第6話『シアター』

 9月18日、日曜日。

 今日も爽やかな秋晴れ。絶好のお出かけ日和だ。

 今日は有紗さんと3人で『あなたの名は。』という映画を観て、その後は昼食を挟んで桜花駅周辺を散策する予定になっている。

 午前中、有紗さんが家にやってきたとき、彼女の声は普段よりも少し掠れ気味だった。昨日、数時間に及んで大学時代の友人と一緒にカラオケで歌いまくったからだという。ただ、美来の淹れた温かい紅茶を飲んだことによって、映画館へ出発するときには普段とかなり近い声に戻っていた。


「う~ん、気持ちいい」

「気持ちいいですよね」

「これからはこういう爽やかな日も増えてくるんだろうね、美来ちゃん。まあ、もっと季節が進めば寒くなってくるんだけど」

「暑いのも悪くはないんですけど、どちらかというと寒い日の方が好きですね。智也さんと一緒にいるときの温もりがより愛おしくなるような気がして……」

「恋人がいる子は言うことが違うなぁ。……羨ましすぎる」


 そう言って、有紗さんは美来の頭を無造作に撫でている。ただ、有紗さんも美来も楽しそうに笑っていて。お互いに心を許している証拠だろう。


「智也君は夏と冬ならどっちが好き?」

「……夏ですかね。会社の行き帰りの時間もそんなに暑くないですし。冷たいコーヒーやお茶さえあれば日中も何とかなるので。冬は静電気が怖くて。あとは朝、温かいふとんからなかなか出ることができなくて」

「ふとんからなかなか出られないのは分かるなぁ。今日も起きられなかったもん」


 涼しいだけじゃなくて、それはカラオケの歌いすぎで疲れていたからなのが大きいのでは。ただ、今朝は涼しかったから、温かいふとんの中が気持ち良かったのかもしれない。

 家から徒歩圏内なので、3人で話しながら歩いていたらすぐに映画館に到着した。日曜日のお昼前ということもあってか、世代や問わず多くの人が来館していた。

 金曜日に僕が予約したこともあってスムーズに入場券を手にし、飲み物やポップコーンを買って劇場の座席へと向かう。美来、僕、有紗さんの並びで座る。後方のスクリーン正面の席なのでとても見やすい。今は映画館周辺のお店のCMが流れている。


「楽しみだね、智也君、美来ちゃん」

「そうですね」

「智也さん、怖かったら私の手をぎゅっと掴んでいいんですよ?」

「あ、あたしの手を掴んでくれても大丈夫だからね、智也君」

「……そのお気持ちは受け取っておきます」


 僕達がこれから観る映画はホラーじゃないんだけれど。

 そうだ、メガネをかけないと。前の方の席なら裸眼でもはっきりと見えるんだけれど、今座っている後方の席だと映像がぼやけてしまう。


「メガネをかける智也さん、久しぶりに見ますね。旅行以来でしょうか。メガネをかける姿はやっぱりいいですね」

「家ではそうなんだ。仕事ではかけているときもあるよね」

「会議とかでは必ずかけていますね。裸眼だとスクリーンに映し出されるパソコンの画面やホワイトボードの文字が見えにくいんですよ。デスクで作業をしているときはかけなくても大丈夫なので、会議以外では気分次第ですね」


 ただ、メガネをかけていないときの方が多いからか、メガネをかけた状態で集中して作業をしてしまうと目の奥が痛くなってしまうことがある。あと、小さい頃は映画館で映画を見終わると頭を痛くなったっけ。

 さすがに大ヒット映画ということもあって、映画が始まるときにはほぼ満席。見た感じでは美来のような学生や、僕や有紗さんくらい20代の人が多そうだ。ただ、年配の方もちらほらといる。


「そろそろ始まりますね、智也さん」

「楽しみだね」


 羽賀が3回観に行っている作品でもあるので期待してしまうな。

 映画『あなたの名は。』が始まった。

 入れ替わりが重要なテーマの一つになっているのか。SFの要素もあって面白い。それにしても、背景がとても美しいアニメーション作品だ。ニュースやドラマで見たことのある実際の景色も描かれているので、自分自身がまるでそこにいるような感覚に。

