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 実際に使い続けてみるとわかるが、楽器は消耗品だ。「ピック」と呼ばれるおにぎりみたいな形をした小さなうすいプラスチック片を当てることで弦を振動させ、その振動を増幅させることで音を出しているのが、ギターという楽器だ。当てたりこすったりするわけだから弦やピックは削れていく。一定期間使用しているとすり減っていくものだ。定期的に交換しなければ、傷んだ道具を使い続けることになり、いい音は出ない。

 特訓を重ねた僕たちの道具も例外ではなく、僕のギターのやソラのベースの弦、ピック、そして怜未のドラムスティックもだいぶ年季が入ったように消耗してきた。そろそろ新しいものを、ということで、いわゆる「楽器店」へ行くことにした。

 音楽が禁止されているため、専門店で楽器を扱うことも事実上禁止されることになった。それでも、衆目から逃れるようにひっそりとライブハウスが息づいているみたいに、楽器店もその息吹を止めないでいる。存在を決して知られないように、街往く人々を欺きながら。今日行く店もそんな楽器店のひとつだ。

 中央線の御茶ノ水駅で降りてしばらく、ふだんはなんでもないような文具店に身をやつしている店で、僕らが入って世羽さんの名刺を見せると、店長が声を落として奥へと案内してくれた。通された先の部屋には、部屋の敷地いっぱいに並べられた、楽器やイクイップメントの数々。

「うわあ……っ」

 いまとなってはなかなか見ることのできないような光景に、怜未が感嘆の吐息を漏らす。ソラの表情の変化は相変わらずうかがえないが、なんだか眼がきらきらと輝いているようにも思える。

「いっぱいあるね! すごいね、 詠人!」

「う、うん」

 柄にもなく怜未がはしゃいでいる。でも、僕にもその気持ちがわかった。

 それから僕たちは、音楽に関する思い思いのことを口にしながら、自分たちの欲しいものを見繕った。

「詠人はイントロの十二小節目のタメが揃ってない」

「そう言う怜未はサビ前の手数が多すぎるんだよ。いつもいつも入りがもたつく」

「詠人だってギターソロ弾けてないわ。もしかして下手なんじゃないの?」

「それを言ったらおしまいだろ! ソラも黙ってないでなんか言ってくれよ!」

「……えいと、へた」

「僕泣きそう!」

 ギターやベースなどの弦楽器にとって、弦は音の要だ。弦の振動がそのまま音として聴こえてくるわけだから、弦の性能はないがしろにできない。僕のギターもソラのベースも、そろそろ錆び付いてきたので交換が必要だった。

「へえ、こんなにあるんだね」

 怜未がつぶやく。僕も壁にならぶ弦のパッケージを見渡した。けっこうな数の種類があるものだ。昔は数えきれないほどもっとたくさんの種類があったそうだが、このご時世事業撤退の会社が多数を占め、いまはほんのひと握りのメーカーしか生き残っていない。まあ、生き残っている会社があることじたい不思議なことではあるが。

 壁にならぶ弦をひとしきり眺めたあと、ソラは僕の顔を見つめた。

「どれがいいの」

「弦の種類?」

「うん」

「……僕もよくわかってないけどね」

 僕はパッケージのうちのいくつかを手に取ってみた。

「これは、ええと、コーティング弦だったかな。錆びにくいから交換の回数が少なくて済むんだ。でもちょっと高いんだよね」

「……」

「こっちのほうがスタンダードかな。昔は著名なアーティストとかも使ってたらしい。このメーカーだけでもいろんな種類のいろんな太さがあって、好みで選べるんだ。どれを選ぶか迷うよね」

 ソラも僕といっしょになって、壁にならぶ色とりどりのパッケージを眺める。

「ソラ、どれにするの?」

 怜未が訊ねる。

「……わかんない。えいとが決めて」

 彼女は僕に真顔を向けてくる。期待と願望とがないまぜになったような表情だ。

「そうだなあ……楽器店なんてあんまり買いに来られないだろうから、長持ちするもののほうがいいよね。その分交換の回数も減るし、単価は高いけどけっきょくは安上がりになるんじゃないかな」

