第3話《カイ その2》
自分では覚えていないが、僕は産まれたばかりで両親を亡くして従姉のキリに引き取られたようだ。
それからキリは僕の親であり、姉でもあり、なんだか微妙な存在だ。
五歳の夏、急な増水で溺れた時に命がけで助けてくれたのもキリだった。
その日は川に近づかないようにキリに言われていたけど、ユリにどうしても石拾いをしたいから、一緒に来てほしいと言われた。
今日は河原に行きたくないと言ったがユリは綺麗な石を集めたいからと一人で河原に向かった。
このままユリを一人で行かせるわけにもいかないので、僕は後をついて行った。
ユリはきれいな石を見つけると大岩の上に並べて、手を合わせて必死に何かをお願いしているようだ。
「ゴゴ~!」
と突然に大きな音がして川幅が急に広くなってきた。
急いで河原の大岩に飛びついたが、ツルツルしてこちら側からはなかなか登れない。
必死に伸ばした手を、ユリが大岩の上から懸命に掴もうとしてくれたが、どんどん水かさは増えていき、とうとう川に流されてしまった。
その後の事ははっきりとは覚えていないが気が付くとキリの暖かくて気持ちいい胸に抱かれていた。
後で聞いた話ではキリは僕が流された直後にその荒れ狂う川に飛び込み、濁流の中で僕を見つけ片手で抱えながら助け上げてくれた。
迫りくる危険な流木を事もなげに避けて岸までスイスイと泳ぐその姿はまるで河童のようだったそうだ。
村の袴着と紐解き祝いの時にキリは親として参列できなかったが、いつ揃えたのか立派な羽織と袴を用意してくれた。親族席からこちらを見つめるたキリの目には涙が浮かんでいたのを覚えている。
着飾った子供たちは親から貴重な甘いお菓子や果物水を貰っていたけど、僕はユリと一緒に村の長老から貰った。
僕が溺れた間接的な原因にもなったユリは二才年上で長老の孫だ。
両親はユリが五歳の時に三か月の「ちょうほう」に出たきり今でも戻っていない。みんな陰ではもう死んだと言っているけど、ユリだけは帰りを待っている。
まだ生きていると信じている。
両親が「ちょうほう」に出た日と同じ春分になると、いつも団子を多目に作って帰りを待っていた。
毎年大寒のめちゃくちゃ寒い日に、裸足で裏山の雪が積もる神社に願掛けに行っているのも、大暑のはちゃめちゃに暑い日には、河原のあの大岩の上できれいな石を並べて何時間も正座して願掛けをしているのも知っている。
そんな姿を見て僕もユリの両親は生きていると信じることにした。そのユリも二年前にしゅうにんの里へ行った。
それ以来、春分、大暑、秋分、大寒の日にユリの代わりに願掛けするのが僕の習慣になった。
この村で親がいないのは僕とユリだけだったので、ユリの気持ちをわかるのは自分だけだと勝手に思い込んでいたのかもしれない。
でも時々そんなユリを羨ましく思う時もあった、両親はまだ生きているかもしれないし、じいちゃんは側にいる。
そんな時は自分にデコピンする!
キリに言われた事だけど、妬みや怒り等の邪心は心を曇らせてにんじゅつ修行の邪魔になるらしい。
組頭のレンと一緒に修行していると、悔しいが羨ましい気持ちがより一層強くなる。
そんな時の潜水修行は決まって溺れる。
六歳の秋祭りが終ると本格的なにんじゅつ修行がはじまった。最初は誰にも負けたくない、絶対に勝つんだ、誰よりも強くなるんだ、と思って修行をしていた。
誰よりも強くなればキリが喜んでくれるとも思った。
土練や木練など他の修行では強く思って修行すれば、それなりの成果は出たけど、何故か水練の潜水だけは勝ちたい思いが強ければ強いほど、何かに吸い込まれそうになり、怖くて心が逃げ出して氣を失ってしまう。
ある時その事をキリに話してみたら、
「他人に勝つ必要は無いんだよ、自分に勝てばいいだけだから、羨ましいとか勝ちたいという気持ちを捨てて、今できることだけを全力でやってごらん」と言われた。
理由は分からないけど、その時は吸い込まれそうになる怖さはキリにも言えなかった。
きっと弱い自分を見せたくなかったのだと思う。
それからはキリの言うとおりに羨ましい勝ちたいという気持ちを「ぜん」で鎮めてから潜水をすると、何とか溺れずに済むようになった。
