(22)密かな準備

 秀明を呼び出して話を持ちかけて以降、彼と何回か事務的なやり取りをしていた美子は、土曜日の昼下がりに家まで車で迎えに来た秀明と共に、出かける事になった。


「江原さんとデートよね?」

「行ってらっしゃい!」

 下二人が散々盛り上がって、玄関先で騒々しく送り出してくれた為、美子としては不本意極まりなかった。


(別に、デートなんかじゃ無いんだから。必要な物を揃えるだけなんだし)

 自分自身に弁解する様に心の中で言っていると、黙り込んでいる美子を不審に思ったのか、秀明が運転をしながら尋ねてくる。


「どうかしたのか?」

「別に、何も……。朝から妹達が五月蠅くて、神経が逆撫でされただけ」

 それを聞いた秀明はその光景を想像したのか、軽く顔を綻ばせた。

「そうか。賑やかで良いだろうな」

「どこが良いのよ? 偶には一人暮らしをしたくなるわ」

 随分能天気な事を言うのねと、美子が半ば腹を立てながら尋ねると、秀明は前方を見据えながら、薄笑いしつつ答えた。


「静か過ぎると、思わず全てをぶち壊したくなる」

「……え?」

「ちょっとした冗談だが」

 そのヒヤリとした口調に一瞬悪寒が走った美子だったが、次の瞬間秀明の口調はいつものそれに戻っていた為、先ほどの感覚は気のせいだったと自分自身に言い聞かせた。そこで秀明が、思い出した様に言い出してくる。


「そうだ。病院側の了承を貰って、日程がきちんと決まったから、再来週の水曜日の午後は空けておいてくれ」

「再来週の水曜日ね。分かったわ」

 慌てて美子は膝の上に置いておいたハンドバッグから、手帳とボールペンを取り出して予定を書き込んだ。そして、ふと思い付いた疑問を口にする。


「ところで、今日は借りる衣装を決めるのよね? 必要な小物とかもレンタルできるのかしら?」

 その問いに、秀明は考えながら答えた。


「できるものと、できないものが有るらしいな。補正下着とかは、自前で買うらしいし。さすがに俺も、こういうのは経験が無いから良く分からないんだ。店に着いたらスタッフに聞いてくれ」

「なるほど、それはそうね。じゃあ後から買わないと」

 真面目に頷いた美子だったが、そこで些か気分を害した様に、秀明が口を挟んできた。


「今回の費用一切は、俺が出すと言っただろうが?」

 それを聞いた美子が、困惑顔になる。

「衣装や小物は準備するとは言ったけど、それはレンタル先を手配するって事じゃないの? それにレンタルできない物は、どうしても買わなきゃいけないもの。それ位は」

「俺が出す」

「……分かりました」

 有無を言わさぬ口調で重ねて言われ、美子は抵抗を諦めた。


(出費が無いのは良いんだけど、なんだか素直に喜べないわ……)

 複雑な心境のまま助手席に座っていると、車はとあるビルの地下駐車場に滑り込んだ。そこで降りて二人でエレベーターに乗り込んで上層階に上がって行くと、目的階で降りた美子の目の前に華やかな空間が広がる。


(ここって、ウェディングデザイナー真柴咲のブランド店……。私も名前だけは知っているし、確かにプレタポルテのウェディングドレスには、定評があるけど……)

