『The Show Must Go On』

田中天

フェイズ1:墓碑の槍


 それは、もうひとつの可能性。



 * * *



 雨は、止まない。降る水涙みずなみの粒たちは冬の寒さに身を縮め、舞い立ち込める凍霧いてぎりに、おぼろに浮かぶ街の灯は、ゆらり揺らめく群鬼火むらおにび

 その不確かな光が照らす裏路地に、争い踊るふたつ影。

 斬り裂く巨大な〈鉤爪〉と、刺して貫く長い〈槍〉。いずれも人の姿に似ながらも、どこかいびつで恐ろしい。激しく打ち合い、殺し合い―――やがて、決着。


 〈鉤爪〉が倒れ、這いずる。青年だ。どこにでもいそうな、お人好しそうな。

 〈槍〉が歩み、追い詰める。少年だ。ニット帽とコートの高い襟が、顔を覆う。


「僕は……僕はヴィランじゃ、ない。これは何かの間違い、だ……」と、〈鉤爪〉。


「OK。OKだ、ヒーロー。あンたは確かに」と、〈槍〉。


「あンたは、政府の認定を受けたオーヴァード。駆け出しだけど、ヒーローだ。惚れた女を守るため、イカレたヴィランと戦った……そうだな?」

「そ……う、だよっ! 僕は、彼女を守るため、すべてを……差し出した……!」


 ヴィランは強かった。本能が、「すべてを投げ出さなければ勝てない」と告げた。

 そして己の中の「すべて」を出し尽くし、勝った。

 死すら覚悟したほどの強敵はもはや骸……いや、肉塊だ!

 踏みしだく! 快感だ!

 そうして、輝かしい勝利の記憶に思いを馳せる〈鉤爪〉。首から下げた十字章……ヒーローズクロスは赤く染まって歪み割れ、十字がふたつ連なって見えた。

 そして、ひらりと写真が一枚。

 女性が写っている。


「ああ、これだ! これだよ……! ずっと探していた……あの子だ……」

「よぅく思い出してみな。そこに写ってる女。殺したのは誰だ? 肉を食い、血を啜ったのは、誰だ? そもそも、そのヴィランってぇのは、 なぁ、教えてくれよヒーロー。いや、ジャームさンよ」

「何を言ってるんだ、君は……? ヴィランは退治したし、彼女は、生きてる。この道の先にある、小さな診療所……そこで働いているんだ……」

「へぇ、そうかい」

「だから僕は……行くんだ。幸せに、なる、んだ……!」


 行けば、彼女がいる。温かく迎えてくれる。

 殺した? 何を言っている、彼女はちゃんと生きている。

 僕をバケモノと呼んだアレは、偽物だったんだ。すべてを捨てて、心を捨てて、レネゲイドに身を捧げてまで守ったのに……拒絶した。だから、砕いた!

 本物を探して彷徨いこんだスラム、東京無法街D.U.S.T地区で、彼女に出会った。

 名前が同じだ。彼女だ。髪型も。彼女だ。温かいスープをくれた。優しい。

 彼女だ!


「だから、連れ帰らないと。彼女の幸せのため……僕の幸せの、ため……」

「……幸せだったンだよ、あンたは。羨ましいくらいにな。でも、もうダメさ。自分でそいつを壊しちまったンだからな」


 〈槍〉が頭部を刺し貫く。

 〈鉤爪〉は、死んだ。断末魔の叫びも、遺す言葉もなく。


「終わったぜ。協力、ご苦労さン」


 〈槍〉が呼びかけると、路地の奥からひとり、やって来る者がいた。果てた〈鉤爪〉が握りしめた写真の中の女性とは、明らかに、別人物。


「あンたが逃げずにいてくれたから、こいつをここに誘い込めた。感謝する」

「私も……助けてくれたこと、貴方に感謝しないといけないんですよね。でも、ごめんなさい。今は……。この人は……あまりにかわいそうで……!」

「別に、礼が欲しくてやったンじゃねーし」


 〈槍〉は肩をすくめ、踵を返した。これ以上語ることは何もない。

 後は処理班がうまくやるだろう。〈鉤爪〉の死骸を回収し、協力者の記憶を操作し、すべてを「なかったこと」にする。妄執も、悲哀も、自分の仕事も、すべて跡形もなく消える。それはまさしく―――


