第27話『涙は夜露に消えて』

 ――ごめん、乃愛の気持ちには応えられない。美来ちゃんのことが好きだから。


 それが、乃愛ちゃんからの告白に対する玲奈先輩の返事だった。その想いを乃愛ちゃんに示したいのか、私のことを抱きしめて頬にキスまでして。


 まさか、私のことが好きだなんて。


 じゃあ、さっきまでの優しい笑みは私がここにいたからで。乃愛ちゃんから告白を受けたときに、寂しげな笑みを浮かべたのは、乃愛ちゃんに対して申し訳ない気持ちがあったから?


「み、美来のことが好き……だって?」

「そうだよ。美来ちゃんを一目見たときから、彼女に心を奪われてた」


 その言葉を強調するためか、私のことをより強く抱きしめる。そのことで、これまでよりも強く玲奈先輩の匂いや温もりを感じる。


「でも、美来には氷室さんっていう結婚前提にして付き合っている恋人がいるんだよ? その人とは同棲もしているし……そんな人のことを好きになるなんておかしいよ! 美来だってそう思うでしょ?」

「そ、それは……」


 おかしいとは全く思わない。今の乃愛ちゃんの言葉を言われたときに、私は有紗さんの顔を思い浮かべたから。


「おかしく……ない……」


 心の中でしっかりと思っていることなのに、どうして口にすると、ここまで息苦しくなってしまうのだろう。声を出すことで精一杯だった。

 恐る恐る乃愛ちゃんの方を見ると、彼女は涙を流しながら怒った表情をして私達のことを見ていた。


「お姉ちゃん。美来には恋人がいるんだよ。それでも好きなの?」

「……そうだよ。だって、好きになっちゃったんだもん……」


 玲奈先輩は私の頭を優しく撫でる。

 すると、そんな私達の様子を見ていた乃愛ちゃんは首を横に振り、


「……分からない。分からないよ! やっぱりおかしいよ!」


 そう言い放って、大粒の涙をいくつもこぼす。


「乃愛ちゃん、落ち着きなさい。一度、深呼吸をしてみましょう」

「亜依からも何か言ってよ! お姉ちゃんが美来のことを……」


 私達のことを指さしながらそう言うと、乃愛ちゃんは亜依ちゃんのベストを強く掴む。


「玲奈先輩が、美来ちゃんのことを恋人である氷室さんから奪いたいと考えているなら全力で止めます。ただ、純粋に好きという気持ちを抱いているだけなのであれば……私は何もするつもりはありません」

「亜依……」


 複雑な表情は浮かべつつも、亜依ちゃんは冷静に答えた。


「……玲奈先輩。先輩は美来ちゃんのことをどのくらい好きなのですか?」


 亜依ちゃんは真剣な表情をして玲奈先輩に問いかけた。

 再び、静寂の時間が訪れる。それはとても長く感じられた。


「……どのくらいだろうね。でも、付き合っている人がいなかったら、絶対に恋人にしたいって思っていたよ。そのくらいに美来ちゃんのことが大好きなの」


 玲奈先輩は笑みを絶やすことなかった。きっと、私のことが好きな気持ちを強く持っているのは本当なのだろう。


「……そうですか」


 亜依ちゃんにそれ以上のことは出なかった。

 この暗くて重たい空気を変えるにはどうすればいいんだろう。

 色々と思考を巡らせて、まずは、私には智也さんがいるからダメだと言わなければと思ったときだった。


「……美来が天羽女子に転入してこなかったら、あたしがこういう気持ちになることはなかったのかも」


 独り言のように言った乃愛ちゃんのその言葉にとても心が痛んだ。またか……と心の中で思わず呟いてしまった。玲奈先輩の胸の中に顔を埋めたくなった。


「乃愛ちゃん。今の言葉はひどすぎます。美来ちゃんは普通にこの天羽女子で学校生活を送っているだけですよ。そんな美来ちゃんに今の言葉はあんまりです。謝りなさい!」


 亜依ちゃんは普段よりも低い声で、そしてきつい口調で乃愛ちゃんのことを叱る。

 しかし、乃愛ちゃんは亜依ちゃんからのそんな叱責が辛かったのか、私達に何も言わずに走り去ってしまった。


「乃愛ちゃん!」

「追いかけなくていいよ、佐々木さん」

「でも……」

「今は1人にさせてあげて。自分の好きな相手から、自分の親友のことが好きだって言われて凄くショックだと思うから。それに、あの子なら……今の佐々木さんの言葉はしっかりと届いているはずだよ」


 悲しげに微笑みながらもそう言えるということは、乃愛ちゃんのことを妹として信頼し、大切にしている証拠なんだと思う。


「……ごめんね、朝比奈さん。私があなたのことを好きになったせいで辛い想いをさせてしまって。本当にごめんなさい」


 玲奈先輩は静かに私達の所から立ち去っていった。

 色々と言われて、その後に襲ってくる虚しくて悲しい気持ち。月が丘高校にいたときに味わった気持ちとよく似ている。


「美来ちゃん」


 亜依ちゃんの声が聞こえたかと思ったら、今度は亜依ちゃんにぎゅっと抱きしめられた。普段だったら温かい気持ちになるんだろうけど、今は……彼女の優しさがとても辛かった。


『美来が天羽女子に転入してこなかったら、あたしがこういう気持ちになることはなかったのかも』


 乃愛ちゃんに言われたその言葉が何度も頭の中を駆け巡る。痛いくらいに体中に響き渡って。乃愛ちゃんの声で勝手に何度も再生される。

 天羽女子に編入したことで、楽しい高校生活がスタートできたと思ったのにな。結局、私はどこにいても、いるだけで人を怒らせたり、傷つけたりしてしまうのかも。


「美来ちゃんは何も悪くないです。それは私が保証します。美来ちゃんは美来ちゃんでいいと思っています」

「……ありがとう」


 亜依ちゃんの言葉で何とか泣かずにいられる。きっと、1人だったら泣き崩れていたかもしれない。ひどければ、壊れていたかもしれない。


「美来ちゃん、今日はもう帰りましょう。桜花駅までは一緒に」

「……うん」


 亜依ちゃんと一緒に下校しようとするけど、一歩一歩が重い。まるで、ここから逃げてはいけないと、誰かから見えない糸で縛り付けられているような気がして。

 校舎を出ると、外は天気予報が外れたのか小雨が降っていた。傘も差さずに鏡原駅まで小走りしたから、髪や顔がちょっと濡れたけれど、顔は学校を出る前から濡れていたような気がする。

 亜依ちゃんと一緒に帰っている間、泣いている乃愛ちゃんの顔や、悲しげに微笑んでいる玲奈先輩の顔ばかり頭に浮かんでしまう。その度に胸が締め付けられる。

 それでも、桜花駅に近づいていくうちに智也さんや有紗さんの顔も思い浮かべるようになって。2人にはちゃんと伝えておいた方がいいかもしれない。

 でも、もしかしたら、またこんなことになってしまったのかと失望されてしまうかもしれない。それらの想いが拮抗する中、私はスマートフォンを手に取るのであった。

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