
「人目を気にせずに、ちょっと踏み込んだ話がしたかっただけだ。とは言え、俺の部屋に連れ込んだら、社長に良い顔をされないからな」
それを聞いた美子は、軽く眉を上げる。
「自宅でもラブホテルでも、大して変わらないと思うけど?」
「それはちょっとした見解の相違だ。それに近くで用があったから、移動の手間を省きたかった事もある」
淡々と説明しながらエレベーターに乗り込み、美子も乗るのを待って行き先ボタンを押した。
(何なのよ。全くもう! あれだけの人間をわざわざ動かして、何か大事な用があるんじゃないかとは思うけど)
色々怒りが突き抜けていた美子は、今自分がどういう状況にあるのかを正確に認識できないまま、秀明を睨み付けつつ、自身が選んだ形になった部屋に向かった。
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