「『Like tears in rain雨の中の涙のように』ってな」


 そして〈槍〉―――墓守清正はかもり・きよまさは歩き出す。

 雨は、まだ止まない。



 * * *



 墓守清正 ハンターネーム:エピタフ

 UGNジャーム処理班“ハンターズ”に所属する少年。

 本名、出身、血縁関係者、すべて不明。戸籍・個人番号・市民ID等なし。ジャーム処理という任務の性格上、彼の存在を証明する公的データはない。

 特殊実験計画“■■■■”(※ファイルXXー■参照)における唯一の生還者。

 なお、実験終了直後、計画立案者および実行者は、その全員が彼によって殺害されている。

 ヒーリング・ファクター、あるいは■■■■■の■■摂取者と同様の疑似不死性を持つ。これは前述の実験においてジャーム群を融合・捕食したためと推測される。

 潜在危険種指定。バスカヴィル特令■■号により、ジャーム化または内包ジャーム群暴走の兆候が確認され次第、直ちに処理されるものとする。



 * * *



 翌日。

 墓守は、公園のベンチに腰掛け、スマートフォンを眺めていた。

 報道サイトのトップページには、ヒーローの活躍とヴィランの暗躍が並んでいる。

 そこには、墓守の名も、昨日の戦いも記されていない。

 当然だ。

 この社会において、ジャームは、存在しない。してはならない。

 獲物が存在しないのだから、ハンターである墓守もまた、存在しない。

 だが、昨日の〈鉤爪〉……ひとりの認定オーヴァード、駆け出しとはいえプロヒーローが死亡したのは事実だ。そのような場合に行われる報道は―――


『昨日、ヒーローのワイルドウィーゼル氏が死亡しました。氏は、交際中の女性と一緒にいたところをヴィランの集団に襲われ、これに立ち向かったものの―――』


「……三文ライターめ。せめてカバーストーリーには凝ってやれってンだ」


 ニュース動画のキャスターの、更に向こう側。「よくあるヒーローの戦死」をでっちあげたUGN広報部に毒づき、ブラウザを落とす。


 空は晴れ上がり、昨日の雨の痕跡はない。

 老人が散歩し、学生やカップルが語らい、子供たちが遊び回る。

 たとえヴィランによる危機が隣り合わせでも、必ずヒーローが助けに来てくれる……その安心感があるからこその、平和な光景だ。


「日常を守る、ねぇ。面倒だろうに、よくやるぜ。ゴクローサン」


 自分は、命令のまま、任務をこなして生きていくことしかできない。

 そこから先の展望は、特にない。考えようとしたこともあったが、決まって苛立ちがこみ上げるので、すぐに止めた。


「さて、と。何か飯を……ンっ? あ? おい、マジかよ!」


 財布が、ない。落としたようだ。

 中身は現金が数万円分と、交通機関系の電子マネーカード。

 自分の存在に繋がるものはなにもないため、誰かに拾われたところで問題はない。

 だが、さしあたって食事ができないのは痛手だ。

 選択肢は、ねぐらに戻るか、手近なハンターズの連絡所に泣きつくか。

 墓守が選んだのは―――


「そこらのヴィランでもボコって巻き上げっか」


 蛮族の発想だった。

 そもそも、「そこらのヴィラン」を簡単に発見できたら、UGNは苦労しない。


「あ、あの……」

「あン?」


 見れば、少女がひとり立っていた。

 チビで、痩せっぽちだ。身長は140ほどか。

 小学生に見えるが、学生服を着ているところから、かろうじて中学生だとわかる。

 瞳は綺麗だが、それもボサついた髪に隠れがち。化粧っ気もゼロ。

 つまり、いかにも冴えない少女だった。


「なンだよ、チビ。俺に用か?」

「あ、あのっ、これ……フ、フヒッ」

「……気味悪ぃ笑い方だな。こっちは暇じゃねえンだ。あっち行って……あっ!」


 少女が差し出した手の上に、革財布がひとつ。


「俺の財布!」

「ちっ、違いますよ、自分は、と、盗ってない……です!」

「あぁ? ンなこと言ってねーだろ。どこに落ちてた?」

「む、向こうの……自販機の、横、です。こ、声かけようと思った、けど……スマートフォンを、開いて、何か見始めたから……」

「は? それでどうしたンだよ」

「そ、そこの木の陰に隠れて、見てました……」

「怖っ! 声かけろよ!」

「すすすっ、すみませんっ! と、とにかく、どうぞ!」

「おう」


 受取り、財布を開く。中から千円札を三枚取り出し、少女に握らせた。


「へあっ!?」

「拾ってくれてありがとよ、チビ……いや、嬢ちゃン。一割の礼だ。ンじゃな」

「まままっ、待ってください! こんな大金、受け取れません!」

「たかが三千円だろ。気にすンな」

「さんぜんえんあれば、一ヶ月は食べれますよ!」

「いやそりゃ無理だろ……」


 しばし押し問答。チビ、もとい“嬢ちゃン”は、気が弱そうにみえて、なかなかの強情者だった。墓守は、徐々に公園内の視線が自分に集まりつつあるのを感じていた。

『柄の悪い少年が、中学生の少女を恫喝している』

 かなり、そう見える状況だ。マズい。とてもマズい。

 さりとてここでハイ分かりましたと墓守が引っ込めば、手に三千円を握って立ち去るワケで、その絵面は更にマズい。


「名案! じゃあさ、オヤツをおごるってのはどうかにゃー、お兄さん?」

「はぁ?」

「あっ……。ネコの人……! フ、フヒッ」


 両目をキラーンと輝かせつつ現れた少女その2を見て、墓守は自分が何か妙な面倒事に巻き込まれつつあるのではないかと、漠然とした不安を感じていた。 

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