 ちょっと引っ掛かりを覚えながらも、美子は秀明に促されてその店に向かった。


「いらっしゃいませ、江原様。お待ちしておりました。私は本日担当させて頂く、若松と申します」

 ガラス張りの入口から入ると、予め話を通してあったらしく、臙脂色のスーツ姿の年配の女性が恭しく二人に頭を下げてきた。それに秀明は笑顔で応じる。


「今日はお世話になります。話をしたのは、こちらの女性になります」

 秀明が手振りで美子を示すと、若松は早速仕事をする人間の目になった。

「いらっしゃいませ、新婦様。それでは早速、ドレスを選んでいきましょう」

「は、はい……」

 彼女の迫力に気圧されながら美子が頷くと、若松は若干申し訳無さそうに秀明を振り返った。


「新郎様は少々お待ち下さい。新婦様のドレスが決まり次第、それに合わせて相応しい物を検討致しますので」

 それに秀明は、苦笑いで応じる。

「花婿は添え物ですから、当然ですね。幾らでも待ちますよ。彼女を宜しく」

「お任せ下さい」

 そして奥のソファーが並んだ一角に連れて行かれた美子は、若松から次々と質問を浴びせられた。


「まずお伺いさせて頂きますが、普段の既製品の服のサイズは何号でしょうか?」

「九号です」

「今回お入り用なのは一着とお伺いしていますが、色はカラードレスか白では」

「やはり白でしょうか?」

「裾の長さや膨らみ方、ウエストの切り替え等で考えると、これらの中のどのパターンが宜しいでしょうか?」

「ええと、ですね……」

 若松は膝の上のノートパソコンに美子の答えをブラインドタッチで打ち込み、美子の正面にあるモニターに、該当するパターンのドレスの画像を次々映し出していく。それと同時進行で美子に根ほり葉ほり尋ねる事で、袖の長さ、襟ぐりの形や背中の開き方、レースやアクセサリーの使用度などを基準にデータを絞り込み、徐々に美子の好みに合致する物を選択していった。


「それでは新婦様のお好みに合いそうなドレスを揃えさせますので、少々お待ち下さい。新郎様がお待ちの所に、新婦様の分のお茶も、今準備させますので」

「はぁ……、ありがとうございます」

 もはや何も言えない位精神的に疲労した美子は、素直に秀明が座っているソファーの所まで戻って行った。そして彼の正面に黙って腰掛けると、からかい気味の声がかかる。


「どうした? 話を聞かれていただけなのに、随分疲れているみたいじゃないか。これから着せ替え人形になるって言うのに、それで保つのか?」

 それに美子が、げんなりとしながら言い返す。


「それを言わないで。今から戦々恐々としているんだから。それにどうして呼ばれ方が『新婦様』と『新郎様』なのよ?」

 思わず美子が愚痴った内容を聞いて、秀明は軽く眉根を寄せた。


「それはやはり、ウェディングドレスを買いに来るのは、新郎新婦と相場が決まってるからじゃ無いのか?」

「『お客様』で良いでしょう、『お客様』で」

 それを聞いた秀明は何を思ったか真面目な顔で考え込み、難しい顔になって頷いた。


「確かに女一人で買いに来たり、男一人で買いに来る様な痛々しい連中の場合、『新婦様』とか『新郎様』とか不用意に呼びかけた場合、ぶち切れて刃傷沙汰になるかもしれないな」

「どんな怖い人間が来店する所を想像しているのよ、止めてくれない!?」

「元はと言えば、そっちが言い出した事だろうが」

「違うわよ! 絶対、何か話題がずれたし!」

 ムキになって言い返す美子を見て、秀明は堪えきれずに笑い出し、彼女はからかわれた事が漸く分かった。それで拗ねてしまった彼女は出された紅茶を黙って飲み、その様子を秀明も無言で面白そうに眺める。


「新婦様、ドレスの準備ができましたので、試着室にご案内します」

「分かりました」

 その声に静かに立ち上がり、笑いを堪える表情の秀明に見送られて奥の試着室に向かった美子だったが、鏡張りの広いスペースの一方に、ズラリと三十着程の純白のドレスが横一列に掛けられているのを見て、一瞬目眩を覚えた。


「あの……、この中から一着を選ぶのかしら?」

 一応尋ねてみた美子だったが、担当の若いスタッフ達が満面の笑みで頷く。

「はい! もうお好きなだけ、着て見て触って頂いて構いませんので!」

「試着した時にその姿を一着ずつ撮影して、画面で比較検討致しますから!」

「ご希望があれば、もっと他の物をお出ししますわ!」

「そうですか……」

 もはや何を言う気力も無く、美子は黙ってドレスを選び始めた。しかし似た様な傾向の物を選んだだけあってどれも甲乙付けがたく、しかもどれある程度美子の好みの物であった為に、却って悩む羽目になった。しかし迷っているだけでは何も決まらない為、提示された物の中から取り敢えず八着を選び出し、試着してみる事にする。


「新婦様、先程のドレスのマーメイドラインは秀逸でしたが、こちらのドレスは全体的なバランスが良いですね」

「それに使用しているレースの柄が緻密で、同じ白でもベースの光沢のある生地で、それがはっきり見えますから」

「でも、こちらのドレスの方が、縁と裾に広がるパールやスパンコールを多用した金糸と銀糸の刺繍が素敵なんです!」

「そうね。次の試着はこれにしましょう!」

(ちょっと待って、勘弁して。頭が追い付かないから。どれもこれも同じに見えるし。でも、それにしても……)

 本人以上に張り切って、あれやこれやと意見を述べる若手スタッフ三人に囲まれつつ、美子はドレスを着ては脱ぐ行為を繰り返していたが、何着目かの時ふとした拍子に、この店に入ろうとした時に感じた疑問を思い出した。


