第5話『水着、ハグ、キッス。』

 水着や日焼け止めなど必要なものを持って、僕と美来は部屋を後にして1階へと向かう。

 1階に到着すると、午後4時近くという時間だからなのか、フロントの周りには、チェックインをするお客さんがさっきよりも多くいた。さっき、僕らを案内してくれた藍沢さんを見かけた。

 藍沢さんが着ているのと同じ半袖のワイシャツを着ている人がいるから、あれはスタッフの制服なのかな。それを頼りに見ていくと……大学生くらいの女性のスタッフさんが何人かいる。茶髪、金髪、赤髪……と、髪の色がバラエティ豊かだな。働いているから、どの人の髪も生来の色なんだろうけど。


「可愛い女性スタッフの方が多いですよね」


 美来は僕の手をぎゅっと握ってくる。結構痛いんですけど。


「さっき、藍沢さんが彼女や友人とアルバイトをしていると言っていたから、ついスタッフの方を見ちゃったんだ。他意はないよ」

「……智也さんならそうだろうと思いましたけど、智也さんの一番近くにいる女性のことも見てほしいです」

「何というか、その……ごめんね」

「いえいえ。私も嫉妬しすぎました。ただ、藍沢さんの恋人はもちろん女性ですが、ご友人が女性だとは限らないのでは? 若い女性スタッフは多いですけど」

「美来の言うとおりだね」


 ただ、もし僕が藍沢さんの立場なら、一緒に働く友人はできるだけ女性にするかな。その方が付き合っている恋人が安心して働けるだろうし。もちろん、羽賀くらいに信頼できる男性の親友がいたら別だけれど。


「そういえば、更衣室はどこでしょうかね。向こう側の窓からプールで遊んでいる方達が見えるのであっちの方でしょうか」

「部屋に置いてあるパンフレットには1階に更衣室があるって書いてあったんだけどね」

「そうですか。では、あの茶髪の女性スタッフに聞いてみましょう」

「そうだね」

 分からなかったら、スタッフさんに訊いちゃった方が早いかな。

 僕と美来は一番近くにいた茶髪の女性スタッフさんのところに行く。


「あの、すみません」

「はい、何でしょうか」


 可愛らしい女性だな。名札を見ると……『坂井』って書いてある。社会人になってから、初対面の人と話すときには、名札を見て名前を確認するようになった。


「これから海やプールで遊ぼうと思っているのですが、更衣室の場所が分からなくて」

「更衣室はあちらの通路の奥の方にございます。更衣室の前から、海やプールの方に出られる出入り口がありますので、海やプールで遊ぶ際にはそちらからお願いします」

「そうですか。ありがとうございます」


 そう言うと、坂井さんという女性スタッフは、僕達にお辞儀をしてフロントの方へと向かった。

 坂井さんに教えてもらった方向に歩いて行くと、男子更衣室と女子更衣室があった。その向かい側にプールへと行くことのできる出入り口が。


「ここからすぐにプールに行けるようになっているんだね」

「そうみたいですね」

「じゃあ、着替えたらそこの出入り口で待つことにしようか」

「分かりました。では、楽しみにしていてくださいね」


 美来は笑顔を見せながら、女子更衣室の方へと入っていった。

 男子更衣室に入ると……全然人がいないな。さっき、フロントにたくさんチェックインをするお客さんがいたけれど。すぐに海やプールで遊ぼうという人はあまりいないのかな。


「……で、出ないよな」


 縁結びの幽霊さんの話を聞いたので、誰もいない場所に1人きりは怖いな。幽霊さんは女子高生らしいので、出るとしたら女子更衣室だろうけど。さっさと着替えて待ち合わせ場所に行こう。

 僕も昨日、新しく買った水着に着替える。青が好きで、昔から青系統の水着にしている。昨日買った水着も濃い青色だ。

 更衣室を出るとさすがに美来の姿はまだなかった。水着を着ていたり、髪を纏めていたり、日焼け止めを塗っていたりしているのかも。


「あの人、結構格好いいね」

「声かけちゃおうか?」


 女性のそんな声が聞こえているけど、僕はそういったことに慣れている。なぜなら、高校生まで僕のすぐ近くには羽賀がいたから。といっても、今の話し声は僕に向けられたものじゃないだろう。羽賀やここのスタッフの藍沢さんのようなイケメンが近くに――。


「あれ?」


 プールの方にはそういった男性がいるけど、ホテルの中には人が全然いない。いたのは2、3人で僕の方を見ている水着姿の女性達だけだった。20代前半から中盤くらいかなぁ。

 僕が見ていることに気付いたのか女性達の方から黄色い声が。何か、こっちに近づいてきそうで怖い。


「智也さん、お待たせしました」


 そんな美来の声が聞こえた瞬間、僕の心は軽くなった。

 更衣室の方を見てみると、そこにはパレオを付けた黒いビキニ姿の美来が僕の方に歩いてきた。パレオを巻いているので全身が見えているわけじゃないけれど、美来……凄くスタイルがいいな。あと金髪だからか黒い水着がよく似合う。