結局は余計なことを考えずに今の自分が出来ることを精一杯やればいいだけだったようだ。
レンは今年の夙川村十歳組の頭で何でもできる。
村から久しぶりの甲種戦忍が出ると言われている位に何でも一番だ。
去年の十歳組でもレンに適う奴はいなかった。
一昨年の十歳組頭の汐豪でも当時八歳のレンとはやっと互角だった。
その組頭汐豪も久しぶりの甲種だと村では評判だったが、春に修忍里から戻ってきた常忍に戦忍にはなれなかったと聞いた。
レンはいつも長めの棒を持ち歩いている。
組頭として話す時はその棒をピッピッと動かして的確に指示を出す。
八歳の春から始まった模擬戦闘ではあの汐豪のいる十歳組に勝ってしまった。
しかも相手は六人こちらは四人だ。その時の八歳組四人はただレンの棒先を見て指示に従っただけだ。
同じ年ではあるがカイにとってレンは身近な憧れの的だった。
そんなレンにカイは水渡りで一回だけ勝ったことがある。
カイは水渡りなどの水練修行が苦手だったが、キリの優しくも厳しい指導のおかげで人並みには出来るようになっていた。
水渡りは大草鞋を履いて川の上を走るのだが、これは本当にキツイ修行だ。
片足が水に沈む前に次の足で川面を叩く。
大草鞋は水に浸かると少し重くなる、それを素早く引き上げ続けるとはモモの筋肉がパンパンになる。
それでも足の回転を速くしないと更に重くなる。
その上に川面の叩き方が強いと沈むし弱くても沈む。早く足を回して柔らかく水面を叩く。
サッ・フワー・サッ・フワーという強弱に僕の足の筋肉はいつも泣きそうになった。
レンに勝った時は無我夢中で、向こう岸の先にある一本桜を目指して精一杯に足を回した。
気が付くと片方の大草鞋は脱げて足首の紐がかろうじて繋がっていただけだったが、何故か沈むことなくレンより先に川を渡り切った。
レンは悔しがり僕の脱げかかった大草鞋に気付かなかったけど、キリは急いで僕の大草鞋を履かせ直すと、小声で「草鞋が脱げたことは誰にも言っちゃダメだよ」と言った。
草鞋を脱ぐのはズルだったのかもしれないけど、キリがそれ以上何も言わなかったのと、とにかくレンに勝ったのが嬉しくて未だに誰にも言ってない、これも僕の数少ない秘密の一つだ。
八歳の秋に僕は大けがをした。
金練の岩移りの最中に足を踏み外してしまった。
岩移りは何回もやっている訓練でしっかりと安全綱も付けたのだが、昨日買ってもらった筆が嬉しくてこの訓練中もこっそり懐に忍ばせ持ってきた。
夙川村では筆は家族みんなで使うのが一般的で、自分の筆を持っている子供はレンくらいだろう。
そして今日からキリに神代文字を教えてもらう事になっている。
岩移りの訓練中もそれが嬉しくて待ち遠しくてしかたなかった。
そんな事を考えて集中が散漫だったのか、足元の確認が疎かになっていたようだ。
「カイーーー」
レンの声に振り向きお互いに精一杯手を伸ばしたが、中指の先がチョンと触れただけで、見詰め合ったまま後ろ向きに落下した。
安全の為に腰に結んでいた縄が一瞬ピーンと張って体を支えたように思えたが、古くなっていたせいか、次の反動でブチッと切れたのだろう裏山の崖から三十間ほど下の森に落下することになった。
その瞬間景色はスローモーションになり、懐の筆が壊れないようにしっかりと抱えながらも本能的に体を捻り、木の枝が心臓や頸に刺さらないよう避けながら落ちていった。
地面がはっきりと見えてきた直後に気が緩んだのか、額に強い衝撃を受けて氣を失ってしまった。
気が付くと首や手足があり得ない方向に折れ曲がり、地面に横たわった血だらけの誰かを見下ろしていた。
傍らには懐からこぼれ落ちた血の付いた筆が無傷で転がっている。
「キャ~」ユリの悲鳴が聞こえる。
カーン・カーン、カーン・カーン、非常時の集会所の鐘の音だ。
ザワザワ・ギャーギャー・カーン・カーン、いつもと違う村の声がこだまする。
「カイーーー」キリの叫ぶ声が遠くから聞こえてきた。
すると急に誰かに首根っこを掴まれて空高く引っ張られた。
後ろ向きにものすごい速さで村が遠ざかっていく。
やがて村が見えなくなり、目の前にはまん丸で綺麗な青いお月様が浮かんでいた。
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