「あの……、つかぬ事をお伺いしますが……」

「はい、ご質問ですか? 何なりとお尋ね下さい」

 背中のファスナーを上げながらスタッフの一人が明るく応じると、美子は何気ない口調で切り出した。


「ここの店は、ウェディングデザイナーの真柴咲さんが、当初オーダーメイドでウェディングドレスを作製販売する為に設立しましたけど、数年前からより幅広い層を対象にプレタポルテとしてのドレスの販売を手掛ける様になったんですよね?」

「はい、良くご存じで」

「それで、ドレスのレンタルに事業まで業務を広げたなんて話は聞いていなかったんですけど、最近始められたんですか?」

 美子としては素朴な疑問を口にしただけだったのだが、何故かその途端、スタッフ三人の手と口の動きが止まった。


「……え?」

「ええと……」

「そ、それは……」

「皆さん、どうかされました?」

 何やら顔を見合わせて動揺している女性達を、美子は不思議そうに見やると、この間クリップボードを手にして壁際に佇んでいた若松が音も無く歩み寄り、クリップボードを床に落とした次の瞬間、いきなりガシッと美子の両肩を掴んで訴えた。


「新婦様!!」

「はっ、はいっ! 何でしょうか!?」

「新婦様が仰る通りです。レンタル業務は最近始めたばかりなのですが、実はそれを大々的に公表してはおりません」

「あ、ええと……、そう、なんですか」

 怖い位真剣な顔で告げてくる若松に、気圧されながら美子が頷くと、若松はそこで急に痛恨の表情になって切々と訴え続ける。


「お恥ずかしながら、華やかなこの業界も不況の波には逆らえず……。一生に一度の事とはいえ、ドレスを購入して頂く方は減る一方。『このままでは業務縮小も止む無し、それよりは』と、先生がレンタル業務を開始するという、苦渋の決断を致しました」

「……お察しします」

 思わず(このご時世、どこも苦労してるのね)と美子が同情した時、若松がくわっと目を見開いて、更に美子に迫った。


「ですが! それが公になれば、プレタポルテであっても高級感を売りにしている私共のブランドに、陰りが出るのは必定!! 故にご事情の有る方やお得意様に限ってのみ、極秘にレンタル業務を執り行っております。その代わりに口コミやお客様のご紹介をして頂くというシステムになっておりますので、新婦様におかれましては、決して今回のドレスをこの店舗からレンタルしたのだと言う事を口外して頂かない様に、くれぐれもお願い申し上げる次第で」

「分かりました。分かりましたから! 決して口外しませんので、安心して下さい!!」

「ご理解とご協力を頂き、誠にありがとうございます」

 彼女の剣幕に恐れおののいた美子が慌てて頷いた為、若松はすぐに手を離して先程までの営業スマイルに戻りつつ、呆然としていたスタッフ達に声をかけた。


「ほら、あなた達、新婦様のお着替えを手伝って頂戴」

「はい! それではこちらが、セットの手袋になりますね。これは長いタイプになっていますので……」

 そして美子の試着を続行させつつ、手の空いた者は美子に聞こえない様に小声で囁き合った。


「さすが主任。上手く誤魔化してくれたわ」

「私達は、あの域にはまだまだよね……」

 それから全てのドレスの試着を終えた美子は、秀明と共に撮影した画像を見ながら相談して一着を選び、それに合わせた小物を一通り選んでから店を出たが、既に夕方に近い時間帯になっていた。


「あの……、家まで送ってくれるの?」

 特に何も言わずに走り出した為、一応美子が確認を入れると、秀明はチラリと彼女の方に視線を向けてから、不思議そうに問い返した。

「家まで迎えに行ったのに、どこかの駅前で降ろすと思ったのか?」

「特に何も言っていなかったし」

「そう言えば、言っていなかったか?」

 どうにも噛み合わない会話である事を自覚しながら、美子は溜め息を吐いて妹達に言われていた事を口にした。


「その……、皆から『夕方までかかって、家まで送ってくれるなら、お夕飯を作って待っているから江原さんにも食べて貰う様に言って』と言われているんだけど……」

 控え目に美子がそんな事を口にすると、秀明は意外そうに答えた。

「へぇ? それはありがたいな。お相伴に与るよ」

「……どうぞ、ご遠慮なく」

 面白く無さそうに美子が応じた為、秀明は苦笑いしながら指摘した。


「できれば遠慮して欲しいといった顔付きだな」

「そんな事は」

「だから余計、ご馳走になりたくなった」

「本当に性格悪いわね!」

 憤然として美子が言い返すのと、運転しながら秀明が高笑いしたのはほぼ同時で、それから藤宮邸に到着するまで、秀明は笑いを抑える事ができなかった。

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