「そんなにじっと見られると……ちょっと恥ずかしいですね」


 美来は頬をほんのりと赤らめてはにかんでいる。ここまで可愛いと、逆に僕の恋人であることが信じられなくなってくるよ。


「どう……ですか? 昨日買った水着なのですが……」

「……とても似合ってるよ。可愛いし、それに何というか……エ、エロいね」

「エロい……ですか」

「美来の裸は何度も見たことがあるから、逆に水着姿だとそそられるというか。初めて見るっていうのもあると思うけど。ご、ごめんね! 変なこと言っちゃって」

「いえいえ! その……褒めてくれているのは分かっていますし。それに、そういった感情を智也さんが抱いてくれるのは、恋人として嬉しいですから」


 美来は顔を真っ赤にして視線をちらつかせている。たまに、こういう恥ずかしそうな様子を見せてくれるのが可愛らしい。

 それにしても何なんだろう。この空気。悪くないのは分かっているんだけど。どうにかしないといけないな。

 ――ぎゅっ。

 僕は美来のことをそっと抱きしめる。


「ふえっ? と、智也さん?」

「あまりにも可愛かったから、抱きしめたくなって」

「でも、抱きしめていたら水着姿を見ることができないのでは?」

「……こんなに可愛い水着姿、僕にだけ見せてくれればいいよ」


 うわぁ、自分で言っておきながら恥ずかしいな、これは。美来の水着姿が可愛らしいのは本当なんだけど。


「それに、こうして抱きしめていれば、そこら辺にいる女性達が僕に彼女がいるって分かってもらえるからさ。彼女達、さっきから僕の方を見ているんだよ」


 僕がそう言うと、美来は女性達の方をチラッと見る。


「なるほどです。何となくですが状況が分かった気がします。智也さん、かなりのイケメンさんですからね。羽賀さんというとてもカッコイイ親友さんがいるからか、智也さんにその自覚はなさそうですが」

「じ、自覚はないね……」


 それに、イケメンだと自覚したら、それはナルシストというのでは。

 あと、今の言い方だと羽賀の方がイケメンのように聞こえる。いや、実際に彼がかなりのイケメンなのはもちろん分かっているけど、美来にとっては僕の方が格好良くあってほしかった。


「とりあえず、あそこにいる女性達に私達がカップル……いえ、夫婦だと思われればいいんですね」

「まだ夫婦じゃないけど……夫婦同然だけど、特別な関係であることを分からせればいいよ」


 というか既に、僕が美来を抱きしめたことで、僕達が親密な関係であることは分かってもらえていると思うけどな。


「分かりました。では、やってみます」

「やるんだね」


 どんな感じになるのか若干不安だ。

 すると、美来は僕のことを見つめて、


「お待たせしました! あ・な・た! 新しい水着を着た妻の姿が可愛いと思ったら、さっそくキスしてください! 私の愛する旦那さまぁ!」


 女性達に聞こえるように心がけているのか、大きな声でそんなことを言ってくる。本当に楽しそうな笑顔をしながら今の言葉が言えるなんて、演技力が凄いな。あと、やっぱり、美来はカップルよりも夫婦という印象を植え付けたい考えのようだ。


「人前でキスするのは恥ずかしいよ。それに、こんなにも美来がぎゅっと抱きしめてくれれば、きっと僕達が特別な関係であることは分かってくれるんじゃない?」

「……恥ずかしいのは事実ですが、ここでキスした方が、今回の旅行をより平和に過ごせると思うのです。それに、智也さんとキスしたいのは本当ですよ? 可愛くて、エロいって言ってくれたから……」

「……分かったよ」


 僕は美来にキスする。ここは2人きりの場所ではないので唇を重ねるだけに留めておく。

 唇を離すと、そこには笑顔で僕のことを見つめている美来の顔があった。


「ありがとうございます、あなた。あと、あなたの水着姿はかっこいいですよ!」

「……ありがとう」


 周りを確認するとさっきまで僕達のことを見ていた女性達の姿がなくなっていた。ただ、口づけをしたからかホテルのスタッフさんや、外から僕達のことを見ている人がちらほらといるけど。


「……さあ、行こうか」


 僕は美来の手を引いて外に出る。

 ただ、プールだとさっきのキスを見た人がいるかもしれないので、プールを通り過ぎて海の方へと向かう。


「もう、智也さんったら。そんなに海に行きたいんですか?」

「まあね。海はひさしぶりだから、とても入りたい気分なんだ」

「そうなんですね。私はどこまでも旦那様についていきますぅ!」


 美来はデレデレしながらそう言った。さっきのキスで、美来の中では僕と結婚したような気持ちでいるんだな。美来が僕のことを夫同然に思ってくれていることは嬉しい。


「じゃあ、夫である僕についてきてね」

「はい! 智也さん!」


 僕も美来のことを妻同然に思うことにしよう。だって、ずっと一緒にいたいと思って彼女と一緒に住み始めたんだから。将来は夫婦になろうと婚約指輪もプレゼントした。それに、僕が美来を妻のように思うことで、周りの人も僕と美来の関係をより分かってくれるような気がするから。

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