偶然と必然

偶然と必然を考えたきっかけは、

ある時、道を進みながら

自殺について思案していると、

たまたま車に轢かれた猫の死体を

見つけ、そこに偶然的な何かを

感じたことと、

当時読んでいたマンガがやたら

必然推しだったこと。

(自殺思案は願望ではなく、

理由や動機への考察だったので

ご心配なく?)


結果として、

偶然は確率的な出来事、

必然は因果的な出来事、

であると考えた。


例えば六つ目のサイコロを振り

一の目が出る。

これは偶然か?必然か?


六分の一という確率から生まれたのだから

偶然とも言える。

一の目が出たのには

それを決定した原因が必ずあるはずなので

必然とも言える。


しかし、必然を因果的と言えば、

宇宙カイビャク、時が始まって以来

全ての現象はそこへ至る原因を持つので、

確かに全ては因果に囚われた

必然だと言えそうだ。


(原因から結果の生まれることを

因果的と言い、必然と呼んでいる。

時の流れにあれば

全ての事象は原因を持つ結果であり

因果的で必然であろうということ。)


純粋な確率を取り出すのは難しい。

結果から見れば全ては必然である。

しかし完全なる予測は不可能である。

起こりうる別の可能性があった時、

それは偶然の側面を持つと

考えたい。


(発生確率が100%ではなかった時、

その発生は確率的とする。)


(但し、時の流れにあれば

ある時間点における発生確率が

100%であったかどうかを

証明する事は事実上不可能である。

我々はその時間点に立ち戻り

再度試行する機会を得ない為。

理論と、異なる時間点での試行実験から

発生確率が100%ではなかったことを

推し量るのみである。

時間の不可逆性が

起こりうる別の可能性、確率の立証を

妨げている。


けれど肩の力を抜けば、

別の可能性や確率は方々に溢れている、

としたい。)


すると世の中大抵の出来事には

確率的な側面と因果的な側面が

混在するので、それらは

偶然であり必然であると言える。


出会いは偶然である。

出会いは必然である。

大概はどちらも正しい。

けれど、必要ではあるが十分ではない。

出会いは偶然かつ必然である。

これが必要十分な表現として適切。

そうした例が最も多いと思う。


しかし最も神秘的な、畏怖すべき事実は

これらの必然が、

運命や世界の意思によるものだと

捉える時ではないだろうか?


(神が全てを支配するなら

そこに偶然はない。

偶然が存在するならば、

そこには何者の意志にも、

神にも侵すことのできない

絶対不可侵の確率の領域が

あるということである。

故に偶然は必然よりも

崇高である、と感じる。)


(いずれにしても

偶然にせよ必然にせよ、

個の力が及ばぬ現象に対して

呪術的な魔力を

感じるのかも

知れない。)


平成29年1月19日(木)晴れ

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