(25)お誘い

 病院関係者にも、まだ妹達には母親の病状を説明してはいないからと母同様に口止めをして、偽装結婚の件を上手く誤魔化した美子だったが、日が経つに連れて別な事で悩み始めた。


(やっぱりこの前の事は、幾ら何でも甘え過ぎよね……)

 姉妹揃っての食事の最中、ふと悩んでしまった美子は、箸の動きを止めてしまった。


(改めてちゃんとお礼をするべきだとは思うけど……、『代金は全て自分持ち』だとあれほど強く言っていた位だから、お金は受け取ってくれないだろうし)

 そして眉間に皺を寄せて、角皿に盛られているカレイの煮付けを凝視する美子。


(何か品物を贈るにしても、こういう場合にはどんな物を贈れば良いのか……。好みも分からないし)

 そんな事を考えながら、端から見ると親の仇でもあるかの様にカレイを凝視している長姉を見て、妹達はこそこそと囁き合った。


「何か、また姉さんが変よね?」

「最近、まともな方が少ないと思うわ」

「やっぱり江原さん関係?」

 そして美子の隣に座る美恵も、無言で面白く無さそうに姉を眺め、微妙な空気のまま、その日の夕食は終了した。


「美子姉さん、今、入っても良い?」

 台所を片付けて明朝の準備も済ませた美子が自室で寛いでいると、美幸がひょっこり顔を出して尋ねてきた。それを怪訝に思いながらも、美子は鷹揚に頷く。


「構わないわよ。美幸、どうかしたの?」

「江原さんと喧嘩したの?」

 部屋に入るなりストレートに聞いてきた末の妹に、美子は僅かに顔を引き攣らせた。


「……どうしてそんな事を聞くのかしら?」

「美子姉さんが変だから」

「あのね」

 あまりの即答っぷりに、思わず項垂れてしまった美子だったが、美幸の断定口調は変わらなかった。


「だって江原さん絡みじゃない事で、そうそう姉さんがキレたり怒ったり暴れたり考え込んだりしないもの。それで、何?」

 どうあっても引く気は無さそうな美幸を見て、美子は一つ溜め息を吐いてから、半ば自棄気味に言い出した。


「それじゃあ、ちょっと美幸の意見を聞きたいんだけど」

「うん、何?」

「ある事で江原さんに、ちょっとした借りができてね。心苦しいわけ」

「うんうん、なるほど」

 わざとらしく頷いてみせる美幸に美子は内心苛ついたものの、怒りを抑えて話を続けた。


「それでお礼をしたいんだけど、お金は受け取って貰えないと思うし、品物を贈ろうかと思っても、どういう物を選べば良いか、判断が付かなくて困っているのよ」

「ふぅ~ん」

「それで、どうすれば良いか悩んでたんだけど、何か良い考えがある?」

(まさか美幸が提案してくる筈も無いけどね)

 相談の形にはなっているものの、正直美幸の回答には全く期待していなかった美子だったが、美幸は事も無げに言ってのけた。


「それなら、美子姉さんからデートに誘って、江原さんの行きたい所にお付き合いすれば良いんじゃないの?」

「え? どういう事?」

 全く予想外の事を言われた為に美子が本気で戸惑うと、美幸も不思議そうな顔つきになって話を続けた。


「だって、美子姉さんの方から『どこかに出掛けましょう』なんて誘った事、一度も無いんじゃない?」

「それは確かにそうだけど……」

「だから誘って貰えるだけで、江原さんは十分嬉しいと思うんだけど」

 小首を傾げながら美幸が言ってきた内容に、なんとなく納得しかけた美子だったが、慌てて気を取り直して問い返した。


「ちょっと待って。確かに一理あるけど、それでお礼になるの?」

「だから出かける場所は、美子姉さんが決めたり自分の希望を言ったりしないで、江原さんが行きたい所にするのよ」

「え?」

「だって男の人からデートに誘う時って、普通は相手の女の人が喜ぶ様な所を選んで連れて行くんでしょう? だから江原さんに行きたい所を聞いた上で、『お礼をしたいので、その日の支払いは私が持ちますって』言えば良いんじゃない?」

「…………」

 何でも無い事の様に言ってきた美幸に、美子は思わず無言になった。


(これまで何度か出かけた事はあるけど、まともなデートだった事は一度も無いんだけどね……。でも確かに相手の希望に合わせるって事で、お礼にはなるかもしれないわ)