 映画はとても面白いんだけれど……怖かったから手を握ってもいいと言ってきた美来と有紗さんは、映画が始まってから10分もしないうちに僕の手をぎゅっと握ってきた。

 右手は有紗さん、左手は美来。2人は売店で買ったポップコーンを食べたり、飲み物を飲んだりしていて羨ましい。


「まあ、これはこれでいいか……」


 飲食はできないけれど、2人の温もりを感じながら映画を楽しむことしよう。あと、暗いから興奮すると昨日言っていた美来も映画に集中しているようで安心した。

 美来や有紗さんから何か変なことをされることはなく……最後まで映画を楽しむことができた。


「面白かった!」

「大ヒットしているのが頷けます。とても面白かったですね。映像も綺麗でした」

「そうだね、美来ちゃん。……あれ、智也君。全然ポップコーンを食べていないけれど」

「……映画に集中しすぎてポップコーンを食べるのを忘れちゃいました。羽賀が何度も観に来ているのが分かる気がします」


 ポップコーンを一口食べる。うん、塩気がちょうど良くて美味しい。


「もし良ければ2人も食べますか?」

「うん、食べたい!」

「キャラメル味のポップコーンだったので、ちょうど口直しで塩っ気のあるものを食べたかったんですよ」


 そういえば、僕は塩味のポップコーンのSサイズを買ったけれど、2人はキャラメル味のポップコーンのLサイズを買っていたな。もちろん、2人は完食。

 3人で食べたので、Sサイズの塩味ポップコーンをあっという間に完食した。

 気付けば、満席だった観客のほとんどが劇場から出ており、掃除をしに来たのかほうきとちりとりを持った劇場のスタッフが入ってきていた。


「さあ、まずはここから出ましょうか」


 劇場から出ると、昼過ぎということもあってか、僕達が来たときよりも多くの人がいた。僕達が観た『あなたの名は。』以外にも話題作はいくつも上映されているし、3連休というのも影響しているのだろう。


「お手洗い行ってくるね」

「私も行きます」

「では、グッズ売り場の近くで待ち合わせをしましょう。僕もお手洗いに行って、その後にパンフレットを買おうと思います」

「分かったわ。じゃあ、美来ちゃん。一緒に行きましょう」

「ええ」


 僕は美来や有紗さんと一旦別れる。

 お手洗いに行き、その後はグッズ売り場の待機列で数分並び、無事に『あなたの名は。』のパンフレットを購入することができた。学生時代は買ったパンフレットをベッドの上でゴロゴロしながら読んで、映画の内容を思い出していたっけ。

 美来と有紗さんが来るまでの間、ちょっとパンフレットを見てみることに。


「おっ、いいな」


 綺麗な風景がとても印象に残っているので、その絵がたくさん載っているのはいいな。美しい映像だったと羽賀が何度も絶賛していたから、あいつもパンフレットを買っているんだろうな。


「智也さん、お待たせしました」

「パンフレット買えたんだね、智也君」

「ええ。ちゃんと買えましたよ」


 きっと、後で映画の話になるだろうから、そのときに3人でゆっくりとパンフレットを見ることにしよう。羽賀にも映画の感想をメッセージで送っておこう。


「今は午後の1時半過ぎですけど、これからどうしますか? 時間的にもまずはお昼ご飯ですかね」

「そうですね。お腹が減っちゃいましたのでお昼ご飯がいいです」

「美来ちゃんの意見に賛成。あたしもお腹ペコペコ」

「まずはどこかでお昼ご飯を食べましょうか」


 Lサイズのキャラメルポップコーンを完食して、Sサイズとはいえついさっき僕の塩味ポップコーンを食べたというのにお腹が空いたとは。お菓子は別腹なのか、それとも食欲にスイッチが入ったのか。


「じゃあ、駅の近くに私のオススメしたいお店があるのでそこでもいいですか?」

「うん、いいよ。あたし、どんなところか気になるな」

「僕も美来のオススメに乗ろうかな」


 駅の近くにある美来がオススメしたい飲食店、か。それがどこなのかだいたいの想像はついているけれど。


「決まりですね。では、さっそくそのお店に行きましょう!」


 美来は楽しそうな笑顔を浮かべながら僕と有紗さんの手を引く。その手はひんやりしていたけれど、すぐに温かくなるのであった。

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