 僕はそう言って、ベース用のコーティング弦のパッケージを手に取ってソラに渡した。彼女はそれをまじまじと見つめ、胸の前で抱えた。

「……えいとは、いいやつ」

 ふとソラがこぼした。

「え?」

「いいやつ」

 ふたたびソラが繰り返す。

「ほめてあげる」

 僕は驚いた。「いいやつ」「ほめてあげる」――まるで冗談みたいな言葉だ。でも、ソラは相変わらず真顔で僕を見つめている。怜未も僕のとなりできょとんとしている。

「ソラ?」

「なに」

「どういう意味?」

 僕は彼女に訊ねてみた。それでも、彼女はまじろぎもせずに言う。

「そのまま。私、えいとのこと、いいと思う」

 僕と怜未は顔を合わせる。そして、僕の顔を見て怜未は吹き出してしまう。

「あはは! ソラ、へんなこと言うね!」

 怜未がおなかを抱えながらけらけらと笑った。僕を指差しながら「いいやつー!」と声を上げている。え、僕いま笑われてんの? 誉められたんじゃないの? 僕が戸惑っていると、ひとしきり笑い終わった怜未が今度はふわりと笑った。

「私も、詠人のこといいと思うよ」

「……なんだよ、怜未まで」

「ふふ。なんでもない」

 そう言って怜未はそっぽを向いてしまう。

「詠人には教えてあげない。ね、ソラ?」

 怜未のその言葉に、ソラはこくんとうなずいた。なんだよ、ふたりして。気になるじゃないか。僕がそんな戸惑ったような顔をしていたのだろう、怜未はいたずらに微笑んでいた表情をふとやわらげた。

「ありがとうね、詠人」

「っ……」

 僕は言葉に詰まる。それはこっちのセリフだよ、と言いたかった。でも言えなかった。あたたかな春の陽射しのような彼女の笑顔に、僕は照れくさくなって顔を背けた。

「そうだ、詠人。私のドラムスティックもいいの選んでよ」

「スティック?」

「そう。とびきりかわいいやつ」

 ドラムスティックは僕の専門外だし、あまりかわいいものってないんだけどなあ。怜未が「はやく」とせがむので、僕はソラに声をかけてドラム関連のイクイップメントがあるコーナーへ行こうとした。

「ソラ、向こう行ってるね」

 しかし、ソラは呼びかけに応えない。彼女の視線をたどってみると、そこにあったのは壁に貼られた一枚のポスターだった。

「……ライブ?」

 僕がそうつぶやくと、店長が僕らに話しかけて来た。

「ああ、それね。こんど開催する予定のライブイベント」

「ライブ、イベント」

「そそ。参加バンドを募って対バンするイベントだったんだけど、やっぱりこのご時世、バンドが思うように集まらなくってさ。いまのところ参加数はゼロ、なんだよねえ。ひとつでも参加バンドがいれば開けるんだけど……このままだと中止かなあ。ま、気が向いたら君たちもよろしく頼むよ」

 そう言って店長はカウンターへ戻っていった。僕はふたたびポスターに意識を向ける。ポスターにはイベントの開催場所と開催日時が書かれている。

 場所は、下北沢にあるらしい『LIFT』というライブハウス。日時は……僕たちがライブをやる日だ。

「こんな偶然もあるんだなあ」

 僕たちがライブをやるおんなじ日のおんなじ街で、ライブイベントが開催されようとしている。まあ、参加バンドがいなければ中止らしいけど。それにしてもこのライブハウス、どこかで名前を聞いたことがあるような……。

 僕がまじまじとポスターを見つめていると、奥のコーナーのほうから怜未の怒鳴り声が聞こえてきた。

「ちょっと、詠人! はやく!」

 そうだ、怜未のドラムスティック選びの手伝いをするんだった。はいはい、と返事をして僕は彼女のもとへ向かった。

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