 真剣に考え込んでしまった美子を見て、美幸が顔を覗き込む様にして尋ねてくる。


「美子姉さん、駄目?」

 なんとなく心配そうな顔つきの美幸を見て、美子は安心させる様に同意を示した。


「ううん、確かに美幸の言うとおりかもね。江原さんに聞いてみるわ」

「本当? 言ってみた甲斐があったな~」

 そして上機嫌になった美幸が自室に戻るのを見送ってから、美子は若干嫌そうに自分の携帯電話を取り上げた。


「取り敢えず、メールで連絡してみましょうか」

 そして今度は文面をどうするかで暫く悩んだ末、なんとか打ち込んで送信した美子だったが、それから五分と経たないうちに着信を知らせるメロディーが鳴り響く。


「う……、反応が早いじゃない。それにわざわざ電話してこなくても……」

 恨みがましく呟いた美子が携帯を取り上げて応答ボタンを押すと、笑いを堪えている様な、上機嫌の秀明の声が聞こえてきた。


「もしもし? 何やら随分面白い事を、送信してきたじゃないか」

 その茶化す様な物言いに、美子は気分を害しながら言い返す。

「色々手配して貰ったお礼のつもりだったんだけど、気に入らなかったら無視して頂戴」

「とんでもない。こんな嬉しいお誘いを無視したら馬鹿だろう。お言葉に甘えて、遠慮なく希望を言わせて貰うよ」

「……できれば、私の許容範囲内の要求でお願いします」

 どんな事を言われるのかと身構えながら、(寧ろ断ってよ)と美子が内心で恨みがましく思っていると、秀明が極めて事務的に要求を繰り出してきた。


「今度の日曜正午に、新宿御苑千駄ヶ谷門前で待ち合わせ」

「はい?」

「持参する物は二人分の弁当と飲み物、それとなるべく大きなレジャーシート」

「ええと、あの……」

「復唱」

 予想外の内容を聞かされて美子は戸惑ったが、秀明が冷静に確認を入れてきた為、反射的に言われた内容を繰り返した。


「今度の日曜正午に、お弁当と飲み物を二人分とレジャーシートを持参して、新宿御苑千駄ヶ谷前に集合」

「良くできました。それじゃあ、楽しみにしてる」

 美子の返答を聞いた秀明が、満足そうに告げたと思ったら、あっさりと通話を終わらせて切ってしまった為、美子は慌てて呼びかけた。


「あ、ちょっと!」

 しかし当然、再度繋がる筈もなく、美子は呆然としながら携帯を耳から離す。

「……何なのよ、一体」

 秀明の態度に腹を立てた美子だったが、電話をかけ直す様な真似はしなかった。


 それから直近の日曜日。

 小春日和の陽気となったその日の正午近くに、美子が指定された場所に出向くと、既に秀明が待ち構えており、軽く手を振りながら彼女に歩み寄って来た。


「やあ、荷物が重かっただろう? ここからは俺が持つから」

「どうもありがとう」

 大きめの角張ったショルダーバッグとマチのある紙袋持参でやってきた美子を見ると、秀明はすかさずそれを受け取って中に向かって歩き出した為、彼の申し出に若干皮肉っぽく応じた美子も、並んで歩き出した。


(重いと分かっているなら、車があるんだからこの前みたいに家まで迎えに来なさいよ。これってやっぱり嫌がらせ?)

 腹立たしく思いながら、チラリと横を歩く秀明の顔を見上げた美子だったが、相手が何食わぬ顔で歩いているのを見た彼女は、諦めの境地に至った。


(まあ……、今回はお世話になったお礼代わりなんだし、嫌がらせして憂さ晴らししたいって言うなら、甘んじてその対象になってあげるわよ)

 そんな事を考えていると、彼女の視線に気が付いたらしい秀明が、不思議そうに尋ねてくる。


「どうかしたのか? 俺の顔に何か付いているとか?」

「いえ、別に。ただ天気が良くて良かったと思っただけよ」

「確かにそうだな」

 そう言って満足げに空を見上げた秀明に、美子は若干戸惑った。


(何と言うか……。いつもみたいに、人を小馬鹿にしている様な笑みじゃ無いから、機嫌は良いと思うんだけど、本当の所はどうなのかしら?)

 そんな事を考えつつ、美子は紅葉している楓や桜並木やメタセコイアの大木を眺めながら進み、池を渡って少し歩いてから、広々とした芝生の広場に到達した。周囲をぐるりと大木が囲み、その向こうに高層ビルが見える見晴らしの良い所で、秀明が美子に向き直って提案する。


「じゃあ、この辺りで食べるか」

 その申し出に、美子は微妙な表情で返した。

「……やっぱりそうなるのね」

「は? 今からどこか他の場所に移動するとか思ってたのか?」

 怪訝な顔で尋ねてきた秀明に、美子も納得しかねる表情で言い返した。


「そういうわけじゃ無いけど……。どうしてお弁当持参で呼びつけられたのかと思って。ただ食事を作って貰いたかったのなら、家に来れば良かっただけだし」

「単に、外で弁当が食べたかったからだが?」

「……そう」

(何かやっぱり、噛み合って無い気がする)

 どこまでも不思議そうに言葉を返した秀明に、美子は肩を落としたが、すぐに気持ちを切り替えた。


「それじゃあ、シートを出して広げましょうか。そのショルダーバッグに入っているから」

「分かった。これだな。結構、かさばってるな……」

 そして秀明が折り畳まれたシートを取り出して広げ始めたが、美子と二人で芝生の上に広げたそれを見て、正直な感想を述べた。


「随分大きくないか?」

 2m×3m程の大きさに見える代物に靴を脱いで上がり込みながら秀明がそう述べると、美子が事も無げに告げた。

「五人で出かけると、こんな物よ。大は小を兼ねるって言うしね」

「五人? 七人じゃなくて?」

 何気なく問いを重ねた秀明に、美子が紙袋から風呂敷包みを取り出しつつ答える。


「父は仕事が忙しいし、母は美幸が小学校に上がった直後から体調を崩していたから、姉妹だけで出かける事が多かったのよ」

「そうか……」

 秀明はそれ以上余計な事は言わなかったが、美子が黙々と取り皿や箸を揃えるのを見ながら、何を思ったか小さく笑い出した。


「しかし、賑やかだっただろうな。五人で出かけると」

「何が?」

「毎回もれなく、トラブルも付いて来たのだろうなと思って」

「……何も言わないで」

 憮然とした表情で言葉少なに肯定した美子に、秀明は再び笑いを堪えた。その間に美子は紙コップにお茶を注ぎ、おしぼりと取り皿と箸を秀明の前に揃える。そして二段重ねの割と大き目な重箱を二人の間に並べて、相手に促した。


「宜しかったらどうぞ」

「いただきます」

 そして神妙に挨拶してから、秀明は重箱の中身を手元の皿に取り分けつつ、黙々と食べ始めた。

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